書 評 3

  シュレーディンガーの小猫たち

    (J.グリビン著、桜山義夫訳シュプリンガーフェアラーク東京)

                             山本 悟  1998.7.15

 本書「シュレーディンガーの小猫たち」は、プロローグ:何が問題か、第一章:古典理論における光、第二章:近代、第三章:不思議な真理、第四章:非常手段、第五章:考えることについて考える、エピローグ:解明-現在の神話、という章だてである。

 これまで、実際の具体的な問題に適用された場合、極めて有効に機能してきたため、量子力学の正しさを疑う研究者は現われなった。しかし、その概念的な解釈となると話は別である。例えば、本書の主題である「コペンハーゲン解釈」は今日まで棚上げされ、根本的な解決をされないまま今日に至っている。ところが最近の著しい実験技術の進歩により、量子力学の前提とされてきた根本仮定が直接に実験によって確かめられるようになった。そこで改めて「コペンハーゲン解釈」の妥当性が再検討されることになったのである。

 さて、いわゆる量子力学の「コペンハーゲン解釈」に関する根本問題とは次のようなものである。
1)量子力学では、いくつもの異なった状態が同時に重なり合っていることを認める。シュレーディンガーによって、死んだ猫と生きた猫の重ね合わせと言う形で表現されてはじめて、量子力学の言う重ね合わせの状態が如何に奇妙な物であるかに多くの人達が気がついた。このような状態は、常識からすると、実在とは考えられず、バカげたことである。従って、本当に異なった状態の重ね合わせというようなことがあるのであろうか?、というのが第一の問題である。

2)「コペンハーゲン解釈」によると、死んだ猫と生きた猫の重ね合わせの状態(実在ではなく仮想的な状態)を、知的な観測者が観測した瞬間に、猫は死んだ猫あるいは生きた猫という実在となる。「死んだ猫と生きた猫の重ね合わせ」という仮想的非実在的な状態から「死んだ猫あるいは生きた猫」という実在への変化は、知的な観測者が観測した瞬間に起こる。つまり、これは無時間的な変化であり、光速以上の作用の伝播を仮定しており、光速以上の作用の伝播はないとするアインシュタインの特殊相対性原理に反しているように思える。従って、光速以上で伝わる作用(あるいは時間が過去に向かって流れること)が果たして起こりうるのであろうか?、というのが第二の問題である。

 さて、この問題に関する最近の実験成果の代表的なものとして、アスペの実験がある。すなわち、いわゆる「ベルの不等式」が成立しないことがアスペその他の多くの人達によって、実験的に確認された。「ベルの不等式」が成立しないということの物理的意味は、「局在的実在性」という概念を捨てなければならないということである。ここで言う「局在性」とは光速よりも速いコミュニケーションはないことを意味し、「実在性」とは我々の観測と無関係に世界が存在することを意味している。アスペの実験は量子力学に限らず、およそ科学的記述としていかなるものを採用しようとも、宇宙は局所的かつ実在ではないことを示したのである。外の世界が実在していると信じるならば非局在性を受け入れるしかなく、光速より速いコミュニケーションの存在を信じないのであれば観測と無関係に実在する世界はないとしなければならないのだ。世界が実在するようになるには知的な観測者の観測行為を必要とするというわけである。

 さて、本書の著者、J.グリビンはこの問題を以下で述べるように解決する。グリビンは第一章から第三章にわたって、光の本性についての科学的認識の進歩を概観する。その中で、特にマックスウエルの方程式が、遅延波(過去から未来に向かって進む光の波)と共に先進波(未来から過去に向かって進む光の波)を解として持つことに注目する。さらに光はいつも光速で運動しており、静止することがない。特殊相対性理論によると、光とともに運動する座標系では、物体はいわゆるローレンツ収縮を起こし長さがゼロとなる。さらに時計の歩みが停止し、時間が流れなくなる。すなわち、無時間の世界となることに注目する。

 J.グリビンは、上述の光の相対論的な性格を考慮し、相対論的量子力学の立場に立つ必要性を指摘する。そうして、常識に反する様に思えるがたった一つの考え、すなわち、量子的波動の一部が本当に時間をさかのぼって伝播することができるという考えを受け入れることによって成し遂げられると主張する(p333)。すなわち、作用が遅延波としてのみでなく、先進波としても伝播することを認めると、まず、幽霊のような状態の重ね合わせを回避することができる(p39)。さらに、光の信号に付随する座標系においては時間がかからず、すべてのことは瞬時、いや無時間的に起こる(p339)。こうして上述の1)、2)の問題が解決できる。めでたし、めでたしと言うのである。

 このように「コペンハーゲン解釈」に関わる根本問題を解決して、J.グリビンは至極ご満悦のようである。私はこのような解決をされて不愉快極まりない。以下、私が不愉快極まりない理由を述べよう。

 まず、如何に奇妙であろうとも、重ね合わせの状態が存在することは実験的に確認されている。さらに理論的には、シュレーディンガーの波動方程式は線形方程式であるから、二つの解の線形結合はまた解となる。従って、重ね合わせの状態を無理矢理消滅させる必要性などもともと無いのである。さらに、なるほど、光の信号に付随する座標系においては時間がかからず、すべてのことは瞬時、いや無時間的に起こる。しかし、波束の収縮が瞬時に起こるのは、光速で運動している人間にとってではなく、我々普通の人間、すなわち光速どころか静止している人間にとって起こるのである。従って、いかに相対論的量子力学の立場にたっていただいても何の解決にもならないのである。こうして、J.グリビンは歴史的な「コペンハーゲン解釈」の問題を解決したと主張するが、私にとっては解決どころかその問題点が鮮明になり、ますます深刻になったとさえ言える。ではこの問題の解決方法は無いのであろうか? 

 私達は、時間とエネルギーの不確定性原理を考慮すれば、この問題がすべて解決できることを既に示した。すなわち、時間とエネルギーの不確定性原理によれば、異なる状態(従って異なるエネルギー状態)は不安定で、その寿命の間のみ存在し、寿命を過ぎれば安定な固有状態の一つに変化する。この変化は自然現象であり、従って「知的な存在の観測行為」などを必要としない。また光速以上の作用の伝播の助けを借りなくても解決する。さらに詳しくは私達の著書「科学と認識構造」(昭和堂、1984)を参照されたい。