丹東・丹東賓館


丹東(昔の安東)市は北朝鮮との国境にあり、対岸の新義州とは鉄橋でつながっています。昔、満州国から日本へ行く時は、ここを通って朝鮮の南岸の釜山へ行き、そこから連絡船に乗るのが普通だったのです(なにしろ朝鮮は日本の一部だったので)。その丹東にちょっと変わったホテルがあることがわかったので、ご紹介します。

私は子供の時、安東にも住んだことがあるので、昔の家は残ってないかと、1995年6月に、丹東を訪れました。それまで訪れた2箇所の家は跡形もなかったので、期待はしていなかったのです。瀋陽から汽車で丹東に着き、タクシーに「丹東賓館」と告げました。なぜこのホテルを予約したかというと、単に「地球の歩き方」の本が、丹東のホテルとしてこことあと一つしか挙げていなかったからです。

さてタクシーは安っぽい横長の2階建ての棟の前に着いたので、これがホテルかと思っていると、これは単なる管理棟で、受付のあと、案内の女中さんは建物の裏手の坂道を登っていきます。すると、忽然として昔のままの日本人住宅街が、そして私の家が現れました。なんとこれがホテルだったのです。へたな中国語で「這個就是我們的旧家!」というと、二人の女中さんは「えっ?」という感じで顔を見合わせていましたが、その場で部屋を変更して、私の旧家の向かいの棟に部屋をとってくれました。中国はお固いようでいて、こういうレベルでは意外と融通が効くところが面白いです。

要するに丹東賓館は、むかし「江月台」と言った十数軒の日本人用高級住宅街をそのまま利用して作った、ロッジ式のホテルなのですが、昔の住人でなくとも、ホテルとしてとても居心地の良いホテルなので、丹東に行かれる人には是非お薦めしたいです。以下はその紹介です。


管理棟から「客室」の方へ登っていく坂道。左手には比較的小さい家が並んでいますが、これも「客室」。各棟の内部は5〜8室の客室に改造してあります。赤いドレスは女中さん。みな若くてスタイルがよい美人ばかり。


これが我々の泊まった家。私の旧家は道路を隔ててこちら側にあります。


上の写真の家の内部。ここは談話室で、右手が玄関ロビー、左手が我々の泊まった客室。左手のカウンターは女中さんが控えているところです。この家一軒のために女中さんが専属で付く、誠に贅沢な人の使い方。女中さんは6時になると、玄関のドアに外から鍵をかけて帰りますが、その後も自分の鍵で出入りできます。


同じ棟の階段。ここにもちょっとした談話コーナーがあります。1階4室、2階3室のこの棟に客は我々一行の3人2室だけ。


我々の泊まった部屋の窓から斜め向かいの家を見たところ。緑が多くて、高台になっているので街の喧騒から遠く、誠に静かです。部屋代も比較的安いですから、長期滞在して物書きでもしようという人には打って付けだと思います。部屋の広さと設備は一流ホテルなみ、新しくはないが汚くもない、といったところです。


ホテルの中の公園です。極彩色の動物の作り物はちょっと興醒めですが、朝の散策にはよいでしょう。


丹東賓館の客室は十数軒の旧日本人住宅と、新しい研修施設風の2棟の建物からなっています。我々の部屋も研修施設風のほうに取ってあったらしいのですが、上述のように女中さんが気をきかしてくれたのです。その他にディスコのある娯楽棟と、大きな食堂棟があります。食堂は4人前くらいの一皿料理が、何を取っても10元(120円)以下で誠に安いです。味も家庭料理風で日本人の口に合います。この食堂のウェイトレスさんがまた若くて美人で、我々を日本人と見ると気を使って親切にしてくれました。日本語はしゃべりませんが、どこで勉強したのか、聞くほうは少し分かりました。

部屋代は、日本から旅行社を通して予約するとツイン12000円くらいでしたが、受付のカウンターに貼ってあった値段はその半分くらいです。始めだけ日本から予約してあとはホテルで延長するのも手かも知れません。因みに6月でも客はほとんどがらがらでした。社会主義国でのみ成り立つホテルでしょう。あるいはホテルというよりは、幹部の保養施設として作られたものかも知れません。交通の便は瀋陽から特急列車が一日に2本、所要時間約5時間です。飛行機は木曜日のみ瀋陽からの往復便があります。


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