日本で最古の日蝕の記録は日本書紀にありまして西暦628年4月10日に起きました。 内容の詳細は客星さんのページにありますので、ここでは徒然なるままに(^^;お話を 進めようと思います。
この日蝕の起きた時代は推古天皇の時で、推古29年(正確には30年であるそうです)に 聖徳太子が亡くなり、推古34年に蘇我馬子が亡くなった後、 推古天皇が推古36年春2月戊寅の朔、甲辰(27日)に病が重くなり、 3月丁未の朔、戊申(2日)に日蝕があり、日がすっかり見えなくなり 癸丑(7日)に推古天皇は崩御されました。享年75歳であったと言うことであります。
この時の日蝕は、皆既日蝕帯が飛鳥・斑鳩を通りませんでしたので、皆既日蝕とは ならないのですが、96%程の深い部分日蝕となり太陽の上部がわずかに欠け残る日蝕でありました。 従いまして、「日がすっかり見えなくなり」は、 ほぼ正解・96点ということになりましょう(^^;
欽明天皇14年(553年)に百済から暦博士などを送ってくれと言う記述があります。 推古天皇10年(602)10月に百済から観靭という僧が来て、暦・天文。遁甲などの本を伝えたと 言うことです。よってこの頃からの暦の記録は正確になっていったようでありますが、 正式には持統天皇4年(690)に勅令で元嘉暦と儀鳳暦を行ったとあります。
推古28年(620年)12月朔の夜「天に赤き気(しるし)があり、長さ1丈あまり、 形は雉(きじ)の尾に似たり」という記述があります。これはオーロラのことであろうと言われています。でも雉(きじ)の尾って言いますと、 彗星みたいですよね(^^;
日本ではオーロラは見られないと書いてある本はあるのですが、 1958年(昭和33年)2月11日に日本でオーロラが観測されたことはありますので、 通常は見れないと修正すべきでしょうね(^^;
今回なんかつまんないでしたね(^^;「日付の書き方」とか「戊申などの計算の仕方」を追加しようかな(^^;
- 参考文献
- 古天文学の散歩道
- 日本書紀・日本の名著1
- こよみと天文・今昔 内田正男著・丸善
- 客星さんのページ
- ★古天文学の部屋