やりたいことをやるのは孤独である

やりたいことは自分でやるしかない。自分でやるのは難しかったり面倒くさかったりするが、他人に代わってもらったら「やりたいことをやる」ということにならない。やりたいことをやるのは「自分で何とかする」ということなのだ。だから、いくら周りに人がいても、やりたいことをやっていると孤独になる。周りに人がいなくても、やりたいことに熱中していれば、自分が一人でいることを忘れてしまうが、周りに人がいると、気が散って集中できないので、かえって孤独な感じがするのである。

自分のやりたいことは何かと考えるときに、偉くなりたいとか、有名になりたいとか、金持ちになりたいと思ったりすることがある。偉いとか有名というのは他人に認められることであり、お金は他人に何かをしてもらうためにある。つまり、そういう欲望は他人がいなければ満たされないものであり、孤独とは反対の方向を目指していることになる。我々は孤独から逃れようとして、地位名誉財産等を求めるわけである。

しかし、やりたいことをやるのは孤独なのだから、孤独じゃない方向へ行くと自分のやりたいことが判らなくなる。自分のやりたいことが判らないままで地位や名誉や財産を得たとしても虚しいのではないだろうか。虚しいというのは孤独なのと同じようなものである。

我々はそれぞれ別の身体を持っているので、物理的に孤独なのであり、その孤独から逃れることはできない。孤独から逃れようとすると、自分の身体性を否定したり無視したりすることになる。ところが、やりたいことというのは身体から出てくるものなので、孤独から逃れようとすると、やりたいことが判らなくなるのである。それで虚しくなる。

我々は孤独をどうすることもできないのだろうか。やりたいことに熱中すれば孤独を忘れる。しかし、孤独なことを忘れるくらい集中することができるようになるまでには、しばらく時間がかかる。その間はどうしても孤独に耐えなければならない。孤独な時は「集中するのに最適な状況」なのだから、何でもやりたいことをやればいいのだ。やりたいことに集中していると、だんだん孤独に慣れていくだろう。