七夕伝承・原始七夕伝承


「七夕」のような星のお祭りは世界でも珍しいそうです。短冊に願い事を書き笹の葉につるし、織姫(こと座・ベガ)・彦星(わし座・アルタイル)に願い事をかなえて貰うようお祈りします。

 七夕行事の起源につきましては様々な説があります。そこで私が独自に調べてみましたところをお話しようと思います。しかし残念ながら調べたものを羅列しただけで結論は出ておりません(..)

 七夕伝承の発生する以前の七夕伝承の元となる信仰につきまして、「世界樹信仰からトーテム信仰」へ、更に「トーテム信仰から西王母信仰」へ、そしてその「西王母が織姫に、西王母と対となる存在の東王父が彦星」へと変化して行く過程を調べてみました。まだまだ調べが足らない段階ではありますけれども、以下七夕伝承については四部構成になっております。


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世界樹・宇宙樹信仰

 時は今から1万3200千年遡ります。この頃は氷河期又は氷河期があけた頃で、歳差運動によりまして北極星は現在の子熊座のポーラスターではありませんで、後に織姫星となること座のベガ星でありました。

 仏教やキリスト教が普及する遥か昔では、世界的な広がりを持つ「世界樹信仰」があったようです。例えば中国では後に「扶桑(注1)」と呼ばれるものになって行きます。

世界樹又は宇宙樹と呼ばれる信仰は、「天地創造のときに、まず1本の巨木が生じて、この巨木から世界は体系的に作られたとする神話」です。この天と地を結ぶ一本の巨木から、全てが生まれ、又全ての秩序が作られていったとする信仰でした。

 現在伝わっている宇宙樹信仰では北欧神話の「宇宙樹ユグドラシル(注2)」があり、また日本では鹿児島県の「若木迎え(注1)」や諏訪大社の「御柱祭」などがあります。

(参A1.A2.A3.A8.C12)


鳥トーテム

●鳥トーテム
 稲作起源は紀元前八五〇〇年頃の中国であるとされています。この頃の遺跡から稲作に必要な「太陽」「水」「鳥」が描かれた土器が出土されます。この中の「鳥」は朝に鳥がさえずり始めることにより太陽を呼び出すとする考えであるそうです。

 前述の宇宙樹信仰は頭の部分に日月、中央部に有蹄類、下部にベビなどから構成される柱が神体として扱われていたようで、この柱の神体をトーテムと言います。この中の鳥トーテムが現在でも中国少数民族で西王母信仰の残っているイ族にみられます。このトーテム信仰の1つである鳥トーテムはシャーマニズムとセットで信仰されることが多いようです。この鳥トーテムは「鳥竿(ソッテ)」とも呼ばれ、竿(テ)には柱・竹・竿・棒などが使われました。トーテムと呼びましてもピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、トーテムの1種類であるトーテム・ポールと言う言葉であればご存じかと思います

 ト−テムは、アメリカインディアンの言葉で「親族」の意味しまして、母権制氏族社会の発生期に生まれます。女性が子供を生むのはト−テムが女性の腹に潜り込むからと考えのですね。またアミニズムとは万物に霊魂があるとする信仰をさします。この霊魂との接触をもつ巫女の総称がシャーマニズムであるわけであります。

(参A2.A3.A1.A9)

●卵生神話
 夏王朝の資料は余り残っていないようですが、殷王朝の資料は沢山あるようです。

 殷の始祖伝説(注3)では、ある日水浴にでかけた簡狄(かんてき・女性の名)はツバメが落とした卵を飲んで懐妊して殷の始祖である契(せつ)を生みました。

 中国ではこのような伝説は感生(かんせい)伝説と呼ばれておりまして、天の神の孫が地上に降り立ち王朝の始祖となる天孫民族的な信仰(日本ではニニギニミコト)が多いのです。このような神話は鳥トーテム信仰のあった東北アジアの部族の間に色々伝わっています。例えば高句麗の祖先の朱蒙(しゅもう)は大きな卵から生まれていて、清の祖先である満州族のプクリヨンソンは神鵲(かささぎ)が落として行った赤い実を飲んだ天女フクリンから生まれたと伝えられております。

 このように鳥は卵を産むことから「鳥トーテム信仰」と「卵生神話」は重なるらしいのですね。鳥トーテムは中国に隣接するロシアやカムチャッカにも分布しているようですので、そちらにも七夕の痕跡があるのでしょうか。

中国のあけぼの・世界の歴史3・河出書房新社・参考引用 (参A8.A9.A10)

●宇宙樹の分裂
 宇宙樹は「地上と天上を支える軸」とされておりまして、星々の中心に見える「北極星」と「地上」とを結びます。鳥トーテムの柱(ポール)は当時の北極星であるベガ星に向かって伸びていたことになります。時代は上記のお話の通り夏や殷の頃までと思われます。

 この宇宙樹が後に「西王母」と呼ばれるものに変化していくようです。この原西王母ともいえる宇宙樹は絶対神で、天地を疎通させる宇宙軸上で、地上と北とを結ぶ南北軸であり、天地を結ぶ上下軸であったそうです。この絶対神である宇宙樹が南北軸に対して左右に、つまり東西に分裂をおこしたしたようなのです。

(参A1.A3)

●東母と西母
 殷の王朝は、王が自ら祭礼等を行う神聖王朝でありました。天地自然の現象は帝の支配に属する事柄で、農耕に関する雨風も帝が祈ることにより秩序が与えられました。
その風は鳳の形で表されて神の使いで、その使者の往来は風のそよぎとして感知したそうであります。

 殷の始祖である舜は太陽神であったようです。しかし後に太陽神は分離して「朝の日を迎える朝日(ちょうせき)の礼」「夕の日を送る夕日(せきひ)の礼」を行いました。
「朝と夕」は東母と西母の女神でした。のちに東王父と西王母という対偶神となりるようなのです。(楚辞にヒントがあるようなので現在調査中です)

 殷では十日神話から10日を区切りとした旬日を基本にして、月相が1巡する三十日を併用しました。

 周の時代になりますと新月から満月までの約十五日を単位とする朔望の観念が中心となります。つまり太陽神から月神への変化があっても不思議ではないのですね。すると上記でお話しました「東母」が「東王父」に変化するのは「周の時代」とも考えられますね。

参考引用 世界の歴史3 中国のあけぼの 貝塚茂樹・大島利一著・河出書房新社 791A

 あと秦の始皇帝が西王母と逢う話があるのですが、殷も秦も始祖伝説を遡ると鳥トーテムに行き着くのですね。その他は例えば夏の竜トーテム。したがって神話は洪水伝説なのですね。高句麗も鳥トーテム。だから壁画に西王母と織姫の混在したものがあるのですね。

(参A9.A10.A1)


西王母と東王父

●月と太陽の属性
 さて、地球の歳差運動により、北極星の位置が「こと座のベガ星」から「子熊座のポーラスター」へと変わってしまったことから宇宙樹は東西に分裂を起こしたようであります。恐らくは朔望の観念が出てきた周の時代のことであると思います。

鳥トーテムの本体であります「軸(ポール)」は、東に太陽の象徴である東王父・中央には左右分裂を示す水の象徴である天の川・そして西にはシャーマニズムの要素もある宇宙樹本体はベガ星の位置を保ったまま西王母へと変化します。
「鳥」は東王父には太陽黒点を表す三羽の烏(又は三足烏)に、西王母には両者を橋渡しする希有鳥へと分裂します。

 希有鳥は古代中国の宇宙観である天蓋説の軸の下にいて、両わきに東王父と西王母を抱えています。西王母は1月1日と7月7日の年に2度、この希有鳥に乗って東王父に逢いに行きます。現在では正月と七夕は別の行事でありますが、この頃までは正月と七夕はセットの行事であったようです。

 東王父は、シャーマン的な要素が強く残った影響から次第にその信仰が薄れ行きます。西王母は不老長寿の象徴(道教に見られる桃源郷のように桃で表されるもの)でもあります。そこで月は欠けても必ず元に戻る事から、場所をベガ星から月へと移動し「不死」の神格化傾向を強めたのではないかと思います。東王父も太陽から二十八宿(注4)の1つ「牛宿」へ移り、さらに二十八宿の「河鼓」へと変化し、最後に現在のアルタイル星へと変化したのではないかと推測します。(注4:大学の先生が何人も分らないと云っている項目なのでApollonごときには分ろうはずもありません(^^;)

 西王母は月にも居りますし、ベガにもおりますし、天地軸である崑崙山にもおります。どこにでもいるのですが探すのが容易ではないのです。何故なら不死性は簡単に手に入るものではないからであると推測します。

(参A1.C4.C5.A11.B6.B5.A8)

●陰と陽
 分裂して日の沈む西に分かれたのが「西王母」、太陽の昇る東に分かれたのが「東王父(又は東王公とも云われます)」であるそうです。「西王母」は月と女性の属性を持ち、兎や蟾蜍を伴い陰の精を表します。駐推前漢墓に描かれております。「東王父」は太陽と男性の属性を持ち三足烏を伴います。空心磚墓にも描かれ「太陽の中に三足烏がいる、それが陽の精である」と云う説明があります。

(参A1.A12)

●西王母
次は西王母と七夕伝承から引用です

 西王母は頭に「玉勝」を戴いています。西王母は、元来、ただ一人、大地の中心である宇宙山(世界樹)の頂点にあって、絶対的な権力で持って宇宙全体を秩序づけていた。その秩序づけが、彼女の機を織るという行動に象徴されていた。西王母は、いわば世界の秩序を織り出していたのである。さればこそ織機の部分品である゛勝゛がその頭上に載っているのであった。織機の部品の中でも、特に゛勝゛が選ばれたのは、一人で再生を繰り返す神のありかた(すなわち、円環的な時間の中にある存在)と織機の軸の回転とを重ね合わせて、その軸の回転を制御する゛勝゛を象徴的に使用したものと推測される。

●東王父
 西王母が陰の要素を濃くしてから、その対照として陽としての東王父ができたようです。東王父のかぶりものは「三維冠」(他のものをかぶっている画像鏡もあります)で゛維゛と呼ばれているのは天地を結ぶ大綱を指すと考えられています。それが「三」であるのは、3と云う数字が太陽神と係わりが深いためであると云われています。三足烏や3羽の鳥に引かれた太陽を運ぶ雲車なども「3」の数字です。

○淮南子のゲイのお話から〜
昔中国で一度に10個の太陽が出現しました。時の皇帝は「ゲイ」という弓の名人を呼んで、このうちの9個の太陽を射落としました。その射落とした太陽を調べてみると、9羽の真っ黒なカラスであったそうです。
○広益俗説弁から〜
上記の話と同じですが、時は垂仁天皇の御代で、太陽は9つ出現します。武蔵野国入間郡で打ち落としたそうです。
○八た烏から〜
淮南子に「日中に(シュン鳥(ウ))あり」という記述があり、このシュンウが3本足の烏であると解釈されています。天照大御神と高木神によって神武天皇のもとに派遣されたヤタガラスは、天照大御神を祀る神社のノボリに三本足の烏として書かれています。

(参A1.A10.A4.A5)

●夫婦げんか
 月に住むと言われるガマガエルの正体は「太陽を射落としたゲイ」に西王母が不死の桃をあげようとしたところ、サット盗んでいった東方朔が月まで逃げていってガマガエルになったそうです。(異説あり)

 「三足烏を打ち落としたご褒美」とは、つまり西王母と東王父とが夫婦げんかをしている話なのですね。七夕伝承の1つに、夫婦喧嘩をして牽牛と織女が物を投げ合う話があります。牛郎は牛の鼻輪を投げたのが織女三星(注5)。織女は機織りの道具の梭(ヒ)を投げます。それが河鼓・鷲座三星(注6)なのです。

注5)Lyr3α星(ベガ) Lyr4ε星 Lyr4ζ星
注6)Aql53α星(アルタイル) Aql50γ星(タラゼド) Aql60β星(アルシャイン)の鷲座3星

(参A1.A8)


●注1(扶桑・若木A8.9.10)
 殷の時代の宇宙観では、太陽は全部で10個ありまして、交代で空を廻ります。それぞれの太陽に甲乙丙丁など十干の名があまして、それを司る10人の神巫がおりました。太陽は東方の扶桑(ふそう)の木の枝からから昇って、西方の若木を経て、地下の虞淵(ぐえん)にほとぼりをさまします。

●注2(ユグドラシルC12)
 宇宙樹ユグドラシルは全世界を貫いて生えております。ユグドラシルには三本の根がありまして「神々の国」「霜の巨人の国」「霧の死の国」へと伸びております。

「神々の国」の根の下にはウルドの泉があり、そこには3人の運命の女神がおりまして、ユグドラシルが枯れないように世話をしています。「霜の巨人の国」の根の下にはミーミルと云う智恵の泉があり、最高神となるオーディンはこの水を飲むため片目を失います。「霧の死の国」の根の下にはフヴェルゲルミルの泉があり、ニドヘグと云う毒竜がユグドラシルが枯らそうと根を噛っています。

 主神オーディンと悪神ロキとの戦いの時にユグドラシルは燃え、大地は海中に沈んでしまいます。これがラグナレク(神々の黄昏)であります。  

●注3(卵生・感生伝説)
○殷の契の怪誕説話
 帝の高辛氏の妃の簡狄が春分の日に春を迎える行事が終わった後に、妹と川辺を歩いていたところ1羽の燕が空に飛んでいました。その燕は口にくわえていてた五色の卵を二人の間に落としました。姉妹はその綺麗な卵を取り合いましたが、簡狄が「これは私のよ」と言うと口の中に押し込み飲んでしまいました。
やがて彼女は身篭り、月日が立ち胸が剖けて男の子が生まれました。
これが契で後にギョウに仕えました。(史記,拾遺記)(竹書紀年)

○周の武王の怪誕説話
 帝の高辛氏の妃に,姜源(きょうげん)という女性がおりました。帝と一緒に神を祭っておりますと大地に巨大な足跡がついておりました。彼女はその足跡を踏んで見たらやがて身篭ってしまいました。(史記)

●注4(二十八宿)
二十八宿は中国の星座区分で、インドの二十七宿から来ているようです。月が1つの宿に一泊ずつ止まり28日で一巡します。その中の星座で七夕に関係するものを抜き出してみました。

「須女」が「織女三星」に、「牽牛」が「河鼓」へ変化したのであろうと言う説は見ることはあるのですが、天の川に相対する2星であるからとする理由なのですね。そうであると仮定すれば、二十八宿と西王母信仰とどちらが先なのでしょうね。

○牽牛
この6星は、天の関所・橋のことで、祭りのときに供える犠牲を司ります。
上の星は道路を管轄。次の星は関所・橋・梁を管轄。その次の星は南越地方を管轄 するそうです。
その他「牛は日の神に捧げるもの」「羊は月の神に捧げるもの」であるそうです。
○須女(しゆじょ)
この四星は天の衣食を司ります。「須」とは布を織ったり、裁縫をしたり、嫁入りの世話をする意味があるそうです。
○天津
この九星は「天の川」の中にあり別名「天漢」「天江」とも云います。
長江・黄河・淮水・済水の四大河の渡場・橋を司るそうです。この天津はカササギと関係があるのでしょうか。また同じ「橋」を司る牽牛がどのようにかかわるのでしょうか。また天の川は東方に始まって、尾と箕の間をとおり、2つの道に分かれ南の道は傳説(ふえつ)・魚・天やく・天弁・河鼓をとおり、北の道は亀・箕の下・南斗の頭と左旗とをつなぎ、天津の下で南の道と合流するとあります。
○農丈人・中国の科学 世界の名著 中央公論社より引用
農丈人とよばれる一つの星は、南斗の西南に位置している。老農であって、穀物の収穫を管轄する。狗と呼ばれる二つの星は、南斗の東部のまえに位置している。
吠えついて家を守のが仕事である。天田とよばれる九つの星は、牛の南に位置している。羅堰(らえん)とよばれる九つの星は、牽牛の東に位置している。大きな馬である。それで雨水をせきとめて蓄えておき、溝(変換不能文字A)にそそぐのである。九カンとよばれる九つの星は、牽牛の南に位置している。カンとは溝Aのことである。源泉から水を導いて満々たる水を流し、溢れる水を注ぎ、田畑の溝に通すゆえんである。九カンのあいだにある十の星を天池という。別に三池ともいい、また天海ともいう。田畑の灌漑にかんすることがらを管轄する。
○農業
ショクの五つの星は七星の南に位置して、農業を司ります。百穀の長たる「きび」の官職の名をとったそうです。

二十八宿星図はおよそ283官、1464星あるそうです。史記などは星座に役所名がついていました。これでは神話の記録があまりないわけです。神話の生まれる時代と諸子百家の時代とが同居している、又は中国の方は実利的で神話は真面目に扱われなかったのでしょうしょうね。兎に角神話・伝説・伝承の記述が少ないですね。故に中国での研究も少なく、日本での研究はと云いますと更に少ないようです。

参考 中国の科学 世界の名著 中央公論社

      
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