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闘病その4

     文中 黒字→当時の日記 緑字→後日追記 青字→現在記入

 わたしの存在は重大だ!

1991.8.24.自宅のキッチン

 

2005.1.31.自宅のダイニングテーブルで“白菜のワンタン”調理中

 

闘病日記

発症:平成3年6月14日 プールの中で脳出血を発症

転院:平成3年6月25日 東京慈恵医科大学付属第三病院に転院 

闘病その1:自分の名前を知った日!(平成37月3日)

 闘病その2:発症から一ヶ月文章が書けた!(平成3年8月2日)

闘病その3:わたし流社会復帰は!(平成3年8月21日)

退院(10月1日)まで、朝食前(5時ごろから7時ごろ)日記を書き、

訓練の時作業療法室(OT室)に提出し添削してもらう事にしました。

 

8月24日

2ヶ月もいるのです。皆さんを名前で呼びたい!看護婦さんや同室の人達の名前を覚えら

れないので、ベットの近くに一覧表を貼る事にしました。看護婦さん達は4日ぐらい貼っ

た後に気付きました。仮名を振ってくれる人もいました。とても好評でした。同室の人達

も皆、名前で呼び合うようになりました。

現在では全ての病院関係者は、所属の身分証明写真入りの名札を付けています。

その当時は全て人の身分が分かりません。ドクターと看護婦さんの区別が分かるだけでし

た。ドクターの他に、時々男性が病室で患者の世話(移動後ベットに寝かせる)をする人

がいました。身分はどうなっているのか不思議でした。看護士(男性)と言いました。

現在は慈恵第三看護専門学校の先生です。通院の時たまたま会って話しをします。

8月25日

きのうから二回目の外泊です。先週とは違って調理をする事にしました。海老フライと

一口カツです。包丁を使う事はありません。塩、コショウに粉をして、溶き玉子・パン

粉を付け、揚げるための準備をしました。娘が揚げとても美味しく食べましたまた。

我が家では“目的・目標のある日”のメニューには「カツやフライ」と、マカロニサラダ

が付いています。縁起をかついでの事です。フライもカツを揚げる(床を上げる)マカロ

ニは先の見通しが良い。その日は「10月1日を退院日」に決めた献立でした。

“有頭海老”は、頭から尻尾まで食べられるので、今でも大好きです。

.2004.8.24.有頭海老&カツを撮影

風呂に入る事になりました。この間とちがい脱ぎ着がとてもスムースにできました。娘と

和室に寝ましたが、問題はありませんでした。和室に寝るには、床からの起きあがりの訓

練を十分して外泊にのぞみました。退院後の寝室は2階でシングルベット2つでした。主

人は煙草を吸っておりますので換気扇側です。東に出窓・南にベランダ、普通のベット右

側、左側からでも入る事も出来ます。上がり降りも練習しました。病院では8人部屋でし

たので右片麻痺を考慮しての配置ではありません。48歳6ヶ月「新しい生活の始まり」

その後5年間過ごし1996年息子が家を出ましたので、夫婦は別々の部屋になりました。

1991.8.24.夫婦の部屋

2004年猛暑は南西に出窓があり閉口しました。冷房なしでは35℃以上になり冷房を入れ

ると、頸椎ヘルニア&腰痛ヘルニアの痛みで、起き上がり・寝返りが困難になり遂にベッ

トに左手で持つ補助具を付けて貰いました。腰枕は20038月から使用しています。

現在息子の勤めている病院では右・左片麻痺の人の病室は区別しているそうです。

私は発症が48歳で若かったので臨機応変に生活出来ましたが、年を重ねると

ベットパットの高さも気になって来ています。特に外国に行った時ホテルのベットの

高さには苦労しています。でも旅行ですから我慢します。

 

2004.9.15. 利き手側手すり取り付けましたが3ヶ月も経たない間にベットの移動。

 

2004.12.22.には手すりを上10p移動しました。

 

 

テレビを見る時はクッション・ソフトギム(小さなボール)を使用し、眠る時は・腰枕・

抱き枕等を使用して腰痛・座骨神経痛の保護に努めています。ベット内部も変化し冷たさ

対策には大小の湯たんぽです。湯たんぽの袋はお気に入りの厚地のタオルで娘に作って貰

いました。残りの湯は加湿器や花に使います。6つの椅子カバーは海外で買ったお気に入

りの古いTシャツで作りました。キッチンの椅子にもソフトギムを置いて腰の保護に使用

しています。日常生活の作業台パソコン等も180度回転しましたので息子に頼みました。

  

 寝具の手入れ等全て自分でします。湯たんぽは主人にお願いしています。2005.2.2.撮影

 

8月26日   

日曜日の朝になりました。朝から出かける所はいっぱいです。まず美容院に出かけました。

ドアを開けると驚いた様子で「座れますか?」聞かれ、カットをして「洗うので、あそこ

の椅子に移ってくれますか?」「ハイ」と応えました。お金を払っていると、主人が迎え

に来ました。次は床屋に行きます。お隣ですから歩いて行きます。床屋の入口で「何て事

ですか?」と、言われました。中に入るとお客さんがいたので、待つ事にしました。私の

座った椅子は、顔を剃るのにはとても便利です。ここでも眠ってしまいました。

外出はとても疲れました。会話は「ハイ、いいえ」の2つの言葉だけでした。

美容院で58歳まではピンクのヘアーマニュキャーをしていましたが、今は自然なウエー

ブと白髪が混じりになりましたので、カットだけお願いしています。理容院には1ヶ月1

度、顔そり・眉カット・顔のマッサージに通っています。

8月27日 

日曜日、3人で楽しくご飯を食べていた頃、息子は軽井沢で右足を折っていました。

晩御飯後、娘は嫁ぎ先の郡山に行き私は病院に戻りました。主人はホッとしてビールを飲

みだしていた時に、その電話がかかって来たそうです。心配していた事が起きました。

応急処置後、軽井沢から先輩に息子の車を運転してもらい深夜に自宅に戻りました。9月

になると前期のテストがあるのに入院・手術・ギブスの生活で留年しないか心配でした。

平成2年は、前期テストの最中9月26日に火災に遭い顕微鏡も教科書・ノートも焼失で

した。主人は平成15年8月27日失禁しました。宇都宮の息子に連絡したら「下着を替

え、水を出来るだけ多く飲ませ(目安は一晩で2g)寝かせる。トイレには付いて行き、

また水を多く飲ませる。お母さんは僕が行くまで側に寝ていなさい」と言いました。翌朝

息子と慈恵第三リハビリ科で検査し「一過性脳虚血発作」と診断され“即禁煙”になり現

在も続いております。夫婦で片麻痺になったら自分も子供達も大変です。定年注意!

 

8月28日

娘に息子が足を折った知らせを聞き、私は「ワアァ〜ワアァ〜」泣き出しました。

「足!足が!どうしたの?」「もう大丈夫だから!先輩と夜中に帰って、本院に行ったが、

まだ足が腫れていて手術は、まだ出来ないの!」「どうして・どうしてなの?私がっかり!

なにも悪い事をしていないのに!どうして!どうしてなの?」主人は、息子が足を折った

ので、さぞ心配しているかと思っていたら「運動やっているのだから怪我は付きものだ」

と言いました。今日は8時から本院に入院します。通学は病院から直ぐ出来ます。手の曲

がりを直す道具「『スプリント』という「手のための装具」を作る事になりました。型紙

を作りましたがハサミが思うように運びません。金曜日に出来るのを楽しみにしています。

アメフトの先輩(ドクター)が「心配ですねぇ〜」と言い「お母さんは、訓練、訓練!」

と肩を叩いて励ましてくれました。私の入院の時は左足靱帯損傷?松葉杖を使っていた。

それが癒えたら右足骨折!泣いても泣ききれない!

中学では水泳、高校はグランドホッケー、大学ではアメフト。年とともに“格闘技”が楽

しくなった見たいです。入学後父母会で「本校は文武両道を奨励しますが、学生はプロの

選手になるのではない、医者になるのです!」と教官に言われました。医者になる前に患

者になるなんて、留年でもしたら大変だ!「スプリント」という「手のための装具」は退

院後も使いましたが数年でこわれました。何でも訓練に役に立つと言う物は使いましたが

3年も使用に耐える物はありません。

 

8月29日 

夕方、息子に電話する事ができました。「もう病院にいるのだから、お母さんは心配しな

いように!手は動くようになった?足はどうなの?」と言いました。「そんなことより授

業は出られるかしら?勉強は消灯時間後でも出来るようにしてくれるかしら?」「そんな

事心配ないよ!」少し電話をしたので気持が楽になりました。でも手術が火曜日か木曜日

になるから、私が土曜日に家に帰る前に逢いたいと思いました。面会の時主人に話して見

ようと思いました。手術前に面会は出来ません。とても不安です。訓練と日記に没頭した。

 

8月30日

口の中に何か出来ていて、食欲がありません。どんなに我慢しても、物を飲み込む勇気は

ありません。また、舌を噛むこともありました。看護婦さんに聞いたら「口内炎」だと言

って貼って治す薬をくれました。「ウガイをしたら、よく濯いでおくようにして下さい。

先生に見てもらいましょう」と言われました。A先生が本院に行ったら、息子に逢った

そうです。「お母さんの心配をして『手はどうですか?』と聞いていましたよ!息子さん

は大丈夫だから安心して下さい。彼は院内をギブスはめた足でケンケンしていました。

彼は友達もいるし、部活の仲間だっているし、出席も大丈夫ですよ!」と言われました。

今でも疲れると“右口の中、右口びるを噛んで口内炎”になります。

 

8月31日             

昨日は母が来てくれました。夜の間に粉をこねて、うどんを打って来ました。茄子胡瓜の

お新香もありました。ウッディ(家の犬)を実家に置いて来たけど、長屋門の所では寂し

いのではないか?でも春まで預けて置く事にしました。2時半頃病院に着いたけど「自転

車漕ぎ」が残っていました。「明治サロン」に待っていた。娘と母に逢い、何か話があっ

たのに言葉ではなく、涙があふれて止まりませんでした。75歳の母が娘の変わり果てた

姿を見てどう思っているのか?リハビリを続けても元の生活が出来ない。親不孝だ!

右片麻痺になって14年。半分の体でしていても、主人・子・親孝行だけは健常者に勝る

とも劣らないと自負していられるのは、私が入院時代に皆に苦労させたから動ける時は動

こうと思っているからです。2005.2.13. 主人の渡米中、郡山の娘・孫に送られて東那須

の実家に泊まりました。1416日母の米寿祝い弟と3人で板室温泉に、父が30年前

リハビリに行きたかった宿に宿泊しました。

 

ホテルは那珂川の上流です。鹿が早朝山から下りて来るそうです。2005.2.15.撮影

62年間ありがとう!のん気に暮らしてまた来ようね。母は頷きました。 2005.2.27.
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