書 評 2

メンデレーエフの周期律発見(梶雅範著北海道大学図書刊行会)を読んで

                     山本 悟 1998.5.29

メンデレーエフの周期律表といえば、化学の教科書の表紙裏に必ずと言っていい程載
っており、およそ物質を扱う人は誰ひとりそのお世話にならない人はいないと言って
いい。この本はメンデレーエフの周期律発見を科学史、哲学の立場から追求したもの
である。その目次を紹介しよう。

第一章、先行研究と問題提起。
第二章、メンデレーエフによる周期律発見の社会的文脈。
第三章、周期律発見前史-----1860年代までの研究史。
第四章、メンデレーエフの周期律発見過程----「60年代」におけるメンデレーエフ
の科学研究。
第五章、メンデレーエフの周期律研究と周期律の最初期の受容。
第六章、同時代の元素分類研究とメンデレーエフ----------周期律発見の化学史上の
意義。
第七章、結論

私がこの本を読んだのは、つぎのような興味からであった。どうしてメンデレーエフ
に歴史に残るようなすばらしい仕事ができたのか? 彼はどのような状況の中で研究
を進めたのか? どのような問題に挑戦し、それらをどのように解決していったのか?

 

以下このような視点から、本書を読み、私が感じたことを中心に、本書の読後感を個
条書き的に述べよう。

1。まず、感ずるのは、メンデレーエフに周期律表発見という画期的な仕事ができた
のは、彼が研究上の思考方法を学生の頃から絶えず切瑳琢磨したことの賜物らしいと
いうことである。その内容を私が理解できた範囲内でまとめると次のようになる。

1)まず、彼は膨大なデータを前にすると、必ずその中に何らかの類似性を見附だし
、それを何とか分類し、体系化しようと努力している。このものごとを組織的体系的
に捉えようとする総合力は既に、大学の卒論のなかではっきり確認できる。
2)次に、その分類、体系化が恣意的分類、人為的体系化であってはならず、自然な
ものでなければならないと考えている。
3)では、どうすれば分類、体系化が恣意的、人為的なものにならず、彼いうところ
の自然なものになるのか? それは、第一に、測定可能な数量的性質に従って分類し
体系化するということである。第二に、元素を分類するということは、化学的性質を
問題にすることになるが、その化学的性質の分類に化学的性質を持ってしてはどうし
ても分類が恣意的、人為的になる。従って物理的性質で行なうべきであると考えた。
これがメンデレーエフが原子量の大きさの順に元素を並べてみた理由の一つらしい。
4)ところが、まだ問題があった。というのは、原子量を調べてみると、良く知られ
ているように、各元素の原子量は水素のそれを1とするとその整数倍という驚くべき
値になるからである。こうなると元素というものは何か要素的なものではなく複合物
ではないかと考えたくなる。実際、当時元素は要素的、究極的なものではなく複合物
であるという考え方(元素複合模型)が支配的であったからである。これに対して、
メンデレーエフは、いわば原子に代わって単体や化合物に共通する質の単位を担う実
体としての「元素」の概念を確立した。この「元素」概念がなければ、仮に周期律表
ができたとしても、それは複合物の単なる便利な表に過ぎず、周期律表は本質的な意
味を持ちえないからである。従って、この彼の「元素」概念の優秀さこそがメンデレ
ーエフが同時代の研究者から抜きん出ることができた理由の第二であるといえよう。
こうして、「元素」の諸性質を規定する基本的性質が「原子量」である、との理解に
メンデレーエフは到達できたというのが著者の結論である。

2。このように、本書で解明された、周期律表発見にむけてのメンデレーエフの研究
態度からは多くを学んだ。その他、メンデレーエフが活躍したロシアという国、その
時代背景、研究と学会、研究と実際の工業生産との関係など、本書から教えられるこ
とは多い。
しかし、本書に注文すべきことがないではない。そこでそれを次に述べよう。

1)今日では良く知られているように、周期律表における元素の順番は、原子量の順
番ではなく、原子番号の順番である。従って、元素の基本的量は原子量ではなく、原
子番号である。人間の本質を知るのに、人間を体重の順に並べても意味がないことか
ら分かるように、原子量が単なる原子の相対的重さであったなら、その大きさの順で
周期律表ができる筈はない。たまたま原子量の大きさの順が原子番号の順でもあった
からうまく行ったに過ぎない。メンデレーエフが活躍していた時代には、今日我々が
知っているような原子の構造は全く分かっていなかったのであるから、原子番号=原
子核の中の陽子の数=核外電子の数、というような思考は全くできない。このような
知識があれば、原子番号の順番に並べれば、周期律表ができることは理解できるが、
そうではないのであるから、メンデレーエフが、原子量の中に原子番号の臭いを嗅ぎ
付けることは想像を絶する程困難であったはずである。そこで問題の核心は、結果的
には、メンデレーエフは、原子量の大きさの順が原子番号の順でもあることを嗅ぎ付
けていたと考えられるが、それがどうして可能であったかと言うことである。まさに
この点こそが大問題であるのに、本書の著者にはその問題意識が弱い。

2)注文の第二は、本書の扱う内容からして当然のことであるが、化学の色々な概念
が登場してくる。それも現在では廃棄されているような歴史上の概念がでてくる。そ
のような歴史上の概念と現在の概念との相違と連関をもう少し整理して欲しい。そう
しないと、読者は大変に読みづらい思いをさせられる。