二重の世界

現実の世界はひとつである。僕はそのことを疑っているわけではない。だが、村上春樹の小説「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」やウォシャウスキー兄弟の映画「マトリックス」に描かれている二重構造の世界観には強い説得力を感じる。現実の世界はひとつなのに二重構造の世界観が説得力を持つのはなぜだろうか。

「世界の終り…」でも「マトリックス」でも、二つの世界のうち一方は仮想的なものとして描かれている。現実の世界はひとつだが、それとは別に仮想的な世界があって、そこに入り込んでしまえば現実とは少し違った形でのリアリティがある...という設定である。そういう設定は昔から「おとぎ話」の基本であって目新しいものではないが、現代社会はおとぎ話的世界とあまり関係がない。

現代社会では、おとぎ話的な非現実の世界は映画、漫画、ゲームなどの娯楽商品の中にあるが、現実とは切り離されている。それは非現実世界を現実の中に位置づけることが難しいからだ。「世界の終り…」と「マトリックス」では仮想的世界が脳の中にあることになっている。そうすることで、非現実世界と現実の世界を結びつけることができ、その世界観は説得力を持つ。なぜなら、非現実の仮想世界は我々の脳の中に実際に存在するからだ。

脳科学の研究により、小脳には自分自身の身体や脳までも含んだ世界モデルがあるということが明らかになりつつある。小脳に仮想的世界があって、そこに我々自身の身体モデルが住んでいるのである。では、小脳内の仮想的世界にある「自分の身体モデル」は現実の自分とどういう関係があるのか。

小脳は「カラダで覚える記憶」の記憶装置なのだから、「小脳内の身体モデル」は我々が身体で覚えたことを実行する時に登場する。例えば我々が道を歩く時、いちいち「右足を出して、左足を出して」という風に考えて身体を動かしているわけではなく、何も考えずに無意識のうちに歩いている。その時、小脳の仮想世界で自分の身体モデルが勝手に歩き、現実の我々の身体はその通りに動いているのである。

ではその身体モデル君はなぜうまく歩けるのかというと、我々が現実の身体を動かして歩く練習を積んだからである。我々が現実の世界で何かに躓いたり転んだりしていると、知らないうちにどこか(というか小脳内)で自分の仮想的身体が発達を遂げる。そうやって得た技能は現実の身体を通じて現実の世界において発揮される。現実世界と小脳内の仮想世界は我々の身体を通じて繋がっているわけである。

つまり、我々は現実世界と自分の中にある仮想世界に同時に存在しているのだ。