開放以前の旅順要塞


私は旅順要塞が対外開放される以前の1994年10月に、旅順要塞見学を組み込んだ東北ツアーに参加して、はじめて旅順要塞を訪れました。見学したのは東鶏冠山北堡塁、望台、二百三高地という、一般的な観光コースでした。その時の大連のガイドさんが、一人約1万円払えば個人でも旅順要塞を見られますよ、と言っていたので、その後1995年6月に、そのガイドさんに電話して旅順見学をセットして貰いました。当時でも、観光資源の調査団という名目で、金さえ払えば個人でも見学することができたのです。この時は一般的なコースの他に二竜山堡塁の一部を見学することができました。

以下、当時の文章と写真で、対外開放以前の旅順要塞の姿をご紹介します。写真はこの2回の訪問の両方を含んでいるので、秋景色と春景色が混じっています。


旅順要塞戦跡の現状(註・当時の状況)

大連から旅順までは車で約1時間の道のりです。旅順市の町外れで旅順側のガイド氏が待っていて、乗り込みます。旅順市から要塞線の内側(つまり当時のロシア側)にそって自動車道路ができていて、参観の各地点を連ねています。参観のルートは決まっていて、東鶏冠山堡塁→望台→二龍山堡塁→二百三高地の順序です。 ただしこの内、二龍山堡塁はなぜか閉鎖しており、中国人にも見せていません。私の時(註・1995年10月)は、大連ガイドさんが私のために必死に旅順ガイド氏を説得してくれ、おかげで幸運にも二龍山堡塁を見ることができました。いままでに、要人やマスコミ関係者など、いくつかの日本人グループが当局の好意で旅順要塞を見ていますが、おそらく二龍山堡塁を見たのは日本人では私が最初でしょう。

参観の各地点は観光地として良く整備されていて、駐車場や売店、トイレなどもあり、大勢の中国人グループが訪れています。戦前日本が建てた記念碑の類も壊されずに全部残っています。また中国が建てた大きな説明の看板があり、中国語で戦いの経過などを詳しく説明しています。各堡塁は内部まで入って一巡する順路ができています。盤龍山東・西堡塁、一戸堡塁など、観光地点になっていないところは行きたくても行けません。しかしこれらの位置関係は、望台から見渡すと一望にしてわかります。残念ながら、山肌は一面に松の植林がなされていて、禿げ山だった攻囲戦当時の殺伐とした雰囲気は損なわれています。二百三高地は売店などが無く、閑散としています。頂上には有名な砲弾型の記念碑が残っています。二百三高地からは旅順港が本当に良く見えます。

それでは、まず東鶏冠山北堡塁へお連れしましょう。


東鶏冠山北堡塁

東鶏冠山北堡塁は、旅順市街から見て北東方向へ扇形に張り出した主要塞線の南端にあたり、最初の見学地点です。菱形の平面形をした堡塁の各部が良く残っており、日軍爆破口、日軍坑道、コンドラチェンコ少将戦死の地などと書いた標識もあります。コ少将はロシヤ軍の最も有能な司令官でしたが、12月15日、堡塁視察中に日本軍の28センチ砲弾が落ちて死亡しました。


堡塁中庭の記念碑。右端は旅順ガイドさん。


西側の外壕


上の写真の内部。床を渡して二階とし、兵舎として使われていたという。


堡塁の片隅


外壕外側の壁に残る弾痕。二つの穴は崩れた銃眼です。


看板の前で説明を聞く中国人旅行団


次は望台です。