我々は眼でものを見ているのではない

我々は眼で現実の世界を見ている。眼は直径24ミリほどの球形をしたカメラのようなもので、瞳を通った光が網膜に像を結ぶ。カメラと同じで、その映像は上下左右が反転している。つまり上の方にあるものが下に写り、右にあるものは左に写るわけである。それなのになぜ上にあるものが上にあるように見え、右にあるものが右にあるように見えるのだろうか? 考えてみると、これはすごく不思議なことである。

他にも不思議なことはある。我々は真っ直ぐな線を見ると真っ直ぐに見える。長方形の紙を見れば長方形に見えるわけである。これは当り前のようだがそうではない。なぜなら眼の網膜は球面の形をしていて、球面に長方形は書けないからである。例えばピンポン球の表面に長方形を書こうとしても歪んでしまう。我々の眼の網膜に写っている像は、我々が見ているつもりの現実の世界に較べると随分歪んでいるはずなのだ。

網膜には「上下左右が180度回転したうえに酷く歪んだ像」しか写っていないのに、なぜ上下左右が正しくスッキリと歪みもない世界が見えるのだろうか。それは我々が眼で現実の世界を見ているのではないからだ。我々が見ているのは自分の頭の中に構成された仮想映像である。仮想映像とはどんなものかというと、寝ている間に見る夢の映像と同じである。我々が夢を見るという事実は、我々に仮想映像を構成する機能が備わっている証拠だ。

我々が現実の世界だと思って見ているつもりの映像は仮想映像なのだから、それを見ているのは眼ではない。眼はその仮想映像を現実の世界にできるだけ近づけるための情報入力装置である。我々の脳は眼から入力される情報によって、リアルタイムに現実そっくりの仮想映像を構成し続けている。夢を見ているときは、眼からの入力がないのでいいかげんな仮想映像が構成されてしまうわけである。

眼を閉じて眠っている間に夢を見ているのは眼ではない。夢という仮想映像を見るのは眼ではなく、仮想的視覚である。目覚めている時も同じことであって、我々は常に仮想的視覚によって仮想映像を見ているのだ。映画「マトリックス」に出てくるコンピュータ内の仮想世界と同じことだが、我々の仮想世界は外部のコンピュータではなく、自分の脳が生み出すものである。それがあまりにも良くできているので、我々は眼という覗き穴から身体の外の現実の世界を直接眺めているように感じてしまうのだ。