演奏 レスリー・ハワード       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.13 システィナ礼拝堂にて、バッハ編曲集』
データ
1990年録音 HYPERION CDA66438
ジャケット ミケランジェロ 『アダムの創造より手の部分(システィナ礼拝堂の天井画)』
収録曲
1.アレグリ、モーツァルト〜リスト  システィナ礼拝堂にて(ミゼレーレとアヴェ・ヴェルム・コルプス)    S461

  バッハ〜リスト  6つの前奏曲とフーガ     S462  
2〜3.  前奏曲とフーガ イ短調  BWV543
4〜5.  前奏曲とフーガ ハ長調 BWV545
6〜7.  前奏曲とフーガ ハ短調 BWV546
8〜9.  前奏曲とフーガ ハ長調 BWV547
10〜11.前奏曲とフーガ ホ短調  BWV548
12〜13.前奏曲とフーガ ロ短調  BWV544

14〜15.幻想曲とフーガ ト短調  BWV542   S463
感想 1.アレグリ、モーツァルト〜リスト  システィナ礼拝堂にて
  (ミゼレーレとアヴェ・ヴェルム・コルプス)          S461   1862年
この曲は非常に変わっているばかりでなく、異様な美しさをもっています。

アレグリの“ミゼレーレ”についてはモーツァルトの有名な話があります。1770年4月11日にレオポルドとウォルフガングのモーツァルト父子はローマのシスティナ礼拝堂を訪れます。アレグリ(1582〜1652)の秘曲9声の“ミゼレーレ”を聴くためでした。“ミゼレーレ”はウルバン8世によって門外不出の曲とされていたのですが、14歳のウォルフガングは一聴しただけで記憶してしまい、秘曲はモーツァルトの記憶によって門外へ出されてしまいます。

一方“アヴェ・ヴェルム・コルプス”はモーツァルトの死の直前に作られた小さな合唱曲です。3分ぐらいの非常に短い曲です。キリストをたたえる内容の詩で、バーデンの湯治場で療養する妻コンスタンツェを訪れたモーツァルトは、コンスタンツェの世話をしてくれていた合唱指揮者のシュトルのためにこの曲を作曲しました。

“ミゼレーレ”の不安を駆るような強いエネルギーに満ちた編曲の次に、“アヴェ・ヴェルム・コルプス”が登場します。それはまるで天井からの救いのような印象を受け、とても美しいです。この感覚はモーツァルトの“レクイエム”の“呪われし者”の Confutatis〜 と Voca me〜 の対比、あるいは“呪われし者”全体と続く“ラクリモサ”の対比の感覚に似ています。またリストはモーツァルトのレクイエムからちょうど“呪われし者”と“ラクリモサ”だけをピアノ曲(S550 1865年)に編曲しています。

システィナ礼拝堂におけるミゼレーレの効果についてスタンダールが文章として残しています。

“これらの壁画を十分に感じるためには、旧約聖書をみたしているあの血なまぐさい数々の物語でおしつぶされた心をもってシスティナ礼拝堂の閾をまたぐべきである。受難の金曜日に有名な『ミゼレレ』が歌われるのはこのところだ。詩篇の独唱がすすむにつれて、蝋燭の灯がきえゆく。神の御怒りをつかさどるこれらの人々の姿は、もはや漠然と見ゆるのみ。そして、すこぶる平凡な想像力をもってすら、もっとも確乎たる人もこのときなにか恐怖に似たものを感じることがありうるのを私は経験した。
※1

なぜリストは“ミゼレーレ”と“アヴェ・ヴェルム・コルプス”をつなげて一つの曲としたのでしょうか?

1862年11月1日にリストは次のようなことを書いています。
“ミゼレーレでは人間の惨めさと苦悩が声となり、アヴェ・ヴェルム・コルプスにおいて、神の永遠の、無限の慈悲と、そしてすべてを包みこむ恩寵が答える。
※2
人間の苦悩とそれに対する救いがコンセプトだったのでしょう。それはやはり先に書いたモーツァルトのレクイエム“呪われし者”の狙いと同じだと思います。この“システィナ礼拝堂にて”はリストによる新しい“呪われし者”とも思えます。

また着想のきっかけとしては、僕は次のように思います。この曲はそのままオルガン曲(S658)、ピアノ連弾曲、管弦楽曲にも編曲されるのですが、その際“Evocation(呼び起こす、喚起)”という言葉がタイトルに与えられました
※3。どうもリストの中で、この“呼び起こす、喚起”という言葉がキーワードとなったのではないでしょうか。

まずリストがシスティナ礼拝堂でミケランジェロによる壮大な天井画を見上げたとき、アヴェ・ヴェルム・コルプスの旋律が“呼び起こされた”のかも知れません。そしてリストはモーツァルトのアレグリの“ミゼレーレ”にまつわるエピソードを“呼び起こした”のでしょう。モーツァルトが記憶から“ミゼレーレ”を“呼び起こした”エピソードです。僕にはこの“Evocation”という言葉が、記憶による自由な編纂という意味で“Reminiscence”のまた別の形式と思えてなりません。

※1 スタンダール全集 9  P345 イタリア絵画史 7-158  吉川逸治 訳  人文書院 1978年初版
※2
ジャン・パーカー=スミス 『リスト オルガン・リサイタル』 COLLINS 12492 のフェリックス・アプラハミアンによる解説より訳して引用。
※3
三省堂のクラシック音楽作品名辞典では、オルガン曲に与えられた“Evocation”という言葉に“祈り”という訳語が与えられていますが、辞書を見ると仏語でも英語でもそのような意味はなく“呼び起こす、霊媒、降霊”という意味が主なようです。諸井三郎さんの『リスト』によれば”喚起”という訳語を与えられています。

2〜3.  前奏曲とフーガ イ短調  BWV543        S462 no.1  1842〜50年 
オルガン曲はもともとスコアが3段に分かれて書かれているそうですが、リストの編曲の冒険は、それを2段のピアノ譜に移しかえることにあったようです。目的は、とにかくバッハの音世界を崩さずに、忠実にピアノへ移すこと。それが非常な成果をあげたことはこれらの6曲を聴けば分かります。S462の編曲には、リストの他のオルガン曲や“BACHの名による幻想曲とフーガ”のような、巨大な感情の起伏は見られず、感情は内に秘められ、落ち着きのあるバッハの世界があらわされています。

単音のアルペジオによる幻想的な旋律に、力強い和音が打撃音として加わってくるところなど、とても効果的な幕開けを持つ曲です。
4〜5.前奏曲とフーガ ハ長調 BWV545          S462 no.2  1842〜50年
前奏曲、フーガともに、明るい喜びに満ち、力強いオープニングを持つ曲です。バッハのオルガン曲の多くはワイマール時代に作られています。
6〜7.前奏曲とフーガ ハ短調 BWV546          S462 no.3  1842〜50年
BWV545に対して、こんどはハ短調による、静かな仄暗さを感じる曲です。
8〜9.前奏曲とフーガ ハ長調 BWV547          S462 no.4  1842〜50年
この曲はバッハがライプツィヒにいた頃に作られたので、原曲は同じハ長調のBWV545と区別するために“ライプツィヒ ハ長調”とも呼ばれます。
10〜11.前奏曲とフーガ ホ短調  BWV548         S462 no.5  1842〜50年
原曲はイギリスにおいては“楔形フーガ”とも呼ばれるものです。鍵盤で弾くと真ん中から左右に広がっていく音型で、楽譜上に書くとクレッシェンドのようなマークとなり、それが楔形と呼ばれる所以でしょう。また、この楔形の音型は、1880年に“ボロディンのポルカへのプレリュード”(S207a)で登場します。そちらはボロディンが使った主題がもとになるので、バッハとは関係がありません。
12〜13.前奏曲とフーガ ロ短調  BWV544        S462 no.6  1842〜50年
フーガは憶えやすい明確な旋律を持ち、親しみやすい曲です。
14〜15.幻想曲とフーガ ト短調  BWV542         S463      1863/72年
原曲のフーガは“大フーガ”と呼ばれます。ハワードの録音は1872年に改訂された版です。S462の6曲と異なり、BWV542の編曲にリストは多くの演奏指示語を加え、劇的なピアノ曲として生まれ変わらせます。バッハらしさを残しながら、そこへリストらしさを加味した傑作です。リストはこの曲をレーベルトとシュタルクのピアノ学校のために編曲しています。バッハ作品の一連のピアノ編曲にはやはりリスト自身も含めた“学習”という目的もあるのでしょう。

チェルカスキーの演奏がより幻想的であるならば、ハワードの演奏はS462と一緒に録音されたせいか、よりバッハ的な演奏となっています。


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