2001年の旅順要塞


前回のツアーの旅行社が2001年の11月にまた旅順要塞見学ツアーを企画し、前回見なかったところまで2日間フルに使って探訪するというので、参加しました。今回も一泊は旅順泊りでしたが、前回の軍経営(?)のホテルではなく、新紀元大酒店という、新市街にある民間のホテルでした。
戦跡の見学はますます自由な感じになり、場所さえ分かればどこへでも、たとえ道がなくても行く、という風でした。それではこのツアーで見た所を以下にご紹介します。

東鶏冠山北堡塁

今回はいつもの、旧市街から要塞線の裏側(つまりロシヤ軍側)をめぐる道ではなく、要塞線の東側の畑道を通って東鶏冠山北堡塁へ行きました。つまり日本軍の攻めた方向から近づいたわけです。


東鶏冠山へ行く途中の畑道から見た要塞線です。左の記念碑が見える台地が東鶏冠山北堡塁、右へ望台、盤竜山東堡塁、右端に一部だけ写っているのが盤竜山西堡塁です。攻囲軍は何カ月もこの風景を眺め暮らしたわけです。


展示館は屋上に欄干が付いてますますはでになりました。内部はこの写真のように、撮影自由になりました。また奧にある映写室は従来日本人に見せていませんでしたが、今回は覗いてもなにも言われませんでした。写っていたのは日本映画の「二百三高地」かなにかの戦闘場面のようでした。


なんと堡塁内部は立ち入り禁止になっていました。堡塁は外壕底の遊歩道を歩きながら外から眺めるだけになりました。


これは1997年に撮った写真です。このような姿も今は昔となりました。


水師営とその周辺

水師営会見所に行って見てびっくり、中庭中央の石碑がなくなっていました。なにがあったのでしょうか。その後聞いた話では、2000年の11月に行ったときに石碑が倒れていて、修理中かと思っていたら2001年の5月にはもうなかったそうです。日中関係に関係しているとしたら靖国問題にはまだ早いですが、教科書問題の時期には一致します。


水師営のすぐ東の小さな丘の上にこの竜眼北方堡塁の記念碑があります。この堡塁は水師営南方堡塁群とともに主要塞線の北の突出陣地をなし、8月の第一回総攻撃のときに盤竜山東・西堡塁が落ちたことによってますます突出していましたが、9月攻勢のときに陥落しました。


松樹山堡塁

前回松樹山堡塁を訪れたときは時間がなくて、咽喉部と中庭ぐらいしか見られませんでしたが、今回は外壕を一周する余裕がありました。外壕はそれほど深くありません。


外壕の内側壁に覗く銃眼。


外壕の途中に30mほどにわたって爆破されて崩れたところがあり、その両端にようやくもぐれるくらいの小さな穴が開いていました。ひょっとして日本軍の爆破用坑道かと思って腹這いでもぐって見たところ、途中から広くなって、やはり堡塁の一部とわかりました。ふりかえって入り口の方を撮った写真です。この土砂は100年前に流れ込んだままでしょう。その下には今も人が埋まっているのかも知れません。


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