前田洋造 (1883-1951)
明治16年7月27日ー昭和26年4月20日 69歳 (青天院静観夕暮居士)
多磨霊園

魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて
木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな
若竹は皐月の家をうらわかき悲しみをもてかこみぬるかな (収 穫)
沈思よりふと身をおこせば海の如く動揺すなり、入日の赤さ
ムンヒの「臨終の部屋」をおもひいでいねなむとして夜の風をきく
向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちいささよ
我がこころの故郷つひにいづかたぞ彼の落日よ裂けよとおもふ (生くる日に)
蜜蜂のうなりうづまく日のもとをひっそりとしてわがよぎりたり
ひたむきに空のふかみになきのぼる雲雀をきけば生くることかなし (原生林)
昭和26年、前年よりの仰臥生活が続くなか、1月には主治医が急逝し「自然療法」に入った。死期を感じた夕暮は遺詠「雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は」他を遺し、4月20日午前11時30分東京・荻窪の自宅「青樫草舎」で死を迎えた。自らの死をも清々しく客観的に歌った彼の自我意識は最後まで醒めていた。
ゴーギャン・ゴッホなど印象派からの強烈な刺激をうけ、外光や色彩に多くの影響がみうけられる彼の歌は、数回に及ぶ作風転換にもかかわらず一貫してみずみずしく清新なものであった。いまその塋域に立つと、赤や黄や白い供花の間から碑面を光らせている主の清らかさが偲ばれる。
「空遥かにいつか夜あけた木の花しろしろ咲きみちてゐた朝が来た」