破軍星 ▲天文民俗学目次へ ■ホームへ

北斗七星
●戦いの秘法
 破軍星を占いの秘法とするようになったのは、 中国は三国時代・蜀(しょく)の国の丞相 (じょうしょう) :諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)の 編出した秘法と言われております。

 迷信などがまだ色濃い時代でありましたので、破軍星は実際に孔明が編出したものではなかったので ありましょうが、当時の戦いにおいて「戦いは吉と出た。天は我等に味方している」と 兵の士気を鼓舞(こぶ)する手段としては 優れたものであった事でありましょう。

 破軍星の読み方は「はぐんせい」と読みますが、陰陽師が使う場合は「はぐんじょう」と 読みます。また単に「破軍(はぐん)」と呼ぶ事もあります。

●北斗七星
 破軍星はおおぐま座の「北斗七星」の柄杓(ひしゃく)の柄の 一番端の星と天の北極を使います。それではまず中国式の北斗七星の呼びからから お話致しましょう

貧狼星 トンロウセイ
巨門星 キョモンセイ
禄存星 ロクソンセイ
文曲星 モンコクセイ
廉貞星 レンジョウセイ
武曲星 ムコクセイ
破軍星 ハグンセイ

 図の左下の赤い「+」印のある天の北極から破軍星の方向を見て、戦いの方向を決めるのです。


破軍星
●方法
 破軍星を使う占いは「破軍星の方向に向かって戦いを挑めば必ず負け、 破軍星を背にして戦えば必ず勝つ」と言うものです。

●方向
 この場合の「方向」は方位や地平線座標で使う方位角ではありませんで、 その観測地での「破軍星の地方時角」を言います。

 時角は破軍星が子午線を日周運動で通過した後に進行した角度を言います。 もそっと簡単にしましょうね(^^;

 この図は天球図と言いまして、観測する人は地球の中心(O)にいて、地球の殻に星が写っていると 考えます。

 さて子午線は北(N)から北極星(P)を通り南(S)へ引いた線を言います。NPSの線ですね。

日周運動で星が子午線を通過した時の「時角」を0と言います。星を見るとき「南中(なんちゅう)」 したとも言います。
 時角ですので、南→西→北→東の順番になる事が注意点です。この天球図では北極星(P)と 地球の中心(O)を結ぶ軸で手前(西へ)回転します。これが観測する地点でどのように見れるかで 判断をするわけです。

 現在では子午線を通過して南から西に向かう方向で「時角何度」と言い表しますが、 昔ではそこような呼び方はしませんでしたので十二支で方角をあらわしました。

●干支の方角
 前の説明で子午線と書きました。子とは北、午とは南を指します。つまり北から南へ引いた線で 北極星を通るものが子午線というわけで、太陽が午の前につまり東にあるうちが午前、 太陽が午より後にある、つまり西側にあるのが午後と言うわけです(明け六つ暮れ六つの場合)。

 十二支は子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の12で、子が北・卯が東・午が南・酉が西になり、 その他はその間の方向になります。12方位と言う事であります。
・・・図のほうが良いですね(^^;

 説明のため通常とは東西逆さまの図にしてあります。

 仮に「破軍」が南中していたとしましょう。すると破軍は南(午)にあるわけですから 背にするには北(子)へ向かって戦いを挑めば良いわけです。

●旧暦と干支の時刻
 さて「破軍星」の計算は、その他に「旧暦」と「干支の時刻」を使う事になっています。 この辺りまで来ると「高島暦」あたりをご覧になった方が良いでしょう。

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●式にすれば
 現代風に式にすれば、破軍星の方位時角はっと

「グリニッジ視恒星時ー破軍星の視赤径時*15+所在地の経度」で後は・・・うんと

180度までならそのまま、それ以外なら−180度して、-なら+360度して、+なら-360度かな?

多分・・・そうかと・・・自信ない(^^;

もう少しこの項目煮詰めないとだめみたいね(^^;

●虎の巻
 破軍星は孔明が編出したと言われておりますが、私の感じではどうもその前の時代から このような考えがあったような気が致します。

 先ずは孔明の兵法であろうとされている本の断片が残っておりますが、そこには 破軍星は書かれていない様です。

 しかし彼が読んでいた本にはそのような項目が書いてあるのです。 仮に孔明が編出したとしましたら、恐らくはこの書物の記述を実際にどう適用しようかと 参考にし新たに考えたもので、実際にそれに従って戦ったのではなく、 恐らくたまたまそのような時間に遭遇した場合、兵士の士気を鼓舞するために、 又は暗示にかけるために使ったのでしょう。

 武田信玄の秘法のなかに「破軍星」の秘法がありますので日本でも使われていた事が わかります。さて・・・

●六韜・虎韜・三陣篇
 六韜と言う書物は古代中国の政治・軍事の書で、太公望と王との問答形式で その考えが述べられていまして、老荘思想が大きく影響しております。 孔明の兵法と考えの根幹は良く似ております。

 当時の兵法家は皆この六韜は読んでおりました。その六韜は6つの韜からなり、 その一つが平野での戦いを述べた虎韜、つまり「虎の巻」の語源となっております。 その虎韜なかの小篇に三陣篇が ありまして、敵と対峙する場合の陣構えの基本的な理念が書いてあります。

 その中に破軍星のような項目があります。

●三陣篇
 武王がたずねた。
「敵と対陣するするに、天陣、地陣、人陣の三つがあると言うが、どのようなものか」

 太公望が答えた。
「日月や星辰(せいしん)などを、左に仰いだり右に仰いだり、時には正面にしたり背にしたりしながら、 天の時に従って布陣するのを天陣といいます。〜以下略(注1)〜」  

●日月
 まず「日月」が天の時と言うのは分かりやすいですね。例えば小さく「一対一の対決」を思い 浮かべてください。天気の良い日、私なら太陽を背にする位置につこうとするでしょう。 こうすれば相手から見れば逆光になり、私はシルエットにしか見えなくなります。

 次に軍の夜間奇襲攻撃を考えてください。私なら新月の日を選ぶでしょう。だって月が出ていない 闇夜に行動した方がそれだけ気づかれないでしょ。

 相手からすれば、生兵法のApollonの事だから、馬鹿の1つ覚えで新月に奇襲してくるであろうから(^^;、 備えに落とし穴でも掘っておこうとか・・・。 はたまた、午後からは曇るので太陽を正面にしても地の利を優先するとか、 ま〜虚虚実実の駆け引きになるわけですね。

●星辰
 さてさて、問題の「星辰」。星辰と言えば「北極星」「天の北極」「北斗七星」のどれか、 或いはこれらの総称です。どれにしても天文現象を味方にするのに「星」は関係無いですね。 ですからなんらかの「知識」や「信仰」が元になっていますね。

 六韜の元の表現は「日月星辰斗柄」・・あった(^^)

 星辰斗柄ってことは北斗七星の柄の可能性が高いですね。可能性が高いと言うよりも・・・ そのものですね(^^;

 但し具体的にはどのようにするのかは書いてないですね。これを孔明が具体化したって ことなのでしょうか!?「星辰斗柄を右左、或いは背にしたりして」と読み替えれば具体的な方法は わからないですが「破軍星」のことであるのはすぐにわかりますね。



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