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闘病その3

 わたし流社会復帰は!           

2002915日撮影)

闘病日記

発症:平成3年6月14日 プールの中で脳出血を発症

転院:平成3年6月25日 東京慈恵医科大学付属第三病院に転院 

闘病その1:自分の名前を知った日!(平成37月3日)

 闘病その2:発症から一ヶ月文章が書けた!(平成3年8月2日)

退院(10月1日)まで、朝食前(5時ごろから7時ごろ)日記を書き、

訓練の時、作業療法室(OT室)に提出し添削してもらいました。

     文中 黒字→当時の日記 緑字→後日追記 青字→現在記入

 

8月3日

7月が終わり夏休みになり息子は毎日アメフトの練習でグランドに来ていました。

隣のベットに新しい人が入院して来ました。話好きでしたから私の情報も得て来て

「若くて不治の病になるなんて!娘さんを嫁に出し、息子さんを立派な医者にしな

ければあなたの仕事は終わらないのよ!サア化粧にしょう!」と言われビックリし

ました。私が化粧品を持参していないと知った彼女は、自分の使っていた化粧水・

乳液・クリームを持って、私のベット脇に来て夜の化粧をして見せてくれました。

化粧水のびんを私の左手に持たせ開けるように言いました。でも私は化粧水のビン

のふたが開けられなくて困りました。彼女は「あす娘さんに用意して貰いなさい。

イギリス・アメリカの病院では当たり前の事で、特にリハビリの常識なのよ!私も

あちらで入院の時オシャレが病を治す早道だと教わりましたよ・・・」と言われま

した。当時はリハビリがどんなことなのか皆目判りませんでした。私は右利きでし

たから「利き手交換」を行っていました。「びんのふたが開けられない」この事実に

は困惑しました。瓶を傾けてコットンに含ませる事が出来ませんでした。化粧水は

倒れたら大変です。コットンに含ませ顔に叩くようにして使います。握力が無いの

と「やる気」が無かったからでしょう!!右手が自由な時には何の気なしにしてい

た事が出来ないのです。オロオロして涙がでました。化粧水・乳液・クリームをつ

け終るまで、長い時間がかかりました。それから朝晩2回、彼女が病室をかわった

9月18日まで一緒にリハビリ化粧を続けました。左手一本でもふたを開けて化粧

が出来たぁ〜。その後10年間、彼女との手紙・ハガキの交信を続けました。21

世紀早々彼女の息子さんからお別れの便りが届き私は、彼女の冥福を祈りました。

 

8月4日

今日は日曜日で訓練は何もしません。お風呂の日です。お風呂は週2回で看護

補助員さん2名がお手伝いしてくれます。娘も見学しました。

看護補助員の人は毎回違いました。頭を洗うのが恐いのねぇ?シャワーの時など特

にです。前の病院か発症前後に何があったの?気になるわ!と娘に言っていました。

私は水がこわい!波がこわいの!と、言いましたが通じなかったようです。

 

8月6日                                                   

天気も悪く足の調子もよくなかった。階段をおりるとき調子が悪い。足の指が悪い

丸まっているのです。何時もこんな事ばかりですが早くよくなって秋の洋服が欲し

い?靴も22センチでヒールの低いのがいい。その時分は、火災から一年も経って

いませんから季節の洋服も靴もありませんでした。

 

8月7日

友達が家に来た時写した物が送られて来ました。倒れる4日前に写したもので、皆

ニコニコしています。私も元気でした。豪華な料理がテーブルには並んでいます。

ワインを注いで乾杯をしました。もうあんな料理も出来なくなったけれど、もう一

度挑戦しようと思います。お花を教え「ちょっとした料理」を、共に学ぶ教室を作

りたい“夢”があり家の新築の際、ダイニングキッチン・お花の稽古場・中庭も用

意しました。現在は4人のヘルパーさんに、料理の献立・食材の買い方・下準備・

調理・後かたづけを一緒に学んでいます。

 

8月13日

お盆の13日です。先祖はあの世からだって帰って来るのに!私は家にも帰れませ

ん。お父ちゃんは今日黒磯に帰って来ます。だからお母ちゃんと相談して手をどう

にかして欲しい!あの世までこれ以上心配させませんからお願い!!

私は、意識が無くなり、生死をさまよい、水を探し求め、深い谷底、火口を歩いて

いた時分「こっちこっち」と誘導してくれる声に従い、地上に這い上がり、殺生石

のような所を歩き、登山道の水飲み場にたどり着き生還しました。声の主が父であ

ったと知ったのは、那須地方の「平成10年8月末豪雨による災害」の時でした。

那須地方は正しく私が遭遇した恐ろしい姿でした。茶臼岳と父の誘導が無かったな

ら、今の私は存在し無かったでしょう!思うに私にとって“那須山麓のふる里と父”

は偉大な存在だったのです。ただ感謝するのみです。

2002.10.27.黒磯市から那須連山を仰ぐ!)  

8月15日 

4時から5時半にかけて外出しました。エクシブ(娘が郡山に嫁ぐので彼女が購入

した車)に乗ったの初めてだから心配しました。シ-マ、スープラ(主人と息子が乗

っている車)とは乗った感じが違いました。高井戸まで30分で行きました。神戸

屋レストランに寄ってお茶でも飲んで行こうとしていましたが、スパゲッティが美

味しいと言うので食べに入りました。駐車場を歩いていたら、子供が私の歩き方を

「ジイ〜」と見ていました。子供さんは、杖をつき装具を付けた人がレストラン

に入るのを見た経験がなかったのでしょう?今では杖・装具の障害者も歩いて

いますがその当時は、私もお目にかかりませんでした。

 

8月16日 

とうとう盆も帰ってしまいます。お父ちゃんが、じいちゃん、ばあちゃん、ひい

ばあちゃんと話し合って、キットよい方法で私を治してくれると思います。

送り盆なので、早く準備が出来るとよいと思います。行き先は皆一緒ですかぁ。

 

8月17日

作業の注意を聞きました。まな板は滑らないビニールの上にあり、釘が三本刺さっ

ていました。カレーを作るのです。人参をまな板の釘に刺しました。切る時は緊張

しました。でも玉ネギ、ジャガイモとなると、もう困難でした。皮がとっても難し

く、芽など綺麗にしなければいけません。肉はグニャグニャしていて釘にも刺さら

ずとっても難しい。手伝って貰いました。炒めようとして油を多く入れてしまいテ

ィシュで拭きました。肉も炒めて、野菜を入れ、最後にルーを入れました。

出来上がりを作業療法室で食べましたが、涙がいっぱいで複雑な味でした。

 (2000.01.29.撮影)

娘は作業療法室で実習見学後「カレー」を自宅に持ち帰り、主人と食べたそうです。

“わたし流その1”にも「私の料理」を載せています。

http://www.asahi-net.or.jp/~NB7E-FNKS/my/my1.htm

                     

8月18日 

第一回目の外泊です。病院を2時に出発しました。自動車はゆっくりと走り出し2

ヶ月ぶりの景色をふんだんに見せてくれました。盆のせいで道路も空いていたので、

30分で家に着きました。新しい家には2ヶ月13日住んでいました。病院に入って

2ヶ月4日が経ちました。植木は根を下ろしていたし、それなりに、しっかりと自

分の領分を守っていました。4時になって風呂に入る事になり、主人が世話をして

くれました。風呂は特別な事はしていないので、注意が肝心です。入る時は、風呂

の蓋に左半身で腰掛け、左足を入れ次ぎに右足を入れました。出る時は方向を変え、

入る時と同じようにして出ました。

現在も同じ要領で、自宅の風呂、温泉の大浴場、銭湯など、入院時の訓練方法で入

浴しています。背の低い右片麻痺の私は、シャワーの位置が高いので自分の体を動

かす場合もしばしばあります。全て世の中“右利き”対応ですから訓練は大切です。

特に外泊は国内・外国に寄らず、洗面・トイレ&バス(シャワーも含む)などには

“臨機応変な工夫”が必要です。

 

              (2003321日自宅のシャワー&風呂!撮影)

 

8月19日

マルエツに行く事になり、11時に家を出ました。ゴツゴツした道でした。道路には

車も止まっていました。買い物カゴの所まで10分でした。人がジロジロ見て、店

の中には30分しかいませんでした。レジでお金を出す時、モタモタして涙が出て

来ました。お昼にソーメン・てんぷら・かぼちゃを食べました。

この日が、おつかいの最初で娘が同行しました。

“わたし流その3”には、その後の事を書きました。

http://www.asahi-net.or.jp/~NB7E-FNKS/my/my3.htm          

 

8月20日 

病院に帰って来ました。外泊の様子を報告しました。いろいろな事を覚えなければ

なりません。家での夜間のトイレの事を考えて、まず車椅子を無くしたい。翌朝か

ら本格的に車椅子の無い生活を始めよう。廊下は手すりを使う事にしよう。リハビ

リの平行棒の要領で!つえを用意し「車椅子なし」を即実行しました。

 

8月21日

雨が降っているので、アメフトの合宿に軽井沢へ行った息子の事が心配です。

訓練の時以外は廊下に行く事も出来ません。雨が降り風も吹く日は嫌いです。

火災の日は風雨で、翌日から台風でした。雨を連想するシャワーも苦手でした。

 

8月22日 

雨が降り蒸し暑いので訓練も病院の中でしました。整形外科の外来患者さんがいな

いせいでした。どうしたのだろうと思っていたら今日は手術日でした。午前中には

訓練が終わりました。「病院の中だけなら、車椅子でなくても誰か付いていなくても

良い」と、許可が出たので売店に行きました。レジの所まで物を持って行くのは大

変な事でした。どうにかしてお金を払い病室に帰りました。ハ〜イの読売新聞です。

今も病院に行くと売店に寄ります。握力が7sに低下してから、小さな新品のペッ

トボトルのキャップが苦手で残念ながらレジの方にお願いしています。

 

8月23日

病室はどうしたのか老人が多くなって来ました。70歳以上4人、80歳以上1人

です。敬老の日には見舞い客がたくさんだろうから、私は若いので早く良くなって

帰ろうと思います。訓練は担当の理学療法士さんがお休みなので違う人としました。

階段は一段一段上りました。いつもより長く階段で練習しました。

現在でも階段は一段一段足をそろえて上り下りしています。健常者と同じようにし

たいのですが「お母さんは腰に負担がかかるから、一段一段両足を揃えて歩く様に

!」と息子に言われて実行しています。場所に寄っては左側に手すりがない時はバ

ックで下ります。右側だけに手すりが付いて時は横歩きで上ります。

1991824日自宅の階段!撮影)

わたし流社会復帰は8月21日病院の売店で「読売新聞を買った事」でした。

(平成15年12月8日 記)
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