遠遊会ツアー(1997年11月22日)報告

記:永山透


  1. 遠遊会ツアーが1997年11月22日の土曜日に催行された。ツアーの参加を事前に表明した8名のうち7名が実際に参加した。全行程参加したのは永島英太郎、永山透、藤巻太郎、永山透の妻子である堀内康江、永山瑞生の5名であり、午後より、川田賀子、夕方より道家正則が加わった。ツアーが終了したあと会食したがその時は7名全員出席した。

  2. 今回の遠遊会ツアーは、都内に数多く残る富士塚を見学することを目的とした。富士塚は、富士山登山を行うことで信仰を深める団体「富士講」の活動の一つの現れとして江戸時代中期から築造されてきた一種の築山である。体が弱く本物の富士山に登れない人にも御利益をもたらすために、神社の一角に小山を築いて登山道をつけ、さらに、富士山より採取した溶岩(ボク石)を築山の表面に配置して本物の趣をこしらえたものである。

  3. ツアーの準備は永山透によって行われた。永山透は、いくつかの文献(下注参照)を参考にして10月下旬から11月初旬にかけて計5つの富士塚の下見を行った。ツアーの前半では、そのうち4つを見学し、後半は下見をしなかった富士塚を2つ訪れた。富士塚の学術的意義、詳細な歴史などについては時間の制約もあり、残念ながら調べることは出来なかったので、後段等に示されている文献を参照にされたい。このツアーで訪れた富士塚とその場所については以下に示すとおりである。


    訪れた富士塚

  4. 今回のツアーの集合場所は、JR中央線武蔵境駅であった。午前10時が集合時間であり、全行程参加した5名は、ほぼ時間通りに集合した。天気はあいにく小雨もぱらつく曇天であったが、風が弱いこと、気温がそれほど低くなかったことが救いであった。

  5. 一行はまず、武蔵境駅南口から徒歩3分の杵築(きずき)大社境内にある富士塚を見学した。同神社は武蔵野市境南町に位置しており、富士塚は大社が面した道路から社務所を隔ててやや奥まった場所に位置している。富士塚の登山口は池がこしらえられており、小さい橋で渡ると登山が始まる、この山は全面に笹や植え込みが表面を被覆していて、所々に富士山から運んだと思われる溶岩が置いてあった。3合目までくると、道は傾斜のゆるい道ときつい道の二つに分かれた。傾斜の緩い道は、そのまま山腹を巻きながら登り、頂上に達した。頂上は高さが5-6m程度と考えられる。頂上には祠が備えられており、かつては富士山を望むことができたと思われるが、この富士塚は樹木が繁茂し、また大社を取り囲む三面はビルが建っており、良い眺めは得られなかった。下山は傾斜のきつい道を降り、数十秒で下山できた。案内板によれば、この富士塚は武蔵野市の史跡となっており、築造は1881年(明治14年)年5月とのことである。


    杵築大社境内の富士塚頂上にて、左より藤巻太郎、永島英太郎、堀内康江、永山瑞生

  6. 一行は武蔵境駅に戻り、中央線および総武線を用いて千駄ヶ谷駅に達した。千駄ヶ谷駅で下車した後、駅から南に徒歩5分のところにある鳩森八幡神社(渋谷区千駄ヶ谷)を訪ねた。この神社の富士塚は千駄ヶ谷の富士塚と呼ばれ、築造は1789年と東京に現存する富士塚の中で最も古いものと言われ、東京都の有形民俗文化財となっている。高さは約5-6mといったところであるが、神社本殿の前庭に隣接してそびえており、前面から堂々とした全景を望むことができる。前の富士塚と同様、前面(南面)には築造に要した土を掘った後にできたと考えられる池が備わっており、鳥居をくぐって、橋を渡ると登山開始となる。登山道は複雑で、3本は麓から走っており、御中道のような環状(一部本線が使われている)の道があり、それから2本が頂上に達している。途中までは傾斜もさほどでもないが、上部の2本の道はかなりきつく、小雨で濡れた岩は滑りやすかった。頂上は祠があった。また中腹の洞穴には、富士塚を創始したと伝えられる食行身禄(じきぎょうしんろく、またはみろく)像も安置されていた。この富士塚は全面を溶岩で覆われており、笹などの植生も交えて風情をがあり、登山して楽しいものだった。


    千駄ヶ谷の富士塚、登山口より山頂を望む

  7. 千駄ヶ谷の富士塚の脇には、案内図が立っており、小さな富士塚の中に、様々な名勝や信仰上のスポットを凝縮して模して作っていた。いわば富士山を盆栽のようにして我が手にとろうとするこころみといえるだろうか。「『縮み』志向の日本人」といわれるように、日本人による凝縮化の方案の伝統は連綿としてつながっており、今では製品としての携帯電話の小型化とか「たまごっち」のようなポケットゲームに発揮されていると考えられる。なお、富士塚の前庭では、神社付属の保育園の園児と思われる子どもが多数駆け回って遊んでいたが、富士塚にはだれも近寄らなかった、危ないから登らないようにと注意されているからだろうか。これも安全への配慮と考えられるが、池の周囲は十字鉄線が張られ、人が侵入できないようになっており、風景を損ねていた。


    千駄ヶ谷の富士塚の案内看板、狭い山域に参詣スポットが点在している。

  8. 一行は、千駄ヶ谷の富士塚を辞し、千駄ヶ谷駅に戻ったあと、総武線にのり市ヶ谷駅で都営新宿線に乗り換え、瑞江駅に達した。この駅周辺には徒歩で回れる範囲で二つの富士塚があり、その二つとも見学した。一つ目は瑞江駅より南に徒歩5分のところにある豊田神社にある下鎌田の富士塚である。この富士塚は、神社のへりにあり巨樹繁る前庭の一角にあった。高さは3m弱であり、ほとんど全面が溶岩で覆われており、表面に植生はほとんどなく、前二者とは様相を異にしていた。道山道はややカーブした一筋が頂上の祠に達しているのみであり、登山過程での風景の展開を楽しむことは出来ない。また、その登山道も〆縄が張られていて祠に至ることはできなかった。富士塚を一周したところ、背面に大澤崩れを模したようなものも備わっており、面白かった。また、溶岩以外にも、力石(ちからいし)と考えられる表面に「○○貫目」と重量を刻んだ石も、富士山の礎石として埋め込まれており、その由来が興味深かった。下鎌田の富士塚は1916年(大正5年)に築かれたもので江戸川区有形文化財に指定されている。


    下鎌田の富士塚、右端は永山透。


    下鎌田の富士塚、礎石に用いられている力石、雨に濡れ鈍く光っている。

  9. 下鎌田の富士塚を辞した後一行は、区画整理途中で、やや落ちつきのない街区を東に約10分歩き、天祖神社にある上鎌田の富士塚を訪れた。上鎌田の富士塚は小規模で、南側に裾野を広げた高さ約1.5m位の富士塚である。頂上には立派な祠があり、また途中にもいくつかの祠が見られた。麓の富士塚入り口付近には、やはり、貫目にて重量が表示された力石が置かれていたが、今度は立てられていた。上鎌田の富士塚は1886年築造である。

  10. 上鎌田の富士塚を辞した一行は、瑞江駅まで戻り、都営新宿線で馬喰横山駅まで達し、都営浅草線で泉岳寺に達し、さらに、京浜急行線新馬場駅に達した。ここで、携帯電話などで連絡を取り合っていた、川田賀子氏を加え、新馬場駅近傍の喫茶店「エスプレッソ・アメリカーノ」で軽く昼食を取った。

  11. 一行は次に、新馬場駅より徒歩約3分にある品川神社にある富士塚に達した。この富士塚は京浜急行の車内からも良く見える。品川台地の縁に築造され、台地上7-8mの高さで塚が築造されているので、品川低地への眺望が大変よい所に位置する。この富士塚は案内板によれば、品川区指定有形民俗文化財であり、1869年に築造、1872年に廃仏毀釈により一時破壊されたが、再興され、1922年に現在の場所に移築されたとのことである。登山口は、台地の縁に備わった品川神社の石段の途中の踊り場から始まっており、徐々に高度を上げて五合目に至る。五合目が台地の平坦面のレベルとなっており、テラス状になっており、ここからもよい眺めが楽しめる。ここからさらに細く、急峻な登山道が付けられており、頂上にいたる。頂上は祠はなく、なぜか国旗掲揚塔があり、広さ6m四方位の空間となっている。全山溶岩で覆われており、植生はほとんどない。頂上からは、目前を走る、第一京浜をはるかに見おろし、高架線を走る京浜急行よりも目線は高く、天気の良い日はさぞ遠くまで眺められるだろうと思われた。この富士塚は傾斜がかなりきつく、登山者の安全の面で疑問もあるが、非常に趣深い施設であり、今後とも保全されることが期待される。


    品川富士の山頂、東側は絶壁に近い。左端は川田賀子

  12. 品川神社を辞した後、一行はさらに、新馬場駅に戻り、京浜急行で品川駅に戻って、JR山手線に乗り換え、高田馬場駅に16時50分に達した。一行は、電話等で連絡を取り合っていた道家正則氏と早稲田通りの路上で落ち合った。最後は、高田馬場駅より東に約1キロの場所にある水稲荷神社の富士塚である。水稲荷神社は、住宅街、公共施設、公園に囲まれており、一行が到達した時は既に真っ暗であり、神社境内の全体的な形状、構成の把握ができなかった。一通り歩いたところ、本殿の裏に、地面の高まりがあり、頂上に祠も合ったため、富士塚と判断したが、案内板には、古墳と示されており、およそ、富士山を模したような地形とは考えられなかった。


    水稲荷神社の富士塚(?)の前、右から二人目は道家正則、既に暗くなっている。

  13. 水稲荷神社を辞したのち、徒歩にて高田馬場駅に戻り、駅近傍にあるローマ料理店「タベルナ」にて会食した。この料理店は手頃な価格でイタリア料理を提供しており、特に前菜とデザートが充実していて大変満足出来るものだった。会食後は、20時20分に高田馬場駅で解散して、1997年秋の遠遊会ツアーは終了した。
(注)富士塚に関する参考文献は以下のとおり。
  1. 出口衆太郎(1995):富士山観気巡礼、雑誌仏教No.32
  2. 手島宗太郎(1995):江戸・東京百名山を行く、日本テレビ放送網
  3. 雑誌Amuse(1997):東京の富士山散歩、1997年7月23日号、毎日新聞社
また、富士塚に関するホームページもいくつかある。
  1. 富士塚の総合的なホームページ
  2. 品川神社(品川富士)の美しい写真
  3. 八王子富士森公園内の浅間神社の富士塚
(了)

遠遊会本頁
Update 12/25/97