最近ではマンションが多くなり引越しも珍しくなくなりましたが、昔はおおさわぎをしたもんです。
引越し蕎麦(そば)を配って近所へご挨拶をしたり、またご近所のかみさん連中はどんな人が来るのかと朝から井戸端に集まってピーチクパーチク騒いでおりました。
熊吉「てえへんだ、てえへんだ。」
金造「また、熊のてえへんが始まった。おーい、熊。どうしたい。」
熊吉「てえへんだ。金公、・・変だ。」
金造「馬鹿野郎、妙な言い方すんじゃねえ。何がてえへんなんだ。」
熊吉「大家に棚付けを頼まれて寸法取りに行ったんだがな、そこで聞いちまったんだよ。今日、長屋に新入りが来るってんだ。」
金造「久々に引越し蕎麦が食える。」
熊吉「そんなんじゃねえ。なんでもエライ、グラマーらしい。しかも一人。」
金造「え、本当かい。いいねえ、瓦版の挿絵(さしえ)にゃもってこいだね。で、いつ来んだ、そのグラマーは。」
熊吉「昼時に大家んとこに。」
金造「そうだ。おめえ、さっき棚の寸法とったって言ってたな。で、いつ付けに行くんだ。」
熊吉「なるたけ早くって注文だから、これから材料持って行ってくる。」
金造「昼にしねえか。」
熊吉「すぐ行かなきゃ悪い。」
金造「どうしておまえはそう馬鹿っ正直なんだろうねえ。商売ってものは少し待たせるぐれえがいいんだ。そんでな、大家さんのために安くていい材料をと探しておりましたって言うんだ。貧相な板ではせっかくのお屋敷がだいなしでございます。黒檀・紫檀とも思いましたが棚一つに散財させるのも申し訳ない。そこでこの板、見てくれはたいしたことねえが、丈夫さなら折り紙付き。名のある空手家が束になっても割れない。それどころか、のこで引いても切れない。」
熊吉「そんな木はねえよ。しかし、さすがは金公。口だけは達者だ。」
金造「だけってことがあるかい。棚付けを口実にそのエライ、グラマーを拝もうってんだ。おれも手伝いってことで付いてくから。」
日が高くなる頃を見計らって、熊吉と金造は大きな板を担いで、大家の家へとやって参ります。
熊吉「大家さん。熊吉でございます。棚を付けに参りました。」
大家「やけに、遅かったね。今、お客さんがみえていてな。後にしてくれないか。」
熊吉「へい。そういうことでしたら・・・」
金造「馬鹿だね。客がいるから来たんだろ。ここは俺にまかせな。えー大家さん。金造でございます。」
大家「金さんまで。急ぎの用でなかったら後にしとくれ。」
金造「熊が一人で棚を付けるのは大変だってんで手伝いに来たんで。大家と言えば親も同然、店子(たなこ)と言えば子も同然と申します。大家さんの頼みってんで、一生懸命丈夫な板を探して遅くなりました。このまま板を担いで帰るのはかまいませんが、もう一度持ってくるのも大変。今日のところは板を預かってもらって後日出直すってのはどうでしょう。」
客人「大家、むげに帰すこともなかろう。これからは同じ長屋に住む者どうし。相席もよかろう。」
金造「おや、男の声だよ。口調からしてお武家だね。娘をよろしくってんで挨拶に父親がついてきたんだね。」
大家「客人もこう言っておいでだ。板を入口に置いて上がっといで。」
金造「ちょっくら失礼させていただきます。・・・お客はお一人で?」
大家「ああ、一人だよ。」
金造「おかしいなあ。あっ、さては大家さん、悪い虫がついちゃいけねえってんで、隠しましたね。」
大家「金さん。妙なことを言うねえ。なんだい、隠しましたねってえのは。人聞きの悪い。」
金造「やだなあ、とぼけて。知ってんですよ。お武家様にはお初にお目にかかります。あっしは瓦版屋の金造。こっちが大工の熊吉。産まれた時からこの長屋に住んでおります。長屋のことなら何でも知っております。小さな節穴から大きな落とし穴まで。」
大家「やなことを言うねえ。」
金造「娘さんはどこです。」
客人「妙な御人ですな。拙者(せっしゃ)は一人身。娘などござらん。」
金造「しらきろうったってそうはいくかい。背中に咲かせた桜吹雪、散らせるものなら散らせてみやがれ。」
大家「金さんや。どうでもいいけど汚い背中だね。どこに桜吹雪があるんだい。」
金造「おう、熊ちょっと背中掻いてみてくんな。」
「ぼりぼり。」
熊吉「わあ、垢(あか)が飛んできたよ。」
金造「ここ1年風呂にへえってねえ。どうだ、きれいなアカ吹雪。」
大家「やめとくれよ。せっかく掃除したんだ。ところで娘ってのは何だい。」
金造「大家さん。熊が聞いたんですよ。なんでもエライ、グラマーが来るって。」
大家「それなら、このお侍様がそうだよ。大江戸夜塾のお偉いプログラマーだそうだ。」
金造「夜中やってる寺子屋ね。でも、プログラマーって何だい。わかった、今流行のMiss.ダンディてやつ。」
大家「そうじゃない。」
金造「だったらMr.レディっ?」
熊吉「金公。俺にはとてもこの旦那が、オナベやオカマにゃ見えないけど。」
客人「拙者、鍋や釜は扱っておらん。扱うのは夜間(ヤカン)だけだ。」