演奏 レスリー・ハワード       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.6 リスト・アット・ジ・オペラ I 』
データ 1989年録音 HYPERION CDA66371/2
輸入盤(試聴あり)  ≫輸入盤(AMAZON.USA 全曲試聴あり)
ドラクロア 『ファウストとメフィストーフェレス』
収録曲
≪DISC 1≫
1. ウェーバー〜リスト “魔弾の射手”の序曲 S575
2. モーツァルト〜リスト “ドン・ジョヴァンニ”の回想 S418
3. ヴェルディ〜リスト “アイーダ”より巫女たちの踊りと終幕の2重唱 S436
4. チャイコフスキー〜リスト “エフゲニー・オネーギン”よりポロネーズ S429
5. グリンカ〜リスト “ルスランとリュドミラ”よりチェルノモール行進曲 S406
6. ヘンデル〜リスト “アルミラ”より サラバンドとシャコンヌ S181
7. ベルリオーズ〜リスト “ベンヴェヌート・チェリーニ”の2つのモティーフによる 祝福と誓い S396
8. グノー〜リスト “ファウスト”ワルツ S407
DISC INDEX DISC.1≫ ≪DISC.2
感想 ≪DISC.1≫
1.ウェーバー〜リスト “魔弾の射手”の序曲        S575  1846年
ウェーバーの“魔弾の射手”は1817年〜21年に作曲され、1821年にベルリンで初演されました。“魔弾の射手”は大成功を収めたオペラで、当時より繰り返し上演されました。

狩人のマックスは恋人のアガーテと結ばれるために、射撃競争で優勝しなければならなくなります。そこでマックスは悪魔に魂を売り、必ず命中する“魔弾”を手に入れます。しかし最後の魔弾は恋人アガーテに当たってしまいます。

リストは、原曲に忠実に編曲する方法をとっています。ウェーバーらしい、ドラマティックさと華やかさがそのままピアノで楽しめます。

1846年という年は、リストのヴィルトゥオーゾ時代の終盤であり、そしてリストが尋常でないスケジュールでコンサートツアーを行っている年にもなります。アラン・ウォーカーは、“不思議なことは、それでもリストが作曲をする時間を見つけていたことだ”と書いています。
※1

※1 VY P429

Ouverture aus der Oper Der Freischutz
(9:08 HYPERION CDA66371/2)
2.モーツァルト〜リスト “ドン・ジョヴァンニ”の回想
モーツァルトの“ドン・ジョヴァンニ”(K527)は、1787年に作曲され、プラハで初演されました。1841年に作曲されました。“ドン・ジョヴァンニの回想”はリストのヴィルトゥオーゾ時代のレパートリーです。またリストが指揮者として“ドン・ジョヴァンニ”を取り上げるのは1849年になってからで、ワイマール時代の指揮者としての主要レパートリーとなっています。
使われている曲は、使われる順に、次のとおりになります。

第2幕第15場“ドン・ジョヴァンニ、晩餐に招かれたので参った”(騎士長、ドン・ジョヴァンニ、レポレロ)
第1幕第9場 “お手をどうぞ”(あそこで手を取り合って誓いをかわそう)ドン・ジョヴァンニ、ツェルリーナの2重唱
第1幕第15場“シャンパンの歌”(みんなで楽しくお酒を飲んで)ドン・ジョヴァンニ

リストは1841年にハンブルクで演奏した際、デンマーク王クリスティアン8世に歓待され、その感激とクリスティアン8世への賛辞を、1841年8月のレオン・クルッツァー宛の書簡で述べています※1。そして“ドン・ジョヴァンニの回想”はクリスティアン8世に献呈されました。

※1 AN ARTIST’S JOURNEY P194

リストの多くのオペラ・トランスクリプション、ファンタジーの中でも、原曲のポピュラリティの高さも理由とし、最も知られている作品です。モーツァルトのデーモンとリストのデーモンが見事に融合した傑作です。

Reminiscences de Don Juan
(19:29 HYPERION CDA66371/2)
3.ヴェルディ〜リスト “アイーダ”より巫女たちの踊りと終幕の2重唱  S436 1879年
ヴェルディの“アイーダ”は、1869年のスエズ運河開通の記念に、1871年に作曲されカイロのオペラ劇場で初演されました。リストの編曲は1879年になります。

第1幕第2場、火の神の神殿での巫女の長の歌“全能の神よ”と、巫女たちの踊りの場面と、第4幕第2場でのラダメスとアイーダの“さらばこの世”の2重唱を編曲しています。

美しい、繊細な響きに貫かれる傑作です。オペラ・トランスクリプションというと、華麗で豪快な作品が期待されるせいか、この作品はあまりレコーディングでもとりあげられていませんが、晩年のリストらしい響きと、“アイーダ”の持つオリエンタルな響きが溶け込み、まるでサロメの“7つのヴェールの踊り”のような世紀末の雰囲気すら感じるような充実した作品となっています。

Aida di Verdi − Danza sacra e Duetto Finale
(10:37 HYPERION CDA67233/4)
4.チャイコフスキー〜リスト “エフゲニー・オネーギン”よりポロネーズ  
  1879年 S429
リストとチャイコフスキーは1876年の第1回バイロイトフェスティバルで初めて会います。※1
チャイコフスキーは、そのときのリストの印象を“親切な人物”と好意的に受け取っているようです。ですがハワードの53b巻に書かれていることで、チャイコフスキーは、このリストの“エフゲニー・オネーギン”よりポロネーズの編曲で、リストに対して反感を持ったとの事。

チャイコフスキーの“エフゲニー・オネーギン”は、1877年に作曲が開始され、1878年に完成します。チャイコフスキーはワーグナーのオペラに見られる、壮大な管弦楽、神話的な主題といった傾向に対し、もっと同時代の人々のドラマで歌を重視したオペラを目指しました。

第3幕第一場の幕開け、サンクト・ペテルブルグの貴族邸で行われる舞踏会でのポロネーズを編曲しています。ピアノ独奏のポロネーズとして華麗な作品となっています。

※1 FY P350

Polonaise aus Tschaikowskys Oper Jexgeny Onegin
(5:59 HYPERION CDA66371/2)
5.グリンカ〜リスト “ルスランとリュドミラ”よりチェルノモール行進曲  1843年 1875年
  S406
グリンカのオペラ“ルスランとリュドミラ”は1838〜42年に作曲され、1842年にペテルブルクで初演されました。プーシキンの詩を元にグリンカと他の協力者がテキストを作りました。チェルノモールは、“ルスランとリュドミラ”に登場する悪魔の名前です。ハワードの解説によると、“チェルノモール”は、黒海を意味し、ペスト(黒死病)を象徴しているようです。リストの“黒いロマン主義”の側面を見せる作品です。

リストはヴィルトゥオーゾ時代の1842年4月、11月、12月、および43年にサンクト・ペテルブルクに行きます。ウォーカーのVYに記載されている、ウラディミール・スタソフという批評家の文章で、そこでは、まずホールに最初からスタソフ、グリンカ、セーロフという作曲家達がいて、そこにどよめきとともにリストが登場し。リストが“ウィリアム・テル序曲”“ランメルモールのルチアのアンダンテ”“ドン・ジョヴァンニの回想”シューベルトの“魔王”“セレナーデ”ベートーヴェンの“アデライーデ”そして“半音階的大ギャロップ”、とヴィルトゥオーゾ時代の定番レパートリーを演奏したことが紹介されています。※1

またP380で紹介されている、グリンカの回想文からのエピソードで、リストは“ルスランとリュドミラ”のチェルノモールの行進曲を“初見で弾いた”ことが、書かれています
※2。このエピソードはおそらく脚色された形で、リヒテルがリストを演じた映画『グリンカ物語』で取り上げられています。

デュオ・エグリ&パーティスのマリア・エックハルトによるCDライナーで、もう少し詳細に書かれています。上記後段のグリンカが草稿をリストを見せたのは、前段のスタソフがレポートしているコンサートの後、リストがしばらく滞在していたときで、続く11月17日(と12月9日?エックハルトの文章では併記されています)にグリンカの完成したオペラ“ルスランとリュドミラ”を観賞したとのこと、そしてリストがサンクト・ペテルブルクを離れるときに開かれた告別演奏会で、リストはカール・フォルヴァイラーによる“ルスランとリュドミラ”のテーマによる幻想曲、そしてリスト自身の“チェルノモールの行進曲”を演奏したとの事。

“チェルノモールの行進曲”はリストのタイトルでは“チェルケシュ行進曲”という言葉になっていますが、エックハルトもなぜそのようになってしまったのかは謎だとのこと。またリストは1876年に2台ピアノのためにこの曲を編曲しています(S629)。

※1 VY P375
※2 VY P380


Tscherkessenmarsch aus Russlan und Ludmilla
5:47 HYPERION CDA66371/2
6.ヘンデル〜リスト “アルミラ”より サラバンドとシャコンヌ  1879年   S181
ヘンデルのオペラ“カスティーリャの女王アルミラ”は、1704年に作曲され、1705年に初演されました。ヘンデルの最初のオペラで、19歳の時のものになります。ハワードの解説によると、オペラの始めの方にサラバンドとシャコンヌの2つの踊りがあるようです。ハワード、およびサールもこの作品におけるリストの創造性を、オリジナル作品とみなしてよい、と考えています。

バッハの主題を用いた編曲と同じように、バロックの重厚な形式の中に、リストの豊潤なロマンが注ぎ込まれることで優れた作品となっています。

1879年12月26日のオルガ宛書簡で、リストが1879年9月〜12月に、チャイコフスキーの“エフゲニー・オネーギン”、ダルゴムィジスキーの“ティク-タク・タランテラ”といっしょにヘンデルの“アルミラ”を編曲しているのが分かります。

Sarabande und Chaconne aus dem Singspiel Almira
(11:22 HYPERION CDA66371/2)
7.ベルリオーズ〜リスト “ベンヴェヌート・チェリーニ”の2つのモティーフによる 祝福と誓い
  S396 1852年

ベルリオーズのオペラ“ベンヴェヌート・チェリーニ”は1834年〜38年に作曲され、1838年にフランスで初演されました。テキストはチェリーニの『自叙伝』によります。1838年のフランスでの初演は大失敗に終わり、その後リストがワイマールで2度の公演で指揮をするまで、作品は上演されませんでした。1852年、ワイマールでの成功、リストの尽力についてベルリオーズは感激の言葉を残しています。

イタリア・ルネサンスの彫金師、彫刻家のチェリーニは、その作品の偉大さだけでなく『自叙伝』も広く愛好されました。ゲーテが18世紀末にドイツ語に翻訳し、1822年にフランス語訳が出版されました。

1850年代に3度のベルリオーズ週間が開催され、1852年の最初のベルリオーズ週間で、“ベンヴェヌート・チェリーニ”の改訂版が演奏されました。
※1

※1 WY P161〜162

リストの“ベンヴェヌート・チェリーニ”の2つのモティーフによる祝福と誓いは、厳かで堂々たるピアノ曲となっており、リストも編曲したワーグナーのニーベルングの指輪“ラインの黄金”よりヴァルハラへの入城(S449)の音楽に、受ける印象が似ています。

1853年頃には、ピアノ連弾版(S628)も作曲されます。

Benediction et serment−Deux motifs de Benvenuto Cellini
(6:15 HYPERION CDA66371/2)
8.グノー〜リスト “ファウスト”ワルツ
グノーのオペラ“ファウスト”は1852年〜59年に作曲され、1859年にパリで初演されました。リストの1861年以前に作られています。

リストは1861年5月10日から6月8日までパリを訪れます。ベルリオーズや、ラマルティーヌらの旧友達と会った、そのパリ訪問時、リストはメッテルニヒ家でグノーと会います。グノーは、ちょうどその頃パリで成功を収めていたオペラ“ファウスト”の楽譜を持ってきており、書簡での記述で、そのとき“私はグノーに彼のワルツをデザートとしてプレゼントしたよ。音楽のもてなしとしてね。”と記しています
※1。グノーとリストはその後も交流があり、オルガ宛書簡集では、数多くグノーの名前が登場します。

1858年11月21日付けのブランディーヌ宛の書簡で、すでにグノーのファウストが好評を得ていることを喜ぶ記述が見えます。
※2

第1幕のワルツ、第2幕のファウストとマルガレーテの2重唱“O nuit d’amour!”を編曲しています。“リゴレット・パラフレーズ”と並んで、よく演奏される華麗な演奏会用トランスクリプション作品です。

※1 WY P539
※2 FRANZ LISZT STUDIES VOL.10 P140 LETTER NO.150

Valse de L'Opera Faust
(9:22 HYPERION CDA66371/2)


≪DISC.2≫
収録曲
≪DISC 2≫
1. ワーグナー〜リスト イゾルデ 愛の死 S447
2. ドニゼッティ〜リスト “ランメルモールのルチア”の回想 S397
3. ドニゼッティ〜リスト “ランメルモールのルチア”の葬送行進曲とカヴァティーナ S398
4. ザクセ=コブルク=ゴータのエルンスト大公〜リスト “トニー、または復讐”から“ハロー 狩の合唱とシュテイラー” S404
マイアベーア〜リスト “アフリカの女”のイラストレーション S415
5. 船乗りの祈り O grand Saint Dominique
6. インド行進曲
オーベールの主題による3つの作品 S387
7. 導入
8. 作品第1番
9. 作品第2番 ”ポルティチの唖娘”より子守歌
10. 作品第3番
11. ベリーニ〜リスト “ノルマ”の回想 S394
DISC INDEX DISC.1≫ ≪DISC.2
感想 ≪DISC.1≫
1.ワーグナー〜リスト イゾルデ 愛の死      S447       1867年
リストのトランスクリプションの中でも演奏される機会が多く有名な編曲作品です。柔らかく神秘的な響きと、絡みつくような情感をピアノに移し変えています。

1855年のリストとワーグナーの往復書簡において、ワーグナーが“トリスタンとイゾルデ”の構想があることを語り、リストはそのアイデアに賛同の意を述べています。ワーグナーは“トリスタンとイゾルデ”を1857年〜59年に作曲します。

“トリスタンとイゾルデ”は前奏曲のみが1859年にハンス・フォン・ビューローの指揮によって初演されます。“トリスタンとイゾルデ”全曲は初演までに時間がかかり、カールスルーエでの初演計画が中止になったことはリストの1859年12月27日付リヒャルト・ポール宛書簡
※1で語られています。ウィーンでは77回のリハーサルの後、上演を中止するなど、当時の演奏技術が作品に追いついていませんでした※2。オペラの総譜は1860年に出版されました※3。結局、全曲の初演は1865年に行われました。

第3幕の“愛の死”を使用したリストの編曲は1867年です。この時期は、コージマとビューローの仲が不穏なものとなり、ワーグナーとのスキャンダルの最中になります。アラン・ウォーカーはそのような時期において、ワーグナーの“トリスタンとイゾルデ”から歴史に残る優れた編曲作品を生み出したリストの寛大さというものに注目しています。
※4

1886年7月25日、リストは“トリスタンとイゾルデ”のバイロイトにおける初演を聴きに行きます。すでに死の1週間前であり、体調はひどく、口をハンカチで覆っていたとのこと。リストの臨席に会場から拍手が送られたとのこと
※5

※1 FLS 10 NO169 P.156 
※2 アラン・ウォーカー WY P271,
及び、三光長治 『ワーグナー』 新潮文庫 P107
※3 LISZT LETTERS IN THE LIBRARY OF CONGRESS - FRANZ LISZT STUDIES NO.10 translated by Michael Short 2003 PENDRAGON PRESS LETTER NO.159
※4 FRANZ LISZT  The Final Years 1861-1886 Alan Walker Cornell Univwrsity Press 1996 P.126
※5 THE DEATH OF FRANZ LISZT based on the unpublished diary of his pupil Lina Schmalhausen  Alan Walker Cornell Univwrsity Press 2002 P.78
FRANZ LISZT  The Final Years 1861-1886 Alan Walker Cornell Univwrsity Press 1996 P.511

Isoldens Libestod - Schuluss-szene aus Tristan und Isolde
(7:02 HYPERION CDA66371/2)
2.ドニゼッティ〜リスト “ランメルモールのルチア”の回想    S397 1835-36年
ドニゼッティの“ランメルモールのルチア”は1835年にナポリで初演されました。ハワードの解説によると、“ランメルモールのルチア”の回想は、曲が長かったため、出版社によって2つに分割されて出版されたとのこと。独特なイントロに続き、音楽は徐々に壮大に輝かしく発展していきます。“ノルマの回想”と並んで、豪華なオペラ・トランスクリプションです。

ゲレリッヒの記述で、1886年2月23日のワイマールのマスタークラスにおいて、リスト自身が“ランメルモールのルチア”の回想を演奏しています。そのときのリストは、ヘンゼルト校訂版を推奨するとともに、

“私はこういった曲を、まったくもって自由に、楽譜のとおりではなく演奏したんだ。ヘンゼルトが彼の校訂版でもって演奏してくれたことがあるよ。この作品においては、クラーマーのエチュードなんかで間に合わせちゃいけない。これは弾きまくるヴィルトゥオーゾ・ピースなんだからね。ほとんどのパートがよくないが” 
※1

最後の1文は訳に自信がないです。また “これは真の宮廷用の演奏会用作品だよ” とも言っています。

≪作曲年について≫
ハワードのクレジットでは1835-36年となっています。ですが『フランツ・リスト・スタディーズ VOL.10』 LETTER NO.9のイタリアの出版社リコルディ宛書簡1839年?に登場する“REMINISECENCES”という作品を、マイケル・ショートは、“ランメルモールのルチア”の回想ではないか?と推定しています。ショートによる注釈では、はっきりと、根拠として“ランメルモールのルチア”の回想は1839年に作曲された、と記述されています。リストの書簡では、

“私は、この2ヶ月間、非常に働いたんだが、おそらく次の冬までの間、何の作品も送れないと思う。ハスリンガーとの契約のせいでね。「回想」はすこしずつ進んでいるよ。”

という作曲過程が書かれています
※2

リストにはあと1842年に編曲した“ランメルモールのルチア”と”パリジーナ”の2つのモティーフによる演奏会用ワルツ(S214)があります。

※1 アウグスト・ゲレリッヒ著 『THE PIANO MASTER CLASSES OF FRANZ LISZT』 (ヴィルヘルム・イェーガー編 リチャード・ルイス・ジンダース訳) INDIANA UNIVERSITY PRESS P140〜141
※2 LISZT LETTERS IN THE LIBRARY OF CONGRESS - FRANZ LISZT STUDIES NO.10 translated by Michael Short 2003 PENDRAGON PRESS LETTER NO.9 P.11

Reminiscences de Lucia de Lammermoor
(4:40 HYPERION CDA66371/2)
3.ドニゼッティ〜リスト “ランメルモールのルチア”の葬送行進曲とカヴァティーナ 
  S398  1835−36年
冒頭の不穏な地響きのようなイントロの上に鳴らされる和音が、ダンテ・ソナタのコード・プログレッションに似ています。その後、メロディアスな葬送行進曲らしい旋律が続き、後半の華やかなカヴァティーナにつながっていきます。この作品もショウピースとしての性格の強い華麗な編曲作品です。

カヴァティーナとは、三省堂クラシック音楽作品名辞典の付録によれば、“歌劇やオラトリオにおけるリート風の独唱”とのこと。

Marche Funebre et Cavatine de Lucia de Lammermoor
(11:46 HYPERION CDA66371/2)
4.ザクセ=コブルク=ゴータの大公 エルンストU世 〜リスト
 “トニー、または復讐”から“ハロー 狩の合唱とシュテイラー”  1849年  S404
  
ザクセ=コブルク=ゴータは王室で、大公 エルンストU世(1818−1893)は、ヴィクトリア女王と結婚したアルバート公の兄にあたります。ゴータはワイマールとアイゼナハの間にある都市です。エルンストU世は、作曲家としての才能も持っており、数多くの作品を作曲しています。

1849年4月15日付け、シュレジンジャー宛の書簡で、リストが“トニー”を14日に指揮し、成功裡に終わったことが語られています
※1。また1854年4月2日にはリストの指揮によりエルンストII世のオペラ“聖シアラ”がゴータで上演されています※2

特徴的なイントロを持つ曲で、一度聴いたら忘れられません。

またリストは、エルンストII世の他のオペラ作品“ダイアナ・フォン・ソランジュ”から“E.H.z.S.−C.−G.の主題による祝典行進曲”(S522 ハワードは28巻に収録されています)を編曲しています。
※2

※1 『FRANZ LISZT STUDIES VOL.10』 MICHAEL SHORT  P63 LETTER NO.62
※2 『FRANZ LISZT STUDIES VOL.10』 MICHAEL SHORT  P103 LETTER NO.109
HUNGAROTON  CD『DUO EGRI&PERTIS LISZT OPERA FANTASIES』 SLEEVE NOTES BY MARIA ECKHARDT P.10

Halloh! - Jagdchor und Steyrer aus der opr Tony
(6:57 HYPERION CDA66371/2)
 マイアベーア〜リスト “アフリカの女”のイラストレーション   1865年  S415
5.船乗りの祈り O grand Saint Dominique
マイアベーアの“アフリカの女”は、インド航路発見の航海に出るヴァスコ・ダ・ガマを主題としたオペラで1837年より作曲が開始され、マイアベーアが死去するまで作曲が続けられました。“アフリカの女”はマイアベーアの死後1865年にパリで初演されました。そのためリストの編曲年も壮年期の終わりとなり、他のヴィルトゥオーゾ時代に編曲されたマイアベーア・トランスクリプションとは若干趣が異なります。マイアベーアのオペラを聴いていないのですが、リストの編曲作品には、ワーグナー的な重厚さ、そして宗教的な響きを感じることができます。

レンツによればマイアベーアは“アフリカの女”の作曲について、タイトルを洩らすことも拒み、秘密裡に作曲をしたとのこと
※1インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマを主人公に据えたオペラです。

1865年当時、リストはローマに居ます。1865年5月29日付けエミール・ボック宛書簡で、
リストが楽譜を早く送るように、また届いていないので、編曲がいつできるかは約束できない、と述べています
※2

※1 ヴィルヘルム・フォン・レンツ 『パリのヴィルトゥオーゾたち』 P62 中野真帆子 訳 ショパン 
※2 『FRANZ LISZT STUDIES VOL.10』 MICHAEL SHORT  P165 LETTER NO.180

Illustrations de l'opera L'Africaine 〜 Priere des matelots “O Grand Saint Dominiwue”
(7:50 HYPERION CDA66371/2)
6.インド行進曲
“インド行進曲”は、かつての“悪魔ロベールの回想”を想起させるような、おどろおどろしい迫力のある曲です。行進曲らしさはあまり感じません。後半では華やかになり旋律も親しみやすく魅力のある作品です。

Illustrations de l'opera L'Africaine 〜Marche indienne
(10:56 HYPERION CDA66371/2)
  オーベールの主題による3つの作品         1846年以降? S387
7.導入
この“オーベールの主題による3つの作品”は、複雑な存在です。ハワードの解説によれば、まずこの作品は草稿としてしか残されておらず、それは2曲しかない、とのこと。ところがどのカタログにも“3つの作品”という記述があるとのこと。ハワードの解説を読んでも、この曲集の構成がちょっと理解できませんでした(導入と第1番をつなげて考えても、ハワードの録音で3曲あるので。)。導入は第1番とつながっているものです。

Three Pices on Themes by Auber 〜 Introduction
(0:28 HYPERION CDA66371/2)
8.作品第1番
ハワードによると、第1番は何の作品から主題としているか現在では不明とのこと。リストはこの第1番を削除して、導入と第2番のみで出版しようとしていたとのこと。シンプルで穏やかな旋律の曲です。

Three Pices on Themes by Auber 〜 Piece No.1
(2:21 HYPERION CDA66371/2)
9.作品第2番 ”ポルティチの唖娘”より子守歌
続いても穏やかな作品です。“ポルティチの唖娘”は1828年初演。1647年7月7日にナポリで魚小売商のT・A・マザニエッロがスペインに対して起こした一揆を題材にしたオペラです。フランス7月王政期に人気を博したグランド・オペラの頂点とも言われます。

リストには他に、オベール〜リスト ”ポルティチの唖娘”のタランテラによる華麗なるタランテラ”(S386)があり、1846年に作曲されています。ハワードの全集ではVOL.42、50に収められています。

Three Pices on Themes by Auber 〜 Piece No.2 “Berceuse from Auber's La Muette de Portici(Masaniello)”
(4:38 HYPERION CDA66371/2)
10.作品第3番
ハワードによると、第3番にいたってはオーベールの作品ではないかもしれない、とのこと。EMBの新リスト音楽全集では、“出典不明の主題による作品”とされている、とのこと。この第3番も緩やかな作品です。

Three Pices on Themes by Auber 〜 Piece No.3
(2:44 HYPERION CDA66371/2)

11.ベリーニ〜リスト “ノルマ”の回想      S394     1841年
ベリーニのオペラ“ノルマ”は1831年作曲され同年にミラノで初演されました。1835年にパリで初演され、好評を博しました。古代ローマ時代、支配下にあるガリア地方のローマへの反乱を背景に、双方の立場にある巫女ノルマの物語です。“ノルマ”の回想はリストと一時恋仲にあったマリー・プレイエルに献呈されました。リストは“ノルマ”より7つの主題を使っています。

1.Norma viene の合唱
2.Ite sul colle,O Druidi! オヴェローソの独唱
3.予言の力で
4.Deh!non volerli vittime
5.Qual cor tradisti
6.padre,tu piangi?
7.Guerra!Guerra!

マリー・プレイエルに献呈されたとき、リストはマリー・プレイエル宛に書簡を書いています。その書簡をマリー・プレイエルが雑誌に公開したため、マリー・ダグーの目にとまり、ダグーは怒って“献呈を取り消すよう”リストに要求した、とのこと
※1

ウォーカーのVY P389〜390にその問題の書簡(1844年1月付け))が全文記述されています。最初に“私の親愛なる、魅力的な仲間”と書かれており、後は“ノルマの回想”がいかに演奏効果が期待できる作品であるか、が述べられています。書簡の後半の方では、ユーモアとともに

“この類の空疎な作品を書くことよりも、自分の時間の良い過ごしかたを知らない私のことを少しは哀れに思って欲しい。”
※1

と述べています。

また作曲当時のことを振り返ったことが、1884年6月13日のワイマール・マスタークラスにおいてザウアーが“ノルマの回想”を取り上げたときに、リストが発言したことを、ゲレリッヒが記録しています。

“プレイエル夫人が、‘タールベルク風パッセージ’を含んだ作品を作って欲しい、と言って来てね、それで彼女のために編曲してあげたんだよ。この幻想曲の第1版に、私がプレイエル夫人宛に書いた書簡も載せられていたよ。ウィットと親切心に富んだね。けどプレイエル夫人はこの作品をちゃんと演奏できなかったな。タールベルクに「ほら、君からいろいろ盗作させてもらったよ」と言ったら、タールベルクは「ほんとだね、タールベルク風パッセージ満載だな。ところどころ見苦しいくらいだね」”
※2

とのこと。この発言にでてくる書簡は上述のウォーカーが紹介している書簡のことです。

※1 VY P391〜2 
※2 アウグスト・ゲレリッヒ著 『THE PIANO MASTER CLASSES OF FRANZ LISZT』 (ヴィルヘルム・イェーガー編 リチャード・ルイス・ジンダース訳) INDIANA UNIVERSITY PRESS P38

上述のリストの発言には、この作品の価値を軽んじるような、自分を揶揄する言葉ばかりですが、リストのオペラ・トランスクリプションの作品の中で、“ドン・ジョヴァンニ”の回想と並んで有名であり、華麗なショウピースとしての傑作です。オペラの物語を構築する手法が取られています。美しい装飾が随所に施され、ヴィルトゥオジティに溢れています。変化に富む曲構成は飽きることがありません。ロマンティシズムに満ちた叙情的な旋律を、雄大に歌いあげる傑作です。

この曲には同年頃に作られた2台ピアノ版もあります(S655)。

Reminiscences de Norma
(16:58 HYPERION CDA66371/2)


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