日月星の家紋

家紋のうち「日月星」の家紋について調べてみました。 家紋によっては古代オリエントを起源とするものもあるようですが、 今回は武士が家紋を使い始めた鎌倉時代あたりまで遡ってみました。

【項目】 【1.日月紋】 【2.日紋】 【3.月紋】 【4.星紋】 【5.月星紋】 【6.家紋の起源】

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日月紋

「日月]は[じつげつ]と読みます。日月紋は太陽と月を象った紋です。太陽は天照大御神、月は月読尊を表します。

歴代天皇の即位の際正面に鳥形の幢、左右に日月像の旗を立てるようになったのが、文武天皇の大宝元年(701年)正月朔日の朝賀の礼を受けた時からであると伝えられています

錦の御旗

錦の御旗が日月紋を使うようになったのは後鳥羽天皇(1185年)から後醍醐天皇(1339年)の間であると言われております。

                          
1 ●●  日月の紋は同じ大きさの円を2つ並べたものでした。 
  
2 ○●  しかしどちらが太陽か月か分からないので、錦旗には日を金で,
  銀金  月を銀で打ちました。

3 )●  その後日は円形.月は三日月に改められました。

4     日と月を分けて打ったものもあらわれました。
  ________
  |月| |●| 
  | | | |
  | | | |

5     室町時代からは菊家御紋章を打つものもが現れました。

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日紋

日紋は太陽を象ったもので「日の丸紋」と「日足紋」の2種類があります。

日の丸紋

単に円形の形をしたもので、有体に言えば「日の丸」です。この紋は家紋として使われたというより「徽章標識」として用いられたようです。
ずばりアマテラスを指しますので、家紋として用いるのは恐れ多かったようです。
最初に日の丸紋を使ったのは美濃の斎藤・望月家のようですが、一歩譲って半分よりも下に雲がかかった日の丸紋を用いております。

日足紋

中央の日輪から放射状に光芒がでており、光は先が尖っているものと、平たいものがあります。風車のような形をしています。

  「六つ日足」「八つ日足車」「八つ変わり日足」「十二日足車」「木下日足」
  「旭光」・・・これ警察さんの紋章ですか???
  「変わり十二日足」「細輪に尖り日足に水」
  「尖り十二日足」・・・お天気マークに似ています。
  「日の字崩し」・・・これ電気屋さんのマークですか???

九州肥前の龍造寺氏とその後を継いだ鍋島氏。筑前の草下氏。などが用いたようです。

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月紋

月紋の由来は、

  • 信仰的な意義に基づいたもの
    「三日月待」「二十三夜月待」「二十六日月待」「中秋の名月」などから家紋ができたとする説。 三日月に「我にかん難苦労を与え給え」と念じた山中鹿之助は「三日月紋」でした。

                

  • 弓張月」の呼び名から
    「三国一の弓取」などと言うように、弓を1級の兵器であったので弓張月を家紋とした。

  • 「朧月」「水月」などの文学的な呼び名から

    種類

    余りに多くて全部調べられたわけでは無いと思いますが。

    「半月」「繋ぎ月」「陰月」「月輪に七曜」「月に雲」「月に霞」「月に水(黒田氏)」「三日月」「八日月」「半月」「満月」「朧月」

    「三日月に下藤丸」「月に夕顔」「九曜内に半月」「桝に月」「月に半月」「三日月に松」「三日月に根笹」「月に扇」「月に五本骨扇(佐竹氏)」「月に櫺子」「三日月に杉」「月に梅鉢」「くり半月(土岐氏)」を見つけました。

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    星紋

    「星紋」には「九曜紋」「七曜紋」「六曜紋」と「三つ星紋」などあります。

    九曜紋

    九曜は古代インドの卜占に使われた、日月火水木金土の7星に羅(目候)・計都(けつ)の2星を加えたものです。

    九曜紋は鎌倉時代にすでに家紋として使われており、初めて家紋として使ったのは上総から東北地方まで勢いのあった千葉氏であります。また細川家も九曜紋であります。

                ●
     ●●●       ●●  ナハハ
     ●●●      ●●● 90度回転してしまいました
     ●●●角九曜    ●●  
               ●  菱九曜
    

    「九曜紋」と上記のほか「結び九曜」「割り九曜」「抜け九曜」があります。

    七曜紋

    七曜は北斗七星を象ったものなので「北斗星紋」とも呼ばれます。

    星の7仏教の7菩薩の7
    食狼日輪
    巨門月輪
    禄存光明輪
    文曲増長
    廉貞存怙
    武曲地蔵
    破軍金剛手

    これらにより長寿息災を祈りました。この方を北斗尊星法といいまして修法のために北斗堂を設けて妙見菩薩を本尊にしました。七曜紋はこの妙見信仰から起こった紋であると考えられております。松平能見などがこの紋でありました。

     
        ●         ○
      ●  ●     ○  ○   ちょっといびつ(^^;
         ●        ○
       ●  ●     ○    ○
         ●  七つ星    ○    陰の七つ星
    
    このほか「石持ち地抜き七つ星」「丸に七つ星」「陰陽七つ星」「七曜に木の字」があります。

    六曜紋

    六曜は天文でどの星といったものはないのですが、星の紋には違いないので妙見星辰信仰から来ているのではないかと言われております。
    戦国時代あたりから使われ始めているようですが詳しいことは分かりませんでした。

        ●      六曜紋には「鶴丸に六星」「葉菱内六星」
      ●    ●     「白旗に六星」「黒餅に抜き六星」などがあります。
         ●       徳川時代には関口家・多田家などで使われたようです。
       ●  ●  六曜
    

    三つ星紋

    オリオン座の三ツ星で、中国では三武又は将軍星と言います。
    三つ星紋には一文字が加えられたものがありますが、一番乗り又は一番槍をあらわしてると言われているようです。
    三つ星紋が最初に出てくるのは「太平記」ですが、当時誰が使っていたかは不明であるそうです。

      ●   「三つ星」  杉浦氏
     ●●                          一
                                  ●
                 「一文字三星」が永井氏・毛利氏 ●●
                  (長門三つ星ともよばれます)
      ●  「三星一文字」が渡辺氏 
      ●●             (渡辺星とも呼ばれます)
       一 
    
    最近話題になっています「毛利氏の三つ星家紋の起源」は大きく2つあります。
    「一品起源」と「オリオン座の三つ星起源」です。

    □ 一品から □
    毛利氏の先祖の阿保親王は別名「一品親王」とも呼ばれておりまして、一字三星紋はこの「一品」をから来ているとする説。

    □ オリオン □
    上記の通りオリオン座の三ツ星から来ているとする説。もう少し詳しくお話しますと。

    旗印星和名該当星
    源氏白旗源氏星オリオン座のリゲル(白い星)
    平家赤旗平家星オリオン座のベテルギウス(赤い星)

    オリオン座は古代中国の星座区分である「二十八宿」においては「参」と呼ばれておりまして、その中でも特に3つ星を「将軍星」と呼びます。

     
               ★ 右将       また小三つ星を「伐」と
     ベテルギウス(平家星)          いいまして
        ★ 左将              天の武官をあらわします
    
    
              ★ 将軍        このように二十八宿では
            ★ 将軍          オリオン座は7人の武官
          ★ 将軍            を表しています
    
    
    
         ★ 後将軍
                ★ 偏将軍  
               リゲル(源氏星) 
    

    □ 私見 □

    どの武家も「源氏」か「平家」の流れを尊重しますし、日本の天文は中国の受け売りでしたので「三つ星」は「武」と考えられていたと推測します。毛利氏の三つ星は「一品」「三つ星」の両方をひっかけたものと考えていますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

    その他の星紋

    星紋にはその他「四星紋」「五星紋」「八星紋」「十一星紋」などがあります。
    由来などは前述の星紋とあまり変わり無いようです。

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    月星紋

    月紋は観賞的であるのに対して、月星紋は信仰に基づいて作られた要素が強いようです。

    妙見信仰

    妙見信仰が日本で始まったのは、最澄が叡山にその像を安置してからと伝えられているようです。妙見(北辰)は甲冑を付けて、剣をもち、体に蛇を巻きつけて、霊亀を踏んでおり、七星を円光とした勇壮な姿から、軍神として信仰されていたようです。

    月星紋を家紋として使ったのは鎌倉時代の初期、下総国千葉群の豪族で桓武天皇の後胤であった千葉氏でした。桓武天皇の曾孫から千葉に住み、地名を姓にしたようで、下総・武蔵・上総・常陸・陸奥・美濃から肥前までの広範囲で反映して、これらの一族がいずれも「月星紋」を用いました。

     □ 月星紋のタイプ □ 
      1 月と1つの星 「真向き月に星」「月に星」「右向き陰日月星」
      2 月と3つの星 「三つ寄せ月星」 
      3 月と7つの星 「月に北斗星」「月輪に豆七曜」 
      4 月と9つの星  ?名前がわかりませんでした。
      5 その他(良く分かりませんでした)
      などがあるようです。
    
     □ その他 □
      「波に月に兎」と言う紋を見つけました。
    
    亜水さんと言う方から、オリエントから伝わったの家紋の由来のお話を伺いました。鎌倉時代よりもっと遡って家紋を調べると面白そうですね。でもたいへんそう(^^;

    家紋のソフト25000円もするので絵無しですみません。

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    家紋の起源

    日本書紀で聖徳太子が推古天皇のとき模様を書いた旗を使っていたと書かれております。

    公家の模様は奈良時代から使われ始め、平安時代になりますと車・衣服・家具・器物などの装飾として使われたようです。それが「家」の目印となったのは輿車が始まりであるらしいです。ここからしだいに誰でも使う模様から「家」を表すようになったため、一見して誰のものか分かるように多種になっていったようです。

    武家の模様は敵見方の識別に使われるため、家紋は一層重要なものになりました。その最初が 源氏の白旗・平家の赤旗でありました。

    参考

    ある呉服屋のおばさん。

    ●家紋事典●大隈三好著●金園社

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