屋根に登ることについて

僕が子どもの頃に住んだ2軒の家は平屋だった。どちらの家でも屋根に登る方法を見つけ出した。僕はトタンや瓦の上に座って周囲の景色や空を見て過ごしたことが何度かある。平屋だから屋根の高さは隣の家の2階と同じくらいで、視線は2階に立っているよりも低い。そこに登ったからといって別に珍しい景色が見えるわけではない。でも、圧倒的な解放感がある。2階の窓やベランダからは空の半分しか見えないが、屋根の上からは空全体が見えるのだ。

僕は別に屋根の上に登ろうと思ってルートを探したわけではない。家の周りで遊んでいる時に、ちょっと高いところに登ったら屋根の上が見えたので、何となく登ってみたら登れたのだった。アホと煙は高いところが好きだと言うが、そのとおりかもしれない。そうやって登ってみると不思議な感じがした。お尻のすぐ下には僕が毎日暮らしている空間があり、そこにいる時には屋根の上のことなんか考えもしなかったのだ。

屋根の上にいると不安定な感じがする。斜面なので気を抜くと転がり落ちそうだ。その不安定な感じと、広い視界による解放感が微妙に入り混じって、実にあやしうこそものぐるほしけれ。そして、そこは自分一人で見つけた場所なのだった。でも、探して見つけたわけではなく、偶然辿り着いてしまったのだ。それが好運なのかどうかはわからない。褒められるようなことではないが、咎められるほどのことでもない。やってもやらなくてもいいようなことである。だからこそ解放感があったのかもしれない。

山のてっぺんや海辺にも解放感はあるが、自分の家の屋根の上というのはそれとはちょっと違う。屋根の上は日常からものすごく近いところにあるから、日常との間を一瞬で行き来できる。だから、自分の感覚の落差をありありと感じることができる。そこから見える景色はいつもと同じなのに、自分の意識だけが変化する。屋根の上というのはそういう盲点のような場所なのだった。