価値観とは何か

電子書籍「理想論」

価値観というのは価値判断を伴った視点である。価値判断の根拠は我々自身の感覚である。感覚は経験によって敏感になったり領域が広がったりする。我々が自分の感覚に基づいて物事の価値を判断することによって、価値観というものが生まれる。我々の価値観は、「自分の感覚」と「自分が経験した物事」との結び付きによってできている。

自分の感覚によらずに物事の価値を判断するとしたら、誰かの価値観を借りていることになる。誰かの価値観を借りているということは、自分の感覚を無視しているわけだから、その価値観に基づいて行動しても自分の感覚を満足させることは難しい。「ナニナニするべきだ」というような客観的な価値判断に基づいて行動すると、自分で自分の感覚を満足させることができないので、「誰かに何とかして自分の感覚を満足させてもらいたい」という欲求が溜まる。

近代というのは客観的価値観が広まっていく過程だが、客観的価値観の背後には「誰かに自分の感覚を満足させてもらいたい」という欲求が必ずセットで付いてくるのである。そこにお金というものの出番がある。お金を払う方が「自分の感覚を満足させてもらう」のであり、お金をもらう方は相手の感覚を満足させるために行動するわけである。

しかし、感覚というのは人それぞれであって、ちょっとぐらいお金を払ったからといってなかなか満足させてもらえるものではない。そこで、「自分が満足できないのはお金が足りないからだ」と思ってしまうと大変である。もっとお金を稼ぐためには、今以上に一所懸命頑張って他人を満足させなければならないからである。それはつまり、「他人は何を求めているのか」にばかり注意して過ごすということだ。そんなことをしていると、自分の感覚と自分の行動はますます関係が無くなって、自分のやりたいことも分からなくなる。今までの経済活動というのは、他人の視点でものを見ることで成り立っていたわけである。

何か満足できないことがある時は、新たな価値観が必要なのだ。自分の身体に備わっている感覚を敏感にしたり広げたりするのが、「新たな価値観を身に付ける」ということである。そのためには、自分の感覚を使うしかない。自分の感覚を使うというのは、様々な物事を自分の感覚に結び付けて身体で記憶するということである。物事を自分の感覚に結び付けると、その物事に価値が感じられるようになる。

自分の感覚によって物事に価値を感じられれば、自分の感覚自体にも価値が感じられるはずである。そうすると、気分も良くなる。気分が良ければ、感覚がさらに敏感になるから、面白いことも増える。自分の感覚を開拓していくと、自分のやりたいことも明確になるだろう。我々は自分の感覚を最大限に発揮できることがやりたいのだ。

 → 精神的成長