• 7月16日、ブレッド(Bled)から予約したタクシーでルドゥノ・ポリェ(Rudno Polje)に行った。ルドゥノ・ポリェにはバイアスロンの大きな練習場が会った。タクシー運転手にリンゴを餞別にもらって出発した。しばらくは林道歩きだった。周囲は針葉樹の森だった。道脇には花がたくさん咲いていた。やがて登山道に入った。暑かったので途中でTシャツ一枚になった。道脇には菊などの花が多かった。虫や鳥は少なかった。しばらくすると平坦なトラバース道になった。ハイカー4人とすれ違った。次第に日が差してきた。花が多くなった。チョウノスケソウのような花が咲いていた。鳥の鳴き声も多くなった。下に牧場が見え、ハイカー4人が歩いていた。風は少し冷たかった。ナ・イェゼルチュ(Na jezercu)に出る手前では鹿の一種シャモワを見た。ナ・イェゼルチュはお花畑が広がる平坦地だった。ベンチが有ったので座って一休みした。風が少し冷たかった。フランス人グループ3人が追い抜いていった。ちょうどフランスがワールドカップで優勝した直後だったのでフランス国旗をザックにかぶせていた。ナ・イェゼルチュからは花を見ながらの登りだった。日が差し眺めが良かった。空にはカラスのような鳥が飛んでいた。途中でカップルが下山してきた。登りつめると斜面のお花畑のトラバースになった。ウサギギクのような花が多かった。ボーヒン湖が下に見えた。ベンチが有ったので一休みした。ベンチから先では、次第に景色が荒々しくなり、絶壁の下を通る道になった。風が少し有った。オダマキ、クルマユリ、イワベンケイ咲いていた。上にはトリグラヴォム(Trigravom)小屋が小さく見えた。牛の鳴き声が下から聞こえてきた。小さい雪渓が有り、滑らないよう注意して歩いた。やがてスロベニアでの最初の山小屋、ヴェレム・ポリュー(Velem polju)小屋に着いた。入口には今日のデザートが「アップル何とか」であることが掲示されていた。すでに多くの人が着いていて、ロビーは混雑していた。50歳位の小柄で神経質そうなオーナーがパソコンを操作しながら受付をしていた。料金の安いドミトリーの部屋をお願いした。料金は後払いで受付時にはパスポートを預けた。20代の背の高い女性が屋根裏部屋にある定員15人ほどのドミトリーに案内してくれた。ドミトリー部屋で女性がベットを確認すると余りは二つだけだった。一つ足りなかったのでいったん2階まで下り、しばらく待つよう言われた。5分ほどするとオーナーがやってきて、ドミトリーのベットがないので個室にドミトリー料金で泊まってほしいと言われた。2段ベッドのある5人部屋に案内された。「残りの二つは後から人が入るかも知れないので空けておいてほしい」と言われた(後になって20代の男性一人が入ってきた)。トイレ、洗面所は共通できれいだった。洗面所は男女共通なのに30歳くらいの大柄な女性が上半身下着だけになって体を洗っていた。シャワーがあり、4分4ユーロだった。同行のUさんだけが使う事にした。オーナーは、シャワーのコインを購入する時だけは、にこにこしていた。夕食時の食堂は混雑していた。シチュー、ザワークラウトとソーセージのスープ、2種類のパスタ の4種類から選ぶ方式だった。オーナーが写真を見せながらどれが良いかと聞いてきた。迷っていると、オーナーはどうやらシチューを食べてほしいらしく、これが良いとしきりに勧めた。オーナーの剣幕に負け、シチューを注文した。トウモロコシの粉を固めた物にビーフシチューをかけたもので、おいしかった。ただし、肉の量は写真よりもだいぶ少なかった。ビールは500cc入りが4ユーロだった。給仕の20代の少し小太りで愛想の良い女性が料理を運びながら「こんにちは」と日本語であいさつしてきた。「ありがとうは日本語でどう言うのですか」と聞かれたので教えてあげた。最後にはリンゴジャムをクレープでくるんだデザートが出た。食事が終わると2食付きの宿泊費、ビール、シャワーのレシートが配られた。飲み物・シャワー一人分込みで139.8ユーロ/3人だった。レシートを持って窓口に行って料金を支払うと、パスポートを返してくれた。
  • 7月17日、朝の食事も混雑していた。食べ放題のパンにチーズとハムを食べ、紅茶を飲んだ。混乱していて忘れられたのか、ゆで卵は我々のテーブルには配られなかった、隣りに座っていたベルギー人は、「卵が来なかった」と不満を言いながら席を立っていった。朝食が終わると山小屋を出発した。前方には登って行く登山者が見えた。ワイヤやボルトの付いた山道が続くのでストックはザックにしまった。風が少し有った。峠までは花が多かった。チョウノスケソウのような花が、たくさん咲いていた。見上げると前方のトリグラヴォム(Triglavom)小屋へ登る人が見えた。我々の行く右手のクレダリッチ(Kredarici)小屋に向かう人は少ない様子だった。雪渓が長さ20m位有った。雪渓の先で数人とすれ違った。イワギキョウ、エーデルワイスなどの花が咲いていた。やがて岩屑の道の登りになり、花が少なくなった。上を見ると小トリグラウを下ってくる人が見えた。やがてトリグラウの直下にあるクレダリッチ小屋に着いた。小屋前には数人の登山者がいた。良い天気だった。風が強く、風車が音を立てながら勢いよく回っていた。ここからはワイヤーが張られた道が続くので登攀具のヴィラウェアータを付け、ヘルメットをかぶった。慣れない物を付けたため、いささか緊張した。ここから見た山頂は、剣山荘から剱岳を見た時のように高く迫っていた。山頂までの標高差は約350mだった。スロベニアの最高峰、トリグラウは、スロベニアの人は誰でも一度は登る山らしく、富士山と同様に国を象徴する山だった。同行の二人には小屋で待っててもらうことにして一人トリグラウ山頂に向け出発した。最初の緩い勾配は、すぐにワイヤーの張られた急坂になった。ヴィラウェアータを使って体をワイヤーに確保した。ぎこちなかったヴィラウェアータの扱いは、しばらくすると慣れてきた。カラビナをワイヤーに付ける手順さえ間違えなければ、100%安全なので、途中からは、むしろ剱岳の登りよりもリラックスして登ることができた。真っ白なポピーを楽しみながら登った。約10人とすれ違った。風が場所により少し強かった。小トリグラウからは、坂は少し緩くなった。トリグラウ山頂には灯台のような山頂標識が建っていた。他に6人ほど登山者がいた。眺めが良かった。さほど風は強くなく、360度の展望をゆっくり楽しむ事ができた。小トリグラウまでの下りでは3人とすれ違った。下りの方が少し急に感じた。風が少し有り、日差しが強かった。小屋までの間ではすれ違いが多くなった。急な箇所では少し待たされた。小屋が近づくと風が強くなった。ヴィラウェアータのおかげで安全に下る事ができた。下山して小屋の宿泊手続きをした後、休んでいると、10人ほどの20歳前後の美女軍団が小屋に到着した。ピンクのレオタードを着ていて、おなかには、「More Beauty Miss Slovenia」と書かれていた。カメラマンとマネージャらしき男性に付き添われていた。スロベニアの美女はトリグラウにも登る必要があるらしかった。山頂への途中ではすれ違わなかったので、登頂するのは翌日らしかった。美女軍団の到着後には夕立になり、遅く着いた人は濡れ鼠になっていた。部屋は3階の二段ベットのあるドミトリーで、10人程が定員だった。この日は混雑して満員だった。レストランは広くて賑わっていた。朝6時から夜の10時までの営業で食事の時間は特に決まっておらず、好きな時間に注文すれば良かった。メニューは豊富だった。500ccの缶ビールが4ユーロだった。2食付きで108ユーロ/3人だった。
  • 7月18日、6時過ぎにパンとコーヒー、スクランブルエッグの朝食を食べた。ロビーでは、これから登頂する人たちが、ハーネスを付けたり、レンタルのヴィラフェアータを借りたりして混み合っていた。地下一階に用足しに行くと、美女軍団が洗面所を占領して化粧をしていた。我々も準備が終わると小屋を出発した。分岐までは前日登ってきたガレ場の道を下った。風が少し強かった。人は少なく、後から下りて来る人が二人いるだけだった。分岐からは斜面を登り気味にトラバースして進んだ。トリグラヴォム小屋が見えてきたあたりはワイヤーの岩場だった。トリグラヴォム小屋前には7-8人の登山者がいた。見上げると小トリグラウへと登って行く人が見えた。小屋からは草原の下りの後、ワイヤーの岩場になった。風が少し有った。ピンクの花が少し咲いていた。全体的に花は少なめだった。岩と岩屑の道が続いた。約20人とすれ違った。下り立った鞍部は草地になっていた。石を並べた落書きが多かった。登り返しで振り返るとトリグラウが見えた。4mほどの幅の狭い雪渓の脇で涼みながら一休みした。やがて下りになると、岩場をワイヤーを利用して通過した。ドリチュ(Dolicu)小屋前には小さな雪渓が有った。小屋にはベンチが有った。最初は他のハイカーで満員だったが、やがて出発していったので座らせてもらった。風が強く風車が勢いよく回っていた。カラスのような鳥が風に吹かれながら飛んでいた。管理人が雪渓の雪をバケツに入れて溶かしてトイレ用の水を作っていた。一休み後、小屋を出発した。最初は斜面を横切る道だった。雪渓が数ヶ所で有った。峠が前方に高く見えた。小さい黄色い花が咲いていた。雪渓のぞばで涼しい風に吹かれながら休んだ。上から犬連れのカップルが下りてきてすれ違った。雪渓から峠までは急登だった。最後はジグザグの道だった。雪渓が一箇所有った。峠には登山者が7人休んでいた。風がさわやかだった。振り返るとトリグラウが見えた。峠からの下りでは小さな雪渓がいくつもあった。数人とすれ違った。岩の多い道で、黄色いポピーのような花が咲いていた。白い岩の間にはマーモットがいた。プレホダヴチ(Prehodavcih)小屋が見えてからが時間がかかった。いったん池脇に下りてから登り返しが必要だった。登り返しは花が多かった。プレホダヴチ小屋はお花畑に囲まれた別天地のような所だった。小屋前の草地に寝そべっている人は、あたかも花の中に埋もれているかのようだった。100mほど下には氷河湖が見えていた。事前に電話がうまくつながらなかったので宿泊の予約はできていなかった。受付の20代の女性には、「キャンセル待ちになるので18時まで待ってほしい」と言われた。外のベンチで花を見ながら休んでいるうちに「キャンセルが出た」との知らせがあり、18時前に離れの冬期小屋(Winter Room)のベッドが確保できた。冬期小屋は1階が倉庫で2階が宿泊部屋になっていた。2階の方が広いので遠目にはマッシュルームのような形だった。トイレは母屋から30mほど下の離れた場所に有り、母屋の人も使っていた。夕食は母屋の食堂だった。ドイツ人家族の隣りになった。我々を一昨日の小屋で見たとの事だったが、思い出せなかった。「Trigravに登ったか」と聞かれたので、「Yes」と答えると、「おお」と感激してくれた。どうやら彼らは子供達と一緒なので登ることができなかったらしかった。夕食後、トイレから冬期小屋に戻ろうとしていると、目の前にアイベックス(大きな角を生やした鹿)が現れた。びっくりした。後ろを振り向くと小屋の人たちもこちらを見て写真を撮っていた。「このままだと彼らの写真には私とアイベックスが映ってしまうな」と思ううちに、アイベックスはゆっくりと湖の方に下りて行った。小屋は2食付で114.48ユーロ/3人だった。カードが使えた。パン1枚は0.7ユーロだった。
  • 7月19日、朝方も小屋の回りにアイベックスがいた。朝は花びらが閉じていた。虫が少し飛んでいた。朝食後、出発した。最初の休憩までは寒かったのでフリースを着た。湖からは、なだらかな下りになった。涼しい風が吹いていた。白い岩の道で花が多かった。センジュガンピのような花が咲いていた。次に休んだ標高1900m地点から少し進むと行く手にヴェリコ(Veliko)湖が見えた。湖への下り始めの所にはツアースキーの背の高い標識が有った。ヴェリコ湖は谷間に有り、ようやく光が当たり始めたところだった。登山道は湖面より30m程高いところを通っていた。道脇の斜面にはナデシコがたくさん咲いていた。湖の南端まで行くと丘が有り、ベンチもあったので登って休んだ。エーデルワイスがたくさん咲いていた。風が少し有った。湖から先では木が少し増えてきた。松の木が多かった。標高1800mからは樹林帯になった。ツツジの花が多かった。ヴェリコ(Veliko)山分岐にはベンチがあった。木が生えたり草地になったりした。花が多かった。小さな池を過ぎるとトリグラフスキー・イェゼリー(Triglavcki jezerih)小屋に着いた。小屋の外にベンチが有り座って休んだ。登山者が14-15人いた。マッシュルームスープを注文した。9.6ユーロ/2杯だった。持参のパンと一緒に食べた。ちょうどヘリコプターの荷揚げが始まったところで、居合わせた登山者は珍しそうに写真を撮っていた。荷揚げは繰り返されたので、4回目になる頃には誰も見向きもしなくなった。この小屋は水が無料だった。水筒に水を満たしてから出発した。出発してすぐ振り返ると、湖越しの小屋が絵のようにきれいだった。少し進むと緩い登りになった。お花畑できれいだった。やがて急な下りになった。谷まで下りると緩い道になり岩屋が有った。岩屋は涼しかった。クルノ(Crno)湖は手前の分岐から下ったところ大岩が多くて歩きにくかった。湖には20人位休んでいた。帰りは反対側へ進んだところ観点に登山道に戻ることができた。湖からは急な下りになった。ワイヤーが取り付けられていた。15cm位の落石が有り驚いた。落石も有ったので休まず下った。下山したサヴィチ(Savic)小屋では、バスまで1時間以上有った。ウエイトレスに車を停めてもらいヒッチハイクしてボーヒン湖のホテルまで行った。