(11/5記述)

〃寄生虫〃を持ったRBー36

戦略偵察に使用されたRBー36のもっとも奇妙なプロジェクトのひとつはFICON とTom-Tomです。このような小型機と母機との構想は第2次世界大戦前からありましたが、空中給油技術の発達で消えていったようです。ここでは

空のスパイ戦争ー上空1万メートルで何が起こっているかー(デイック・ファン・デル・アート 著 江畑謙介 訳 1988年 光文社 刊 2 鉄のカーテンの上で (Pー35)から引用します。

 アメリカ初の戦略核爆撃機である巨大なコンベアB‐36(”ピースメーカー”なる愛称を与えられはしたが、これでは本当の姿の印象は浮かんでこない)は、また冷戦の時代に使われた最も奇妙な兵器の〃母船〃としても使用された。ペンタゴンとコンベア社の発案者たちは、このマンモス機の重要な任務として、小型高速の写真偵察機の母機というものを考え出したのである。その小型偵察機はソ連と、他の”手を伸ばせばとどく距離にある”共産諸国上空で、危険なスパイ行為を行なうべきものでめった。

 フィコン(FIC○N、戦闘機とコンベアとを組み合わせたもの)という計画名で作業は秘密裏に進められ、ブランコに似たような装置を爆弾倉に装備したRB‐36の一号機は、一九五二年に初飛行した。このブランコ状の装置には、フックを装備したリパブりックFー84戦闘機がとっつき、次に戦闘機はそのまま爆弾倉の中に引き込まれるという寸法である。Bー36の胴体からは、F‐84サンダーストリークの主翼と、下反角がつけられた尾翼だけが突き出す形となる。

 この寄生虫機のパイロットは、機が撮影目標地域に接近するまで、与圧の施されたキャビンの中に収まっている(RBー36の航続力は少なくも一万五○○○キロはあり、目標に接近するだけでも何時間もかかったからである)。次にパイロットは自機のコクピットに降りていき、投下され、敵の領土上空で独自の偵察活動をするということになっていた。帰路ではこの逆の作業が行なわれる。

 一九五○年代にあっては、このFIC0N計画はまさに野心的で、かつ技術的にもむずかしいものでめった。しかし、実際に機能したのである!そこで戦略空軍はかなりの数のピースメーカ−をGRB‐36母機へ改造し、それに搭載されるべきRF‐84Kサンダーフラッシュ写真偵察機二五機を発注した。一九五五年から五六年にかけての一年足らずの期間に、ワシントン州のフェアチャイルド空軍基地とロ−ソン空軍基地から、数回の作戦が実施されたらしい。しかしその目標がどこであったのか、そしてどんな結果が得られたのかについては、一切発表されていない。結局、Uー2やRB‐57Dといった、より性能の優れた高高度スパイ機が実用化になり、またこの寄生虫スパイ機の発進回収がむずかしかったことにより、FIC0N計画は予想外に早く中断されることになったのである。

 このGRB‐36母機はRF‐84Kと一緒で2810マイルの航続半径をもち、そして高度25000フィートでRF‐84Kを発進することができました。5台の偵察カメラを載せたRF‐84Kは1180マイルの航続半径と、偵察地上空を時速582マイル(35000フィート)で飛行することができました。

B-36 in action(Meyers K. Jacobson &Ray Wangner  著 Don Greer  イラスト著 SQUADRON/SIGNAL PUBULICATIONS,INC. 1980年 刊)P-45参照

 WWW上のGoleta Air and Space MuseumのParasite Fighter Programsには、このFICON やTom-Tomの寄生飛行機プロジェクトの詳しい技術的内容が、珍しい資料とともに紹介されています。ぜひ訪れてみてください。

その他の参考サイト


つづく