お気楽は最高のソース

「空腹は最高のソース」というような格言がある。腹が減っている時に食べたら何でもおいしい、つまり食べ物の味にとっては料理の出来より腹の減り具合の方が影響するということだ。お腹が空いている時はテキトーな食べ物がいつもよりおいしく感じられるが、お腹が空いてない時に凝った料理を出されてもちょっとユウウツな気分になる...というようなことはたしかにある。

しかし、いくら空腹でも悩みや心配ごとがあると、食べ物の味なんかわからないし食欲も出ない。逆にヤケになって味わいもせずにたくさん食べてしまうこともあるが、とにかくおいしくは食べられない。本当は、最良のソースは空腹ではないのだ。問題は意識の状態だ。心配とか悩みがある時は、そのことに意識がとらわれてしまって味なんか分からない。気楽だとその反対で、よく味がわかることになる。そして、普通の食べ物は味が分かればおいしい。最良のソースはお気楽なのである。

誰かがおいしいと言うものを自分はまずいと思う、ということは時々ある。うまいまずいは主観の問題だ。他人がうまいと言うので付き合いで食べているうちに慣れてきて、まずいと思っていたものがおいしくなるということもある。我々は自分が慣れたものを肯定する傾向がある。食べ物の旨い不味いというのは、料理の素材や調理具合にもよるが、それ以上に食べ物の味に対してどれだけ肯定的な意識が向けられるかが重要である。

自分が慣れたものを肯定するのは簡単だ。昔から食べているものをうまいと思うのは当り前で、慣れていないものはあまりそのうまさが分からない。慣れていないものでも、食べ続けると慣れてきて旨さが分かってくることもある。ということは、自分の知らない旨いものに出会うには「慣れないものを食べ続ける」という試練を経る必要がある。ただし、その試練の後で旨さが分かるかどうかを予め知ることはできない。それは賭けだ。なぜなら旨い不味いはどこまで行っても主観の問題だからだ。

慣れないものを食べ続けた結果やっぱりまずかった、ということはあり得る。そういう無駄な行為も気にせずにやれる意識の状態が「お気楽」である。旨いものに出会う秘訣はお気楽ナリ。それに、気楽であれば「悩みごとのせいで味がわからない」ということもない。では、どうすれば気楽になれるのだろう。食べ物の味を分かろうとして注意を集中すれば、悩みごとを一時忘れるかも知れない。必要なのは集中力である。悩みを一時忘れて食べ物をおいしく食べられたら、問題に立ち向かう元気が出るかも知れない。