当寺は京都市の西方約二十キロメートル、京都府のほぼ中央に位置する亀岡市にあります。亀岡市はその北から東に保津の清流が貫く自然環境に恵まれた都市で、市内には、京の奥座敷とされる湯の花温泉や日本一の急流下りの保津川下り、保津峡の自然の中を走る観光トロッコ列車などがあり、全国から観光客が訪れています。

当寺は人皇第三十一代敏達天皇の親王、難波親王から楠正成に至り、その子正行の次男教正が大祖であります。系図によれば、「教正公ハ正行公ノ遺腹ノ子ニテ摂津国池田氏宅ニテ誕生シテ池田氏ニテ養育セラレ、成長ノ後、諸国行脚シテ終ニ当所(現真証寺)ニ跡ヲ止メ、竹内ト号シ、山林、田畑ヲ求メ住ス。時明徳ノ頃也」(約六百年前)とあります。その子竹内左兵衛祐橘良秋が佛光寺第十一代性曇上人に帰依して弟子となり「真証寺」の号と法名を賜わり、「竹内左兵衛祐橘良秋入道・釋明道」となり、これが竹内山真証寺の開基です。

なお、真宗寺院としては珍しく本堂内に床の間があり、そこには楠正行が母親に暇乞いをする姿を描いた掛軸が掛けられており、楠教正より相伝の宝物の名残を今に伝えています。

文化二年の類焼後、まもなく再建した本堂にて長らく布教活動を続けておりましたが、老朽化がひどく檀家一同の協力を得て平成四年に新本堂を再建いたしました。

今後とも、親鸞上人の説かれた教えを道標に、「真実の救い」を求めて檀家と寺が協力しあって寺院運営に邁進したいと思っています。