ピアノ伴奏歌曲    
Lieder
金色の髪の天使

 ペトラルカのソネット
1.平和を見出さず(第104番)
2.幸なるかな、あの日よ(第47番)
3.地上に見た、天使のような姿(第123番)
S269

S270
S270/1
S270/2
S270/3
彼はわたしを深く愛してくれた
ラインの美しき流れのほとり 第1バージョン
ラインの美しき流れのほとり 第2バージョン
ローレライ
ノンネンヴェルトの僧房
ミニョンの歌
どのようにして、と彼らは言った
あなたはそよ風のようにやわらかく
S271
S272 i
S272 ii
S273
S274
S275
S276
S277
昔トゥーレに王がいた
天上から来たあなた
喜びに満ち、苦しみに満ち 第1節 第1バージョン
喜びに満ち、苦しみに満ち 第1節 第2バージョン
喜びに道ち、苦しみに道ち 第2節
先祖の墓
おお、僕がまどろむとき
S278
S279
S280 i
S280 ii
S280 
S281
S282
わが子よ、もし私が王なら
もし美しい芝生があり
墓とバラ
ガスティベルザ(ボレロ)
君は花のよう
愛とはいかに
S283
S284
S285
S286
S287
S288
私の歌には毒がある
朝、目覚めると僕は尋ねる
死んだナイチンゲール

 シラーの”ヴィルヘルム・テル”より3つの歌曲
1.漁師の子ども
2.羊飼
3.アルプスの狩人
S289
S290
S291

S292
S292/1
S292/2
S292/3
火刑台上のジャンヌ・ダルク
風がざわめく
彼はいずこにとどまれる?
私は死にたい
涙とともにパンを食べたことがない者は
おお、愛せるだけ愛せよ
さらば
S293
S294
S295
S296
S297
S298
S299
さすらいのユダヤ人
静かに響け、わが歌よ
音楽の力
おおいったい何ゆえ
ワイマールの死者たち(バッカス賛歌)
老いた放浪者
さまよえ、さまよえ、青い目よ
すべての峰に憩いあり
高貴な愛
S300
S301
S301a
S302
S303
S304
S305
S306
S307
私は死んだ
唐檜の木はひとり立つ
彼女の目
はじめ私はほとんど絶望するところだった
ひばりがなんと美しく歌うことか
S308
S309
S310
S311
S312
ワイマール民謡
それは素晴らしいことに違いない
君を愛す

5月の聖母の花束
1.すみれ
2.桜草

私を休ませておくれ
愛の喜びのなかで
私は別れる
S313
S314
S315

S316
S316/1
S316/2

S317
S318
S319
3人のジプシー
静かな睡蓮
もう一度君に会いたい
青春の幸福
花と香り
漁師の娘
真珠
私は気力も生気もうせ
S320
S321
S322
S323
S324
S325
S326
S327
マーリングの鐘
さあ話せ
静かに
祈り
かつて
エドリタムに寄す
幸福な男
行かないで、幸福な日よ
見捨てられて
昼間のざわめきは静まり
そのときわれわれは死者のことを思った
ハンガリーの神
ハンガリー王の歌
銀婚式に
S328
S329
S330
S331
S332
S333
S334
S335
S336
S337
S338
S339
S340
その他の歌曲作品 
Other Vocal Works
アヴェ・マリア IV(オルガン 又はハーモニウム、ピアノ伴奏)
十字架像(アルトとピアノ 又はハーモニウム伴奏)
聖チェチリア(アルトとオルガン又はハーモニウム伴奏)
おお夕映えの海よ(ソプラノ、アルトとピアノかハーモニウム伴奏)

ワルトブルク歌曲集
1.序奏と混声合唱「ミンネ夫人に寄す」
2.ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ
3.ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン
4.ワルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ
5.有徳の書記
6.ビーテロルフとルーラの鍛冶屋
7.ライマル老人
S341
S342
S343
S344

S345
S345/1
S345/2
S345/3
S345/4
S345/5
S345/6
S345/7
オーケストラ伴奏歌曲 
Orchestral Songs
コーベイ〜リスト 2つの歌曲
ローレライ
ミニョンの歌
先祖の墓

 シラーの”ヴィルヘルム・テル”より3つの歌曲
1.漁師の子ども
2.羊飼
3.アルプスの狩人

火刑台上のジャンヌ・ダルク
3人のジプシー

シューベルト〜リスト 6つの歌曲
1.若い尼僧
2.糸を紡ぐグレートヒェン
3.ミニョンの歌
4.魔王
5.ドッペルゲンガー
6.別れ

シューベルト〜リスト 全能の神
シシー〜リスト 魔法の海
S368
S369
S370
S371

S372
S372/1
S372/2
S372/3

S373
S374

S375
S375/1
S375/2
S375/3
S375/4
S375/5
S375/6

S376
S377
金色の髪の天使                                    S269    1839年
マルケーゼ・チェザーレ・ボチェルラの詩によります。改訂版の詩はペーター・コルネリウスによってドイツ語にされました。テキストはイタリア語です。第1版が1839年作曲、1856年に改訂されています。この曲はピアノ独奏曲の“歌の本”第6番(S531)に編曲されました。またこの曲は4才になった長女ブランディーヌのための子守歌として作られました。親しみやすい旋律を持った美しい歌曲です。ピアノ伴奏は“巡礼の年 第1年スイス”に収められているようなパストラール風の曲を思い出させます。

Angiolin dal biondo crin
(4;45 GRAMMOPHON 447 508-2)
ラインの美しき流れのほとり     第1バージョン           S272 i   1840年頃
ハイネの詩によります。テキストはドイツ語です。プロイセン王女のアウグスタに献呈されました。ライン川の美しい情景を歌った内容です。この第1バージョンでのピアノ伴奏が一番、輝かしく美しいです。水の自由な流れを想起させます。またこの伴奏の和声は、晩年のピアノ独奏曲“瞑想”(S204)に似ていると思います。第1バージョンはリストらしさがとても感じられる美しい傑作だと思います。

この曲は1843年に、ピアノ独奏曲“歌の本 第1集”の第2曲目(S531/2)に編曲されます。このS531/2は、静かな感じとなり、また違う曲趣の作品となります。

Im Rhein,im shonen Strome 1st version
(2:24 THESIS THC82007)
ラインの美しき流れのほとり     第2バージョン               S272 ii   1856年
第2バージョンでのピアノ伴奏は、中音域のシンプルな音型で歌をリードするようになります。

Im Rhein,im shonen Strome 2nd version
(3:18 THESIS THC82007)
ローレライ                                        S273    1841年
ハインリヒ・ハイネの詩によります。テキストはドイツ語です。1856年に第2版がつくられています。また1860年にはオーケストラ伴奏版のS369が作られます。マリー・ダグーに献呈されました。イントロの旋律は“ダンテソナタ”に出てくる旋律を思わせ、またその次の和声とリズムで“ペトラルカのソネット第104番”のイントロを思い出しました。“巡礼の年第2年”は1837年頃から作曲され、55年に完成しているので、ローレライの第1版の作曲、2版の改作年と近いです。

詩人が“ローレライ”という歌の誕生にまつわる伝説を語るような内容です。ドラマティックな曲で、リストの歌曲の中では知られている方です。

Die Loreley
(5:39 GRAMMOPHON 447 508-2)
どのようにして、と彼らは言った                           S276    1843年 
ヴィクトル・ユゴーの詩によります。テキストはフランス語です。1860年に第2版がつくられています。“彼ら”の問いかけに対して、“女性達”が答えるという構成をとっていますが、詩の内容がちょっとわかりません。

Comment,disaient-ils
(1:48 GRAMMOPHON 447 508-2)
昔トゥーレに王がいた     第2バージョン             S278      1856年頃
テキストはドイツ語でゲーテのファウスト第1部の2759行でファウストとメフィストーフェレスがグレートヒェン(マルガレーテ)を誘惑するために、箪笥の中に装飾品を入れておき、グレートヒェンがそれを見つけるときに歌う歌です。愛する人を亡くした王が、その形見の杯を大切にし、その杯で飲むたびに涙にくれていたのですが、とうとう海にその杯を投げ捨てるという悲しみを歌ったものです。

まず1842年にピアノ伴奏の独唱曲S278 i (第1バージョン)が作られています。ピアノ伴奏はかなり充実し独立したピアノ独奏曲になることができるほどの伴奏となっています。そしてこの曲は
1843年にピアノ独奏曲集“歌の本 第1集”の第4曲目に編曲されています。

Es war ein Konig in Thule
(3:31 GRAMMOPHON 419 240-2)
汝天上にある者(さすらい人の夜の歌 1)                S279   1842年   
ゲーテの詩によります。テキストはドイツ語です。第2版は1856年で“祈り”というタイトルとなります。第3版は1860年。さらにピアノ独奏曲“歌の本”の第5曲目(S531)に編曲されました。思索するように和音進行だけの伴奏ではじまります。曲を通して物思いに沈むような感じです。詩の内容がちょっとわからないのですが、さすらい人の苦痛や悲しみに満ちた心を和らげる神について歌った、というところでしょうか?

プロイセン王妃アウグスタに献呈されます。アウグスタ王妃は元はザクセン=ワイマール大公女で1829年ヴィルヘルム1世と結婚します。ヴィルヘルム1世は1861年にプロイセン国王となり、ビスマルクとともにドイツ統一を目指し、1871年についにドイツ皇帝となった人物です。

Der du von dem himmel bist (Wanderers Nachtlied 1)(second version “Invocation”)
(4:50 GRAMMOPHON 447 508-2)
喜びに満ち、苦しみに満ち   第1節 第2バージョン          S280 ii  1860年頃
ゲーテの戯曲『エグモント』からとられました。テキストはドイツ語です。主旋律線が“クラヴィーアシュトゥック 第2番”(S192/2)を思わせるような、不思議な感じが少しあります。恋人を思う心の複雑な感情の変化を歌ったような内容です。曲調にアクセントを与える、後半の和音の連打が効果的です。

この曲は、第1節、第2節に分かれており、それらは同じテキストを別の曲としてしたてあげています。また第1節の方は1844年頃に第1バージョンが作曲され、1860年頃に第2バージョンとして改訂されています。

Freudvoll und leidvoll
(2:18 GRAMMOPHON 419 240-2)
喜びに満ち、苦しみに満ち   第2節                   S280    1860年頃
第1節と全く同じテキストに、第2節として異なる曲が作られています。これは2つの節でセットとなります。曲調が全く異なり、明るくアップテンポの曲になります。第1節と異なり、ピアノ伴奏も激しさがあります。これはおそらくテキストによるコンセプトなのだと思います。タイトルから分かるとおり、ゲーテの詩は、相反する対極の感情、気分を一文ごとに歌っているため、同じテキストで曲調を全く変えて作曲する必要があったのだと思います。

Freudvoll und leidvoll
(1:22 GRAMMOPHON 419 240-2)
おお、僕がまどろむとき   第1バージョン                  S282 i
テキストはユゴーの詩でフランス語になります。夢の中のまどろんだような気分で、愛を歌うような内容です。歌詞の中に、ペトラルカとラウラの名前も登場します。第1バージョンは1844年に作曲されます。第1バージョンでは、第2バージョンにはない後半で非常に盛り上がる箇所があります。

Oh! quand je dors
(5:06 THESIS THC82007)
おお、僕がまどろむとき   第2バージョン                  S282 ii
テキストはユゴーの詩でフランス語になります。夢の中のまどろんだような気分で、愛を歌うような内容です。歌詞の中に、ペトラルカとラウラの名前も登場します。第2バージョンは1860年に作曲されています。リストのユゴー歌曲の1860年の第2バージョンでは音を控え目にするという編曲がなされています。

Oh! quand je dors
(4:38 THESIS THC82007)
わが子よ、もし私が王なら   第1バージョン     1844年
テキストはユゴーの詩でフランス語になります。ピアノ伴奏は歌詞に合わせ荒々しいまでに激しいものです。また2番目の歌詞が終ったあとにピアノ独奏の後奏部分がつけられています。
わが子よ、もし私が王なら   第2バージョン     1860年
テキストはユゴーの詩でフランス語になります。父親の子に対する愛情を勇壮な詩にのせて歌い上げているようです。ピアノ伴奏がよりすっきりとし、詩の持つエネルギーは歌にゆだねられた感じです。
もし美しい芝生があり     第1バージョン                 S284i   1844年
テキストはユゴーの詩でフランス語になります。愛や夢などの素晴らしさを自然の美しさで表現したような詩です。第1バージョンは1844年に作られています。ピアノ伴奏が一つ一つの音が長く、響きが重い感じです。2つのブロックを歌い終わった後、最後の3行をゆっくりと歌い上げる部分がついています。

S'il est un charmant gazon
(2:52 THESIS THC82007)
もし美しい芝生があり     第2バージョン                 S284ii  1860年
テキストはユゴーの詩でフランス語になります。愛や夢などの素晴らしさを自然の美しさで表現したような詩です。第2バージョンは1860年に作られます。第1バージョンに比べピアノ伴奏が粒が際立ったような響きとなり、軽やかな感じになっています。

S'il est un charmant gazon
(1:53 ORFEO C440981A)
墓とバラ                       S285
テキストはフランス語でユゴーによります。墓という陰鬱な存在と、バラという美しい花の会話という形の詩です。
ガスティベルザ(ボレロ)   1844年
テキストはフランス語でユゴーによります。ガスティベルザという兵士でしょうか、その者の歌う恋人の話などが詩の内容です。エキゾチックな舞踏曲の感じがあります。

Gastibelza
(7:48 GRAMMOPHON 447 508-2)
私の歌には毒がある                               S289    1842年
ハインリヒ・ハイネの詩によります。テキストはドイツ語です。非常に短い歌曲ですが、詩人が激情を歌うような作品で、短くてもドラマティックな曲です。第2版は1860年になります。

Vergiftet sind meine Lieder
(1:03 GRAMMOPHON 447 508-2)
   シラーの”ヴィルヘルム・テル”より3つの歌曲             S292    1845年
1.漁師の子ども                                   S292/1  
フリードリッヒ・シラーの詩によります。テキストはドイツ語です。1845年に作曲され、1859年頃に改訂されました。豊かな美しい自然の中で育つ、漁師の子どもを歌った内容です。イントロは“ため息”(S144/3)に似ています。この3曲は自然の変化をそれぞれの視点で歌ったようです。リストはこの3曲を1855年に管弦楽伴奏の歌曲に編曲しています。

Drei Lieder aus Schillers “Wilhelm Tell” 〜 Der Fisherknabe
(4:25 THESIS THC82007)
2.羊飼                                        S292/2
詩の中で、“夏が終った”と歌われるので、秋のさしかかりの頃の詩でしょうか?自然に対して、羊飼いが別れを告げるような内容です。曲もどこか寂しげな感じを持っています。次の劇的な“アルプスの狩人”と曲がつながっており、エンディングは不穏な雰囲気になります。

Drei Lieder aus Schillers “Wilhelm Tell” 〜 Der Hirt
(3:43 GRAMMOPHON 447 508-2)
3.アルプスの狩人                                S292/3
厳しい自然(冬山でしょうか?)をゆく狩人が歌われます。短い曲ですが、ピアノ伴奏はとても迫力があるものです。

Drei Lieder aus Schillers “Wilhelm Tell” 〜 Der Alpenjager
(1:35 GRAMMOPHON 447 508-2)
風がざわめく                                   S294    1845年頃
ルートヴィヒ・レルシュタープの詩によります。テキストはドイツ語です。1856年以前に改訂され、最終版は1860年になります。荒涼とした季節の凍てつくような風を歌った悲劇的な歌です。

ルートヴィヒ・レルシュタープ(1799−1860)はリストと親交のあった詩人、著述家で、リストについての書籍も書いています。またベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番に“月光”のイメージを与えた人物でもあります。

Es rauschen die Winde
(3:24 GRAMMOPHON 447 508-2)
私は死にたい                                      S296    1845年
ゲオルグ・ヘルヴェークの詩によります。テキストはドイツ語です。三省堂のクラシック作品名辞典では“わたしは旅に行こう”というタイトルになっていますが、詩の内容を読むと、野本由紀夫さん訳の“私は死にたい”の方が合っているように思います。それを詩的に言いかえているのが、諸井三郎さんの作品表の“我は旅立たん”ではないでしょうか?最終版は1860年の改訂になります。

つらい現世に対して、死への憧れが美しいピアノ伴奏で歌われますが、最後ではその死への願いが叶わないという現実が重く歌われます。

リストは1844年より、南仏からスペイン、ポルトガルへかけての演奏旅行を行います。そのときにスペインとの辺境にあるポーで、すでにダルティゴー夫人となったカロリーヌ・サン=クリックと再会します。前にサレで演奏会を行ったとき、リストが弾いたエラートのピアノを用意した人物がダルティゴー夫人で、そのときリストは、かつての初恋の相手であることを知るのです。この再会が“私は死にたい”を作曲する動機となった、とのこと
※1。またウォーカーはこの“私は死にたい”において、トリスタン和音が使われていることに注目しています。
※1 ドレーク・ワトソン『リスト』 P.71〜72。アラン・ウォーカー『ヴィルトゥオーゾ・イヤーズ』P.408

ヘルヴェークはワーグナーと非常に親しい詩人で、リストとも親交がありました。オラトリオ“キリスト”のテキストははじめヘルヴェークが手がけるという話もあったようです。

Ich mochte hingehn
(8:17 GRAMMOPHON 447 508-2)
おお、愛せるだけ愛せよ                                S298     1847年
フェルディナント・フライリヒラートの詩によります。テキストはドイツ語です。有名な“愛の夢第3番”の原曲になります。ピアノ独奏に比べて、装飾もはるかに少ないですが、目指している音世界は同じです。主旋律があまりにも有名な歌曲ですので親しめる作品です。

O lieb,so lang du lieben kannst
(5:41 GRAMMOPHON 447 508-2)
さらば                                      S299     1846/47年
ホルヴァートの詩によります。テキストはドイツ語になります。タイトルの“Istan veled”はマジャール語です。ドイツ語でのタイトルは“Lebewohl”になります。英語では“Farewell”と訳されています。この曲は1879年に改訂されています。リストのハンガリー風の曲によくある、葬送行進曲のような重々しさで始まります。恋人を残し、遠くへ旅立つ者の悲しさを歌った内容です。

Istan veled!
(2:49 THESIS THC82007)
静かに響け、わが歌よ                                S301    1848年
ヨハネス・ノルトマンの詩によります。テキストはドイツ語です。第2版は1860年になります。主旋律に魅力があり、なおピアノ伴奏もリストらしい美しい歌曲です。静かな夜に、恋人への思いを歌い、その歌が眠っている恋人を目覚めさせてしまわないよう、静かに響くことを願う、というような内容です。

Kling leise,mein Lied
(4:16 GRAMMOPHON 447 508-2)
すべての峰に憩いあり(さすらい人の夜の歌)                  S306    1848年
ゲーテの詩によります。テキストはドイツ語です。詩の内容は、カスパル・ダーヴィド・フリードリヒの有名な絵画“霧の海を見下ろすさすらい人”の世界に近いと思います。リストは“さすらい人”の心情、情景を上手く描いています。ゆったりとした曲のように感じますが、内に秘められた力強い音楽性はロマン主義らしい佳曲です。また、この曲に使われている和声進行はワーグナーの“パルジファル”に似ているように思います。リストはこの曲を1859年に改訂しています。

Uber allen Gipfeln ist Ruh(Wanderers Nacht-lied II)
(4:33 GRAMMOPHON 447 508-2)
高貴な愛                                         S307    1849年頃
ルートヴィヒ・ウーラントの詩によります。テキストはドイツ語です。ピアノ独奏曲“愛の夢”の第1番の原曲になります。落着いた感じの愛の歌です。“愛の夢”というタイトルは、どうもこの“高貴な愛”の詩の内容によるようです。ウーラントはドイツロマン主義の詩人です。

Hohe Liebe
(2:21 GRAMMOPHON 447 508-2)
唐檜の木はひとり立つ                              S309    1855年頃
ハインリヒ・ハイネの詩によります。テキストはドイツ語です。1860年に第2稿がつくられています。唐檜はマツ科の針葉樹です。北国の雪を被った唐檜の寂しげな様子を歌った曲です。唐檜は東洋のヤシの木になることを夢見ていて、曲の前半で荒涼とした情景が歌われ、中間でその暖かい夢が歌われます。

Ein Fichtenbaum steht einsam
(2:50 GRAMMOPHON 447 508-2)
はじめ私はほとんど絶望するところだった                     S311   1856年
ハインリヒ・ハイネの詩によります。テキストはドイツ語です。テキストはたった4行の短い歌です。最初に絶望した気持ちが静かに歌われ、後半で絶望に耐え抜くことが歌われます。ですが音楽は、終わりに近づくに従って逆に暗く重くなっていくようです。

Anfangs wollt’ ich fast verzagen
(1:47 GRAMMOPHON 447 508-2)
ひばりがなんと美しく歌うことか                           S312   1856年 
アウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベンの詩によります。テキストはドイツ語です。アルペジオの伴奏ががとても涼しげで美しく“エステ荘の噴水”やラヴェルの小品を思い出させます。リストらしい不思議な感じのする歌曲です。詩はひばりの歌に例えて恋人への思いを歌うような内容です。

Wie singt die Lerche so schon
(1:59 GRAMMOPHON 447 508-2)
それは素晴らしいことに違いない                    S314  1852年(57年?)
オスカー・フォン・レドヴィッツの詩によります。テキストはドイツ語です。口説き文句のような短い愛の歌になります。同じテキストにアドルフ・マルティン・フォースター(1854−1927)、カール・ボーム(1844−1920)なる作曲家が作品を残しています。

ピアノ伴奏は控えめで、魅力的な洒落た旋律がくつろぐような感じで歌われます。

サールの作品表では1857年作曲となっており、ヒンデガルド・ベーレンスのCDライナーでも1857年作曲とクレジットされています。ですがウォーカーWY P507では、1852年7月13日作曲となっています。ドレーク・ワトソンの『LISZT』のラーベ番号表では1852年となっています。

ウォルフガング・デームリングによると、リストはこの曲は食事と次の食事までの間に、ある貴族の女性のために作曲したとのこと。ドレーク・ワトソンの『リスト』P.308では、それは昼食から夕食までの間で、プルシアのアウグスタ妃のために作られたとのこと。またデームリングが紹介している、シュトラーダルの言葉では、この曲がリストの歌曲の中では、最も取り上げられてきた作品であること、リストがシュトラーダルに“ハンスリック夫人がこの曲を歌ったそうだよ”と笑いながら言ったとのこと、が紹介されています。

Es mus ein Wunderbares sein
(2:00 GRAMMOPHON 419 240-2)
君を愛す                                       S315  1857年
フリードリヒ・リュッケルトの詩によります。テキストはドイツ語です。最初の4行が“君を愛す”で始まる文章で、次の4行が“君は僕を愛す”になります。とても美しい曲で、一行ごとにハーモニーを変えて歌われていきます。特に最初の4行は秀逸です。

Ich liebe dich
(2:00 GRAMMOPHON 419 240-2)
3人のジプシー                                     S320   1860年
ニコラウス・レーナウの詩によります。テキストはドイツ語です。この作品は非常にリストならではの歌曲です。ピアノ伴奏が“ハンガリー狂詩曲第10番”や“スペイン狂詩曲”を思わせるエキゾチックなものです。この曲はオーケストラ伴奏歌曲にも編曲されています。また1864年に、この曲をパラフレーズとして、エデュアルト・レメーニのためにヴァイオリンとピアノための作品(S383)も作られました。

詩の内容は、ある日出会った3人のジプシーが、それぞれヴァイオリンを弾き、タバコを吸い、眠っている姿を見て、それらを悪しき習癖と感じる、といった内容です。それぞれのジプシーの様子をピアノ、曲調が表わし、最初に登場するヴァイオリンを弾くジプシーの場面では、ハンガリー狂詩曲のフリシュカ部にあたるようなヴァイオリンを思わせるフレーズが奏でられます。

E・メリアン=ゲーナストに献呈されました。ワイマール時代のリストと親交のあった人物で、イニシャルが“E”のゲーナストは2人います。歌手のエミリー・ゲーナストと役者、兼舞台監督のエデュアルト・ゲーナストです。どちらかちょっとわかりません。

ニコラウス・レーナウ(1802−1850)はオーストリアの代表的詩人です。1844年に精神病をわずらい、精神病院で生涯を終えました。他にレーナウの作品で“ファウスト”から、リストは“レーナウのファウストからの2つのエピソード”を作曲しています。

Die drei Zigeuner
(5:34 GRAMMOPHON 447 508-2)
静かな睡蓮                                       S321    1860年
エマニュエル・ガイベルの詩によります。テキストはドイツ語です。湖に浮かぶ白い睡蓮の愛らしい姿を歌った作品です。やはりピアノ伴奏は揺らぐような水面の情景が描写されているようです。使われている単語の響きが似ているからか、中間部のドラマティックな部分で“ファウスト交響曲”の最後の合唱を思わせます。

Die stille Wasserrose
(3:17 GRAMMOPHON 447 508-2)
もう一度君に会いたい                                 S322    1860年
ペーター・コルネリウスの詩によります。テキストはドイツ語です。ペーター・コルネリウス(1824−1874)はリスト、ワーグナー派の作曲家で、ワーグナーに影響を受けた歌劇で成功しました。歌劇の台本、歌曲の詩等も自分で手がけました。詩の内容は、遠く離れた恋人を思うような内容です。

Wieder mocht’ ich dir begegnen
(3:16 GRAMMOPHON 447 508-2)
青春の幸福                                       S323    1860年
リヒャルト・ポールの詩によります。テキストはドイツ語です。青春の素晴らしさ、喜びを、輝かしく楽しげに歌う曲です。 ピアノの伴奏がシューベルトの“美しい水車屋の娘”(D795)の、7曲目“焦燥”に似ていると感じました。1846年と早い頃ですがリストは“焦燥”をピアノ独奏曲に編曲しています(S563/5、S565/6)。短い曲ですが、もっとポピュラリティを得てもよい魅力があります。

リヒャルト・ポール(1826−1896)は、著述家、批評家でリストの友人でした。早くからのリスト−ワーグナー学派の擁護者で、リスト自身も1874年10月17日のオルガ宛書簡で、そのようなことを記しています。書簡集を読むと、ポールはリスト=ワーグナー学派として批評の分野で活躍したことがうかがい知れます。またポールはリストについての伝記も記している、とのこと。また音楽学者でカール・フリードリヒ・ルードヴィヒ・ノールという人物もおり、リストは書簡で“Nohl and Pohl”といっしょにして呼んでいます。

Jugendgluck
(1:57 GRAMMOPHON 419 240-2)
花と香り                                         S324    1860年
フリードリヒ・ヘッベルの詩によります。テキストはドイツ語です。音数の少ない静かな曲です。詩をうまく観賞できないのですが、すぐに朽ち果てる花と、香りの永遠性の比較を象徴的に歌っているようです。ドレーク・ワトソンは、“美と高貴さの対比”という表現を使っています。香りを表現するのに、印象的な和声を使っています。

Blume und Duft
(2:09 GRAMMOPHON 447 508-2)
真珠                                           S326  1872年
テレーゼ・フォン・ホーエンローエ姫の詩によります。テキストはイタリア語です。真珠に感情移入し、その一生を少し皮肉交じりに歌います。貝の中で静かに海に居る間は、音楽も穏やかでまどろんだような感じですが、人間によって採取されてしまうところから曲調が変わります。真珠は自由に憧れたのに、外に出られたと思ったら、人間によって売買される奴隷の身分となり、最後は王冠からポロリと落ちて彷徨う身となる、ということを真珠の気持ちで歌います。

テレーゼ・フォン・ホーエンローエ姫がどのような人物か分かりません。辞典ではホーエンローエ公(グスタフ・フォン・ホーエンローエ(1823年生まれ)を指しているのでしょうか?)の娘となっていますが?。オルガ宛の書簡集では、テレーゼは2人出てきて、一人は1816年生まれのグスタフの姉のテレーゼ、1873年8月13日の書簡でリストがランゲンブルグのヴュッテンベルク家を訪れた際に登場します。もう一人は1817年生まれトゥルン伯エゴン王子の妻のテレーゼ、1874年9月23日の書簡で登場します。トゥルン伯のテレーゼの方については、リストは1867年と68年に訪れているとも語っており、付き合いが深いのはトゥルン伯の方のようです。

La perla
(5:40 GRAMMOPHON 419 240-2)
私は気力も生気もうせ                                S327   1879年
アルフレッド・ミュッセの詩によります。テキストはフランス語です。詩の内容は、なにか絶望した感じを歌った内容です。イントロから、ワーグナー〜リストの“イゾルデ 愛の死”を思わせ、この曲には新ドイツ楽派のスタイルを感じます。

J'ai perdu ma force et ma vie
(4:10 GRAMMOPHON 447 508-2)
マーリングの鐘                                     S328    1874年
エミール・クーの詩によります。テキストはドイツ語です。マーリングの美しく神秘的な鐘の音を歌い上げたものです。リストの歌曲の中でも、とても美しい曲です。神秘的な響きは、“リヒャルト・ワーグナーの墓に”“エクセルシオール!”“ノンネンヴェルトの僧房”を思わせ、音楽の持つ高揚感は“スルスム・コルダ”を思わせます。

マーリングは地名だと思うのですが・・・。イタリアのボルツァーノ地方にマーリング別名マーレンゴという集落があります。調べたのですが、よくわかりませんでした。

Ihr Glocken von Marling
(2:58 GRAMMOPHON 447 508-2)
エドリタムに寄す                              S333    1878年
フリードリッヒ・ボーデンシュテットの詩によります。テキストはドイツ語です。ボーデンシュテットはリストと同時代の詩人でリストと親交がありました。エドリタムという言葉を調べたのですが、よくわかりませんでした。恋人を想う歌のようです。イントロの響きなど晩年の作品らしく、不思議な感じが少しあります。

An Edlitam
(2:13 THESIS THC82007)
2.ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハは12世紀末〜13世紀にかけてのミンネゼンガー(吟遊詩人)で、エッシェンバハの『パルジファル』がワーグナーの“パルジファル”に影響を与えました。またワーグナーは、タンホイザーにエッシェンバハを登場させます。
3.ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン
ハインリヒ・フォン・オフターディンゲンは“タンホイザー”の登場人物であり、またノヴァーリスの『青い花』の原題でもあり、主人公の名前ともなっています。ワルトブルク歌曲集では、ワルトブルク城にゆかりのあるタンホイザー
4.ワルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ
ワルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデも12世紀末〜13世紀にかけての吟遊詩人。同じくワーグナーの“タンホイザー”に登場します。
火刑台上のジャンヌ・ダルク                      S373   1874年
アレクサンドル・デュマの詩によります。テキストはフランス語です。オリジナルのピアノ伴奏歌曲は1845年に作曲されました。1846年に出版されましたが、そのときは声楽パートのみでした。1874年に改訂され、1876年に出版されます。テューンデ・シータのCDライナーによると、バイロイトの有名なワーグナー歌手マリアンヌ・ブランドとリストの書簡において、この曲がブランドのリサイタルで何度かとり上げられたとのこと。

1876年12月3日のブランド宛書簡において、リストがブランドに“火刑台上のジャンヌ・ダルク”について演奏する上での注意を書いています。まずこの第2版はピアノ伴奏でもオーケストラ伴奏でも可だが、“ジャンヌ”は一人で歌わなければならないこと、また30年ほど前に出版された第1版のスコアは使用せず、第2版を使うこと、など。ブランドはその後リストの臨席のもとベルリンでこの歌曲を歌います。ドレーク・ワトソンの記述では、ブランドのお気に入りの1曲となったとのこと。

穏やかな旋律と音色がジャンヌ・ダルクの心情を歌い、火刑への恐怖と対比させます。リストのオーケストラ伴奏歌曲の中で傑作です。

Jeanne d’Arc au bucher
(8:16 HUNGAROTON  HCD12105-2)


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