わが国クニの特筆トクヒツすべき生産技術セイサンギジュツ
                ▪◆海外カイガイの事例ジレイを示シメす
                ▪本文中ホンブンチュウの氏名シメイは敬称ケイショウを略リャクして表示ヒョウジしています
1543(天文テンモン12)年ネン 種子島タネガシマに漂着ヒョウチャクしたポルトガル人ジンが鉄砲テッポウ(先サキ込ゴめ式シキ火縄銃ヒナワジュウ)を伝来デンライする
  2丁購入した島守の種子島時堯は惣鍛冶の八板金兵衛清定に模作を命じる
  銃身と銃底を塞ぐネジを日本人が見たのが最初といわれ、ネジ切りに苦労するも、翌年
  来島したポルトガル人から技術を習得し、伝来後8カ月目にして国産銃を完成させる
1596(慶長ケイチョウ1)年 佐渡サド金山キンザンが発見ハッケンされる。同金山ドウキンザンでは伝統デントウの灰ハイ吹フ法ホウや焼ヤキ金キン法ホウといった
  精セイ錬レン技術ギジュツを深フカめ、17世紀セイキ初頭ショトウには世界セカイ産出量サンシュツリョウの5%の金キンを産出する。その後ゴさらに精
  錬精度を上アげ、当時トウジの世界セカイ最高サイコウ水準スイジュンの最サイ高純度コウジュンド99.54%を達成タッセイする
   灰ハイ吹フ法ホウ……採掘サイクツした鉱石コウセキの粉コナに鉛ナマリを加クワえ「貴鉛」を作ツクり、灰ハイを敷シいた鉄鍋テツナベで加熱カネツし、鉛ナマリ
    と不純物フジュンブツを取トり除ノゾき金銀キンギンの合金ゴウキンを取トり出ダす精錬セイレンの方法ホウホウ
   焼ヤキ金キン法ホウ……上記ジョウキ合金ゴウキンに塩シオを混マぜて固カタめて長時間チョウジカン加熱カネツして金キンと塩化エンカ銀ギンに分ワけた後ノチ、水ミズ
    で塩シオと塩化エンカ銀ギンを除ノゾき金キンを取トり出ダす精錬セイレンの方法ホウホウ
◆ 1776(安永アンエイ5)年ネン ジェームズ・ワットが最初サイショに蒸気ジョウキ機関キカンを実用化ジツヨウカさせる
   ⇒ これに続ツヅく一連イチレンの動力ドウリョク革命カクメイで生産セイサン工程コウテイなどの機械化キカイカが可能カノウになった
◆ 1841(天保テンポウ12)年ネン イギリスのホイットワースがウイットネジと呼ヨばれるネジ規格キカクを制定セイテイする
  わが国クニではネジ山ヤマ角度カクド55∘をメートルネジと同オナじ60∘に統一トウイツするため1968(昭和ショウワ43)年ネン
  3
月ガツかぎりで廃止ハイシする
◆ 1851(嘉永カエイ4)年ネン 互換性ゴカンセイのある回転カイテン式シキ自動ジドウ拳銃ケンジュウをアメリカのサミュエル・コルトが製作セイサクして
  イギリスで開催カイサイされた第一回ダイイッカイロンドン万国博覧会バンコクハクランカイで提示テイジする
1852(嘉永カエイ5)年ネン 佐賀藩サガハンが砲身ホウシン切削セッサク用ヨウの3連装レンソウ錐台キリダイ(中ナカぐり盤バン)を製作セイサクする
◆ 1854(嘉永カエイ7)年ネン ペリー来航時に模型の鉄道機関車一式や電信機などがアメリカ政府から
  幕府に贈呈される ⇒ 日本の役人を乗せて時速20マイルで走る
1866(慶応ケイオウ2)年ネン 石川島イシカワジマで日本人ニホンジンの設計セッケイによる最初サイショの本格的ホンカクテキ蒸気ジョウキ軍艦グンカン千代田チヨダ型ガタ(排水ハイスイ
  量リョウ138トン)が建造ケンゾウされた。但タダし、エンジンはオランダから輸入ユニュウされた
1872(明治メイジ5)年ネン 明治政府メイジセイフが富岡製糸場トミオカセイシジョウを設立セツリツ。日本発ニホンハツの機械キカイ製糸セイシの工場コウジョウで、日本ニホンの
  近代化だけでなく、高品質コウヒンシツな生糸キイトの大量タイリョウ生産セイサンなど絹キヌ産業サンギョウの技術ギジュツ革新カクシンに大オオきく貢献コウケンした。
  和洋技術ギジュツを混交コンコウした工場コウジョウ建築ケンチクが特徴トクチョウ。2014(平成ヘイセイ26)年ネンに世界セカイ遺産イサンに登録トウロクされる。
1879(明治メイジ12)年ネン 元モト奇兵隊キヘイタイ隊長タイチョウの井上イノウエ省三ショウゾウがドイツの撚糸ネンシ工場コウジョウで実際ジッサイに働ハタラき習得シュウトクした
  技術ギジュツや知識チシキをベースに日本初ニホンハツとなる毛織物ケオリモノ工場コウジョウ「千住センジュ製セイ絨ジュウ所ショ」(後ノチの大和ダイワ毛モウ織ショク⇒1960
  年ネンに閉鎖ヘイサ)を立タち上アげ、生産セイサンに関カンする用語ヨウゴや技術ギジュツを生産セイサン活動カツドウを通ツウじて紹介ショウカイする
1880(明治メイジ13)年ネン 釜石カマイシ鉱山コウザン田中タナカ製鉄セイテツ所ショが日本初ニホンハツの製鉄セイテツ所ショとして操業ソウギョウを開始カイシした
  製炭セイタン所ショの火事カジもあり97日ニチで創業ソウギョウ停止テイシ。その後ゴ、1882(明治メイジ15)年ネンに操業ソウギョウ再開サイカイするも
  鉱滓が出銑シュッセン口グチを塞フサぎ、再開後サイカイゴ196日ニチで再フタタび停止テイシし、同年ドウネンに廃ハイ山ザンとなる
1882(明治メイジ15)年ネン 元モト慶応義塾ケイオウギジュクの英語教師エイゴキョウシの山辺丈夫ヤマノベタケオがイギリスの紡績工場コウジョウで実際ジッサイに
  働ハタラき習得シュウトクした技術ギジュツや知識チシキをベースに日本初ニホンハツとなる紡績工場ボウセキコウジョウ「大阪紡績オオサカボウセキ」(後ノチの東洋紡トウヨウボウ)
  を立タち上アげ、生産セイサンに関カンする用語ヨウゴや技術ギジュツを生産セイサン活動カツドウを通ツウじて紹介ショウカイする
◆ 1886(明治メイジ19)年ネン ドイツのゴットリープ・ダイムラーが世界セカイ発ハツのガソリンエンジン4輪リン車シャを開カイ
  発ハッする。
◆ 1886(明治メイジ19)年ネン ドイツのカール・ベンツがガソリンエンジン3輪リン車シャを完成カンセイさせる
1889(明治メイジ22)年ネン 日本ニホン最初サイショの工作コウサク機械キカイメーカー池貝イケガイ工場コウジョウ(後ノチの池貝イケガイ製作所セイサクショ、現池貝ゲンイケガイ)創ソウ
  業者ギョウシャの池貝イケガイ庄太郎ショウタロウと弟オトウトの喜四郎キシロウが国産初コクサンハツの旋盤センバン、英式エイシキ9フィート旋盤センバン2台ダイを完成カンセイさせる
1893(明治メイジ26)年ネン 国産第一号コクサンダイイチゴウの蒸気ジョウキ機関車キカンシャ860形ガタが当時トウジの鉄道テツドウ庁チョウの指揮シキのもと製造セイゾウ
  される。但タダし、ボイラーなどの主要シュヨウ部品ブヒンはイギリスから輸入ユニュウされる
1895(明治メイジ28)年ネン 国産コクサン旋盤センバンに蒸気ジョウキ機関キカンの動力ドウリョクが取トり付ツけられる
1896(明治29)年 豊田トヨダ佐吉サキチにより日本ニホンで最初サイショの動力ドウリョク織機ショッキ「豊田式トヨタシキ汽力キリョク織機ショッキ」を発明ハツメイ・完成カンセイ
  させる
◆ 1900年代ネンダイ初頭ショトウ フレデリック・テイラーが科学的カガクテキ管理法カンリホウを考案コウアンする。具体的グタイテキには労働者ロウドウシャを
  科学的カガクテキに管理カンリして労働ロウドウ効率コウリツや生産性セイサンセイを上アげる方法ホウホウで、課業カギョウ管理カンリ、作業サギョウの標準化ヒョウジュンカ、作業サギョウ
  管理カンリのための最適サイテキな組織ソシキ形態ケイタイを3つの原理ゲンリ原則ゲンソクとしている。「テイラー・システム」と呼ヨば
  れることもある
1901(明治メイジ34)年ネン 官営カンエイ八幡ヤハタ製鉄セイテツ所ショが製鉄セイテツから鋼材コウザイの生産セイサンまでを一貫イッカンして行オコナう日本初ニホンハツの
  銑鋼センコウ一貫イッカン製鉄セイテツ所ショとして、また釜石カマイシ鉱山コウザン田中製鉄所タナカセイテツショに続ツヅき国内コクナイ2番目バンメの製鉄セイテツ所ショとして操業ソウギョウ
  を開始カイシする
  2015(平成ヘイセイ27)年ネン修繕シュウゼン工場コウジョウや旧キュウ鍛冶カジ工場コウジョウなど4資産シサンが世界セカイ遺産イサンに登録トウロクされる
◆ 1903(明治メイジ36)年ネン アメリカ・キティホークの丘オカでライト兄弟キョウダイが動力ドウリョク付ツき飛行機ヒコウキ「フライヤー
  号ゴウ」で世界初セカイハツの動力ドウリョク飛行ヒコウに成功セイコウする
1904(明治メイジ37)年ネン 国産自動車第一号コクサンジドウシャダイイチゴウ
  電気デンキ技師の山羽虎夫が約10カ月かけて10人乗りの『山羽式蒸気自動車』を製造した
1907(明治メイジ40)年ネン 国産コクサン第一ダイイチ号ゴウのガソリン自動車ジドウシャ製造セイゾウ
  吉田真太郎と内山駒之助によるガソリン自動車が10台ほどつくられる
  当時、この車がガタクリ、ガタクリ走ることから『タクリー号』と呼ばれた
◆ 1908(明治メイジ41)年ネン フォード社シャが大量タイリョウ生産セイサンによる大衆車タイシュウシャを実現ジツゲンした「T型ガタフォード」を発売ハツバイする
  (初期のT型フォードは組立作業チームが巡回して組立てる定置式ライン)
1910(明治メイジ43)年ネン 代々木ヨヨギ練兵レンペイ場ジョウにおいて日野ヒノ熊クマ藏クラ大尉タイイのグラーデ単葉タンヨウ機キが日本初ニホンハツのテス
  ト飛行ヒコウ及オヨび公開コウカイ飛行ヒコウに成功セイコウする
1911(明治メイジ44)年ネン 奈良原ナラハラ三次サンジによる国産コクサン飛行機ヒコウキ「複葉フクヨウ牽引ケンイン式シキ第ダイ2号機ゴウキ」を自ミズカら操縦ソウジュウして
  初飛行ハツヒコウに成功セイコウする
1911(明治メイジ44)年ネン 日本自動車ニホンジドウシャによる国産第一号コクサンダイイチゴウの電気自動車デンキジドウシャ
  ただし、試作した記録のみで、製造された記録は見つかっていない
◆ 1913(大正タイショウ2)年ネン フォード社シャがフォードシステムと呼ヨばれる世界初セカイハツのコンベアを利用リヨウした生産セイサン
  ラインを導入ドウニュウする。1914年ネンからシャシーの組立クミタテに採用サイヨウされるなど、生産セイサン台数ダイスウを飛躍的ヒヤクテキに増ゾウ
  大オオさせる
1917(大正タイショウ6)年ネン 三菱造船ミツビシゾウセンによる国産初コクサンハツの量産リョウサン乗用車ジョウヨウシャとして「三菱ミツビシA型乗用車ガタジョウヨウシャ」が生産セイサン・
  販売ハンバイされる。1921(大正10)年までに約ヤク30台ダイが販売ハンバイされた
1921(大正タイショウ10)年ネン 日本初ニホンハツの実用ジツヨウ国産コクサン戦闘セントウ機キ、一〇式イチマルシキ艦上カンジョウ戦闘機セントウキが航空コウクウ母艦ボカン艦カン「鳳ホウ翔ショウ」へ
  着艦チャッカンに成功セイコウする
1924(大正タイショウ13)年ネン わが国クニで最初サイショに走ハシった電気デンキ自動車ジドウシャとして『タウンスター電気車』が挙アげ
  られている
◆ 1924(大正タイショウ13)年ネン 連続レンゾク流ナガれ大量タイリョウ生産セイサンをめざす新アタラしい設備セツビとして手動シュドウトランスファマシンを
  イギリス・モリスモーターズ社シャが建造ケンゾウする
1927(昭和ショウワ2)年ネン 世界セカイ最初サイショで最高性能サイコウセイノウの「無停止ムテイシ杼ヒ換カン式シキ豊田自動織機トヨダジドウショッキ(G型ガタ自動織機ジドウショッキ)」
  の組立クミタテラインにチェーンコンベアを用いた流れ生産を導入する
1935(昭和ショウワ10)年ネン 三井精機ミツイセイキは日本初ニホンハツのマザーマシンとなる#4型ガタジグ中ナカぐり盤バンを開発カイハツする
1935(昭和ショウワ10)年ネン トヨタ自動車ジドウシャの実質的ジッシツテキな創業者ソウギョウシャとされる第ダイ2代ダイ社長シャチョウの豊田トヨダ喜一郎キイチロウがジャ
  ストインタイムの考カンガえ方カタを社内シャナイマニュアルに織オり込コむ
1938(昭和ショウワ13)年ネン トヨタ自動車ジドウシャはジャストインタイムの実践ジッセンを開始カイシ
1940(昭和ショウワ15)年ネン 「零式レイシキ艦上カンジョウ戦闘機セントウキ(零戦ゼロセン)」制セイ式シキ採用サイヨウされる
  終戦シュウセンまでに1万機以上マンキイジョウが生産セイサンされる。三菱重工業ミツビシジュウコウギョウのみならず中島飛行機ナカジマヒコウキでも分担ブンタン生産セイサンさ
  れ、実際ジッサイの生産機数セイサンキスウは中島飛行機ナカジマヒコウキの方ホウが2384機キ多オオかった。
  具体的グタイテキな生産方法セイサンホウホウの資料シリョウはあまり見当ミアたらないが、以下イカの組立クミタテ作業サギョウ方式ホウシキが知シられている
    分割作業方式
    前進作業方式……生産工程全体に平準化した流れを作り出す
     ⇒一定の期間内に一定の作業を行い、次の工程に一斉に移す方式
         ≪参考≫生産機数  『黄色い零戦』より
            「赤とんぼ」九三式中練      5591機
            「零戦」               10430機
            「隼」                  5700機
1941(昭和16)年12月8日 太平洋戦争勃発
1941(昭和16)年  世界セカイ最大サイダイの戦艦センカン「大和ヤマト」が当時トウジの最先端サイセンタン技術ギジュツを駆使クシして極秘裏ゴクヒリに建造ケンゾウ
  され、同年ドウネン12月ガツ16日ニチに竣工シュンコウする
  ・戦艦「大和」に採用された画期的な建造技術
      ブロック工法
       ⇒船体を複数の区画に分割して建造すること(西島大佐)
      電気溶接を採用し作業効率を高めるとともに材料の節約も実現した
◆ 1942(昭和ショウワ17)年ネン 史上初シジョウハツのジェット戦闘機セントウキ「メッサーシュミットMe262」がジェットエンジンを
  搭載トウサイし最初サイショの飛行ヒコウに成功セイコウする
1945(昭和ショウワ20)年ネン 日本初ニホンハツのジェット機キ、特殊攻撃機トクシュコウゲキキ「橘花キッカ」が初飛行ハツヒコウに成功セイコウする
1945(昭和ショウワ20)年ネン8月ガツ15日ニチ 太平洋タイヘイヨウ戦争センソウ終戦シュウセン
1948(昭和ショウワ23)年ネン トヨタ自動車ジドウシャが後工程アトコウテイ引ヒ取トり方式ホウシキを採用サイヨウする
  運用ウンヨウのツールとして仕掛シカけかんばんと引取ヒキトりかんばんを使用シヨウする
1949(昭和ショウワ24)年ネン 工業コウギョウ標準化ヒョウジュンカ法ホウ(現ゲン産業標準化法サンギョウヒョウジュンカホウ)を公布コウフ。JISの制定セイテイ事業ジギョウに着手チャクシュする
1950(昭和ショウワ25)年ネン W.E.デミングにより日本ニホンの経営者ケイエイシャに品質ヒンシツ管理カンリの考カンガえ方カタや統計的トウケイテキ手法シュホウ
  が伝ツタえられたのをきっかけに日本ニホンで独自ドクジに改良カイリョウを加クワえ、QCサークル活動カツドウが生ウまれる
1951(昭和ショウワ26)年ネン W.E.デミングのわが国クニ品質ヒンシツ管理カンリへの貢献コウケンと日本ニホンの品質ヒンシツ管理カンリの発展ハッテンを
  図ハカるために、デミング賞ショウが日本ニホン科学カガク技術ギジュツ連盟レンメイにより創設ソウセツされる
◆ 1952(昭和ショウワ27)年ネン 非ヒ量産リョウサンに使ツカえる数値制御スウチセイギョ(NC)フライス盤バンの試作機シサクキがアメリカのMIT
  (マサチューセッツ工科大学コウカダイガク)で公開コウカイされる
1953(昭和ショウワ28)年ネン 三菱重工業ミツビシジュウコウギョウが農業用ノウギョウヨウエンジンの部品ブヒン加工用カコウヨウに国産コクサン初ハツのトランスファマ
  シンを開発カイハツする
1956(昭和ショウワ31)年ネン トヨタ自動車ジドウシャがシリンダーブロックのリフター穴アナなどの加工カコウに国産コクサン初ハツとな
  るトランスファマシンを稼働カドウさせる
1956(昭和ショウワ31)年ネン 日産ニッサン自動車ジドウシャがシリンダーブロックとシリンダーヘッドの機械キカイ加工カコウに日本ニホン
  最初サイショの本格的ホンカクテキなトランスファマシンを導入ドウニュウする
1956(昭和ショウワ31)年ネン 当時トウジの富士通フジツウ(部門ブモン独立ドクリツして現ゲンファナック)がタレットパンチプレスに
  NC装置ソウチを具備グビする
1960(昭和ショウワ35)年ネン トヨタ自動車が順序表による生産指示では、相互の進度がわからない
  ので各工程の生産が遅れたり早すぎたりするため、インターライターなどを採用し、ジャス
  トインタイムに生産指示する方法を採用する
1962(昭和ショウワ37)年ネン 日産ニッサン自動車ジドウシャの追浜オッパマ工場コウジョウでハイスピードのトランスファプレスラインが稼働カドウ
  を開始カイシする
1963(昭和38)年 必要ヒツヨウな部品ブヒンを必要ヒツヨウなときに必要ヒツヨウな量リョウだけそろえるといった方式ホウシキを徹底テッテイした 
  いわゆる『かんばん方式ホウシキ』をトヨタの全工場ゼンコウジョウで採用サイヨウする
  <参考文献サンコウブンケン>   関セキ賢太郎著ケンタロウチョ『戦闘機セントウキと空中戦クウチュウセンの100年史ネンシ』(潮ウシオ書房ショボウ光人社コウジンシャ)
              海野ウミノ福寿フクジュ編ヘン『技術ギジュツの社会史シャカイシ3』(有斐閣ユウヒカク)
              小沢オザワさとる著チョ『マンガ 黄色キイロい零戦ゼロセン』(飛鳥アスカ新社シンシャ)
              トヨタ自動車ジドウシャ&各社カクシャホームページ