長春・満州国国務院


旧満州国の新京特別市(現長春市)にあった国務院は、満州国政府の中枢として、その偉容を誇っていました。当時の我々新京っ子にとっては新京の象徴だったのです。私が1994年6月に長春を訪れた時、その建物は他の官庁建築物と同様に残っていて、なつかしい思いをしました。現在は医科大学として利用されているのですが、なんとなく荒れた感じで、正門の横には「偽満州国国務院」と書いた石碑が、なぜか横倒しになっていました。中に入ることはできませんでした。

ところが翌1995年6月に再訪した時、驚いたことにガイド代わりのタクシー運転手が、来、来と言いながらスタスタと国務院の中に入っていくではありませんか。なんと国務院は一般公開されていたのです(今回は石碑はちゃんと立っていました)。おかげで満州国時代にも見たことがなかった国務院の内部を、初めて見ることができました。いままで長春と言えば偽皇宮と電影製片廠でしたが、これから行かれる人は国務院を見逃さないように。以下はその紹介です。


国務院の偉容。国務院の建物はH型の平面型をしており、各翼の中央にはそれぞれ列柱があるので、どの方角から見ても正面のように見えるのが特徴です。今見てもバランスの取れた美しい建築だと思います。正面の石像は医科大学の名前が由来するカナダ人の白求恩博士(Dr.Bethune)です。


中央の塔の真下にある張景恵総理の執務室には総理の席が再現してあり、執務中の総理を気取ることができます。もっとも、総理と言ってもお飾りであり、実権は日本人が握っていたことは、後ろの壁にべたべたと説明してある通りです。この部屋はちょっとした食堂くらいの大きさがあり、売店になっていて、書画骨董などを売っています。


壁の説明の一部。満州国は日中両国民にとって歴史の悲劇であったと書いてあります。写真の左列上から二番目は岸信介さんです。岸信介さんたちの、満州国での国家経営の実験が、戦後の日本株式会社の源流であったという説もあります。


さらに屋上に出ることもできます。後ろの大きな緑の屋根は、未完成の皇宮を戦後中国の手で完成したもので、現在は地質学院(通称地質宮)になっています。


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