日本各地の七夕説話
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一般的な七夕のお話

中部地方
上伊那郡小野村
名古屋/小田井・田幡 NEW
愛媛県壬生川

九州地方
鹿児島県喜界島
奄美大島瀬戸内町 


一般的な七夕のお話

 昔、天の川の西に天界の機を織る「織女(しょくじょ)」が住んでおりました。 彼女が毎日忙しく1日中織物をしているのを見た天帝は、 対岸に住む牛飼いの「牽牛(けんぎゅう)」と結婚させ天の川の東で暮らさせることにしました。

 ところが、この二人は一緒になると話をしてばかりで一向に仕事をしなくなりました。 怒った天帝は織女を天の川の西に連れ帰りました。すると織女は毎日泣いてばかりです。 気の毒に思った天帝は、1年に1度7月7日だけ、 織女が天の川を渡って二人が逢うことを許したと言う事です。

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中部地方

■上伊那郡小野村
 むかしむかし一人のお爺さんがおりました。ある日、 なでしこの花を植えるとそこに天人が降りてくる話を聞いたので、 その種をまいてみると本当に天人が数人降りてきて水浴して遊んでおりました。

 お爺さんはその天人の羽衣を1つ隠して、困っている天人を家に連れて帰り、 その天人と楽しく暮らしておりました。

 そんなある日のこと、お爺さんは天人とだいぶ仲が良くなったので、 どこに羽衣を隠してあるかを話してしまいました。 すると天人は早速羽衣を探し出してお爺さんにこう言いました。
「もし私に逢いたいと思ったら、馬屋の肥料を沢山積んだ上に青竹を立てて昇ってきなさい」 と言い終わると、さっと羽衣を身につけて天に帰ってしまいました。

 お爺さんは、さっそく天人の言う通りにして天に昇って行き天人に逢うことができました。 しかしお爺さんは天では何もすることがなかったので、畑で瓜の収穫の手伝いをしていました。 天人は決して瓜を食べてはいけないと言いましたが、お爺さんは二つ食べてしまいました。

 ところが突然その瓜から大水が出てたちまち川になってしまいました。 その川でお爺さんと天人は別れ別れになってしまいました。 これからは月に1度逢うことにしようと言ったのを、アマノジャクがわきから出てきて、 「1年に1度だぞ」と言ったので、今でもこの日「7月7日」にしか逢えないと言います。

○年中行事覚書・柳田國男・講談社学術文庫124

名古屋/小田井・田幡
 むかしむかし、尾張(おわり)の国の庄内(しょうない)川をはさんで、 北には小田井(おたい)の里・南には田幡(たばた)の里二つの村がありました。

 南の田幡の里には昼は田畑の仕事・夜になれば機織と働き者の美しい娘がおりました。 北の小田井の里には田畑の事なら誰にも負けない元気な若者がおりました。

 ある年の盆(旧暦8月15日)の事でありました。小田井の里の若者達が、田幡の里の盆踊りに 招かれたので、庄内川の稲生(いのう)の渡しを舟で渡りました。

 その年の盆踊りはとてもにぎやかになりました。 そしてその盆踊りの時に若者は娘を見るなり好きになってしまったのです。 娘の方も若者が忘れられなくなっておりました。 さて盆踊りも夜が明ける頃には終わり、小田井の里の若者達は稲生の渡しを渡り帰りました。

 盆が過ぎても二人は七日に一度逢っておりました。そして段々逢う日も短くなり三日に一度は 逢っておりました。夜には渡しの舟が出ないので、若者は泳いで行きました。 娘は岸辺で明かりを持って待っておりました。

 秋の祭りの頃になりました。若者は父親に「田幡の里の娘が嫁に欲しい」と言いました。 父親はもう分かっておりましたので、笑ってうなづきました。若者はもう、 いても立ってもいられなくなりなしたが、4・5日前から大雨が降って、渡し舟は出ていません。

 若者は水かさが増し、流れが速くなっている川を泳ぎ始めました。 そこに浮き木が流れてきて若者の頭にあたってしまったのです。 次の日、小田井の里の者が総出で若者を探しましたが見つかりませんでした。

 三日後、若者は遺体で見つかりました。里のでは葬儀をし、野辺送りも終わっり、 木枯らしが吹く季節になった頃、田幡の里の娘も命を絶ちました。

 里の人達は冬の空に光る二つの星を見て 「あの若者と娘が星になったのだな」と語り合ったと言う事です。

 注)庄内川の田幡の里には祭神/天棚織姫神を祭る多奈波太神社がありまして、 対岸の小田井の里には祭神/牽牛・織女を祭る星大明神社があるそうです。  多奈波太神社

 ○東海の民話(改訂版)/小島勝彦著/中日新聞本社
 ISBN4-8062-0240-1 c0039 P1300E

愛媛県壬生川・脚布奪(きゃふばい)星
さそり座  昔々、七夕様は天の川に住む女の子達に「一つずつ腰巻きを織ってあげるから 七月七日に雨が降らないようにして」とお願いをしたそうです。 七夕様は一生懸命に腰巻きを織ったのですが、  七月七日になっても腰巻きの数が一つ足りませんでした。

その頃女の子二人は天の川で水浴をしておりました。一人の女の子が腰巻きを取ろうとすると 、もう1人の女の子は「私のよ!」と云い腰巻きの取り合いをしました。

 ところがその取り合いをしている女の子の一人は、天から雨を降らすお星さまだったのです。 なので、雨降りの女の子が腰巻きを取れないと{ わー」っと泣いて雨になってしまうのだそうです。

 愛媛県壬生川のお話で、二人の女の子は「さそり座のμとζの二重星」です。

 ○星の神話伝説 草下秀明著 教養文庫1071 D604

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九州地方

■鹿児島県喜界島での話
 1人の若い牛飼いがいました。姉妹のアムリガー(天降子あむりこ)が天から降りて、 泉の傍らの木に「飛羽(とびはね)」を掛けて、水浴をしているところを見つけて、 その飛羽の1つを隠したのです。姉は驚いて飛んで天に帰りましたが、 妹は牛飼いが飛羽をかえしてくれないので、困ってとうとうその牛飼いの嫁になりました。

 数年後二人は、天とうへ親見参(おやけんざん)に行くことになりました。 以前の飛羽をつけ夫を抱えて飛びながら「私といつまでも一緒にいたいなら 親たちが縦に切れと言うのを横に切りなさい」と約束させました。

 天とうではキュウリの季節で、二人にキュウリを取ってきて出したのです。 牛飼いが包丁を持っているときに、不意に親が縦に切れと言ったので、 うっかりキュウリを縦に切ってしまいました。すると二人の間に川が出来て、 天女と牛飼は両岸に分かれてしまいました。その日が7月7日で、その日以来二人は1年に一度、 この日ではなくては逢えなくなってしまいました。

○年中行事覚書・柳田國男・講談社学術文庫124

■奄美大島瀬戸内町での話
 昔々天女が水浴びをしていおりますと、男がやってきて、天女の羽衣を隠してしまいました。 天女は「飛び衣」がないので、どうすることも出来ずにその男と暮らしたそうです。

 そうして天女は3人の子供を産んだそうです。 あるとき姉が下の子を背負いながら「高倉」のところで子守歌を歌っておりました。

泣くなよ 泣くなよ
私たちは 親の飛び羽根は 隠して 隠して
高倉の米の下に隠してあるよ 隠してあるよ

 その歌を聴いて、天女が倉の前に行って探すと飛び衣があったそうです。 すると天女は子供を脇に抱えて飛んでいったそうです。 そのとき天女は「高い所に行って、百回肥料を運んで、瓜種を蒔け」と言い残したそうです。

 男は高い所に行って99回肥料を蒔いたのですが、あとの一回ぐらいは良いだろうと思って、 種を蒔いてしまいました。そうそう、その家には子犬がいたそうです。

 男は子犬をさきにしてその瓜の蔓をを伝って登っていき、子犬を戸口に入れてあげると、 天女が「おや、これは下界で飼っていた犬だわ」と云って男も一緒に天界へ入れてあげました。

 すると神様がおっしゃるには「私の云う通りにすれば二人は暮らせるようになる。 まずは山を一町歩薙ぎ払ってこい」と言いました。 天女が「一町歩の端、隅だけを薙ぎ払いなさい」というのでその通りしました。

 今度神様は「薙ぎ払った所をみんな耕してきなさい」と云いました。 天女は「四隅に鍬を打ちかけてきなさい」と云うのでその通りしました。

 またまた神様は「その耕したところに栗を蒔いてこい」と云いました。 天女は「蒔いてはだめ。あとで探せないからそこにおいて」と云いました。 すると案の定神様はその栗を拾ってこいと云いました。

 さて今度神様は「冬瓜を切りなさい」と云いました。すると天女はもう合図できないで、 男は冬瓜を縦に切ってしまいました。冬瓜は川になってしまい、天女は天の川に、 男は下界の川になってしまいました。 川と川になってしまったので天女と男はもう会えなくなってしまいました。

 そのように、天の星が二つ、七夕の日に、会うことと云うらしい(注1)。 真向かいにみることはできるが、1つ所には行けないで、 人間と神様だから一緒には暮らせないと云うことです。

 注1)天人女房の難題型+七夕型の説話になっております。 この辺りの島では天女に3人の子供がいた話が多いそうです。 瓜も二人も川になってしまっておりますが、突然星になってしまうところが凄い(^^;

参考引用 南島説話の伝承 福田晃他著

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 上記の話は著作権の問題がありますので、説話を一度暗記してから私の言葉で書いております。 各説話の末尾に「参考」にしました原典を挙げておりますので、正確にはそちらをご覧下さいませ。

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