わがクニ特筆トクヒツすべき生産技術セイサンギジュツ
                ▪海外カイガイ事例ジレイシメ
                本文中ホンブンチュウ氏名シメイ敬称ケイショウリャクして表示ヒョウジしています
1543(天文テンモン12)ネン 種子島タネガシマ漂着ヒョウチャクしたポルトガルジン鉄砲テッポウサキシキ火縄銃ヒナワジュウ)を伝来デンライする
  2丁購入した島守の種子島時堯は惣鍛冶の八板金兵衛清定に模作を命じる
  銃身と銃底を塞ぐネジを日本人が見たのが最初といわれ、ネジ切りに苦労するも、翌年
  来島したポルトガル人から技術を習得し、伝来後8カ月目にして国産銃を完成させる
1776(安永アンエイ5)ネン ジェームズ・ワットが最初サイショ蒸気ジョウキ機関キカン実用化ジツヨウカさせる
   ⇒ これにツヅ一連イチレン動力ドウリョク革命カクメイ生産セイサン工程コウテイなどの機械化キカイカ可能カノウになった
1841(天保テンポウ12)ネン イギリスのホイットワースがウイットネジとばれるネジ規格キカク制定セイテイする
  わがクニではネジヤマ角度カクド55をメートルネジとオナじ60統一トウイツするため1968(昭和ショウワ43)ネン
  3
ガツかぎりで廃止ハイシする
1851(嘉永カエイ4)ネン 互換性ゴカンセイのある回転カイテンシキ自動ジドウ拳銃ケンジュウをアメリカのサミュエル・コルトが製作セイサクして
  イギリスで開催カイサイされた第一回ダイイッカイロンドン万国博覧会バンコクハクランカイ提示テイジする
1854(嘉永カエイ7)ネン ペリー来航時に模型の鉄道機関車一式や電信機などがアメリカ政府から
  幕府に贈呈される ⇒ 日本の役人を乗せて時速20マイルで走る
1866(慶応ケイオウ2)ネン 石川島イシカワジマ日本人ニホンジン設計セッケイによる最初サイショ本格的ホンカクテキ蒸気ジョウキ軍艦グンカン千代田チヨダガタ排水ハイスイ
  リョウ138トン)が建造ケンゾウされた。タダし、エンジンはオランダから輸入ユニュウされた
1872(明治メイジ5)ネン 明治政府メイジセイフ富岡製糸場トミオカセイシジョウ設立セツリツ日本発ニホンハツ機械キカイ製糸セイシ工場コウジョウで、日本ニホン
  近代化だけでなく、高品質コウヒンシツ生糸キイト大量タイリョウ生産セイサンなどキヌ産業サンギョウ技術ギジュツ革新カクシンオオきく貢献コウケンした。
  和洋技術ギジュツ混交コンコウした工場コウジョウ建築ケンチク特徴トクチョウ。2014(平成ヘイセイ26)ネン世界セカイ遺産イサン登録トウロクされる。
1879(明治メイジ12)ネン モト奇兵隊キヘイタイ隊長タイチョウ井上イノウエ省三ショウゾウがドイツの撚糸ネンシ工場コウジョウ実際ジッサイハタラ習得シュウトクした
  技術ギジュツ知識チシキをベースに日本初ニホンハツとなる毛織物ケオリモノ工場コウジョウ千住センジュセイジュウショ」(ノチ大和ダイワモウショク⇒1960
  ネン閉鎖ヘイサ)をげ、生産セイサンカンする用語ヨウゴ技術ギジュツ生産セイサン活動カツドウツウじて紹介ショウカイする
1880(明治メイジ13)ネン 釜石カマイシ鉱山コウザン田中タナカ製鉄セイテツショ日本初ニホンハツ製鉄セイテツショとして操業ソウギョウ開始カイシした
  製炭セイタンショ火事カジもあり97ニチ創業ソウギョウ停止テイシ。その、1882(明治メイジ15)ネン操業ソウギョウ再開サイカイするも
  鉱滓が出銑シュッセングチフサぎ、再開後サイカイゴ196ニチフタタ停止テイシし、同年ドウネンハイザンとなる
1882(明治メイジ15)ネン モト慶応義塾ケイオウギジュク英語教師エイゴキョウシ山辺丈夫ヤマノベタケオがイギリスの紡績工場コウジョウ実際ジッサイ
  ハタラ習得シュウトクした技術ギジュツ知識チシキをベースに日本初ニホンハツとなる紡績工場ボウセキコウジョウ大阪紡績オオサカボウセキ」(ノチ東洋紡トウヨウボウ
  をげ、生産セイサンカンする用語ヨウゴ技術ギジュツ生産セイサン活動カツドウツウじて紹介ショウカイする
1886(明治メイジ19)ネン ドイツのゴットリープ・ダイムラーが世界セカイハツのガソリンエンジン4リンシャカイ
  ハッする。
1886(明治メイジ19)ネン ドイツのカール・ベンツがガソリンエンジン3リンシャ完成カンセイさせる
1889(明治メイジ22)ネン 日本ニホン最初サイショ工作コウサク機械キカイメーカー池貝イケガイ工場コウジョウノチ池貝イケガイ製作所セイサクショ現池貝ゲンイケガイソウ
  業者ギョウシャ池貝イケガイ庄太郎ショウタロウオトウト喜四郎キシロウ国産初コクサンハツ旋盤センバン英式エイシキ9フィート旋盤センバンダイ完成カンセイさせる
1893(明治メイジ26)ネン 国産第一号コクサンダイイチゴウ蒸気ジョウキ機関車キカンシャ860ガタ当時トウジ鉄道テツドウチョウ指揮シキのもと製造セイゾウ
  される。タダし、ボイラーなどの主要シュヨウ部品ブヒンはイギリスから輸入ユニュウされる
1895(明治メイジ28)ネン 国産コクサン旋盤センバン蒸気ジョウキ機関キカン動力ドウリョクけられる
1896(明治29)年 豊田トヨダ佐吉サキチにより日本ニホン最初サイショ動力ドウリョク織機ショッキ豊田式トヨタシキ汽力キリョク織機ショッキ」を発明ハツメイ完成カンセイ
  させる
1900年代ネンダイ初頭ショトウ フレデリック・テイラーが科学的カガクテキ管理法カンリホウ考案コウアンする。具体的グタイテキには労働者ロウドウシャ
  科学的カガクテキ管理カンリして労働ロウドウ効率コウリツ生産性セイサンセイげる方法ホウホウで、課業カギョウ管理カンリ作業サギョウ標準化ヒョウジュンカ作業サギョウ
  管理カンリのための最適サイテキ組織ソシキ形態ケイタイを3つの原理ゲンリ原則ゲンソクとしている。「テイラー・システム」と
  れることもある
1901(明治メイジ34)ネン 官営カンエイ八幡ヤハタ製鉄セイテツショ製鉄セイテツから鋼材コウザイ生産セイサンまでを一貫イッカンしてオコナ日本初ニホンハツ
  銑鋼センコウ一貫イッカン製鉄セイテツショとして、また釜石カマイシ鉱山コウザン田中製鉄所タナカセイテツショツヅ国内コクナイ番目バンメ製鉄セイテツショとして操業ソウギョウ
  を開始カイシする
  2015(平成ヘイセイ27)ネン修繕シュウゼン工場コウジョウキュウ鍛冶カジ工場コウジョウなど4資産シサン世界セカイ遺産イサン登録トウロクされる
1903(明治メイジ36)ネン アメリカ・キティホークのオカでライト兄弟キョウダイ動力ドウリョク飛行機ヒコウキ「フライヤー
  ゴウ」で世界初セカイハツ動力ドウリョク飛行ヒコウ成功セイコウする
1904(明治メイジ37)ネン 国産自動車第一号コクサンジドウシャダイイチゴウ
  電気デンキ技師の山羽虎夫が約10カ月かけて10人乗りの『山羽式蒸気自動車』を製造した
1907(明治メイジ40)ネン 国産コクサン第一ダイイチゴウのガソリン自動車ジドウシャ製造セイゾウ
  吉田真太郎と内山駒之助によるガソリン自動車が10台ほどつくられる
  当時、この車がガタクリ、ガタクリ走ることから『タクリー号』と呼ばれた
1908(明治メイジ41)ネン フォードシャ大量タイリョウ生産セイサンによる大衆車タイシュウシャ実現ジツゲンした「Tガタフォード」を発売ハツバイする
  (初期のT型フォードは組立作業チームが巡回して組立てる定置式ライン)
1910(明治メイジ43)ネン 代々木ヨヨギ練兵レンペイジョウにおいて日野ヒノクマクラ大尉タイイのグラーデ単葉タンヨウ日本初ニホンハツのテス
  ト飛行ヒコウオヨ公開コウカイ飛行ヒコウ成功セイコウする
1911(明治メイジ44)ネン 奈良原ナラハラ三次サンジによる国産コクサン飛行機ヒコウキ複葉フクヨウ牽引ケンインシキダイ号機ゴウキ」をミズカ操縦ソウジュウして
  初飛行ハツヒコウ成功セイコウする
1911(明治メイジ44)ネン 日本自動車ニホンジドウシャによる国産第一号コクサンダイイチゴウ電気自動車デンキジドウシャ
  ただし、試作した記録のみで、製造された記録は見つかっていない
1913(大正タイショウ2)ネン フォードシャがフォードシステムとばれる世界初セカイハツのコンベアを利用リヨウした生産セイサン
  ラインを導入ドウニュウする。1914ネンからシャシーの組立クミタテ採用サイヨウされるなど、生産セイサン台数ダイスウ飛躍的ヒヤクテキゾウ
  オオさせる
1917(大正タイショウ6)ネン 三菱造船ミツビシゾウセンによる国産初コクサンハツ量産リョウサン乗用車ジョウヨウシャとして「三菱ミツビシ型乗用車ガタジョウヨウシャ」が生産セイサン
  販売ハンバイされる。1921(大正10)年までにヤク30ダイ販売ハンバイされた
1921(大正タイショウ10)ネン 日本初ニホンハツ実用ジツヨウ国産コクサン戦闘セントウ一〇式イチマルシキ艦上カンジョウ戦闘機セントウキ航空コウクウ母艦ボカンカンホウショウ」へ
  着艦チャッカン成功セイコウする
1924(大正タイショウ13)ネン わがクニ最初サイショハシった電気デンキ自動車ジドウシャとして『タウンスター電気車』が
  られている
1924(大正タイショウ13)ネン 連続レンゾクナガ大量タイリョウ生産セイサンをめざすアタラしい設備セツビとして手動シュドウトランスファマシンを
  イギリス・モリスモーターズシャ建造ケンゾウする
1927(昭和ショウワ2)ネン 世界セカイ最初サイショ最高性能サイコウセイノウの「無停止ムテイシカンシキ豊田自動織機トヨダジドウショッキ(Gガタ自動織機ジドウショッキ)」
  の組立クミタテラインにチェーンコンベアを用いた流れ生産を導入する
1935(昭和ショウワ10)ネン トヨタ自動車ジドウシャ実質的ジッシツテキ創業者ソウギョウシャとされるダイダイ社長シャチョウ豊田トヨダ喜一郎キイチロウがジャ
  ストインタイムのカンガカタ社内シャナイマニュアルに
1938(昭和ショウワ13)ネン トヨタ自動車ジドウシャはジャストインタイムの実践ジッセン開始カイシ
1940(昭和ショウワ15)ネン 「零式レイシキ艦上カンジョウ戦闘機セントウキ零戦ゼロセン)」セイシキ採用サイヨウされる
  終戦シュウセンまでに1万機以上マンキイジョウ生産セイサンされる。三菱重工業ミツビシジュウコウギョウのみならず中島飛行機ナカジマヒコウキでも分担ブンタン生産セイサン
  れ、実際ジッサイ生産機数セイサンキスウ中島飛行機ナカジマヒコウキホウが2384オオかった。
  具体的グタイテキ生産方法セイサンホウホウ資料シリョウはあまり見当ミアたらないが、以下イカ組立クミタテ作業サギョウ方式ホウシキられている
    分割作業方式
    前進作業方式……生産工程全体に平準化した流れを作り出す
     ⇒一定の期間内に一定の作業を行い、次の工程に一斉に移す方式
         ≪参考≫生産機数  『黄色い零戦』より
            「赤とんぼ」九三式中練      5591機
            「零戦」               10430機
            「隼」                  5700機
1941(昭和16)年12月8日 太平洋戦争勃発
1941(昭和16)年  世界セカイ最大サイダイ戦艦センカン大和ヤマト」が当時トウジ最先端サイセンタン技術ギジュツ駆使クシして極秘裏ゴクヒリ建造ケンゾウ
  され、同年ドウネン12ガツ16ニチ竣工シュンコウする
  ・戦艦「大和」に採用された画期的な建造技術
      ブロック工法
       ⇒船体を複数の区画に分割して建造すること(西島大佐)
      電気溶接を採用し作業効率を高めるとともに材料の節約も実現した
1942(昭和ショウワ17)ネン 史上初シジョウハツのジェット戦闘機セントウキ「メッサーシュミットMe262」がジェットエンジンを
  搭載トウサイ最初サイショ飛行ヒコウ成功セイコウする
1945(昭和ショウワ20)ネン 日本初ニホンハツのジェット特殊攻撃機トクシュコウゲキキ橘花キッカ」が初飛行ハツヒコウ成功セイコウする
1945(昭和ショウワ20)ネンガツ15ニチ 太平洋タイヘイヨウ戦争センソウ終戦シュウセン
1948(昭和ショウワ23)ネン トヨタ自動車ジドウシャ後工程アトコウテイ方式ホウシキ採用サイヨウする
  運用ウンヨウのツールとして仕掛シカけかんばんと引取ヒキトりかんばんを使用シヨウする
1949(昭和ショウワ24)ネン 工業コウギョウ標準化ヒョウジュンカホウゲン産業標準化法サンギョウヒョウジュンカホウ)を公布コウフ。JISの制定セイテイ事業ジギョウ着手チャクシュする
1950(昭和ショウワ25)ネン W.E.デミングにより日本ニホン経営者ケイエイシャ品質ヒンシツ管理カンリカンガカタ統計的トウケイテキ手法シュホウ
  がツタえられたのをきっかけに日本ニホン独自ドクジ改良カイリョウクワえ、QCサークル活動カツドウまれる
1951(昭和ショウワ26)ネン W.E.デミングのわがクニ品質ヒンシツ管理カンリへの貢献コウケン品質ヒンシツ管理カンリ発展ハッテンハカるた
  めに、デミングショウ日本ニホン科学カガク技術ギジュツ連盟レンメイにより創設ソウセツされる
1952(昭和ショウワ27)ネン 量産リョウサン使ツカえる数値制御スウチセイギョ(NC)フライスバン試作機シサクキがアメリカのMIT
  (マサチューセッツ工科大学コウカダイガク)で公開コウカイされる
1953(昭和ショウワ28)ネン 三菱重工業ミツビシジュウコウギョウ農業用ノウギョウヨウエンジンの部品ブヒン加工用カコウヨウ国産コクサンハツのトランスファマ
  シンを開発カイハツする
1956(昭和ショウワ31)ネン トヨタ自動車ジドウシャがシリンダーブロックのリフターアナなどの加工カコウ国産コクサンハツとな
  るトランスファマシンを稼働カドウさせる
1956(昭和ショウワ31)ネン 日産ニッサン自動車ジドウシャがシリンダーブロックとシリンダーヘッドの機械キカイ加工カコウ日本ニホン
  最初サイショ本格的ホンカクテキなトランスファマシンを導入ドウニュウする
1956(昭和ショウワ31)ネン 当時トウジ富士通フジツウ部門ブモン独立ドクリツしてゲンファナック)がタレットパンチプレスに
  NC装置ソウチ具備グビする
1960(昭和ショウワ35)ネン トヨタ自動車が順序表による生産指示では、相互の進度がわからない
  ので各工程の生産が遅れたり早すぎたりするため、インターライターなどを採用し、ジャス
  トインタイムに生産指示する方法を採用する
1963(昭和38)年 必要ヒツヨウ部品ブヒン必要ヒツヨウなときに必要ヒツヨウリョウだけそろえるといった方式ホウシキ徹底テッテイした 
  いわゆる『かんばん方式ホウシキ』をトヨタの全工場ゼンコウジョウ採用サイヨウする
  <参考文献サンコウブンケン>   セキ賢太郎著ケンタロウチョ戦闘機セントウキ空中戦クウチュウセンの100年史ネンシ』(ウシオ書房ショボウ光人社コウジンシャ
              海野ウミノ福寿フクジュヘン技術ギジュツ社会史シャカイシ3』(有斐閣ユウヒカク
              小沢オザワさとるチョ『マンガ 黄色キイロ零戦ゼロセン』(飛鳥アスカ新社シンシャ
              トヨタ自動車ジドウシャ各社カクシャホームページ