• 7/20、スロベニアのトレッキング後半は、「サビチャの滝」近くのサヴィチ(Savici)小屋の宿泊からだった。11時前にボーヒン湖のホテルをチェックアウトして、バスでサヴィチ小屋に移動した。サヴィチ小屋の外見は納屋のような雰囲気で、部屋は2階にあった。2階に上がると、靴は入口で脱ぐようなっていて部屋は清潔だった。すでに2人の先客がいた。20代のフランス人カップルで、いきなり「こんにちは」と日本語で挨拶された。食事は小屋に併設のレストランで食べた。夕食は鱒料理を注文した。おいしかった。スロベニアのお菓子も進められたが、おなかがいっぱいになったのでやめておいた。
  • 7/21、翌朝、「卵や肉料理でないものを」と、お願いすると、シリアルとヨーグルトを出してくれた。昨晩あきらめたスロベニアのお菓子、シュトルクリ(カッテージチーズとナッツを使った焼き菓子 1個5ユーロ)を注文した。温かいお菓子でおいしかった。宿泊料金は、お菓子も含め2食込みで117.3ユーロ/3人だった。カードが使えなかったので現金で支払った。支払い後、3人合わせて持っていた現金を確認すると350ユーロしかなかった。これからの3泊の山小屋が現金しか使えない場合は不足しそうな金額だった。サヴィチ小屋の主人に聞くと「上の山小屋もカードは使えないだろう」との返事だった。カードのATMの場所を尋ねると、「8キロ離れた町にある」との事だった。本当にカードが使えないか、山小屋に電話して調べる事にした。まず、2泊目に行く山小屋に電話すると「カードは使えるが、通信状態が悪い時があるので現金も持ってきてほしい」と言われた。心もとないので、最後に泊まる山小屋に電話してみた。英語が通じなかった。英語で何度か聞いて、どうやら使えそうな感じがした(後で間違いと分かった)。最後に、一番初めに泊まる予定の山小屋に連絡すると「カードは使える」との返事だった。ようやく安心した。出発するとすぐに「サビチャの滝」の入口に着いた。入場料は一人3ユーロだった。念のため節約し滝見物は断念する事にした。滝入口で水を汲んだだけで横の登山道を登り始めた。幅の広い道でジグザグに道が切られていた。広葉樹の森で雰囲気は日本の山と同じだった。木はまっすぐだった。道にはカーブ毎に番号が振られていた。番号は次第に大きくなっていった。道横を見上げると荷揚用リフトのケーブルが張られていた。登り途中でボーヒン湖が2回見えた。比較的登山者の多い道で、15人程とすれ違った。途中から少し曇ってきて、時々小雨が降った。ジグザグの道が終わると谷間の道になった。石灰岩の道で緩い登り坂だった。トリカブトやキクの仲間が咲き、花が多くなった。途中で他の小屋への分岐を過ぎると木がまばらになり、花が更に多くなった。日本ではハクサンイチゲなど湿性のお花畑が多いが、こちらでは乾いた土地に咲く花が多く、ウサギギクに似た花や、ハクサンチドリに似た花などが咲いていた。カルスト台地の上に出ると、行く手に宿泊予定のボガティモン(Bogatimon)小屋が見えた。道脇には説明板が有った。「この付近は第一次大戦時にオーストリア・ハンガリー軍のキャンプ地だった」との説明が記載されていた。ボガティモン小屋は英語を少し話せる30歳くらいの女性と、英語を話さない40歳位の女性の二人で切り盛りされていた。山岳協会で管理しているそうで、女性達は雇われて働いている様子だった。30歳くらいの女性に受付してもらった。「働き始めて4ヶ月だけれど日本人は初めてだ」と言われた。夕食に何を食べるか聞かれ迷っていると、ネットを使って日本語訳してくれた。「キャベツのスープ」と仮名で訳された料理を注文した。食堂の壁には3週間ほど前に訪れた小学校低学年の子供達の絵が10枚ほど張られていた。遠足でここまで来ている様子だった。2階の寝室へはスリッパに履き替えて登った。滑り止めの絨毯が階段各段の中央に扇形に貼られていて、センスの良さを感じた。部屋はきれいで、2段ベッドも真新しかった。時間が早いので周囲のお花畑を散策した。60歳代のアメリカ人が通りがかった。「初めてスロベニアに来たけれど、こんな良いところとは思わなかった」と言っていた。一回りして戻ると受付してくれた女性が小屋前のベンチで本を読んでいた。この小屋が気に入ってる様子で「ここはパラダイスだ」と言っていた。宿泊は、他に赤ん坊と幼稚園児くらいの子供を連れたドイツ人一家だけだった。ちょうどお父さんが日帰りで行ったクルンから戻ってきたところだった。「往復7時間かかった」との事だった。片道5時間半のコースなので受付女性も驚いてた。夕食でキャベツのスープ(ザワークラウトと大麦の入ったスープ)をおいしくいただいた。食後にドイツ人お父さんがクルンへの途中で撮った写真を見せてくれた。氷河湖がきれいに映っていた。一家は、ここに3泊するそうで、この山小屋が気に入っている様子だった。「どうやってここを知ったのか」と聞かれたので、英語で詳しく説明できなくて「地図で見て知った」とだけ答えた。寝る前には子供の作ったくじ引きの相手をした。結果が「悪い人」との事になったので、残念な表情をしたら、子供はとても喜んでくれた。
  • 7/22、夜間に雨が降ったせいで、朝、外のベンチは濡れていた。朝食を食べ終わり、外で出発準備をしていると、ドイツ人一家が外に出てきた。朝食を外で食べるらしかった。「濡れてますよ」と伝えると、気が付いた小屋の40歳位の方の女性がベンチに毛布を敷いてくれた。こんなところで家族で朝食をするなんて、気分良いだろうな、と思いながら小屋を後にした。道は、かつての軍用道でよく整備されていた。小さな松が多かった。後ろから日が照ってきて暑くなった。カルスト台地の緩い登り坂で花がたくさん咲いていた。振り返るとボーヒン湖は雲海の下だった。やがて6人グループに抜かされた。途中の登山道横の小広場に補給基地跡が有り、説明板が有った。花がたくさん咲いていた。峠までは斜面を横切って登る緩い登りが続いた。風が少し出てきて曇ってきた。少しにわか雨も降った。峠には戦時の建物と塹壕の跡が有った。少し寒かった。峠からの下りも花がきれいだった。正面には目指すクルンが見えた。所々にコンクリート造りの建築物跡が有った。再び晴れて来て日差しが強くなり、暑くなってきた。下に戦時の廃墟が見えるところで一休みした。一休み後、廃墟の横を通って進んだ。変わりやすい天気で時々雨が降った。やがて草原になった。「羊に注意」の看板が有った。この付近でイタリア人グループ6人に抜かされた。草原が終わり小さな峠を越えると下に小さな小屋が見えた。小さいと思っていると、これは羊の牧舎で、本当のクルンスキーイェゼリー(Krnskih jezerih)小屋は、その先の森の中に有った。小屋の宿泊受付は17時からとの事だった。ここから20分でユリアンアルプス山中で最大の氷河湖、クルンスコ(Krnsko)湖が有るため、日帰りの登山者の立ち寄りが多かった。小屋前のベンチは12-13人の登山者が、めいめいスープなどを注文し、昼食を食べていた。我々もビール(500cc 3.5ユーロ)とザワークラウトのスープを注文し、ベンチに座って休んだ。一休み後、下から聞こえるカウベルの音に誘われて5分ほど歩いて行ってみた。小さな氷河湖が有り、脇に10頭ほどの牛が放牧されていた。小屋に戻りベンチて休んでいると、にわか雨が降り出した。小屋に入って休むことにした。食堂でシュトルクリを注文した。しばらくすると雨がやんだので外に出た。手持ちぶさたで小屋前でぶらぶらしていると、眼鏡をかけ口ひげを生やした男性が話しかけてきた。「我々は13人で、イタリアのトリノから来た。明日はクルンに往復で行く予定だ」との事だった。「私たちはクルンを越え反対側に下りる」事を伝えると、「ソチャ(SOCA)の谷だね。あそこは、良いところだ」と教えてくれた。17時になったので受付をした。背が高くロングヘアの美人が受付をしてくれた。食事の時間を聞かれた。クルンに行く事を伝え、早く食べたい意思を示したところ、「イタリア人グループも6時に食べるので6時なら問題ない」と言われた。部屋はきれいな個室で、シャワーは無料だった。この日の他の宿泊者はイタリア人13人組の他、2組の二人組だけだった。夕食はトウモロコシの粉にシチューをかけたもので、クレープのデザートが付いていた。イタリア人達はワインを飲んで賑わっていた。2食付きで108.8ユーロ/3人だった。ビールは500cc入りが3.5ユーロだった。
  • 7/23、イタリア人達の15分遅れで出発した。すぐに放牧の牛の群れが牧舎に戻って来るのとすれ違った。牧童は青い服を着た35歳くらい女性だった。覚え立てのスロベニア語で「ドブロユトロ(おはよう)」と挨拶すると、通じたようで「ドブロユトロ」と返事を返された。牛たちが小屋に戻ると入れ違いに羊たちが出てきた。どうやら羊の放牧が始まったようだった。クルンスコ(Krnsko)湖は青くきれいな湖だった。湖に出たところで間違えて2分ほど上に進んでしまった。引き返したところで同行のUさんが転んで膝を怪我してしまった。応急手当をした。クルンスコ湖の一番奥に着いたところで休んでいたら、我々が歩いてきた湖岸の道を50匹ほどの羊が一列になってやってきた。牧童らしき人はいなかった。休憩後は、メーメー鳴く声を聞きながら、一緒に谷を登った。標高1500m地点には広い平坦地が有った。行く手には目指すクルンが尖って見えた。マツムシソウがたくさん咲く別天地だった。羊たちは平坦地の奥まで進んで見えなくなってしまった。平坦地の脇には放牧の管理小屋が有った。平坦地の奥まで進むみ、しばらく登ると谷間になった。暑かったのでTシャツ1枚になった。ウサギギクのような花やハクサンフウロのような花、濃い紫の花など、花がたくさん咲いていた。やがて吹き上げの風が強くなり寒くなってきた。上着を再度着た。1750m地点からの登りでは雪渓が有った。水場標識が有ったので行ってみた。岩の間の底に水が流れているだけだった。峠が近づくとジグザグの登りになった。土の色が少し赤くなった。振り返るとクルンスコ湖が見えた。峠は少し風が強かった。峠から直接山頂に行く道があるはずだったが見落としてしまい、山頂直下のクルン小屋の方に着いた。小屋は無人だった。6人ほど登山者がいた。荷物を小屋前にデポして山頂に向かった。山頂への途中には洞窟があった。クルン山頂には他に3人登山者がいた。展望板があった。北東側にスロベニアの峨々たる山々(ユリアンアルプス)が一望できた。一方、南西側は一気に標高200mほどのソチャ(SOCA)川まで落ちていた。あたかも甲斐駒の山頂から中央線の走る谷を見ているような高度感だった。谷までの間はカルスト地形になっていて、白い岩の間に緑の草原が広がっていた。ところどころには牛がいて牧歌的雰囲気がした。宿泊予定のクヒンジャ(Kuhinja)小屋は中間の標高1000mほどの所にあり、まだまだ小さく見えた。30歳くらいの女性単独行者とお互いの写真を撮りあった。しばらく展望を楽しんだ後、クルン小屋に戻り昼食休憩にした。テラスからの眺めも良かった。クルン小屋からは牧歌的風景の草原をジグザグに下った。花がきれいだった。1610m地点で休もうとしたら、牛に邪魔され、少し下った1550m地点で休んだ。休憩後、草原の花々を見ながらゆっくり下りクヒンジャ(Kuhinja)小屋に着いた。小屋のテラスには赤い花が飾られていた。ベンチには登山を終えた日帰り客が二人ほど休んでいた。あいにくと小屋の主人は、英語が通じなかった。ここには車道が来ているので、翌朝はタクシーを呼ぶつもりだった。タクシーを使いたい意思を伝えると、「7時にバスがある」と壁に貼られた時刻表を指し示して教えてくれた。朝7時と夕方17時台の二本のバス時刻が書かれていた。ここまでバスが来る事は調べ切れていなかった。バスに乗るためには朝食を早めに作ってもらう必要が有った。6時の朝食をお願いしようとして四苦八苦した。バスが有ることがうまく伝わらなかったと勘違いした主人は翻訳ソフトで「7時にバスが出発します」との日本語表示をモニタに出してくれた。こんなところでモニタの日本語表示を見たのでびっくりした。「それは分かっているんだけれど」と思いながら、やりとりを重ねた。やっと6時に朝食を作ってくれる事が確認できた。水をどこで手に入れるのか聞くため、空のペットボトルを指差して飲むまねをしたら、外の水場を指差して教えてくれた。 夕食前、覚え立てのビールの銘柄名「ラシュコ」と言うと、「おお、ラシュコ」と言いながら機嫌良く冷蔵庫から500ccの瓶ビールを出してくれた。食後にテーブルに並んでいたケーキのうちの一つを指差して注文すると、奥さんが「スロベニアのケーキも有る」とスロベニア語で言いながら奥から一見シュウマイのような形の冷凍されたお菓子を出してきた。注文すると10分ほどして暖めたお菓子を出してくれた。おいしかった。2食で100ユーロ/3人だった。最初、我々だけだったが、21時過ぎに他の客が来た。
  • 翌日は小屋近くの駐車場からのコミュニティーバスに乗った。麓のコバリッドからやって来たバスには15人ほどの乗客が乗っていた。これから山頂まで日帰りで登る人たちらしかった。一日、二本だけのバスを利用して山登りする人も結構いて、クルンは人気の山だと思った。下りのコバリッド行きのバスには我々の他、途中から乗った乗客が二人いただけだった。バス料金は1ユーロ/一人で、切符は一日有効との事だった。