5つの誓い

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正月休みに息子と一緒に「帰ってきたウルトラマン」の最終回のビデオを見た。最終回のタイトルは「ウルトラ5つの誓い」である。初代ウルトラマンを倒した怪獣ゼットンが再び地球に現れるが、帰ってきたウルトラマンはゼットンとの戦いに勝つ。そしてウルトラの星にも危機が迫っていることを知った帰ってきたウルトラマンは帰っていくのである。帰ってきたウルトラマンは一緒に暮らしていた少年との別れ際に「ウルトラ5つの誓い」を確認する。

「ウルトラ5つの誓い」
1、はらぺこのまま学校へ行かぬこと
2、道を歩くときは車に気を付けること
3、晴れた日はふとんを干すこと
4、ひとを頼りにせぬこと
5、土の上で裸足で遊ぶこと

「帰ってきたウルトラマン」が作られたのは30年くらい前だが、30年を経て「ウルトラマンダイナ」の時代になると次のように変化する。

隊員5つの心得
s1、晴れた日は空を見上げること
s2、友達を大切にすること
s3、おこづかいを落としても泣かないこと
s4、道を歩くときは車に気を付けること
s5、最後まであきらめないこと

クルマというものが子供の命を狙う怪獣のようなものであるという点は昔も今も全く変わっていない。それ以外の項目を見ると、何となく似てはいるが少し違った雰囲気がある。

1では学校に行くのが当然であり、その上でちゃんと朝ご飯を食べないと勉強の能率が上がらないと言っているのだろう。1の学校に対応するのはs2の友達だ。社会性というものを1では学校という決まり事に対する順応として捉えているが、s2では友人との対等な人間関係の延長が社会性だということだろう。

3では晴れた日にふとんを干せという。昔は、晴れた日に空を見上げるのは言われなくてもみんなやるようなことだった。その上で、空を見上げた時の気分の良さを生活に結びつけることを言っているのだ。今はs1のようにわざわざ言う必要がある。

4はs5と似ているが、4の方がのんびりしており、s5の方が悲壮感がある。昔の子供の抱えている問題は今より単純だったのだ。昔はやるべきことというのが社会的に共有されていた。だからあきらめはしないが、ひとに頼ってしまう。やるべきことというのは自分じゃなくても誰かがやればいいからだ。今となっては社会的にやるべきことというのはひとまず達成されたので、やりたいことを各自が探さなくてはならない。やりたいことをやるのはひとに頼ろうにも頼れないので、あきらめてしまいがちなのだ。

5では土の上でしかも裸足で遊べと言っていたのが、s3ではおこづかいを問題にしている。30年前でも裸足で遊ぶことはあまりなかったが、とにかく土の上で遊ぶのはタダだった。今はゲームなんかで遊ぶからお金がかかるのだ。

全体を通して昔の「5つの誓い」の方が生活臭い感じがする。生活というのは身体でするものだから身体的である。一方、今の「隊員の心得」の方は心理的な問題が主である。近代化という「やるべきこと」は達成されたが、その過程で生活が軽視されるようになった。生活の軽視は身体の軽視であり、身体は気分に影響する。「隊員の心得」は近代化で破壊された気分を復興するための心得だ。気分の復興は生活の洗い直しである。気分が直った生活臭い「5つの誓い」に戻るのだ。