[合の図]  ニサンの月 
〜古代バビロニアの太陰暦〜

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メソポタミアの神々
●シュメール人
 シュメール人は世界最初の都市を作りました。 このシュメール人の多神教が周辺の世界に大きな影響を与えたようです。
●月神ナンナル(ナンナ)
 シュメール神話では、まず最初に「天の神アン神」と「地の母キ神」がおりました。 この二人からエンリル(風と嵐の神ベール)が生まれ、エンリルからは月神ナンナル・ 太陽神ウナウが生まれたのです。そしてこの月神ナンナルから金星神イナンナが生まれました。

 月神は太陽神よりも上位にありまして、このシュメールの大神たちが、 殆どそのままアッカド人(バビロニア)に伝えられたようです。

バビロニアの太陰暦
●遡望月
 月は約28日で地球を一周しますが、その間に地球は太陽の周りを巡っているので、 新月から次の新月までの間は平均で約29.5日となります。
●バビロニアの太陰暦
 バビロニアでは、新月から新月の期間を「月(Mounth)」として定めておりました。 遡望月が平均で約29.5日なので、1ヶ月の長さが29日や30日になりました。

 この太陰暦は純粋な太陰暦で、通常「太陰暦」と呼ばれていますものは 正確には「太陰太陽暦」のことをいいます。

 バビロニアでは当初1年は6ヶ月であったらしいのですが、後に12ヶ月となり、 四季を決める太陽暦との食い違いが生じてきました。 

●太陰太陽暦
  • 太陰暦は約29.5日*12ヶ月=約354日
  • 太陽暦は約365.25日
 上記のように一年ごとに約11日の不足が生じてしまいます。 この不足の日数を他の月に加えたりしていたのですが次第に煩雑になってしまい、 もっと正確に暦を測り、閏年を規則的に置く必要が出て来たのですね。
ニサンの月
●カペラとニサンの月
 日の出直前の東の空と、日没後の西の空にカペラが現れるのを観測して1年の長さを測ったといいます。 これには2つ説があり、春分の頃のカペラの日の出直前昇天を年初とした説と、 日没後に新月と並ぶのを年初とした説があります。

 カペラはバビロニアの前代アッカディアでは、「ディルカンイク(光の使い)」と呼ばれ、 バビロニアでは「ディルカン・バビリ(バビロンの護星)」と、 ついでアッシリアでは「年の案内者」と呼ばれました。 また年初を教える星として「マルドゥクの星」と呼ばれました。

●アッカディア
 アッカディアの時代はバビロニアよりも2000年あまり溯りますので、 年初の星は歳差運動により、カペラではなくカストルとボルックスでした。 アッカディアの粘土版には

 ニサンの月の第1日に、星の中なる星(ディルカン)と月が並べば、その年は平年なり、 ニサンの月の第3日に星の中なる星と月が並べばその年は閏年なり

とあります。

●ニサンの月の第3日
  • 第一年 新月とカペラが合
  • 第二年 2日月とカペラが合
  • 第三年 3日月とカペラが合

 第四年目の合は翌月第1日の夕暮れに新月とカペラが合になることでもあり、 真の年初が再び回ってくることを示します。

 月の第三日に新月がカペラと合になるときは、それより1年1ヶ月(13月)後にには、 月の第1日に合となるので、この年を閏年として「13月」を置きました。

黄道十二星座へ
●歳差運動
 地軸の振り子現象により、春分点が毎年約54秒西に移動するため、 70年に約1日の割合で季節に狂いが生じます。 恒星年をカストルやボルックス又はカペラに頼れなくなってしまいました。 そこで昼と夜の長さを正確に測り春分点を決め、回帰年を使うようになりました。

 黄道の星々により観測することを止め、黄道を木星周期の12年から12等分して、 白羊宮の原点を春分の太陽の位置と決めましたのが、紀元前7〜8世紀のことであるようです。

 まだ未完成です。イスラム暦やユダヤ暦まで、もって行きたいのですが、資料が見つかりません。 また具体的にしようと計算している最中です。月と恒星の合の計算もできる 暦ソフト(suchowanさんのWHEN)を KODAさん★天狼星さんに教えていただきました。

suchowanさんには計算に必要なパラメーターや操作方法を教えていただきました。ありがとうございます。これでマヤ暦も計算できます。やった〜(^^)/

参考引用文献

●星座春秋○野尻抱影著○講談社学術文庫1117
○メソポタミアの神話○矢島文夫○筑摩書房

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