FIAT 127

ヒストリー

1971年 850の後継車として、FIAT社としては128に続く2番目のFF車になる
     2ドア(903cc 45hp)モデルがデビュー
     European Car of the year 受賞
1973年 3ドア モデル追加
1977年 1049cc(50hp) モデル追加とともにマイナーチェンジ
1978年 SPORTモデル追加
1980年 5ドア モデル追加
1981年 3ドア ワゴン(パノラマ)、ディーゼル(1302cc)モデル追加
1982年 マイナーチェンジ
1987年 生産中止

1983年に後継車のUNOが登場するが、一部車種が'87年まで生産されたようです。

1977年登場の1049ccモデルではリアクォーターウィンドゥが広げられたり、
ボンネット先端が多少低くなるとといった手直しが施されています。
このモデルチェンジにより以前をMK-I、以降がMK-IIと区分されています。

1981年末のモデルチェンジで内外装の手直しに加えて、SPORTのエンジンは
1049cc70hpから1302cc75hpへ変更されました。
このモデルチェンジ以降がMK-IIIとなります。

FIAT 127 SPORTの日本への正規輸入は1981年、当時のFIATディーラー
東邦モータースにより右ハンドル4速仕様、限定50台ということで行われ、
その後、ディーラー権がJAXへ移り左ハンドル仕様が輸入されたようです。
実際に何台輸入されたのかは判りません。83年登録車とかもあったようですが、
いずれも'82年のフェイスリフト前のモデルで当時の車両価格は約190万円でした。

FIAT 127自体は欧州ではポピュラーな大衆車なのですが、日本では輸入台数が
少ないことやアバルトの名が付かないこともあり、A112とか500、126、リトモ等
に比べて知名度はとても低いように感じます。FIAT初のFF車ということで128の方が
かえって、知名度が高いかもしれません。

輸入当時は自動車雑誌に取り上げられたものの(C/G 81/04号とか)、
それ以降、取り上げられたことは無かったように思います。





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(Mar '05)