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庚申待の「庚申」とは干支(えと)の1つで、庚申の日の夜に社寺や庚申堂に集まり、 祭事を行った後、一晩中飲み食いをして過ごした習俗で、江戸時代に全盛を極めましたが、 明治期の神仏分離や迷信として排撃されたため、今ではすっかり廃れてしまいました。それではその歴史や具体的内容をお話することに致しましょう。
撮影:千葉県八千代市井野町
庚申待は中国の道教の民間信仰から興っているようです。 日本には陰陽道の一種として平安時代伝わったようです。
庚申(かのえさる)の日の夜に、講組織ごとに、庚申社や庚申堂に集まって、 お神酒や精進料理をお供えして、祭事をし、一晩中飲み食いをして過ごしました。 御利益は長寿や病魔退散と言った事でありました。では何故庚申の日で一晩中であったのでしょうか。
庚申信仰では、人間の体には「三戸(さんし)の虫」がいるとしています。三戸とは上中下の三種類の虫で、 上戸:「彭候子(ほうこうし)」・中戸:「彭常子(ほうじょうし)」・下戸:「命児子(めいこし)」 と言います。
上戸は頭におり目を悪くし、顔のしわをつくり、髪を白くします。 中戸は腸内にいて五臓を悪くし、悪夢を見させ、大食させます。 下戸は下半身にいて命を奪ったり、精力を減退させます。
三戸の虫は人間の寿命を司る「死命神」から使わされており、 庚申の日の夜、人間が寝ている間に人間の体を抜け出して、天上界に昇り、 死命神にその人間の行状を洗いざらい話をしてしまいます。
死命神はその報告を聞き悪い行いをした人の寿命を縮めてしまいます。 三戸の虫を殺してしまう方法もありましたが、五穀断ちなど厳しい修行をしなければならないので、 庶民は寝ないで一晩中起きていて、三戸の虫が体から抜け出られないようにしたのです。
陰陽
この世は全て陰と陽の2つから成り立っているという考えです。五行
この世は全て木、火、土、金、水の5つの要素から出来ているという考えです。十干
十干は甲,乙,丙,丁,戊,己,庚,辛,壬,葵の10個です。各々兄(え:陽)弟(と:陰)にわかれ、 庚は五行の金にあたり、かつ、兄つまり陽にあたります。十二支
月や方角を時間を表すものとして使われ、 子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥の12個有ります。 申は五行の金にあたり、かつ、兄つまり陽にあたります。
さて以上の「十干」「十二支」が各々毎日1つずつ移動します。例えば 甲子(きのえね)の次の日は、乙丑(いつちゅう)と変わります。故に全部で60種類つまり、 最小公倍数の60日で循環します。庚申は60日置きに巡ってくると言う事です。
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庚申塚や庚申塔には「みざる・きかざる・いわざる」が刻まれているものがあります。 何故かは分かっておりませんが、私の勝手な想像では、 鬼門の方角に猿を置き魔よけとした例もある事から、 猿は「三戸の虫封じ」であるとも考えられますね。
庚申の 「申」は「さる」とも読みまして、神道(しんとう)の猿田彦(さるたひこ)と習合したようで、 神社で庚申の行事が行われる時は、その信仰は猿田彦へのものとなっていたようであります。
庚申の 「庚」も「申」も陰陽五行説では「金と陽」の属性を持つ事から、仏教では 庚申信仰は青面金剛(しょうめんこんごう)へのものとなっていたようであります。青面金剛は五種類の鬼魔により引起される病気を除いてくれるそうです。
五鬼魔 容姿 とりつかれた時の病気 一 頭が鳥、体が骸骨 脈が早くなり、骨にうずく痛み 二 女性の遺骸 淫欲を異常昂進させ発病させる 三 頭が鶏で人身 怒りやすくさせ発病させる
(魔羅醯室陀鬼/まらけいしつだき)四 僧侶 誤った信仰で人を損なわせる
(兜醯羅鬼/とけいらき)五 猫の顔で人身 物事に異常な執着心を起こさせ発病
(猫鬼/びょうき)青面金剛は金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)と同じであるとされ、 金剛夜叉明王は末法の世に出現し、信仰心のないものを食べてしまうのだそうです。
青面金剛は、肺結核を除いたり、家出人を連れ戻す祈祷の対象になったようで、 青面金剛はまた、来世において更に力を増すといわれております。
庚申は「金(ごん)」の属性があることから「金属」に関係あるもは避けられたようです。 また身を慎むところ、庚申の日に男女の交わりをすれば、その日にできた子供は泥棒になると 言われておりました。
三戸を駆除する呪文は「彭候子・彭常子・命児子・悉入窈冥之中(しつにゅうようめいしちゅう)・ 去離我身(きょりがしん)」を繰り返し唱えたそうです。どうしてもねむくなったら、 「しやむしは、いねやさりねや、わがことを、ねたれぞねぬぞ、ねねどねたるぞ」と唱えれば、 寝てしまっても三戸の害は防げると言われておりました。
宮中で庚申の夜に退屈なので陰陽の大家「安倍清明」を呼び出しました。 皆はお前は天文と算術の大家なのだから、何か面白いことをして笑わせてみよと言いました。それでは算術で皆を笑わせてみましょうと清明は言いました。 皆はできるはずがないと言いましたが、清明が算術に使う算木を皆の前にポイと投げると、 途端に一座のもの皆わけもなく笑い転げました。笑いは止めようと思っても、何故だか あとからあとから可笑しさが込み上げてきます。
皆はヒ〜ヒ〜笑い転げ涙を流しながら清明に侘びを入れました。 清明が算木をしまうと、皆の笑いはピタリと収まったと言う事です。
〜宇治拾遺物語より〜 安倍清明の異能を伝える話として残っております。
宮中では庚申の夜に清涼殿に集まり、天皇の前で歌合せなどが行われたそうであります。 盛んなのは「歌合せ」で、左右に分かれ題を出して、それぞれ一首ずつ歌を読み、 判者が優劣を判定して、勝負すると云うものであります。庚申の夜の歌わせは安倍清明の同時代の清少納言もよく参加していたようです。
冷泉天皇の女御が庚申の夜に急死した話も伝わっております。
庚申待がなぜ江戸時代に全盛になったかは、わかりませんでした。 見つけた塔には「万延元年庚申十一月吉日 井野村講中」とありますので、 1890年11月31日(金曜日)で、江戸時代の本当に末期ですね(^^;
江戸時代になると「願掛け」にも使われたようで、願い事が成就すると 庚申塔を1つ建てることが行なわれ、そのために江戸時代に建てられた庚申塔が多いそうであります。
この他には天保・寛政など何れも江戸時代の年号でした。 不思議なのは全部、月が11月なんですよね。なんでだ?
と云うわけで、謎解きはまたの機会に(^^;
当ページ外リンク猿田彦神社
猿田彦大本宮 伊勢一宮椿大神社 椿講藤原椿会
青面金剛
参考文献日待・月待・庚申待/飯田道夫著/人文書院
民俗学事典
陰陽道の本/学研
天台密教の本/学研
安倍清明/原書房
現代こよみ読み解き事典/柏書房
宇治拾遺物語