ボレアス11号批評(椎原悠介)

「異変幻想譜」嬉野泉

 復職するにしても、いじめられた上司のいる元の会社しか思いつかないなんて、前原というのは、どこまで無能なんだろうって思ってしまいます。しかないサラリーマンは、考えも貧困で、どこまでいっても、しがないサラリーマンなのですネ。
 超能力も、それを使う人の心次第ということでしょうか……? 宝の持ちぐされです。
 下ネタが多すぎて、絶世の美女、額田王も地に堕ちてしまいましたネ。プラットホームで相撲をとったり、佐々木という名脇役を配したり、冴えた力量が、誠にもったいない。
 どうも思い着きのみで、書き流してしまった感がします。

「ウシトリ」村土芽莉

 キャラクターの職業や性格が、この話にぴったりで、奇妙な味の小説になっています。
 きっと、ありきたりの人物なら、このウシトリという不思議な生き物は、物語から浮いたものになっていたでしょうネ。
 ほのぼのとやさしさが伝わってきます。

「タフォスのプリムローズ」嬉野泉

 完結されていないので、批評が書きにくいのですが、内容をもう少し整理された方が、読み易い気がしました。
 この一篇を初めて読む人には、説明不足で面白味に欠けますし、前作を知る人にとっては、文章量の割りに、ストーリーが、単純かつ冗長で、あと書きにも記された如く、ほん前書き。本文に続くには興味薄といったところです。
 ヴェラがもう少し魅力的な女性であればいいのですが、今のところ、読み手が恋したくなるような女性ではありませんネ。
 ヴェラを好きになれば、読み手は、どこまでだって、つきあいますよ。(ほんのちょっと、読み手の方をふりむいてくれたって、いいじゃないですか……)

「いつ覚めるやも知れぬこの夢の為に」理世デノン

 心の内奥の闇に落ちることなく、不条理な世界を存分に楽しませて頂きました。
 所々、矛盾も感じるのですが、それはこの作品がまだまだ、未成熟な故でしょう……。とは言え、このままもう一歩踏みこめば、死や狂気と真向から直面してしまいますし、さてどうしたものやら……。読み手として、軽い不満が残るものの、その一方で、そのあいまいさが気に入ってもいるので、判断しかねますが、作者の心の成長に期待するしかしょうがありますまい。
 構成も見事でしたが、それ以上に新鮮な個性を感じました、こだわることなく、自己の可能性に挑戦し続けて下さい。

「重たい地球儀」好川絋処

 この手の古典的なSFのトリックは書いた者にしかわからないと思うけれど、矛盾なく書こうとすると結構むずかしい。どこで整合させて、どこでびっくりさせるか。
 読んでて、あれっと思ったのは、登場人物はごく普遍の人間なのかな……ということ。それならそれでそのことをちゃんと呈示したほうがもっと面白くなるはずだし、ふつうの人間だとしたら、ふつうの人間らしく書きべきで、読む方には読み進める前に謎が多すぎる。その結果、読後感があまりよくないのです。
 書き過ぎても面白みが消えるし、かと言って説明足りずも困る。そのかねあいのむずかしさがこの作品にはある。この場合、イメージの面白さは買えるが、まだまだ未完成ではないでしょうか。
 それから読者のたわいない疑問としては、母親が登場しないこと。父子家庭なのでしょうか。これも、読んでいて、気になりました。これも最初にさりげなく、母親がいないということを会話か描写で書き込んでおくと、読者はなるほどそうなのかと思って、気にせず読み進めることができます。

「美加 in R」秋山英時

 小説における時間の扱い方を逸脱しているが故に、平易な文章の割に、理解し難い文章となってしまいました。
 追憶による時間の逆行は、それなりに構成として魅力を感じますが、背中を下にして、すべり落ちるローラーコースターに乗っているようで、追憶の追憶の追憶の……と続いてゆくと、目まいを感じます。どうか時間酔いしないために、もう一工夫を……。
 ジェルトのイメージは魅惑的な素材です。但し、登場人物が自分のことを作中人物と知っているというのは、このお話では根拠もなくしらけてしまいます、蛇足でしょう……。


「ラヴィング・ユー」勝山行

 179頁、7行目より始まる会話の部分、少し説明が飛んでいるような気がします、何故、良が「行くよ」と言ったのか、読みながらスッと理解できませでした。
 会話のウラの心理が読み取れるほど、その時の顔やしぐさが思い浮かぶほどに、文章が練れていればよかったのですけれど、この部分、少し苦しい文章展開となってしまいましたネ。
 178真下段16行目の。この手が温もるまで手を握っていたいと思った。なんて、とてもうまい。この世の人でない野梨子の手を暖めて、生き返らせたいという想いが伝わってきて、いいなあ、と思います。
 夜光虫もイメージとして、すてきです。
 目新しさはないものの、すなおな文章と内容に酔いしれました。熱い想いがほとばしれば、もっと鮮烈なイメージに仕上がったでしょうネ。少々、小じんまりとまとまりすぎたきらいもあります。

「竹の風のバラード」長谷川七星

 不思議な内容の詩です。少し恐ろしくて、ゾクッともしますもパンダのひょうきんな明るさが、対比されて、かもし出された味かもしれません。  カラオケに、建売住宅なんて、俗っぽい素材の連想も感心しました。  荒ら屋に住んでいた私が、その世界を見ているはずが、ラストでは人一人いない地球となっている……矛盾はあるものの、狂気の詩なのでそれもさほど気にならず、とすると冒頭の我は、生きた人間ではなかったのかとも思えて、ますます不思議な世界にのめりこんでしまいます。  テレビのあたり、ふとディックの世界など思い出してしまいました。  それから、七五調は哀感を出すには、ピッタリした手法なのですが、これは意図されたものでしょうか?

(1989.10.26記)


 ボレアス12号批評(椎原悠介)

「過去からの風」秋山英時

 超能力の発現について。時間風と国際条約。ホヤの突然の進化。機械VS人間。永遠空間と精神的トラウマ。etc、etcと、よくもまあ、これだけのスペースにサブテーマをつめ込んだものだと思われる作品。
メインテーマは結局、異生物がらみのセックスと愛の問題。物語の初めから、博二と承子のラヴ・ストーリーと心の問題で、整合性がない訳ではないが、ハードな理論に基礎づけられたストーリーとしては、読み手に少々不満が残るかも。……原因はどのサブテーマも充分に熟すまえにつみとられてしまっているせいと、ラヴ・ストーリーとしての押しが少々弱すぎたせい……もっと二人の愛が前面に出てもよい。もともと、この甘さが作者の個性と得手とするところと思えるところだからだ。(得手でなければ、こうくり返し、恋人の問題を扱えるはずがない。)
 最初っから、スリリングなラヴ・ストーリーであれば、それを嫌いな人は最初から投げ出すであろうし、故に、結末で裏切られたと取ることはない。少々乱暴な治療ではあるが、当たってはいないだろうか? 
 本来この物語は、単行本一冊分の内容をもってしかるべきで、現在の枚数では手際よくまとめられたダイジェスト版といったところ。(映画のシノプシス原稿を読んでいるようでもあるが……)
 それにしても科学者の描写、そのナチュラルなリアリティは捨て難い魅力だ。これもこの作者の得意とするところなのだろう。得手をのばせば、更に作品に磨きがかかる。私はそう信じています。

「キタイのコナン(1)」嬉野泉

 八鬼将軍の描き分けをどうされるのか、期待したいと思います。(つい、モロー博士の島を思い浮かべてしましましたが、敵をとらえて獣頭人身とするそのアイデアは、時代を考えても魅力的です)
 それにしても、花蘭道人とか、奇妙になやましく、そこだけ浮き上がったように描写が闊達です。一方コナンにもう少し人間味が感じられればよいのですが、少々悟りきったような印象で、内なるパワーが見えてきません。
 文章と展開が達者なだけに、ついその技量に頼ってしまうところがないでしょうか? 
 車に例えれば、あ、今、オーバートップで走っていると思える所があります。
 そうすると、読み子もついラクをして読んでしまうと思いがちで、スリリングな物語も、スリリングでなくなってしまいます。
 コナンには、いつも全力で闘って欲しい。全力で闘うことで、より大きなパワーを生む存在であって欲しい。悪者側が生き生きしているだけに、なお更そう思います。
 今後の展開に期待します。


「やっとたどりついた家なのに」村土芽莉

 日本が舞台なのに、アメリカの田舎みたいなバタくささがあって、どうしてこんなふん囲気の話が出来上がるのだろうと不思議に思ってしまいます。きっと作者の好きなイメージが、そうした日本離れした世界を描かせてしまうのでしょう。
 物語が整理されていないことや、読み手に不親切な点もあって、二度読みしないと判りづらいということもあるのですが、小さなミステークにこだわらず、どんどん書いていって欲しいと思います。
 奇妙な話というのは、物語を書きつづけないと発見できないから……。夢中になって書きつづけること。物語の定義、文章の作法なんてこだわらず、書きつづけること。不思議な世界を誰かと分かちあいたいと思ったら、自然に語り口は上達しますよ。
 コーンの実がナヤミの種……? それが本当らしく見えてしまうのが小説の魔術(マジック)。セリフまわしが、とても生き生きしています。

「テラのプリムローズ」嬉野泉

 ひと昔前の極彩色のアメリカン・コミックみたいで、そのイメージが面白いと思いました。前編タフォスのプリムローズとは、かなり趣きが異なって、前編、後編というよりは、連作読み切りと見た方がよさそうです。
 口腔のカプセルについては、前編から日数が経っており、すっかり忘れておりましたが、アンフェアな印象は受けませんでした。これもひとえにアメリカン・コミックの印象があったせいかもしれません。
 悪役がキャラクター的にも面白く、生き生きしているのは、「キタイのコナン」と同様ですが、これはうらやましい才能ですネ。いっそのこと、悪役たちの物語を大々的に書いてみては? とてつもなく面白くユニークなものが出来上がるのでは?


「レナちゃんの家」「空へ」理世デノン

 死を認識できるということにおいては正常だけれど、それ以外は狂った世界。異常性に背筋が凍ります。  私なら物語に奥行きをつけるため、レナちゃんを少し年上の少女にし、彼を幼い彼女とし、レズビアン風とします。そしてもう少しレナちゃんの両親についても、作品のデテイルをハッキリさせるため、書き足します。  作品の完成度からいえば、「空へ」の方が最後の二桁によって、数段上でしょう。

(1990・7・23記)

 毎度のことながら、椎原さん、ありがとうございました。悪役。……ねえ。……面白そうです。案外ピカレスクものは自分でも得意としている……かもしれない……ところでして。たとえば、前に「星群」に掲載させて頂いた、死体産業の移植ドクターなど、それですが。アメリカン・コミック……見たことはありません。ビッグ・コミックならしょっちゅう見てますが。もし、何かから影響を受けているとすれば、あの、ゴルゴ13ではないでしょうか。とにかくこれで、お約束しましたハード.ボイルドSFも登場させて、お約束を果たしたつもり。……後残っているのは、ポルノSFとスカトロSFですが。これは。……手持ちのアイデアはあるのですが。
 こんなに精彩、かつ生彩味に溢れるご批評を頂いたのですから、編集後記の私の評は今回は割愛して、次回の椎原さんの批評に委ねることにしまして、私のものだけに一応のコメントをつけるだけにいたしましょう。
 泉。


 ボレアス13号批評(椎原悠介)

「氷と灼熱」嬉野泉

 この作品は、シリーズ物としての読み手への配慮が欠けていると思います。  例えば、リーサム船長にとってお馴染みと書かれた『ラ・クカラチャ』。第二弾を知っている読者には、理解できますが、この作品が初めてという人には少し不親切。何故おなじみなのか、サッパリ判らない。
 船長と同じ思いにひたりたい読み手にとっては肩すかしとなってしまいます。ここは少し気をきかして、第3章メヌアン領域に到るまでの平穏無事、息ぬきの部分に、仲間との酒飲み話などにして、さりげなく語っておいて頂きたい。
 ルフェーブルとリーサム船長の出会いに対しても同様のことが言えると思います。
 親友と記されているにも関わらず、ルフェーブルがリーム船長の親友となった経緯(いきさつ)のヒントらしきものも記されていない。これではルフェーブルの死は、余りに唐突に終わってしまいます。プロピンクウス(親友)という名の星で親友を失った。では、単なる言葉遊びだけですんでしまい、余りに冗談が過ぎる。一考を要します。
 奇妙な星と、奇妙な生物。嬉野SF的おもちゃ箱の世界で、得意とされるところでしょうが、シリーズとしてのつながりをもっと密に、有効に活かして、物語を展開して頂きたいと思います  第2弾の迫力と計算された構成に比べ、第3弾は少々平板な印象を受けました。
 自然に第2弾、第1弾を読みたくなる、そんな構成と描写であれば、奥行きを感じたのではないかと残念です。

「ホールハウス」村土芽莉

 一見、ずいぶんと矛盾が多いように見受けられますが、これは矛盾でなく、説明不足及び描写不足の結果だと思います。
 作者の思いが光速でエスカレートしていって、ついにインフレーション、舌足らずになってしまったのですネ。
 それでムリヤリ宇宙をつくろうとしたから、へんにギコチなくなって、かよわき人間の頭を悩ませる。
 この物語にピッタリの名前の使い方(ヒガシとかミナミとか……)や、妙に現実感のある足跡だけの人とか、成功している点が多々あるだけに惜しい作品です。足りないジグソーパズルを組み立てつつ、読んだという感じてした。何か満たされないなあー

「キタイのコナン(2)」嬉野泉

 どんどん東洋的な印象を強めているコナンですが、食生活も違うのでしょうネ(?)。
 紛れもなく同名異人としての再誕で、小説の魔術で新たに命吹き込まれてのこと、この活力はそれはそれで嬉しく感じます。
(語り部による解釈の違い、コナン伝説のひとつと読み取ることに致しましょう。)
 更に面白くなってきました、とだけ申し添えておきましょう。次回が楽しみです。

「さらならのシグナル」勝山行

 まるで、過去の自分の生活の一部を見ている思いがしました。商業新聞に仲間と共に、連載劇画を執筆したり、教室のスミっこで友人とスミ入れした原稿を出版社に郵送したり、なんてことを日常的に行なっていましたから……。
 本当は、たった二人でこんなに早く、最低16頁の原稿は仕上がらないのですけれど、文章力で違和感は感じませんでした。
 ちょっと思いかえしてみると、ぼくにもノリコさんみたいな女の子はいましたっけ……。そんな風に思える一篇でした。

「幻想の中へ」理世デノン

 オリジナリティから言えば、第一話。まとまりから言えば第三語。
 第二話は、「星の王子さま」を未読の人には、やはりひとつの暴力(?)。しかし、主人公と同じ経験を強いることで、ひとつのパラドックスとなっている……。試みはとても面白い。
 文章が固いのは旧作で、やむをえないことでしょう。

「夏幻想」秋山英時

 同人誌でしか味わえない作品だと思います。むろん、それ故に同人誌を楽しむのですが、この手の作品は、個人的には結構好きです。
 曲名がズラッと並ぶあたりは、メロディ知らず、お手上げでした。でも、たっぷり、夏のハレーション起こしそうな眩しさと、エネルギーいっぱいのけだるさを充分に堪能しました。

「掌品集」秋山英時

お魚とネコ― ブクブク装置とモゴモゴ体とミャー口ということばが面白い。
親方と黄金のシャチ― 海の男の昔語りは童話のパターンのひとつ。いかに自分のことばで語るか難しいのですが、親方の生命力と死を表現できて、成功。(古典落語をどう演じるかみたいなもので、これは結構むずかしいものなのですよ。)
人食い鬼の住む森― 四篇の内、一番オリジナリティを感じた作品。町と森の様子が目に浮かぶようです。最後の一行はいらないのでは……?
絵かきさんと一番最後の絵― 何故、名前で絵かきさんを呼ばなかったのか、考えてみて下さい。余りに童話を意識した作品になってしまいました。もっと新鮮に、もっと今様に。

「アイデアまでがなんて遠い!」秋山英時

 お後がよろしいようで……も、ひとつのアイデアだったりして……読む方もここまで勝手に楽しんでいます。
 理科漫画の趣きです。ひとつのジャンルでしょう……。

「空が罅割れるとき」秋山英時

 心理学的考察を物語化した作品と言ってしまうと、なあんだ、ということになってしまいますが、13号の作品中(連載を除いて)一番完成度の高い作品でしょう。
 ネコの視点と童話的趣きが、この暗くなりがちな作品をきわどい所で救って、見事なイメージ世界を構築しています。とても判り易いという点も好感がもてます。
 ただ一点、気になったのは、最後の「****」以下の部分でしょうか……。蛇足のような気もしますが、削ってみると淋しく、一考を要すると思いました。
 枚数も適当であったと思います。自然な流れが物語を最後まで導いた結果でしょう。

(1991・1・10記)

 いつもながら、本当に的確な、言わば肯綮(こうけい)に中(あた)ると言いましょうか、頂門の一針と言いましょうか、(注。かかる難しい漢語を使うのは、目下あの史記をSF化するつもりで、草稿をしたためているからなんです。自信のある作品になりましたら、いずれボレアスで。)各自の気がつかなかったところをご指摘下さいまして、ありがとうございます。書いている本人は、鹿を追う猟師山を見ずで、案外自覚しない向きがあるようですので。岡目八目と言いまして、私も他人の分には気がつくのですが。……(もっとも、自分の作品にはぺージ数という逃げ道を作っておくのですが。
 それにしても、錦上花を添える名批評、厚く感謝いたします。次号にも何卒よろしく。
(91.3.8)嬉野泉。


 ボレアス14号批評(椎原悠介)

「キタイのコナン(3)」嬉野泉

 枚数の制約のない同人誌としての強みを活かし、更に粘って欲しかったというのが、第一印象でした。
 物語の手順として、各戦闘を見てゆくと、まことにソツなく仕上がって、まさに優等生的答案に、力量を感じましたが読み手は連載なればこそ、なお更にその上の迫力を期待するものです。倍の枚数が、この(3)については欲しい。また類型的な戦闘の組み合わせではなく、筆の勢いにまかせた書き込みが欲しい、そう恩いました。
 とは言え、これだけのキャラクター数と、群衆を描ききったのですから、これはこれでひとつの成果ではあるでしょうスーパーヒー口ー、コナンと、多人数の対決の構図、この初期設定の難しさをどう処理されるのか、その点に興味をもって読みすすめました。  まずは、めでたし、の完結ではあります。
 しかし、コナンにはもう少し暴れて欲しい、それが私の希望と期待であります。

「魔のアフガン編棒」村土芽莉

 独特のふん囲気と、キャラクター・ネーミングに、好感を持ちますが、今回も物語の整合性の上で疑問が残ってしまいました。
 多次元構造で、物質的消滅ではなく、移転ということなのだろうか? ループについても説明不足で、物語にどう関わるのか、少々頭を悩ましてしまう。感覚的に判らないこともないのだけれど、物語と言葉に、もう少しキメ細かな配慮が欲しいと思いました。

「昔見た夢」理世デノン

 51頁の詩の部分が面白かった。あと、方言で書かれた部分が、やはり生き生きしていて、のめりこみました。
 夢を記述するというのは、簡単だけれど、それを他人と分かち合うのは結構むずかしい作業だなあーというのが、私の体験でした。小説と、どこが違うのでしょうか……。
「昔見た夢」は連作としてのまとまりも良く、作品として成功していると感心しました。

「宇宙糞便学教授の憂鬱」嬉野泉

 余りに見事なまとまりと展開、そして筆ののびに、びっくりしました。怪作というより、快作です。
 ピップのテレビCF「ダダーン ボヨヨン」の迫力と、初めて見たときの驚きとを思い出しました。
 生物学的な展開で始まる、あまりのまじめさに、かえってユーモアを感じます。書ききったとき、まさに快便のこころよさを感じたのではありませんか? ねえ、嬉野さん。

「小さを男の子とお菓子な仲間(前篇)」秋山英時

 連載ではなく、分載された作品なので、次号を待つこととします。

「冥宮の砂」勝山行

 工藤さんはバスの揺れに合わせて席を立った。……など、表現の巧みさに、いつもながら味わいを感じて、驚かされています。
 じっくり読めば読むほどに、情景が見えて面白い。読み手の想像力を刺激する奥行きの深さも感じるし、文章の達者な人だなあーと感心しています。
 わずかなキャラクターにしても、女の子一人一人の書き込みの違いで、それぞれの性格と役割りも明確で、作品に対する熱い想いが、読み手に伝わってきます。
 白い花の香りのする風、という、しめくくりの言葉も汚いなあーと思いました。(123頁に白木蓮という伏線があって、なんだから。)
 涙の出てこない悲しみに、より人間らしさを感じます。SFにこだわることなく、勝山ワールドを築き上げて下さい。

 ボレアスを世界中の人が読むのだというぐらいの大きな気持で作品に取り組んで預けたらと思います。でも基本は、第一の読者である作者自身が面白くなければならないと思います。どれだけの人が、小説を読むことで、作者と同じ体験をすることができるのでしょうか? 小説は、言葉でありながら、表現を介して、言葉以上の想いとか、現実を読み手に伝えます。それは、わずか17文字で17文字以上の内容が伝わる俳句を見ても明らかで、文章の魔術とは、そのことを言うのであろうと思います。その表現方法を産み出した人間というものは、なんと素晴らしい存在だろうと、私は思います。生きる限り、小説から離れられそうにありません。太いなる楽しみとして。

 泉 毎度、懇切なご批評ありがとうございます。私のスカトロに対しては、褒められすぎているようで、少々面映ゆく感じましたが、そこは年で、柳の下を狙って、『黄庭』を載せることにしました。快便はあまり感じたことはありませんが、快屁は何度も。……


 ボレアス15号批評(椎原悠介)

「黄庭狂詩曲」嬉野泉

 多分、国や人種によって、肛門に対する思いは、ずいぶん違うと思いますが、果たして、ビートルズの曲を演奏したぐらいでハイジャックが起きるでしょうか? 仮定的未来としても、特定の熱狂的ファンとしても、日本人的発想で疑問が残ります。
 型通りの図式(演者と評者の対立)に、型通りの展開。海外へ行くあたりから、その欠点が余計ハッキリしてきて、奇想天外さに欠けました。
 もう少し破天荒さがあった方が、初期設定自体が異常なのだから、面白味が増したのでは、と思いました。

「犬の心」村土芽莉

 あいかわらずの、字で読む「漫画」という趣きが面白い。素質もいっぱいあるけれど、個性いっぱいの描写と、生き生きとした表現に、つい点を甘くしてしまいます。
 ゴミを食べる犬に、それに愛着を抱く主人公なんて、「ET」顔負けのファンタジーの世界です。(タイタンを守りきろうとする正義を貫く姿が、ほほえましい)
 作者の心のあたたかさが伝わる気持ちの良い作品でした。

「小さな男の子とお菓子な仲間」秋山英時

 子供の心で描かれた、おとなの作品。
 だからタイムマシンに乗って、自分の子供の頃に戻って読んでみると、とても楽しめるのです。(数学とか理論の部分が削るかな、という心配はありますけれど)
 その年代に自分をチャネルしないと、読めないのが、少々苦痛でしたが、子供が心ではなく、頭で書いたら、こんな作品が出来上がるかな、と、ふと思いました。子供って、結構理屈っぽいものです。おとなから見たら、結構感情で揺れ動いているように見えても。
 実験というよりは冒険作であろうと思います。それにしても、大変な力作ではあります。

「彼女のいた場所」勝山行

 今は亡き野梨子と、彼女を慕う二人の男。バイクと龍神祭、この奇妙で魅力的な組み合わせが成功しているのは、作者の心の中で充分体験された現実が、文章に息づいているせいだろう。余りにセンチメンタルな結末は、的場と物生に『男』としての力強さを欠くけれど、これも時代の象徴としてみれば、さほどの違和感も感じない。多分に、二人にとって、プラトニックな恋愛であったのだろう。
 あと一歩、。心の中に踏み込んで欲しい思いを残してを感じさせる一篇でした。

「アノマリック・ワールド」嬉野泉

 アノマリック・ワールドからの帰還が古典的SFから進歩していないものの、気楽な読み物としては充分楽しめました。それは作者が存分に物語りを楽しんでいるせいかもしれません。
 目新しい所はないのですが、好印象を持てたのは、作者の世界に対する惚れ込みのせいでしょうか……。余裕を感じました。

「アルファ・ケンタウリからの客」綾間千里

 イメージの断片だけで、物語りになっていないと思います。多分、伝えたいことのすべてが表現されていない、というせいもあると思います。とにかく書いて、人に読んでもらうことだと思います。

「悪魔の聖夜」「最後の男」秋田二六三号

 オムニバスということに甘えてしまったのか、一話づつが未完成に思えます。
 文章もまだ固いようですし、これから、といったところでしょうか。長編のような印象なのに、オチがあるのも気になる点ですし、オチにしても余りに平板(フラット)すぎる。もう一工夫あっても。
 但し、悪魔を感知できないとか、生贄を必要とするのに自分しかいないとか、アイデアの発想は面白いので、書き進むうちに磨きがかかるかもしれない。粘り強く、作品に向かわれることを期待します。

 毎回、お忙しいのにありがとうございます、余白ができましたので、一言自作の説明を。『黄』は誇張デフォルメした作品です。ビートルズの件も誇張、敷衍して、ただし、彼らは今やカリスマです。レノンの命日には、未だに後追い自殺する者が後を絶たないと聞いています。
 作品のヒントは、江戸時代、尻で芸をする者がいたという話からです。名も伝わっています。大衆の面前で、肛門で鶯の谷渡りなどを演奏したとか。その芸に関して、こんな江戸小咄があります。S&Sの極意ですな。口から煙草を吸って、尻の穴から煙を出す男あり。毎日、木戸は大入り満員。だが、その日に限り、調子悪しく、肝腎な物が出ぬ。男、気焦る。客。「どうした、出ないのか、早く出せ。出ないんなら木戸銭を返せ」
 男、気焦り、下腹に力を込める。煙は出ず、本物が出る。客のやじりに、男平然として、「煙は出ませんが、ヤニは出ました」
 お後が宣しいようで。
 泉。


 ボレアス16号批評(椎原悠介)

「クラウドベース9 シンボリック・ウォーズ」秋山英時

 小説としての論理展開というよりは、漫画原作としての論理展開で組立てられた小説。それゆえに、不必要な説明も多く、感情移入にためらいを感じました。シリーズの第一話ゆえ、登場人物のすべてを説明したいという思いは、当然生じるでしょうが、読み手にとっては、多すぎる登場人物は苦痛以外の何者でもありません。整理が必要と思えます。
 しかし、この物語を漫画原作あるいはアニメのシナリオとして見た場合、キャラクターのすべてを、絵として描かなければなりませんから、当然この描き方をしなければ、この物語を体験する受けて側は理解しえませんからこの描き方が的確ということになります。つまるところ、小説として、この物語を読むか、シナリオとして読むかという、その判断で面白さの評価が別れると思います。
 私の場合、小説としては、もっと面白くなるはずのものを、思いつきで書き飛ばしてしまったという印象を受け、その点に多くの不満を感じました。一方シナリオとしては、どうかというと、冗長なセリフも、キャラの性格を誇張していて、漫画的香り(イメージ)を存分に楽しみましたから、小説としての不満点は、自己の思考言語モードを変換することで、解決しています。
 第2話以降は、小説としての体裁を全うしているのでしょうか? モチーフと設定の面白さ故、おおいに期待を寄せているのですが、第1話は未完の力作という印象を強く感じました。

「ぼくのぼく」理世デノン

 文章にはリズムというものがあって、それを楽しむ小説というものも確かに存在する。そしてこの小説は明らかにその手の小説のようだ。不条理をつきつめても、何の回答もえられないし、作者の表現した世界を理解しようとしても、拒否されるだけ。それをただ受け止めるだけと、読者が抵抗をあきらめ、降参した瞬間にすべてが気持ちよくなってくる。この小説には確かにリズムを感じるし、作者のおもいいれも感じる。言葉の遊びで、終わらなかった確かさが、とても気持ちのいい一篇でした。

「孤独な逆流旅行」村土芽莉

 いつも不思議な発想をする人だと、感心しています。それにたとえたどたどしくても、自分の言葉で物語を語ろうとしている点に、いつも好感をもっています。ただ今回、酪農に知識がない都会人にとっては、少々説明の欲しい専門用語が出てきて(サイレージ、バーンクリーナー、スタンチョン、等々)脚注が欲しいなあと、思ってしまいました。でも、酪農とそれに取り組む若夫婦の生活が興味深く語られていて、その雰囲気を存分に楽しめました。
 自分の興味ある世界に素直に取組み、それを大いに作者が楽しんでいるということが、ほのぼのと伝わってくるということでしょうか。このことは小説の基本でしょうね。

「花咲太郎」角田裕成

 もうすこし、ぶっとんでもよかったのでは、と思いました。ここまで破天荒な話にするなら、もっともっと遊んでみてはといいたくなります。でも、話のまとめもよく、文章もわかりやすく、作者の力量は感じますから、自分の力をもっと信じること。それと器を大きく、もっと冒険すること。
 本来、長編型の作家のような気がします。もうすこし枚数の多い作品に挑戦してみては、如何でしょう。書き込むことで、新しい作風が展開するのでは……。

「東京大学体育学部」嬉野泉

 特定のキャラクターのみが、主人公になるのではなく、こうしてオムニバス形式で、テーマにそって物語を展開させることは、結構難しいのですが、嬉野氏の場合、いつも感心するのは、その展開がとても自然な点にあります。キャラクターの面白さもありますが、それよりも構成の巧みさに、筆の冴えを感じます。もしかしたら、連想の心地よさを一番楽しんでいるのは、作者じゃないですか?
 そのフラストレーションに読み手が共感した時、読み手もいっしょになって、物語を楽しめる。そのツボをどうやら嬉野氏は心得ているようです。そしてそれは、どうやら天性のもののようです。理屈で推し量り、力技で作りあげたものでないことは確かです。そこが魅力なのでしょう。
 この小説でただひとつ難点は何かといえば、それは東京大学を権威とみるか否かという点でしょう。踏み絵的な構図が、フェアーに扱われているか否かという点が、作品の質に大きく係わってくることは、言えるでしょう。また、権威が風化した世相であれば、作品そのものの価値が半減する危険性もはらんでいます。そういうことを考えていった時、この作品は色々と同題をはらんでいるのではないかと思え、ただ単純にうれしがっていられないのも事実です。  同人誌ならではの作品がもしれません。

「水元敬子ET AL アラ・カルト」水元敬子

 感性の鋭い人だろうと思いますが、さて何について書きたかったのやら、よく判りません。まるで交流分析のモデルみたいな会話が飛びだしたり、ところどころ面白いところもあるのですが、ほとんどお手上げです。
 ところでこの物語(?)のテーマって何だったのでしょう。

「星空の伝言」勝山行

 夏なのに冬の星座が見えて、しかもその星座を見知らぬ男女が同じ空の下で見ている。わずかな心のかよいあいとぬくもり。どこにでも転がっていそうな話だけれど、「私、昴好きなの」と女の子はうそを言い、それでも聞かれれば電話番号ぐらい教えてもいいと思い、仕事とプライベートのはざまでゆらぐ、せつなさが、どこか妙になつかしくって、印象に残る小品となっていると思いました。
 星空を通して心を通わせ、また一方文明の利器である電話と、最新の風俗であるテレホン・サービス、その自然と文明の組合せも面白く、存分に楽しみました。最後の2行が、この作品にとても重要な役割を果たしていると思います。そして、この2行ゆえ、この作品に奥行きと心地好い読後感を感じました。

「廃墟」嬉野泉

 関東大震災ぐらいで、こんな世界が出現するのかなあ、というのが、正直な感想です。政治的に何らかの意図が働いて、東京が孤立してしまったならともかく、そんな設定でもなさそうだし、無理があるなあ、と強く感じました。ただ、筆力は強引かつ巧みで、上記の疑問を度外視するなら、それなりに面白い読み物であると思いました。
 新聞屋のおじさんという表現も物語にあっており、好感を持ちました。ただ、後半物語をはしょりすぎた印象があったことと、ヒロオが新聞屋を殺す場面は書き込みが不足していると思ったことと、欠点はそれぐらいでしょうか。これだとヒロオにも新聞屋にも、感情移入できず、たんなる事柄としてのみで物語が終わってしまい、小説としての、楽しみが半減してしまいます。少々もったいない思いがします。
 テーマのしぼりこみ不足という面もあったかと思います。一番伝えたかったのは、どの点だったのでしょう。敢えて子供たちをメインに押し出したのは、どういう意図からだったのでしよう。
 この話は本来このままだともっと枚数が必要なのではありませんか。さまざまなエピソードが多すぎるようですし……。

「白い誕生日」立花生

 3重人格というのではなく、その逆にひとりの人格が3人の肉体に宿った話なのですね。とはいえ、ひとつの自我が分身として3人の肉体に宿ったにしては、不条理で、あくまで小説世界の虚構上、文学的表現の上のことであって、いわゆる現実というのとは、ほど遠い世界であると思いました。
 主題はおそらく姉さんを永遠に愛し続けるというところにあるのだろうと思います。  奇妙な印象の作品で、その甘美な味わいに束の間戯れ楽しみました。面白い試みの作品であると思います。

(1993・2・11)

 毎度ありがとうございます。毎回適切なご批評を賜るのですが、今回ほど肯綮に当たっていると思ったことはありません。特に、秋山氏の作品。これを読んで私は雪風シリーズ、次いでサンダーバードを連想したのでしたが、指摘されて初めてなぜそれらの作品を連想したか、その理由が判り、納得させられました。ヴィジュアルに読めばよかったのですね。
 なるほどねえ。批評とはかくあるべきものだと、痛感しました。上っ面しか見ていなかったのでしたが、見方を変えれば、その深い淵源まで読み通すことができるのですね。
(後略)
(泉)


 ボレアス17号批評(椎原悠介)

「アイネ・クライネ・ナハト・ムズィーク」嬉野泉

 倫理感そして正義といったものは時代が移り変わっても不変のものであろうか。人類という種を守ろうとした時、個は犠牲にされるのであろうか。そのなかで個はどう生きるべきか。様々な問題を含んだ問題作でした。
 志津子に読者が感情移入したのちに、読者は淘汰と称せられる大量殺人に付き合わされるのですが、その部分が適切な文章量で読み手としては、ほっとしました。もっともこの部分が軽ければ、この物語は何を言いたいのか、単なる興味本位の物語にまで堕落してしまうのですが、プロット、シノプシスともに、よく作られているため、テーマからそれることなく、手際のよい作品に仕上がっているかと思います。淘汰が殺人であるということを認識している限り志津子が、時代の倫理に負けて、殺人を正当化し始めると言うことが、起こり得るでしょうか。結婚し、子孫を残していこうとしたとき、再び志津子は、この淘汰の日と真正面から向かい合うことになるのであろうと思います。
 そのきたるべき日にまで思いが至ったのですから、まずはこの物語は成功でありましょう。最後の一頁が印象的でした。とりわけ最後の一行で物語に奥行きが加わったように思います。

「点の宙」村土芽莉

 ニュートリノと『金の斧』、本来ならば、全く無関係な二つの言葉が、こうもしっくつとするとは、あっそうに思えてくるところが不思議です。いくつかの矛盾点の整合は必要でしょうが、存分に村上芽莉ワールドを楽しみました。

「悲しき宇宙人」嬉野泉

 単調かつ冗長でした。純粋にミゼアラン共和国の起源について書いた方が、面白かったかもしれませんね。
 グレアム・グリーンが小説作法の中で指摘したごとく、小説は知識をひけらかすものではないという事は、すべての小説にとって当たっているとは思えないものの、基本であることには変わりはないでしょう。知識欲で読み手をひっぱっていくには、それはそれで、力量と作者の姿勢が問題になって来るでありましょう。歴史についての記述が作者の興味の域にとどまっていなければ、もっとセンス・オブ・ワンダーを感じさせ得たでしょうに。残念なことに文章量のわりにスケールの小さな話になってしまいました。
 登場人物のまぬけさかげんも、問題であると思いました。それとも、意図的なものでしょうか。意図的であるとすれば、これは計算違いであると思いますが……。
 79頁から書き進めれば、もっと手際よくまとまったのではないでしょうか。

「楽園」立花生

〈町〉と外の世界。語り伝えられたプロトタイプなテーマかつシノプシスではありますけれど、それが二番煎じになっていないのは、立花氏のなかで十分に発酵した重要なモチーフに支えられているせいでしょう。最後の二行のあまりに明解な扱いに唖然としましたが、同時にテーマヘの突っ込みの甘さもそこに感じてしまいました。それは結局そこに至る過程が語り尽くされていないせいでありましょう。

「クラウドベース9(No.2) シンボリック・ウォーズ」秋山英時

 パピルスの活躍ぶりに不満が残るものの、前作よりは明解で、存分に楽しめました。第二話の主人公にアニー・キャスタンをもってきたというのも、シリーズ物としては適切であると思います。
 しかし、これをもし映像化しようとすれば、ストーリー全体の配分をかなり再検討しなければならないでしょうね。それと、倫理的説明の部分をどう扱うか。かくも小説と映像は表現の媒介として違う。

(1993年10月20日 記)


 ボレアス18号批評(椎原悠介)

「駆け足する癌」嬉野泉

 前半と後半とで興味が二分された趣きがありますが、さほど違和感はありませんでした。むしろ、後半を盛り立てて、面白い構成だと思いました。ただ、後半については、みつぎがどんな女性であったのか、過去の描写に乏しく、小説表現上単なる情事の相手として描かれただけに終わってしまったのが、残念でありました。果して傷を負った過去の女性が死の瀬戸際に、自分の心の傷を乗り越えて会いに来るでしょうか。そこには、それを乗り越えるだけの大きな動機がなければ、まず人間心理として無理であろうと思えます。まして体力が衰えているのですから骨その部分が充分に語られていればと、力作だけに悔やまれます。今一歩の突っ込み不足を感じました。

「ミユキ」村土芽莉

 時間の流れにこだわらないこうした表現の仕方には、大いに魅力を感じますが、今回は読んでいて少々混乱してしまいました。おそらく、キャラクターの性の入れ替わりと、出現の突飛さに、こちらがついて行けなかったせいもあるでしょうが、物語の中に時間・場所・人物のヒントをもっと散りばめて欲しいと思いました。それにしても、セツ様は何歳なのでしょう。

「腐臭」立花生

 女の子は街の何なのでしょう? それとも、ぼくの本当の心なのでしょうか?
 人々にとって、街は、永久に理想であって、現実には成りえぬものなのでしょうか?
 街は、やっぱりあこがれです。

「犬の森のコナン」嬉野泉

 バクーヤの剣の魔力が失われるという大事件を擁しながら、そのことが物語の中心に据えられていない、その点に大いに不満を感じました。コナンが強すぎるのです。人々と剣との関わり、敵と剣との関わり、コナンと剣との関わり、その三つ巴を軸に据えて語れば、さぞヒロイック・ファンタジーらしい奥行きと色合いが出せただろうにと悔やまれます。物語をただ語っただけでは、魅力に乏しいありきたりのお話に終わってしまいます。

「清川に落とした薔薇」安部伸義

 読みやすく、読むことの快感を感じさせてくれた一編でした。それぞれのキャラクターも小説の中で自立していますし、それぞれ重要な役割も演じています。心の旅路が、どこかせつなく、それでいて懐かしく、青春のひと夏を感じさせてさわやかでした。
 興味深い短編でありました。

「クラウドペース9 III UFO」秋山英時

 ハードとソフトの問題。明快な一編でありました。理論面でSFの持つ心地よい要素―センス・オブ・ワンダーを感じ、また反対側の脳で視覚としての面白さを堪能しました。機を降りたリタが、「わたしがわたしでいたい」という部分、これは物語の隠し味ですね。ピリッと効いて、いい感じです。

(1994・2・20記)

毎度、ご丁寧かつご適切なご批評、ありがとうございます。「駆け足」のご指摘の点。何せ当方、女性に関しては経験が極めて不足。いたし方ありません。この程度で茶を濁すのが精一杯。でも、SF畑で女性を書ける人は、半村良さんしかいないのではないでしょうか? どう、皆さん。
(泉)


 ボレアス19号批評(椎原悠介)

「ジャパン・クロニクル 前編」嬉野泉

 各章の語り手にもう少し演技力があったなら、なおのこと迫力に満ちた近未来小説となったであろうに、語り手は大掛かりな虚構を描き尽くすのに精一杯で、各々の人間味を引き出すまでには力いたりませんでした。とは言え、練られた虚構の数々は、具体的で分かりやすく、大いにその仕掛けを楽しませて頂きました。後編がどのような展開になるのか、楽しみです。

「地球線スペシャル」村土芽莉

 いつもながらの魅力的な舞台設定に、明確な地理関係。その世界に浸り込む心地よさを今回も存分に感じさせていただきました。地球線やシガス星のことを当たり前に書いてあるその素直さに多少面食らいはしますが、疑いのないその純真さに、妙に親しみを感じます。自分の世界を信じて書くその姿勢に何よりも大きな力づけを受けました。ありがとう。

「クラウドベース9 シンボリック・ウォーズ」秋山英時

 今は亡き恋人と、死に場所を探している勇者。昔からの型どおりの物語りにどこまで新しさを加味するか、それに期待をしましたが、偶然を主題にすえながら、その強力な記号言語の物語りへの味付けも空しく、新鮮味に欠けました。そのぶん読み易くはなっていますが、無難な物語りになってしまいました。ザキおよびリタにもっと物語りの核心に触れて欲しかったという思いもあります。シリーズなかの間奏曲という感じの物語りでした。

「部屋」立花生

 部屋の存在理由とは何だろう。人間を受け入れること? 人間がその部屋をどう思おうと、その部屋は部屋であり、部屋が思う部屋でしかない。にもかかわらず、部屋の価値や役割は人間が決める。特にそこに住む人間が……。部屋が部屋であることを認めた時、部屋はその部屋としての生命を全うする。そして、自由に生き始める。素材選びに成功した一編でした。部屋の持つ、様々な思いを気付かせて、別の世界を堪能させていただきました。手際のよい小品でした。

(1995・1・14記)


 ボレアス20号批評(椎原悠介)

「ジャパン・クロニクル 後編」嬉野泉

 ある章は冒険小説風、またある章は論文調にと、体裁を変えてあるのだから、文体の面でもっと冒険してもよかったのではないでしょうか? それと語り手に対して聞き手の問題、筆のすべりか、少々甘さを感じました。想念された聞き手に対する臨場感にゆらぎを感じます。とはいえ、大きな主題と、とてつもない時間の流れ、それに多様な手法と多面的な視点で取り組んだ作者の冒険心と実行力には頭がさがりました。まさに小説は体力、余裕すら感じて勝利の一編でした。

「森本恋本ノブ作品展」森本ノブ

 スケッチ風の小品には詩情を感じます。また、何げなく過ぎ行く時間の感覚が日常的で、気持ちがよかった。書くことにより、体験する。体験することによって、展開する。そんな書き手なのかなあ、と思ってみたりしています。

「全て我が敵」嬉野泉

 変幻自在の生物というのは過去にも様々な秀作がありました。それにSFファンなら一度は取り組みたいもの。しかし、出尽くした感のあるこの手の話、よほど心してかからないと二番煎じになってしまいます。ロボットの扱いで、ニアミスを避けられたようで、まずまずは成功でした。

「まるで、牛みたいだ」村土芽莉

 今回は矛盾もなく、とても読みやすい一編でした。それに最後のどんでんがえしもとてもいい。ほのぼのとした余韻で、本当はたいへんなことなのに、そう感じさせないユーモアが作品の魅力だと思います。

「クラウド・ベース9―シンボリック・ウォーズ―V」秋山英時

 最終回にふさわしく、恋あり戦いあり、別れあり、存分に楽しませていただきました。肩に力が入っておらず、のびのび書かれたようで、読みやすくもありました。
 人間工学マン―マシン・システム専攻の私には、認識・応答.反応の問題等きわめて面白い素材だったわけで、終わるのは残念なのですが、同人誌においては5回ぐらいが適当かもしれませんね。可能性に挑戦し、自分の視野を広げておくということを考えれば、ひとつのシリーズにいつまでもしがみついているというのは決していい結果を生まない。どんどん新しいことに挑戦し、チャレンジしていった方がいいに決まっているし、そのほうがよっぽど面白い。リスクは多いけれどね。
 新たな出発に期待したいと存じます。

(1995・7・16記)