- ガイドP氏と一緒にGaleshwarで車を降り残りのメンバーと合流した。我々トレッカー4人に対し、ガイドはP氏とアシスタントガイドのN氏の二人、料理長・キッチンスタッフの4人、ポーター8人の合計18人のパーティだった。
- 食道で昼食のダルバッド(豆と米の料理)を食べてから歩き始めた。セミが鳴いていた。生活道の歩道の登りだった。お祭りの日だったため着飾った女性達2-3人とすれ違った。50歳くらいの西洋人夫婦トレッカーとすれ違った。Mauwa Phantで運動場に初日のテントを張った。我々のテント3張り、ガイドのテント、食堂テント、炊事テント、トイレテント各一張りの合計7張りのテントだった。テントで休んでいると、バスケットボールをしにきた村の子供達が珍しそうにテントの中をのぞき込んだ。言葉が分からず会話することができなかったのは残念だった。夜は蛍が飛び、天の川が良く見えた。
- 二日目、ポーター達の出発に引き続いて出発した。50戸ほどの集落Dagnamを通過した。女性二人が道ばたで流水を使って洗濯をしていた。道が狭くなり、断崖絶壁の中腹を通過した。直径2m位の白い大岩に蛇の絵が描かれていた。岩尾根を回り込むと正面にダウラギリが見えた。30戸ほどのDurmija集落でダウラギリを見ながら昼食休憩を取った。休憩後、少し進んでChimkhola集落手前の放牧跡地に幕営した。
- 三日目、Raghuganga谷沿いに登り村をいくつか通った。途中の店でポーター達は米を買っていた。飴を14個20ルピー(約20円)で購入した。Raghuganga本流を吊り橋で渡ったKhali谷出合で昼食休憩にした。周囲には牛糞が多かった。昼食後、急坂の尾根を登り5戸ほどの小さな集落を一つやり過ごしてからChourkhani Kharka(Kharka=放牧用の臨時小屋)まで進み幕営した。羊飼いの声がこだましていた。夕食前にたき火をしてくつろいだ。
- 四日目、広葉樹林帯を稜線まで登ると、ダウラギリの展望が開けた。山稜を横切って進み小さな峠から下ると放牧地になった。羊やヤギの群れとすれ違い、放牧地下部の小屋の横まで下って昼食休憩にした。昼食後、尾根を回り込むと100戸ほどのKuinekhni集落に着いた。米や青菜を調達した。尾根を回り込んだ水場近くの斜面Mangla Phatに幕営した。
- 五日目、Malampara集落(約30戸)近くまで斜面を横切って進んだ後、沢沿いに急坂を登った。稜線に出ると、ダウラギリⅣが大きく見えた。少し進んだDeurali(峠)で幕営した。ダウラギリⅡが見えた。周囲は針葉樹林だった。ガイドN氏とポーターP君が1時間以上かけて水40リットルを汲んできてくれた。昼食と夕食を採った。夕食前にたき火をした。
- 六日目、急坂をSingkos谷まで下った。木の橋で沢を渡ってからは沢沿いの斜面を上り下りしながら進んだ。Singkos(約5戸)で昼食を食べた。急坂を下る途中で40歳くらいの地元の男性二人とすれ違った。「ダウラギリサーキットか」と聞かれたので「ベースキャンプまで」と答えた。ダウラギリに向かうメインのMyagdi谷を吊り橋で渡って、最終集落のJeltung(約20戸)に着いた。集落の先は黒部渓谷を思わせるV字谷になっていた。一休み後、谷沿いの道を上り下りし、Myagdi谷本流を木の橋で渡って温泉まで行き、温泉のあずまやの下で幕営した。久々に体を洗った。
- 七日目、Myagdi谷沿いに登って行った。小さな放牧地を二つ通った。ガイドのN氏が牛乳を買って休憩時に飲ませてくれた。少し癖のある牛乳だった。Dhapchaで昼食休憩を取った。休憩後の登りでジャパニーズベースキャンプ往復の50歳くらいの西洋人夫婦とすれ違った。Dobanまで登り幕営した。夕方に夕立が有り雹が降った。土砂降りの中、テントの回りでガツガツ音がするので外をのぞいてみたら、ポーターP君が濡れながらピッケルを使ってテントの回りに雨水用の溝を掘ってくれていた。