東洋の古墳と天文
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 この項目はネタ帖でありまして、今後調べたい項目を列挙してあるだけなので、 正確な資料であるかは不明です。

 一応年表形式でまとめようと思いますが、色々な本の断片から拾い集めた情報なので、 私自身なにがなにやら、わからないで有様ですので(^^;

 何でも遺跡なら良いやとムチャクチャですので、そこのところよろしく・・・ね(^^;


中国大陸朝鮮半島日本
BC433
楚国:曾侯乙墓の漆器の箱蓋に、28宿の東に龍、西に虎が描かれる。

BC210以後
秦の始皇帝(BC210没)の墳墓に天文図があったとされる記録
史記:上は天文を具し、下は地理を具したとある。概念的な図か?

BC104漢は大初暦採用、正月歳首・この時観測が行われた。

BC70?石氏星経の観測年代(候補)

- 観測値はBC65年のもの?
キトラ古墳の天文図の計算上の観測時点。
AD132漢の張衡・渾天儀など作る

陳卓の星図: AD265-289年西晋で三家の伝統を統合し、287官1464星に まとめる。

BC526年
洛陽北魏:江陽王元父

高句麗墳墓に21ある
天井天文図ではあるが、実際の星の位置は正確ではない。
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- AD667
高句麗滅亡時(AD667)後の[天象列次分野之図]の元となる 古天象図が大同江に沈む。

AD674
新羅が唐の暦を採用。

AD692新羅僧・道証が唐より「天文図」を伝える

AD671
漏刻により時を刻む(奈良県水落遺跡)

AD600年代後半か?
キトラ古墳・この時代のものとしては最も詳細精密。 これより上回るのはAD1247までなし。

600年代後半〜700年代前半
唐の章懐太子・永泰公主・懿徳太子(則天武后に殺される)の墳墓に 天文図があるが象徴的・装飾的

705則天武后没

新彊トルファン・アスターナ墳墓に天文図。 発掘後崩壊

942年
(五代)呉越国第二共穆王銭元[王讙-言(^^;]の墳墓
内規・外規・赤道・28宿・北極周辺の天文図

AD718
漏刻を製造

AD749新羅:天文博士・漏刻博士を置く

702文武天皇:唐との国交再開

704遣唐使帰還

600年代後半〜700年代前半
高松塚古墳築造天文図

1247年
淳祐天文図
蘇州孔子廟内:星図自体は1190年頃出来ていた。

1395年
天象列次分野之図
高句麗:古天象図を元に復刻。

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