アジア各地の七夕説話
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中国江蘇省
中国江蘇省北部
中国広東省陸安(海豊)

韓国


中国

■中国江蘇省
 ある山のふもとに一人の若者いがいました。 いつも老いぼれた牛を飼い草原に連れていって草を食べさせていたので、 皆は「牛飼」と呼んでおりました。

 ある夏のこと草原に霧が出て少しも先が見えなくなったときがありました。 そのとき突然老いぼれた牛が牛飼いに話しかけてきました。 「草原の南にある川で七人の仙女が水浴びをしています。そのうち一人の衣を隠してしまえば、 ご主人様は仙女を嫁にすることができますよ」

 牛飼いは言われた通り川べりに行き、大きな声を出して、衣の1つ手にすると逃げ出しました。 仙女たちははずかしがって、衣を付けて天に舞い上がりましたが、織姫と言う名前の仙女だけが、 裸のまま顔を真っ赤にしながらも牛飼いの後を追いかけてきました。

 牛飼いは家に駈け戻ると衣を隠してしまいました。織姫は衣がなくては天に戻れません。 しかたなく地上の着物を身につけ牛飼いの嫁になりました。

 織姫は天では織物をするのが上手だったので、いつも梭(ヒ)を使って機織りをしておりました。 織姫を嫁にしてからの牛飼いは牛の世話をしなくなってしまいました。 牛は病気になりって寝込んでしまいました。牛は牛飼いに向かい話しかけました。

 「ご主人様、私が死んだら、私の皮で袋を作り、そこに黄砂を入れて、 鼻の綱を使ってしっかりと縛っておいてください。 その袋を背負っていれば困ったときはいつでも困ったときに手助けしますから」
 牛はこう言って息を引き取りました。牛飼いは大変悲しみました。そして牛の言い残した通り 皮で袋を作りました。

 三年も経つうちに織姫と牛飼いの間に娘と息子の二人の子どもができました。 そうしたある時織姫は牛飼いに話しかけました。

 「あの衣をどこに隠したの。二人の子どもを置き去りにしたりしないから、教えてよ。」 牛飼いはそれはそうだと笑いながら 「もう、ボロボロになったかもよ。戸口の土台の下に埋めてあるんだ」 織姫はそれを聞くとすぐに戸口に走っていき、戸口の土台をどけると、衣を取り出しました。 衣はまだキラキラ輝いていました。織姫はその衣を身につけると、すぐさま空に舞い上がりました

 びっくりした牛飼いは、偶然背中の牛の袋を叩いてしまいました。 すると牛飼いと二人の子どもは空に舞い上がり織姫の後を追いかけることが出来ました。 織姫は牛飼い親子が追いつきそうになったのを見て、頭から金のかんざしを抜いて、 自分の後ろに線を引きました。するとそこに、たちまち大きな川が出来ました。

 ところが牛飼いの背負っていた牛の袋から、 黄砂がこぼれだしあっというまに川を横切る土手が出来ました。 牛飼い親子はその土手を走って、追いかけることができました。

 織姫はまた追いつかれそうになったのを見ると、先ほどのようにかんざしで線をひきました。 するとまた川が出来ました。牛の袋にはもう砂は無くなっていました。 牛飼いは袋を縛っていた綱をほどき織姫に投げつけました。綱は織姫の首に絡みつきました。 織姫は持っていた機織りの梭を牛飼いに投げつけましたが、 牛飼いはよけたので当たりませんでした。こうして二人がやりあっているときに、 神仙があらわれました。

 神仙は2人に向かい「私は天帝の命でで二人の仲裁にきた。織姫は川の東に住むが良い。 牛飼いは川のにしに住むが良い。しかし年に1度7月7日の夜だけは、 川の東側であうことを許す」と言いました。 天命とあっては二人は従わないわけにはいかないのでした。

 天の川は織姫の金のかんざしで引いてできた線で、織姫と牛飼いは天の川の東と西で光っている。 織姫の回りの星は牛の綱で、牛飼いの回りは子どもたちと機織りの梭なのです。

 牛飼いは食事の後毎日1つずつどんぶりを洗わないで取っておきます。 そうして織姫が7月7日にそれを洗い、洗い終わると夜が明けてしまいのだそうです。 また7月7日に降る雨は二人が逢えないために流す涙と言われております。

お話はまだ続きますが、取り敢えずこの辺で

○中国民話集・飯倉照平編訳・岩波文庫・赤39−1・第12章

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■中国江蘇省北部
 牛郎と織女は星座でありまして、その織女は玉皇大帝の孫娘で天孫星と呼ばれており 毎日機織りに精を出しておりました。あるとき牛郎が織女の織り出した草花を本物だと思って 刈ろうとしたことから知り合いになり恋仲になりました。

 王母娘娘(ニャンニャン)は二人の結婚に反対しましたが、金牛星や南極仙翁のはからいで、 王母が酔って寝ている間に、二人は人間界に逃げました。

 人間界で二人の間に1男1女が生まれましたが、織女は少しも機織りをしなくなってしまいました。 やがて玉皇大帝と王母娘娘の使いが来まして、織女はその使いとともに天に帰ってしまいました。

 牛郎は子供たちを連れて織女を追いかけました。追いつかれそうになった織女は、 金簪や銀簪を使って金河や銀河を作り牛郎達の行く手を阻みました。 しかし牛郎は金牛の角や皮を使って その河を渡りましたが、残る最後の銀河だけは渡ることが出来ませんでした。 牛郎は怒って向こう岸織女に牛の鼻輪を投げつけたと思うと、今度は織女が梭を投げ帰しました。

織女三星はその鼻輪で、牽牛星の両わきには鷲座三星として梭が見えます。 この喧嘩を見た玉皇大帝は、7月7日に二人が会うことを許しました。そして7月7日には 金牛星のたのみで、鵲が銀河に橋を架けるのだそうです。

道教色が強いので後ほど解説を付けようと思います。

○西王母と七夕伝承・小南一郎・平凡社・P38〜39

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■中国広東省陸安(海豊)
 天界で牛郎は牛を飼い、織女は機を織る、自分の仕事に精を出す美しい若者たちがおりました。 そのような二人を見て天帝は彼らを夫婦にしてあげました。 しかし二人は結婚した後に仲良くしてばかりいて、サッパリと仕事をしなくなってしまいました。

 天帝はお怒りになり「二人は河の両側に分れ七日に1度だけ会うことを許す」と カラスに伝えさせました。しかしこのカラスはあまり上手に言葉を話せませんでした。 カラスは慌てて二人の所へ飛んでゆき、間違って「毎年7月7日に一度だけ会うことを許す」と 伝えてしまいました。

 こうして牛郎と織女は1年に1度しか会えなくなってしまったのです。

○西王母と七夕伝承・小南一郎・平凡社・P32・33

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韓国

■韓国
 ある星の国に美しいお姫様がおりました。お姫様は何でも良くおできになり、 中でも機を織ることが特に上手でした。このお姫様の父親の王様は、 このお姫様を大変に寵愛なさいました。ある時王様は別の星の国の王子を婿として迎えました。

 それからのお姫様は王子様によくお仕えもうしあげましたが、 この王子様は時々よからぬことをなさいました。最初は我慢していた王様ではありましたが、 とうとう堪え切れなくなり天の川の北岸から半年も遠い所へ王子を流してしまわれたのです。 しかしお姫様のことを思い1年に1度・7月7日だけ天の川の辺で逢うことをお許しになられました。

 1年も離れ離れでおられるので、お姫様と王子様は何とか逢うことができないものかと、 はかない思いをめぐらされ、ついにはお二人の目から止めどなく涙が溢れるのでありました。 しかし下界では大雨になり家などが流さる程の洪水になってしまったのです。

 そこで下界に住むもの皆で相談した末に、カササギが天上へ遣わされることになりました。 大任を負ったカササギは、大雨のなか天に向かって飛び立ちました。カササギは大雨の理由を知り、 お姫様と王子様の悲しみを取り除いて差し上げようと仲間を呼び集めました。 カササギの仲間は皆天上に飛び立ち、天の川の南の岸から北の岸へ頭を揃え・ 羽根を合わせて「懸橋」を作りました。 こうして王子様はカササギの橋をお渡りになりお姫様にお逢いになることが出来たのでした。 下界の雨もそのときからパッタリと止んでしまいました。

 今でも7月7日の「朝の雨はお嘆きの雨」「昼ごろの雨はお逢いになることが出来たお喜びの雨」 「夜の雨はお別れのお悲しみの雨」と云われるそうです。また7月7日にカササギを見ると、 天の川の懸橋を作りに行かない怠け者だというので、追い払われたりするのだそうです。

○世界神話伝説大系12・朝鮮の神話伝説・(株)名著普及会・16鵲のかけ橋


 上記の話は著作権の問題がありますので、説話を一度暗記してから私の言葉で書いております。 各説話の末尾に「参考」にしました原典を挙げておりますので、正確にはそちらをご覧下さいませ。
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