佐佐木信綱(1872-1963)
明治5年6月3日ー昭和38年12月2日 91歳 
谷中霊園


ひとの世の人のことばに限ありてわが此おもひいひ出がたき
罪なくて世を去りし人の世にあらば安けかりけむ寂しかりけむ
我命うせむ折にと思ひしを心よわくも洩らしつるかな
花に舞ひし昔の姿ゆめに見てさむればわが身埋火のもと
行けば行きとまればとまる我影のありやなしやもわきがたの世や
草深き父の御墓にぬかづきて昔の罪をひとり泣くかな
われは唯ひとりぞ吹かむわれ知らぬ人にきかせむわが笛にあらず  (思 草)
ゆく秋の大和の國の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
世に生まれ出でざりしが最も幸と君が口より聞くべきものか    (新 月)

 「障子からのぞいて見ればちらちらと雪のふる日に鴬が鳴く」、信綱5歳の作が伝えられている。以後、昭和38年91歳の冬、熱海西山の凌寒荘で急性肺炎により永眠するまで延々と歌の道を歩み続けた。「広く、深く、おのがじしに」を標語に「歌材は広く探求せよ、表現は深玄であれ、しかして各自の歌境を、おのおのの個性に、環境に求めよ」と念虜した信綱門下からは川田順、九條武子、木下利玄、大塚楠緒子ら多くの歌人が輩出した。

 「佐々木信綱大人 佐々木雪子刀自墓」、第一回文化勲章受章者である信綱の墓は父弘綱の墓に並んで立っている。炎天の烈しい陽を同形三基の墓石はそれぞれに浴びていた。弘綱夫妻の石面にはね返された光は、信綱夫妻の石面に吸収されて、刻された碑文字を一層濃いものにしていた。 
 「おくつきをおほふかしの木とこしへにさめぬ眠を守れとぞ思ふ」