「日本型経営の改革」

政経学部経済学科 44029番

生駒 一将

<目次>
 はじめに 
第一章、日本経済の現状と今後の展開につ
いて
  第一節、大競争時代のはじまり
  第二節、日本経済の閉塞感
  第三節、今後の日本経済について
 第二章、日本の雇用制度について
  第一節、雇用の現状
  第二節、失業率の推移
   第一項、産業構造の変化と失業
   第二項、失業率の国際比較
  第三節、日本型雇用制度
  第四節、労働生産性
 第三章、多様化する雇用制度
  第一節、就業形態の多様化
   第一項、就業形態について
   第二項、労働移動の実態
  第二節、人材派遣業界について
   第一項、人材派遣について 
   第二項、人材派遣とアウトソーリング
  第三節、国際化と雇用
  第四節、高齢化と雇用
   第一項、人口高齢化
   第二項、高齢化と労働市場
 第四章、日本企業経営の実態と方向性
  第一節、今後の経営者の役割と期待
   第一項、日本企業の衰退
   第二項、経営者の役割と期待
  第二節、環境経営の動き
   第一項、環境保全について
   第二項、環境経営の国際化
   第三項、環境経営の企業の取り組み
  第三節、株主代表訴訟について
   第一項、株主代表訴訟とは
   第二項、高まる監査役の役割
  第四節、企業評価の尺度
   第一項、企業評価の尺度
   第二項、財務管理からの評価
第五章、衰退の危機を乗り越えて
おわりに、

 はじめに
 「大学はでたけど、、、」とぼやくほどの就職難の壁にぶつかり、株価、地価の低迷に加え一般物価も下落するデフレーション傾向、金融機関の相次ぐ経営破綻、昭和初期の恐慌を連想させる現象が次から次と表面化しています。だが、日本経済の体質や国際的地位は、昭和恐慌とは比較にならないほど強固になっている。プラザ合意後、度重なる円高の嵐も言い返せば日本産業の国際力の強さを反映したものである。だが、21世紀は危うい。冷戦構造が崩れ、地球全体が「大競争」の波に襲われています。戦後の日本は、終身雇用制度、年功序列などの雇用慣行をバックに巧みな大量生産システムを作り上げた。だが、経済のソフト化、途上国の追い上げが進み、従来のシステムは適応力を失い、行政指導は今や構造転換の障害になっている。
 日本は今大きな転換期に来ている。企業は「大競争」への対応に追われ、行政も規制緩和、民営化が課題になっている。タイミングの悪いことに日本は、先進国の中でも最悪な財政赤字を抱え、どの国も経験したことのないスピードで本格的な高齢化社会に向かっている。国、地方と会わせた長期債務残高は97年度末で476兆円にのぼり、旧国鉄債務などの隠れ借金をあわせると521兆円になる。どうしてこのようになったのでしょうか。やはり冷戦が終わり世界全体が「大競争」に突入したのが最大な原因ではないだろうか。「大競争」時代に日本も巻き込まれ失業率の上昇、財政破綻、金融不祥事、などなど生じた。そして「産業の空洞化」と言われている日本が誇る製造業の停滞が起こった。朝日新聞によると「2000年まで構造改革をしないで産業の空洞化が進めば雇用が120万人が減少する」という記事を載せた。このことを防ぐためにも経済構造の改革が不可欠である。
 今回の卒論は、日本型経営システムの1つとして挙げられている。「雇用制度」を考えて、どうして終身雇用制度が崩壊し、派遣社員が増加したのか。現在における問題点を指摘し考えたいと思う。「雇用制度」の変化は、「産業の空洞化」などの日本経済に関わるので、その視点から導き、最後に日本経営も考えたいと思う。

<内容>
 第一章、日本経済の現状と今後の展開について
  第一節、大競争時代のはじまり
 日本経済はバブル崩壊後の停滞からようやく抜けだそうとしている。だが、冷戦後のグローバル経済の激変の中で、政策運営も企業経営も人々の生活もこれまで経験していない変化にさらされている。経済政策は戦後のキッチアッチプ型からの転換を強いられており、企業経営は日本型慣行が問題化している。人々もその暮らしの中で豊かさの意味を考え直さなければならない時期に来ている。明確なことは、自らが変革を目指さない限り視界が広がってこないのである。
 冷戦後の世界経済では、ほんの数年前まで予想もできなかった「大競争」の時代が始まっている。日本、欧州、アメリカだけがグローバル市場で争う時代は終わりを告げた。アジアなどの発展途上の国々が競争者として名を挙げている。新興工業経済群(NIES)や東南アジア諸国連合(ASEAN)の国々だけではなく、中国、インドへと競争国は拡大していっている。新しく参加した国は、いずれも強い製造業の基盤と高い記述水準を持ち、しかも賃金水準が低いのが特徴である。
 「大競争」は、世界経済に様々な形で衝撃を与えている。とりわけ低価格製品がグローバル市場にあふれることで、デフインフレの傾向を定着させた。日本経済で起こっている価格革命はスーパーなどの店頭での単なる流通革命ではない。世界経済でダイナミックに展開している地殻変動が背景にある。この変化は21世紀ので続く構造的な激震である。 アジアに追い上げられ、米国に水をあけられている日本企業は「大競争時代」に苦境にたたされている。賃金コストは、アジア帰郷にかなうことはできない。基礎的な研究開発や情報通信などの先端分野で、米国に比べ遅れで目立つようになってきた。経済成長を支えている労働力、技術、カネのうち、労働力はアジア、技術は米国に遅れている。さらにカネの面でもせっかく高い貯蓄率も宝の持ち腐れに終わる可能性がでてきた。ニューヨーク、ロンドンと並ぶ三大金融センターであった東京市場の空洞化はその現れである。外資系の金融機関は、日本からシンガポール、香港などの拠点へ移ってきている。不自由でコストの高い東京市場は、ローカル市場になっている。それは、「日本の劣化」の象徴である。
 冷戦終結をきっかけに、それまで10億人程度の先進国に限られていた市場経済に共産諸国や発展途上国が参入してきた。市場経済の規模は40億人になり、世界的な「大競争」がはじまってきている。それは日本の近郊のアジア諸国を中心に起こっており、日本経済を様々な角度から揺さぶっている。
「高度技術と、勤勉で低賃金の労働力の結合」まさにこのようなキッチコピーができるほど勢いがある。アジア諸国への直接投資は日本企業の「円高対策」だけでは説明できない。冷戦終結後、欧米の企業にも投資に拍車がかかっている。ソ連がなくなり、中国などの開放政策の定着や、勤勉で低賃金の労働力が再評価されるとともに、アジア地域が巨大市場になる可能性が注目されるようになる。そうした中でより有利な収益機会を求め、3兆ドルともいわれる国際流動資本の一部がアジアに流れ込んで、「大競争」を演じている。このことは日本にとって、景気回復後でも失業が増加し、賃金が低下が進むことを示唆している。アジアからの低価格の輸入増加はデフレ傾向を長期化させて、流通など低生産性分野の企業を容赦なく淘汰する。これは、景気の循環とはかかわらず21世紀に向けた流れになると思われる。
 「大競争」とは94年のはじめに、世界経済フォーラムにおいて同会議の顧問であるC.スマジャが使われた言葉であると言われている。この「大競争」がはじまったのは、前述したように冷戦の終結が最大原因であるが、競争を後押ししたのは民間資本である。1971年のドル、金交換停止でドルの発行に歯止めがかからなくなった。特に80年代後半において米国では景気回復のために金融緩和対策が取られており、ドルが供給過剰になる。そのドルを利用して先進国の産業資本は、アジア諸国に生産基地を築き上げた。米国連邦準備理事会(FRB)の推計によると、米国内で発行されたドルの60%は海外に流出している。ドル過剰の犠牲で実力を上回る円高に見舞われた日本企業も円高対策のためアジアに投資するようになった。
 つまりソ連の消滅とドルの供給過剰によって国際資本がアジア諸国に向かっている。アジア地域への民間資本の流入は90年の70億ドルから93年には、195億ドルに達した。冷戦終結において国際資本による産業の再配置が「大競争」の第一の側面である。
 デフレの長期化や企業の海外移転は、労働者やその家計に大きな影響を及ぼすことになる。物価の下落で実質的な生活水準は高くなるという論議もあるが、そけは賃金が今まで通りに支払われる場合に限られる。デフレや産業の空洞化が賃金水準や仕事そのものを脅かすことを忘れてはならない。

第二節、日本経済の閉塞感
 大学入学当時また、大学2年生のころは、「就職難」に見舞われ日本経済が低迷している時期であった。景気は、デフレの影が忍びより、成長率は(95年当時)、3年連続ゼロ成長。1ドルが80円台を切った超円高をなんとか修正したが、消費は停滞しており、設備投資も水面下にある状態であった。そのころの「就職難」は、特に女子大学生に打撃を受けた。1993年の女子大学卒業者は13万6000人であったが、このうち就職できたのは10万人であった。就職率は75%であり前年度より5%も落ち込んだ。つまり、「就職難」は、日本経済の停滞とも関連していており、日本全体の雇用にもつながると考えられる。
 また、日本の金融機関が不良債権の処理で手間取り、お金の流れも停滞していた。企業は円高に耐えきれずコストの安いアジア諸国へと出ていく。「産業の空洞化」が現実味を帯びてきた。おまけに日米関係は戦後最悪な状態になり、自動車をめぐる日米貿易摩擦は表面上では解決していたが、いつでも米国はスーパー301条を突き出す構えをしていた。常に日本市場に圧力をかけていた。政府はこんな状態にも関わらず有効な政策を出すことはできなかった。 
 経済企画庁は91年5月にはじまる平成不況は93年に底を打ち、以後95年6月ので「緩やかな回復過程をたどっている」と言い続けていた。だが、これは政治権力の重圧に寄り切られたものである。企画庁の見方をすると今回の景気回復局面は95年6月まで20ヶ月以上も続いたことになる。それを実感する企業の経営者、政治家は誰もいなかった。確かにそこころの上場企業の業績動向をみてみると5ヶ月ぶりに増益になっていた。だがこれには経常利益はしか増えていなく、売上高は前年度より(94年度と95年度を比較してみて)、1.9の減少。売り上げは伸びていないのに利益は増えている。これは企業が生き延びるのに懸命になって取り組んだ人員削減などリストラの成果であって、景気回復の需要拡大ではない。日経新聞ではこの景気を「デフレ景気」と呼んでいる。価格破壊によって物価が下落し、一向に景気がよくならない状態である。つまりデフレと景気が同居している状況である。95年以降これが一段と強まった。経済企画庁が言ったように、確かに景気が回復に向かっているときもあった。93年12月頃から冷蔵庫などの家電製品が売れはじめ、米国向けの半導体などが景気回復の先導役を果たしているようかに考えられた。94年は暑かった年でもあったが、クーラーが売れ、マルチメディアブームにのりパソコンが購買力を引き上げた。このときは景気がよくなったと誰でも考えると思う。それには3つの要因があった、第一は夏の期末手当の時に取得税、住民税の大幅減税が実施されたことである。一律20%の減税は予定外のボーナスみたいものである。第二は先ほど前述したように94年の夏は猛暑であったこと。このことは小売業は「景気より天気」という言葉が当てはまる結果であった。第三は米国の景気が上昇したことである。米国の景気は92年度の後半から回復を続け93年は3.1%。94年は4.1%の成長率を記録した。米国の景気が回復したことで機会器具、半導体などの輸出か増え、このことによって日本の景気を支えた。しかし、今後このような期待はできない。第三節で説明するが、またまだ日本経済は不調のままである。
 95年には急激な円高がはじまり、4月17日には1ドル79円となった。輸出業者から悲鳴が聞こえ、企業の倒産が増え続けた。円高に対応して、企業が国際競争力を高めようと努力するほど、日米の貿易収支の不均衡が縮小せず、円高が進む結果になった。日本政府は有効的な政策を出すことができなかった、公定歩合は0.5%になり高齢者には大打撃を受けた。平成不況において6回の総合経済対策として50兆円の景気対策費をだしたが、それほどの効果はなかった。その結果国債債務は250兆円を上回り、94年95年には赤字国債を発行しなければならなかった。

<図1−1>経済成長率の見通し報告
│ │92年│93年 │94年│95年│
│政府発表 │3.5%│3.3%│2.1%│2.8%│
│政府修正 │1.6%│1.6%│1.7%│1.7%│
│大和総研 │0.4%│-0.2%│0.6%│0.7%│
(出典、日本経済新聞社「日本経済TODAY」1995年、24項)

 この図1−1を見れば理解できるように政府の考え方がいかに甘いかがわかると思う。この図1−1は、経済企画庁が中心となって大蔵省、通産省と協議して作成するのが政府発表である。92年度の政府発表は当初実質成長率が3.5%と見込んでいたが。年末には14.6%と大幅に下方修正したが、実際はそれさえ下回る0.7%にすぎなかった。93年度はもっとひどかった。当初3.3%とし、年末には1.6%に修正したが現実には−0.2%になったのである。また、94年度も大きな誤りを犯したのである。このことは3年連続の大失態である。問題なのは名目成長率が実質成長率を下回るというデフレ現象に気がつかなかったのである。94年度の政府発表では実質成長率が2.4%、名目成長率が3.6%としていた。現実ではどうだったのか。実質は0.6%、名目は0.3%であった。価格破壊の現実を無視しているのである。「役員はなんて気楽な人種だろう」という声が会社経営者から聞こえてくるのである。このころの家計調査によると全世帯の消費は95年4月まで6ヶ月連続で前年度を下回り、百貨店販売額は40ヶ月にわたって前年度の水準を割り込んでいる。94年まで好調であった住宅投資も伸び悩みが顕著に現れてきた。景気を取り巻く環境は暗い。平成不況はかなりの深刻であることがすべての指標から理解できるのである。
 トンネルを抜け出すとそこは楽園の世界ではなかった、また深いトンネルであったと言えるほど日本経済は長期停滞路線にはまっていたのである。通産省では95年6月に「日本経済は今後デフレの濃い下方局面に突入する可能性が大きい」と指摘し、今世紀まで年率1%台の低い成長率が続くと懸念している。
 景気の停滞を反映して雇用情勢も悪化していた。雇用に関する各種の統計数字も悪い。労働市場の需給状況を有効求人倍率でみてみると、91年の1.3倍をピークに低下傾向にあり、94年5月には0.63倍にまで落ち込んだ。完全失業率も91年の137万人から増え続け、95年の春には200万人の大台を越えた
 
<図1−2>失業者関連指標



│ │90年│91│92│93│94│
│労働時間 │19H│18H│14H│12H│12.1H│
│有効求人倍率 │1.4│1.40│1.08│0.76│0.64│
│完全失業率 │2.1%│2.1%│2.2%│2.5%│2.9%│
│雇用調整実施│8% │18%│39%│50%│39%│
│した事務所の│ │ │ │ │ │
│割合 │ │ │ │ │ │
│製造業雇用 │-21P│-15P│13P│34P│32P│
│完全失業者の│-8万│2 │6 │24│26│
│増加 │人 │ │ │ │ │
│就業者増加 │121│120│67 │14 │3 │
│労働人口増加│114│121│ 73│37 │30 │
│人口効果 │73 │69 │53 │56 │47 │
│労働力率効果│41 │51 │20 │-18│-18│
(出典、毎日新聞社「エコノミスト」1995年5月号39項)

<図1−2>などの統計を眺めてみると、雇用の特徴は製造業の所定外労働時間が95年6月まで前年度に対して2ヶ台の高い伸びを記録している半面、常用雇用指数の前年度対比が93年以降マイナスを継続していることである。「リストラ」には一般的には「事業の再構築」と前向きな意味が使われているが、「リストラ」となると首切り、人員削減の負のイメージが強くなる。この図1−2を見れば、平成不況で「リストラ」に従う合理化、労働現場での労働強化が進行していること物語っている。またやや長い視点で考えてみると、産業構造の変化の影響を考える必要があると思う。積極的な産業構造の転換や、それと関連して労働力の流動化が論議されているが、こうした変化が現実に加速した場合、新たな発展分野への雇用の移動がスムーズに進むか、今後の日本経済そして企業の方針、国の政策にかかっている。
こうした悪化し続ける雇用に関する統計を材料に「大失業時代」といった論議、本などが経済誌、新聞などをにぎわしている。失業率が3%台になり日本的雇用慣行が続いている以上、企業の業績回復が遅れ企業内失業者が吐き出され、失業率もたちまち米国並の6%台を迎える考え方である。確かにこの考え方も理解できるが実際の企業内失業者が現在、どれだけいるのかと試算することは難しい。大和総研の最新報告によると(1997年度2月)「現在の過剰雇用者数は100万人以上」とはじいているが、「週間エコノミスト」では400万人以上と言われている。企業内失業者の実態をめぐっては、試算のパラメーターを少しいじるだけで数が変化してしまう。
 雇用状況の悪化は、資産デフレに従う雇用調整という面があるが、景気循環なものよりはむしろ本質的には産業構造の変化が背景にあるのではないかと考えるべきではないだろうか。急激な円高によって産業の空洞化、価格破壊が生じ、一方ではバブル崩壊の影響から立ち直れずに金融の空洞化が深刻な状態になっている。バブル崩壊の反動は証券界では特に深刻であり95年度決算ではほとんどの証券会社では赤字という燦々たる状態である。このため「証券マン3万人の整理」といううわさが兜町で広まてしまった。また、内外価格差を縮小するとして価格破壊を歓迎する見方があるが、価格破壊→企業の売り上げ減少→雇用調整という流れが生じて雇用破壊につながる恐れだってある。だが、果たして世間で言われている「大失業時代」が来るのだろうか。あるいはこんご、雇用情勢はどこまでも悪化するのだろうか。ここで注意したいのが、雇用の流動化と失業率の増加は別問題である。失業に関しては当面、景気回復の足取りが関係してくるが、産業、金融の空洞化という話になれば、円高の推移がはるかに大きな影響を与える。「95年度経済白書」ではこのように言っている「マクロ経済の均等水準を遙か超える円高が長期期間続いた場合国内雇用に悪影響を与える」。「空洞化」という視点で考えると80年代の米国の経験を振り返りされと比較し考えることは意味がある。レーガノミックスは「強いアメリカ」を演出するために意味的なドル高政策を取っていたが、その結果企業投資が海外に向かい、国内では空洞化が進展した。米国では全産業に占める製造業雇用者数のシェアは70年代には20%であったが、90年には17%まで低下した。製造業の海外移転が進行し、多くの工場労働者がそれまでの職場から溢れたことを意味している。しかし、その間でもアメリカの雇用者数は右肩上がりで増え続けている。どの分野で雇用者数が減り。どの分野が減少分を補って全体の雇用者数の増加を支えたのか。米国の製造業の雇用変化と「産業の空洞化」の関係を調べた報告書があった、「ブルッキング研究所」の発表であるが、それによると未熟練労働の依存が高かった衣服、履き物産業では80年代に25%の雇用を失ったが、逆に未熟労働への依存が低い高付加価値のOA機具産業ではブルーカラーの雇用者数には変化がなく、ホワイトカラーてだは28%の雇用増加があったという。この産業では賃金水準が高い。米国では80年代に店頭公開市場の企業群が成長した。マイクロソフト、インテルなどの情報、ハイテク企業、ニュービジネスの多くが急成長し、新規雇用を大幅に増やした。
 「産業の空洞化」と雇用については、「94年経済白書」が第3章で分析をしている。白書もここでは空洞化によって雇用の流動化が促進されていると認めているが、半面「空洞化」即「米国並の失業率、大失業時代がやってくる」タイプの論議はいささか極論すぎる。「空洞化」については次の側面から考える必要があると指摘している。最初は国内市場との関係で、輸入品との競合に負けて企業が国内生産を縮小あるいは撤収するときに生じる「空洞化1」がある。次に海外市場との関係。企業が輸出が採算が合わなくなって、現地生産に切り替えた方が有利になる場合の「空洞化2」がある。実際のところ以上の代替はこれまでどのように進んでいるのか。「94年経済白書」は「空洞化1」について、輸入浸透度(輸入/(国内出荷+輸入)×100%)という概念で調べている。それによると85年から93年にかけて輸入浸透度は、非耐久消費材(6.5%から16.9%)、耐久消費財(1%から6%)、資本財(3%から5%)とかなり上昇している。ここで特に、耐久諸費材の輸入浸透度の上昇率が高いのは、日本の製造業がアジア、アメリカなどに立地した海外生産基地からの逆輸入も効果があったと考えられるからである。その意味では「空洞化1」「空洞化2」は別物ではなく、相互に関係しあっている。しかし、同経済白書は、日本の場合、80年代の米国が経験したほどの幅で輸入浸透度は上昇しなかった。この輸入浸透度に関して「95年経済白書」も書いている。「生産性の改善が遅い産業で上昇がおき、雇用源、賃金上昇の低下などの現象が現れている」と指摘し、繊維や精密機械では就業者数が大幅に減っているにもかかわらず生産性は低下気味と楽観している。次に「空洞化2」を「94年経済白書」は製造業の海外直接投資の推移から検討している。製造業の海外直接投資は89年に160億ドルを記録したが、それをピークにその後は減少をし続けた。この減少傾向は、バブル期に国内需要が好調であったことや、投資先が国内不動産などの投機的に向かっていたことが反映している。景気後退が現れていきた93年度には、海外直接投資は前年度比較で10.7%の増加となった。ここでも「94年経済白書」では、円高が海外直接投資全体を拡大させる効果は考えられるほど大きくないと認識している。その理由を、「為替レートは海外直接投資決定要因の1つにすぎず、長期的採算を考慮して行われる海外直接投資の場合、為替レートの不安定性が大きいときには、それが抑制効果として働く」と説明している。「95年経済白書」はもっと強気である。「海外直接投資が伸びると国内投資も増える相関関係にある(中略)アジア地域への投資拡大は、むしろ日本企業の体質強化に役立っている。現地生産に必要な資本財など輸出をしており、海外投資で空洞化が加速することを考えるのは正しくはない」。
 結局は、94,95経済白書は日本の「産業の空洞化」について以上のように楽観的である。「海外投資が進めば国内では生産資源の解放が進み、自由になった資源が新たに高付加価値分野に向かう。国内産業全体の効率が改善され、経済全体のパイも大きくなる」ここで「94年経済白書」は、「空洞化1,2」の論議をもう一歩進めて、内外の競争が激化し「空洞化」が起これば、それによって日本的雇用システムも変化の波に襲われると述べているが、一方では「能力給など賃金体系の見直しはあるが、長期雇用に関しては、企業がこれを維持する力が相当強い」と判断している。日本では本格的な少子化時代の到来がはじまっている。その時は労働力の不足が心配されている。現在直面している雇用の不安の時代から次の少子化時代までのつなぎ期間にたちまち「大失業時代」がやってくることは考えにくい。むしろ「産業の空洞化」に関しては、産業の新陳代謝が円滑に進み、それに従って生じる雇用の流動化、企業内雇用関係の見直しを処理、対応できるかがどうかに「産業の空洞化」の問題の焦点があるように見える。詳しい雇用関係、日本型雇用制度は第二章、三章で述べたいと思う。

  第三節、今後の日本経済の展望
 潜在成長力とは、現在のある資本や労働などの資源をフルに使い達成できる最大の成長力である。1990年代後半以降、成熟化の進む日本の潜在成長力はどのように展望できるのでしょうか。バブル崩壊後の不況の中で、今後の潜在成長力が注目を集めている。これは1993年度に遂にゼロ成長となった日本の国の経済が、今後一体どれだけ回復できるのか世界中が注目されている。現在は、人も設備も余っている状態で、景気の動向はすべて需要の動向にかかっているといっても過言ではない。中期的、長期的な成長力を規定するのはあくまでも供給量である。しかしこれまでの経済構造を前提とする限り、潜在成長力の展望は必ずしても明るくはない。それは、第一に日本の経済成長を支えてきた労働力が今後急速に鈍化し、2000年すぎると減少に向かうと見られていること。第二に、資本についてもバブル景気のような高成長を期待できないこと。第三には、これまでの資本の成長に偏った経済成長の結果として、資本の生産性が低下してきており、経済成長率を上げるためには相当な額の設備投資が必要になること。この3つの要因があげられている。 最近は景気も安定してきたと言われているが、最近の指標を見る限り楽観はできない。1997年9月12日の日経新聞を見ると「1997年度4月−6月期国内総生産は前期比2.9%減少し、第一次石油ショック以来23年ぶりの大幅マイナス、年率換算では11%の減少」という記事が載っていた。最近の日本経済も不透明である証拠になると思う。1997年度の前期は、個人消費は相変わらず低迷し、特別減税の廃止などの負担増、台風など天候不順、自動車などの耐久財の買い控えの動きが拡大前期より6%減少。民間住宅投資も前年度より11.5%の減少。これまでなんとか好調であった民間設備投資も1.5%減となった。中小企業の投資が依然盛り上がりをかけているほか、堅調だった大企業も製造業と非製造業の「二極化」が一段と進み全体として足踏み状態になっている。だが政府(経済企画庁)の報告によると「年度初めで企業が経済の様子を見た面と、消費税引き上げを受けて慎重になった面の両方がある」と分析をしている。民間の在庫は消費の落ち込みなどから大幅に増加。財貨、サービスの輸出は円安を背景に6.4%増え、名目GDPに対する経常黒字の割合は2.6%に上昇した。どの指標を見ても日本経済はどれも黒い雲に覆われるように明るい太陽が出てこない。 政府や企業は「89年の消費税導入も経験しており、2%程度の税率上げなら駆け込み需要はそんなに少ない」と楽観視していた。だが実際は自動車、住宅といった高価商品だけではなく日用品や雑貨まで広がった。はじめに消費税率あげ前の駆け込み需要は1兆円との見方があったが、今回は経済企画庁の報告では約2兆円に達すると推計。巨額な需要がツケが反動となり、消費の足を引っ張っている今回の4月−6月の前期比率で21%のマイナスは、消費税上げの反動だけでは説明できないと言う声が、各マスコミから言われた。前述したように特別厳正の廃止や医療制度の負担増が消費の基調に影を落としたことである。大和総研の報告では「消費者や企業が慎重になっていることを反映している」としている。我々消費者は、自分のほしいものとそうでもないと明確に分別する。「選択的消費」とも言える傾向である。
 消費税引き上げ後の個人消費の低迷を補い、景気を支えているのは円安による輸出増と設備投資である。円安効果は当面、輸出や企業収益の拡大に寄与すると考えられる。
 もう1つの指標として97年度設備投資の報告から考えてみたいと思う。設備投資は労働などの雇用とならぶ、生産要素である1つである「資本」としてとらえられている。設備投資がどれだけ伸びるのかは経済の状態や企業の成長率と無縁ではない。現実にバブル景気の時代には設備投資は3年連続で2桁成長を果たした。その結果、1991年には民間機業資本ストックは9%としい高い伸びを実現した。だが、設備投資の原資は有限である。GDPの20%まで越す水準になった設備投資はバブル崩壊後、ストック調整の影響で急減し、平成不況の一つの原因となった。それでは今後の設備投資はどのようになるのか。97年度の設備投資は「二極化現象」が鮮明である。
<図1−3>設備投資率の伸び(前年度比)

│年度 │設備投資率 │
│89年│15% │
│90年│17% │
│92年│−8% │
│94年│−7% │
│96年│6% │
│97年│3.7% │
(出典、日経新聞9月9日朝刊)

 公共事業が縮小し、個人消費が消費税率引き上げの影響から抜け出せない現在、景気を引っ張っている設備投資への期待が高まっている。確かに<図1−3>で理解できるように97年度の民間設備投資は前年度に比べて伸びが鈍化したとはいえ、3年連続前年度より上回り、景気を支えていることは確かであるが、けん引役というのは力不足である。もっとも、公共事業や個人消費などの景気要因が弱くなる中で設備投資の堅調さは救いになる。その設備投資の主役は製造業、とりわけ加工組立て産業である。これは、製造業も二極分化し、素材関連が伸び悩む一方、高付加価値、技術集約型が産業構造の高度化に対応していると考えられている。日本産業の代表格である自動車、電気器具、機械はリストラが一段落し、円安による輸出好調を背景に投資意欲は高い。世界市場での競争をにらめば、国内市場が低迷しているからと言って投資水準を落とすわけにはいけない。しかし国内景気が盛り上がらないままではこうした企業が今後、海外投資に重点を移す可能性もある。すでに自動車メーカーのホンダは海外子会社の設備投資額が1380億円と単独の700億円の2倍になる。海外での雇用増をしたがう能力増、日本では下請けや消費への波及効果が小さい合理化や研究開発という構図が定着すれば、景気浮揚効果は乏しくなる。製造業に依存した景気回復には限度がある。例えば公共投資拡大で90年に比べ80万人増えた建設業就業者の雇用を製造業だけではとうてい吸収できない。「大企業と中小企業」「製造業と非製造業」という二つの二極化の弱い極のテコ入れが課題である。去年まで通信や小売りの設備投資が大きく伸びたのは規制緩和のおかげという意見が多い。今後も新たな規制緩和や税制見直しなどによって非製造業や中小企業の投資を活気づかせる必要がある。それでは今後の設備投資はどのようになるのか。中長期的には、設備投資の水準は有効需要がどれほど伸びるか(能力増強要因)と積み上がった資本ストックを適正水準に戻そうとする動き(ストック調整)の駆け引きによって決まる。こうした要因を取り込んだマクロ経済モデルによる試算結果によれば、設備投資の伸びは、1990年代で年率2.3%、2000年度から10年間で年率0.5%という極めて低成長にとどまることが予想されている。具体例としてGDPや設備投資などの資本などから日本経済の現実を述べてきたが、では、今後の日本産業の将来像を考えたいと思う。
 今後の日本経済と産業構造は、人口高齢化と経済構造の国際化のなかで、日本の将来の産業構造を考える場合、3つポイントがある。
第一に果たして米国のような「脱製造業」の傾向をどこまでたどるのか。第二に、人々の働き方とサービス産業の変化。第三には、地球温暖化対策として、二酸化炭素の抑制などの3つである。3つを考慮に入れ今後、長期的に見た産業構造の姿は、主として産業の需要動向と内外需要変化、及び労働力供給や環境制約の強まりが大きな鍵を握るものになるだろう。まず需要面では個人消費の多様化とともに所得弾性値の高いサービスに対する需要は経済成長以上のペースで増加する見込みである。さらに企業活動の合理化と日本的慣行の流動化(第3章参照)とから対事務所サービス需要がいっそう拡大する。また国際分業の高まりや省力化投資需要の増加から、製造業における資本財需要が高まる反面、労働集約的な財の海外生産への切り替えがさらに進み、これがいわゆる逆輸入という形での製品輸入を増加させる。さらに2010年以降には、労働力の供給制約のいっそうの強まりの中で、高付加価値化が進み、製造業のシェアは下げ止まるものと見込まれる。今後の日本経済と産業構造の変化は政府が取り組んでいる産業構造審議会の報告書からでもいろいろと読みとれる。ではいろいろな分野で考えたいと思う。
<「超」高齢社会>
 我が日本の人口の占める65歳以上人口の比率は94年は14%であったが、2005年頃にははじめて20%を越える「超」高齢社会を迎える。世界に類を見ない高齢化の急速な進展に対して、高齢者が社会の中で積極的に活動できるインフラの整備や機具が必要である。また高齢者の介護サービスへの需要も増加すると思う。健康管理や医療、福祉などのニーズもますます高まってくるはずである。高齢化の影響は多様に及ぶ。高齢者向けの住宅や在宅のまま福祉、医療サービスが受けられるような情報、通信関連分野の発展も見込まれる。このように高齢化が様々な社会的ニーズを生みだす波及効果は大きい。高齢化の進展に対しては、今まで以上に女子労働力の活用が不可欠だが、現状のままでの女子の社会進出は晩婚化や少産化を招き、将来的に高齢化をもたらすジレンマがある。従って、保育サービスなどを充実させることで女子の社会進出を支援することも欠かせない。また、労働供給を増やすためには、雇用のミスマッチを解消していくことも重要にポイントである。日本型雇用システムが変化する中で雇用の流動化を高め、柔軟な雇用システム、労働市場を拡大していくニーズは今後ますます高まっていくだろう。その意味で労働派遣業界や人材関連企業も高齢化とともに市場の拡大か予想される分野だと思う。(第三章参照)
<地球関連問題>
 この数年高まっている地球環境問題は、マクロ的には成長の抑制要因として作用することが懸念されている。しかし、産業レベルで考えると環境に適応した新たなビジネスを生み出すチャンスも秘めている。公害防止技術や産業廃棄物のリサイクル、あるいは資源の有効利用の見地から太陽電池や雨水利用などの環境関連の産業はこれまでが未熟な市場であっただけに今後の成長が大いに期待できる分野である(第四章参照)。
<豊かさ、ゆとり>
 今後の日本の目指すべき方向は「生活大国」であることはすでに3年の時の報告で(「自由時間」の輪読)既に触れている。この点21世紀に向けた日本社会にとって、国民の価値観やライフサイクルがいずれにせよ、豊かさやゆとりといった言葉は時代のコンセプトを表現する重要なキーワードであり続けるであろう。この豊かさやゆとりという社会のニーズは産業構造に様々な影響を与える。例えばゆとりのある居住空間というニーズからは住宅関連分野での産業の成長が大いに見込まれる。特に我が国では産業関連の社会資本整備に比べ生活関連分野での社会資本の整備が遅れているだけに、豊かさが実感できるような生活居住空間を提供していくことがなおさら求められている。既にある住宅をリフォームする需要も一段と拡大すると思う。生活の質の向上は住宅関連以外にも芸術、文化活動の充実、文化大国への志向といったニーズも促す。労働時間の短縮が進展すれば余暇分野のビジネスも拡大するだろう。また、快適な都市生活を送れることも豊かさの一面である。従って環境ビジネスが絡むが、大量に発生する都市部でのゴミ処理の問題や地下空間の利用、新都市交通システムなど都市環境整備も今後の伸びが期待できると思う。
<規制緩和>
 規制緩和の効果については、奥深くやらないが、様々な参考資料を読む限り規制緩和は日本経済に効果があると考えられている。
規制緩和の経済効果の分析は、3つのアプローチに分類できる。内外価格差からのアプローチ、生産性格差縮小によるアプローチ、そして計量モデルによるアプローチである。ここでは代表的な例である、内外価格差から考えたいと思う。このアプローチは内外価格差が縮小したと仮定した場合、消費者物価の低下によって実質所得が増加し、その需要増加によって余剰雇用も吸収されていく考え方である。日本総合研究所によると、規制緩和によって内外価格差が現状の半分程度(16.5%)縮小したら、実質購買力の増加による需要の増加が43.7兆円期待される。だが、規制産業による生産性向上は688万人の余剰労働力を生み出すが、これは非規制産業における新需要に対する生産の増加(50兆円)による雇用増加によって吸収される試算である。1994年2月28日の「読売新聞」にも規制産業の国内物価が20%下がったら、GDPが38兆円増加すると試算している。
 1995年の経済企画庁で発表した「構造改革のための経済計画」では、実質GDPは年率1.25%の増加。失業率は1%の減少と報告している。また、10の業種の高コストを指摘している。物流、エネルギー、流通、金融サービス、旅客運送サービス、農業生産、輸入手続き、公共事業、住宅建設などである。いろいろと分析結果を見る限り、規制緩和によって社会的余剰(生産者余剰、消費者余剰)の発生というプラスの効果が期待できることである。規制緩和の目的として考えると一つに内外価格差の縮小、二つ目に海外への市場開放、三つ目には新規産業の創出の三つに分類できる。最初の二つはどちらかと言えば、生産性の低い分野での雇用放出につながる規制に関連している。これに対して、三番目の新規産業の創出に関連する緩和は、新規雇用の創出に貢献するものである。もちろん、実際にはほとんどの規制はこの三つの目的が相互に関連しあっており、必ずしても明確に区分することは難しい。したがって、大まかに書くと内外価格差については、すでにいろいろな機関で調査が公表されており、日本場合は、食料品、エネルギー、土地などの問題の所在はほぼ明らかになっている。従ってやるべき方向性は見えていると言ってもよいと思う。海外への市場の開放という観点からは、やはり基準認証の問題が重要である。新産業創出の観点からは、2つのアプローチが考えられる。1つは今後の成長分野での産業における規制緩和を重点的に取り上げる方法である。例えば情報通信関連分野、広告なとのサービス、医療福祉、余暇生活関連サービス、環境関連などが指摘されている。こうした分野を重点的に取り上げて緩和するのも1つの方法である。
 最後に、今日の日米経済摩擦の焦点からも犠牲緩和が考えられる。関税や輸入制限などの貿易障害から政府と企業のとの関係や国内企業間の取引慣行の違いなどから生じる「システム摩擦」となっている。これを軽減するためには各国内の経済システムをできる限り国際間で共通なシステムである自由市場に近づける必要がある。また金融市場のように自由化が国際化の進展に比べて立ち後れている状況では、日本企業同士の取引まで、規制のないユーロ市場に移行する「金融の空洞化」が進むことになる。
 なおいっそうの規制緩和が求められている。
<技術革新>
 これまでは需要面から新規、成長産業分野について書いてきたが、技術革新による新規産業の創出という供給サイドも重要である。先に書いた情報化も技術革新であるが、具体的にはエレクトロニクスやバイオテクノロジー、新素材などは来るべき21世紀に向けて発展が期待されている分野である。だが、技術革新の方向としては単なる製品開発だけではなく、複数の違う分野の技術が融合、統合する形で展開されるものも見逃せない。例えば、マルチメディアは通信と放送の融合だけでなく、ハード面での情報家電やコンピューターなどの技術革新を従いながら発展していく。産業の発展の歴史と技術革新の歴史とはコインの表裏の関係をなしている。シュンベーターの言う「創造的破壊」の過程を幾度も繰り返しながら、資本主義は発展してきた。欧米にキッチアップした日本経済だが、今後も技術革新が日本産業の繁栄の大きな鍵を握ることになる。
<今後の製造業>
 製造業の将来の動向は、国際分業の進展に大きく依存している。鉄鋼、科学、紙、パルプのような素材産業は、いずれの生産国でも比較的同質な製品を生産しており、労働コストの相対的な低い国と比較して価格競争で不利に不利になりがちである。従ってこのような産業が国内にとどまるには、省力化の徹底による生産過程の効率化を進めるようなプロセスイノベーションや特殊な高付加価値の分野へのシフトが進むと思える。それでもなお、素材産業の実質付加価値構成比は、化学を除いて低下し、1990年における9.8%から2020年には7.8%に低下する。加工組立産業は、付加価値構成比を90年における14.7%から2000年には16%と引きあがるものの、2010年以降成長速度は鈍化する。これは特に海外生産の拡大により、電気機械製品や自動車といった消費財における内外製品の品質格差が縮小し、外国製品の輸入や日本企業の海外製品の逆輸入が増加するためである。また、経済成長の減速から耐久消費財ストックの需要も伸び悩む面もある。もっとも飛行機、衛生などの宇宙海洋開発関連産業などの基礎研究に関連する分野や廃棄物処理などの環境保全関連産業は欧米に遅れをとっている分野であり、今後の国内産業いおける有力な成長分野として期待される。このため、2010年から2020年にかけて、生産額は実質べースで低下し、加工組立産業の付加価値構成比は、2020年には現状とほぼ同じ水準に戻る。製造業全体では90年において30%であった付加価値構成比は、2020年には29%とわずかな低下となる。
<今後のサービス業>
 サービス産業は製造業のリストラを通じて、その業務の外部化がすすむことにより、対事務所サービス業などが成長するとともに、サービス産業間相互の外部化、専門化によって効率化が進み、生産性上昇も見込まれている。最も成長する分野は研究サービス、対事務所サービスを含むマネジメントサービスの分野であり、90年の構成比である5.5%からやく8%に達する。他の部門も高齢化に伴う医療サービスや対個人サービス需要の高まりが見込まれることから、堅実な成長を続ける。このため産業全体の中でサービス産業が最も成長する分野となり、付加価値構成比は90年の21%から2020年には24.5%まで上昇する。
 特に、高齢化によるシルバー市場の拡大、家事機能の外部化の進展や情報通信基盤の発達から、対個人サービス、健康関連サービスは今後一層の成長が見込まれる。従来型の生産性の低いサービス産業が情報化を通じて効率化を進めることができたなら「第4次産業」として発展する可能性もある。いずれにしても知識サービス部門は従来の第2次産業と異なり、産業全体の統率役としては力不足であるが、国内生産額に占める構成比は今後とも増加を続ける。

 第二章、日本の雇用制度について
  第一節、雇用の現状
 雇用は厳しい状況が続いている。失業率は、1997年7月現在3.5%という過去最高を記録している。企業の求人件数を求職者数で割った有効求人倍率も7月現在で0.61倍で円高不況後の1987年度1月以来の低い水準が続いている。問題は失業率や求人倍率だけではない。今回の景気回復過程においては、過去の景気回復回復期と比べて雇用面で回復が遅れている特徴がある。失業率は景気の遅行指標であることから景気が回復しても実際に低下するまである程度期間を要するが、その期間は第2次石油危機後や円高不況後の回復期には約6ヶ月であったのに対して、今回は1年以上かかり、その後も景気の足踏みを反映して再び上昇に転じるなど回復は非常に不透明である。また、雇用調整の実施事務所割合もピークを過ぎたといっても、まだ円高不況期のピークに匹敵する水準である。このように雇用情勢の回復が遅れているのは基本的に企業の雇用吸収力が過去の回復期に比べ非常に弱いことに原因があるが、それは景気の回復力そのものが弱いことも加え、構造問題が背景にあるためである。すなわち、製造業などでリストラ(事業の再構築)が進展しホワイトカラーを中心に引き続き厳しい雇用調整がなされる一方、卸売、小売業、飲食店については、かつては雇用の大きな受け皿であり、毎年30万人ほど雇用を吸収していたが、雇用吸収力は年々低下し、94年は前年に比べ5万人の増加にとどまった。また、自営業主、家族従業員の減少も続いていることから就業者全体では前年に比べ5万人の減少となった。こうした構造調整は今後とも続くことが予想されるが、さらに将来的にも経済に国際化に伴う産業構造の変化や高齢化の一層の進展などの構造変化が見込まれ雇用面への影響が懸念されている。こうした中で、これので日本が低失業率に寄与するものとされてきた「日本的雇用慣行」についても、構造調整に伴う労働力の移動を阻害するものとして見直し論議が高まり、今後の日本の雇用も関心が深まってきている。
 雇用の検討に当たっては、設備投資や消費などの景気指標と異なり「雇用」がモノではなく生活者である人を対象にしていることに起因する別の視点も重要である。例えば、労働市場における労働移動について考える場合、個々の労働者が有する「職業能力」といったものをどのようにとらえ、どのような方法で活用、育成していくか、そのためには雇用システムをどうあるべきか、転職や離職に従い人々が感じる不安をどのように取り除いていくか、日本人の国民性といったものをどのようにしてとらえていくかなど抜きに考えることはできない。また、「雇用」は経済活動の1つの指標という側面を持つが、同時に経済活動の最終的な「目標」の1つでもあるという側面を持つ。この場合、目標としての「完全雇用」はただ単に失業者を減少すればよいという「量」的な概念ではなく、人々がその仕事に満足し、生き生きと生活することができるかといったいわば、「質」的な側面も併せ持っているものである。現行の第7次労働対策基本計画では、「労働者一人の個性が重視され、その意欲と能力が十分に発揮できる質の高い雇用構造の実現を目指す」ことが目標として掲げている。まさにこれこそが「完全雇用」の意味するものではないだろうか。

  第二節、失業率の推移
   第一項、産業構造の変化と失業
 第1次石油危機後の1975年からの失業率の推移を見てみると、景気後退期に上昇し、景気拡大期に低下するという変動がおおむね見られる。だが、景気拡大期の失業率の低下幅は景気後退期の上昇幅より小さいケースが多く、場合によっては第2次石油危機後の女子の失業率に見られるように、景気拡大期においても失業率が上昇し続けることもあった。この結果、日本の失業率は景気変動による循環的変動を伴いつつも、長期的に上昇している。
 失業率の上昇を性別で見ると、失業率は男女とも長期的には上昇しているが、80年代を境に男女の失業率の水準には逆転が見られ、近年では女子失業率が男子失業率を上回って推移している。
 年齢別には、多くの年齢層で失業率が上昇傾向が見られるが、特に近年、男女15−24歳、女子25−34歳、男子60−64歳層の上昇が目立つ。この背景には、15−24層は第2次ベビーブーム世代であり、労働市場への新規参入期にあたること、女子25−34歳層では労働力率の一貫した上昇がみられ、労働市場への進出、定着が進んでいること、男子60−64歳層では人口の高齢化の進展の中でこの年齢層の人口の伸びが高まっていることを加え、それまで低下していた労働力率が上昇に転じたことがある。失業者について離職前の産業でみた産業別離職者数の割合は、製造業が25%、卸売、小売、飲食業が24%、サービス業が26%と三産業でほぼ四分の一ずつ構成している。これを産業別雇用者数と産業別離職者数の和で割った産業別雇用失業率は製造業に比べ卸売、小売、飲食業、サービス業の方がこのところ若干高くなってきている。ただ、その内容で見るとサービス業では自発的失業、短期失業の程度が高まる一方、非自発的失業、長期失業といったより厳しい態様の失業が製造業に一層偏在するようになってきている。
 失業に関して、産業構造の変化が失業率を押し上げているという懸念がある。こうした懸念は、第一にサービス経済化により労働力の移動の激しい分野が拡大し、これが失業率を押し上げている。第二に産業構造の調整により衰退部門から発展部門への労働力の移動が一時的に増加し、これが失業率を高めている。第三には産業構造の転換に従い低技能者から高技能者への雇用機会のシフトが生じ、これが職種間の需給の不均衡を拡大させる、という点からきている。しかし、サービス業においては旅館や娯楽業をはじめ離職率が高い業種が多く、他の産業と比べ労働移動が多い反面、転職率も高く失業者を吸収する役目も大きいことから、全体としての効果については確定的なことは言えない。また産業構造の変化のスピードは、確かに最近については産業間の雇用の伸びに大きな散らばりある時期には失業者が増加する傾向が見られる。だが、これを高度経済成長期と比較すると、高度成長期の方が産業構造の変化のスピードが速かったにもかかわらず低失業率を達成していたことから分かるように、移動に伴い失業が発生するかどうかは、発展部門で雇用の創出がなされているかどうかに大きく依存する。さらに産業構造の転換に伴う低技能者から高技能者への雇用の機会のシフトは、構造調整に伴い、より高度の専門能力が必要とされる職場が拡大する一方、低技能者の職場が相対的に狭まってきていることによる。これについては、労働者の職業能力開発が適切になされているがどうかといった対応に左右されることが指摘される。いずれにしても産業構造の調整が必然的に失業率を引き上げるわけでない点について、留意が必要であると思う。

   第二項、失業率の国際比較
 95年8月時点の主要国の失業率を見てみると、米国が5.6%、英国が8.2%、フランスが11.4%なのに対して日本の失業率はこれまで最高ではあるものの3.5%と各国と比べて低い水準である。失業率の水準が低いのは、失業率の把握の仕方が各国で異なるためであるという意見が聞かれる。はたしてそうであろうか。各国が毎月公表している失業率には、失業者や労働人口などの調査方法や把握の仕方に若干の相違がある。例えば、調査方法については日本、米国などは毎月、国際労働機関(ILO)基準に基づく労働調査を実施しており、それによって失業者、労働力人口を把握しているが、英国、フランス、ドイツ(旧西側)では、失業給付事務所や職業紹介所への登録者数から失業者数を把握し、年1回の労働力調査やその他の資料に基づいて推計した労働力人口をもとに失業率を推計している。また、同じように労働力調査を実施している日本、米国についても軍人や求職活動の結果を待っている人の扱いが異なる。しかしこうした定義の違いを調整して再定義しても失業率はあまり変化がない。経済協力開発機構(OECD)はILOの定義により各国の失業率をできるだけ調整した数字を公表しているが、現時点で公表している数値(95年第14期)で見ても、米国5.5%、英国8.7%、旧西ドイツ6.8%、フランス12.3%、日本3.3%と結果はあまり変わらない。しかし、このことをもって日本の雇用情勢は諸外国と比べてよいとするのも問題である。雇用情勢と失業率の関係については、各国の労働市場の制度、慣行の違いにより異なる。特に日本では、不況になった場合でも、企業が極力労働者を解雇せずに企業内部に労働者を抱えるなどの労使の雇用安定努力もあって、欧米と比べ失業率が上昇しにくい面がある。国際比較に当たっては失業率の「水準」のみで雇用情勢を評価するのは適切ではない。次に失業率の中身についてみると、その状況は国により非常に異なる。失業期間については、米国では長期失業率が低く新規失業率が高いのに対し、欧州は新規失業率は低く、長期失業率が高い。これは米国では失業の可能性が高いが、失業者の再就職の可能性も高く労働市場の流動性が高いことを示し、逆に欧州では労働市場の硬直性が高いので、失業の可能性が低いものの、いったん失業すると失業が長期にわたる可能性が高いことを示している。さらに、失業者の年齢階層をみると、米国、フランスにおいては若年層の失業率が高いのに対し、逆に英国や日本において若年、高齢者の両方の失業率が高いといった特徴が見られる。こうした先進諸国での失業問題の違いは、雇用をめぐる構造変化への労働市場の違いという面が強い。大陸欧州では、強すぎる労働者保護的社会政策が結果として未熟練労働者の失業とその長期化をもたらすなど、変化に的確に適応していない。また米国では先任権制により勤続の短い若年者ほどレイオフの対象になりやすい面があり、欧州ではブルーカラーを中心に単一賃金率の職務給が一般的であることから未熟練の若年者は相対的に雇用機会に恵まれないという事情である。しかし、ドイツでは独特の職業養成訓練制度が若年者の就業を円滑にしているという面もある。
 技術革新と情報化の進展と失業率の関係について各国の状況を見ると、80年代を通じて貿易、金融の自由化などのグローバル化や情報技術など技術革新が労働者により高い技能水準を求めるようになったのに対し、各国は十分な対応をとらなかった。このため、米国では、技能水準の低い労働者の多くは低賃金などの悪い雇用機会しか見いだせず、他方大陸欧州ではす、賃金、雇用保護規定に対する法律や団体規約による厳しい制約から低技能者の雇用へのインセンティブが失われ、失業者側でも手厚い失業保険給付により就業へのインセンティブが阻害されることにより、低技能者は長い失業を余儀なくされた。幸い日本は、技術革新の進展などに対する企業内教育訓練が積極的になされることなど背景に、長期失業、新規失業率のいずれも低く、賃金格差の変化も小さいなど、80年代の調整期に比較的適切に対応してきている。
 しかし、今後の対応次第では、同様な状況に陥る可能性も不定できない。技術革新、情報化をはじめとした構造調整に定説に対応しうる労働市場のあり方が問われると考えられる。

第三節、日本型雇用制度
 各国と比較した日本の失業率が低い背景として、「終身雇用制度」「年功序列」に代表される「日本的雇用制度」の果たしした役割がが大きい。しかし、経済環境の急激な変化や高齢化、労働者の勤労の意識の多様化などにより、その「日本的雇用制度」が大きく変貌つつあると言われている。ここでは、「日本的雇用制度に関するアンケート調査」(94年日本経済新聞社)の結果を中心に、企業と労働者からみた「終身雇用制度」「年功序列」の実態と変化について検討していきたいと思う。大企業の男子、大卒ホワイトカラーの定着率を見ると、必ずしても伝統的な「一社終身雇用」のイメージにそぐわない。すなわち50歳、56歳、60歳各時点での平均残存率(新規学卒採用時を100とした時に、各時点で社内に残っている人の割合)を見ると、50歳で66%、56歳で57%、60歳で33%となっている。また、今後の定着率については、50歳代前半、後半の残存率とも「変わらないだろう」という見方の企業が多い(各62%、58%)。一方、30歳代前半の大卒女子の残存率については、今後「高まるだろう」が30%を超えている。特に、五千人以上の大企業では相対的にみると、50歳代男子、大卒ホワイトカラーの定着率が低下すると予想する一方、30歳代前半の大卒女子の定着率は上昇していく割合が高くなっている。このことからすると、従来、「終身雇用制度」の枠外におかれていた女子労働者も今後は男子、ホワイトカラーが担ってきた役割を期待されていると言える。「終身雇用制度」について、労働者の意識調査を日本経済新聞の97年2月22日から見てみると、終身雇用制度はこれから続いた方がよい、どちらかといえばそう思うを合わせると70%に達している。一方では、日本的雇用制度に関するアンケート調査結果により、企業から見た今後の終身雇用制度のあり方を見ると、「原則としてこれからも終身雇用制度を維持していく(56%)とする企業が過半数である。


<図2−1>余剰人員対策

│対策 │% │
│定年、自然減 │31.1% │
│グループ内出向 │24.8% │
│企業内抱える │20.9% │
│早期退職制度 │9.3% │
│グループ外出向 │8.5% │
│その他 │5.5% │
(出典、日本経済新聞社編集局「大競争時代への挑戦」1995年、249項)

 また、余剰とされる人員への対応方針をみると(図2−1を参照)、約4分の3について企業内、企業内グループ内で雇用を維持しようとしている。企業、労働者とも、「終身雇用制度」に対する評価は高く、「終身雇用制度」を今後とも維持していこうという意向が読みとれる。ただし、企業が中高年層ホワイトカラーのほとんどが定年年齢まで社内で雇い続けるためには、「専門職制度を充実させ、役職昇進にこだわらない組織風土を作る」(46%)、「実力主義に徹して、思い切った抜擢人事、降格人事が行えるようにする」(46%)、「一定年齢以上で賃金カーブを右下がりにする」(46%)といった条件が必要であると指摘されており、「終身雇用制度」を維持するためには年功序列の処遇の見直しがされられないと考えられる。労働者が望むキャリアパスをみると、一社に勤続して管理職としてのキャリアを希望する者(32%)のみならず、スペシャリストとして自己の専門的能力を高めると考える者(28%)、転職、独立したいとする者がかなりの割合で存在している。転職の意向が「ある」人の割合はは平均で33.5%がだ、特に若年層や、同期との昇進競争でトップグループにいると考える者ほど転職意向が高くなっており、このことは企業にとって注目すべき事実である。一方、企業側では、課長直前の資格から課長相当資格に昇進できる者は59%と考えており、5年前の64%、5年後の予想55%とふまえて考えると、労働者すべてをこれまでのようなやり方でライン管理職として処遇することは難しくなってきている。また、今後の採用方針をみると、新規学卒のみではなく、7割の企業が「スペシャリスト型の中途採用」を重視するとしており、スペシャリスト型人材の中途採用の増加が円滑な労働移動を促進する可能性もある。
 「年功制」とは、賃金や昇進が、勤続年数あるいは年齢などの要素をかなり重視して決められる慣行である。このうち、「年功賃金」は、働き盛りの時期には貢献よりも低い報酬を与え、代わりに中高年期には貢献以上の報酬を与えることで、長期で貢献と報酬の収支を一致させ、労働者のライフサイクルに応じた所得を可能にしてきた制度であると言われている。労働者の賃金と貢献のギャップについて、「週間エコノミスト」や「日本経済新聞」「日経ビジネス」などの参考文献から見ると、企業から見た賃金に見合うだけの貢献をしていない社員の割合は、25歳時点と40歳時点を超えた中高年で高い。特に中高年層については、年齢とともにその割合が増加している(55歳時点で33.4%)。一方、労働者が自分の給与と会社への貢献との関係をどのように考えているか見ると、貢献と給与が一致していると考えている者が全体の半数以上で、給与より貢献の方が高いと考えている者が4割弱であった。特に30歳代、40歳代では給与より高い貢献の方が高いと考る者の割合が高くなっている。貢献と報酬については企業と労働者の意識に大きなギャップがあり、今後、実力主義的な処遇が広く行われれるようになった際にこの問題が顕在化してくる可能性がある。労働省「賃金構造基本統計調査」によると、所定内給与額の年齢間格差は、20−24歳層(製造業、1000人以上、管理、事務、技術労働者)を100にすると、45−49歳層で89年には306だったものが、95年には268と縮小する傾向が見られ、年齢−賃金カーブの傾斜は緩やかになってきている。また、日経新聞の企業アンケート(97年10月19日)によると、年収(総支給額ベース)の格差指数(平均年収を100とした時のトップグループ{第9、10分位数}の指数の平均値から最下位グループ{第1,10分位数}の指数の平均値を差し引いた年収格差の指数)をみると、30歳では格差25、40歳では27、40歳では37、50歳で47になっている。これと労働者が望ましいと考える格差(30歳代52,40歳代50,50歳代48)を比較すると、50歳代前半の労働者は現状とほぼ同程度の格差が望ましいと考えているが、30歳前半、40歳代前半の労働者は実際と比較するとかなり大きい格差を望んでいることが分かる。特に、転職希望の人、独立希望の人ほど大きな格差を求めていることが注目され、実力主義的な処遇による格差をつけないと、これらの人材が「会社離れ」が起こる可能性がある。実際ヘッドハンティングなど日本にも起こっている状況である。今後の賃金体系の変更をみると、半数の企業が、年功的要素の強い「年齢や勤続で決まる部分」の縮小、仕事や貢献、能力に対する評価が反映される「人事考査で決まる部分」の拡大を検討している。「年俸制の導入、拡大」割合は、最近5年間では7.9%であったが今後5年間では30%も上昇している。一方、労働者が増やしてほしいと考える賃金構成要素をみると、会社への貢献、仕事内容を挙げている者が78%に達している。この点は、年功的処遇から能力、貢献などに見合った実力主義的処遇にシフトしていこうとする企業の方針と一致している。
 では、今後の方針として日本的雇用制度はどのように改革されるべきでしょうか。第一には、終身雇用制度、長期雇用保証をどのようにすべきかという問題である。これは、日本的雇用制度の屋台骨に関わる問題でもあり、我が国経営者の間でも極めて見解が対立している。概して言えば、成熟産業で、出向制度によるグループ内の雇用調整や工場立地の再編など最大限の努力をしながらも、アジア諸国を中心とする新興産業群に対抗できない企業では、米国労働コストを3−4割も上回る状況では国際競争はできない。長期雇用を見直すべきという声が強く、また雇用か賃金といった論議が高まらざるを得ない。こうした類の企業が国際競争を維持していくため、海外へ生産拠点をシフトした結果、過剰人員が生じた企業に関しては、もはや企業の自助努力の範囲を超えており、長期雇用の存続は事実上困難であろう。個々の企業が最大限の雇用維持に努力すべきなのは言うまでもなく、特に定年までの勤続を前提に生活設計している中高年層に対しては、企業が最大限の配慮をしなければならない。また、こうした企業努力の範囲を超えた過剰雇用に対しては、政府が強力な政策、例えば雇用調整助成金制度の強化、労働ミスマッチを是正するための能力再開発の支援、退職加算金に対する税制上の優遇処置などを強力に推進すべきである。しかし、バブル崩壊後のの平成不況で生じた深刻な雇用情勢は前述したように、新しい産業を育成し抜本的な産業構造の変革によって雇用創出を促すことが何よりも重要である。「終身雇用制度」「年功序列」の今後については、私の考え方では、米国型のドライな雇用制度に移行すべきではないが、あまりにも硬直的な長期雇用に関しては、是正すべきだと思う。より具体的に言うと米国では、先任権制度によるレイオフ(一時解雇)は、社会的に認知されている。しかし、この制度は企業業績が悪化していない際にも、よりよい収益率を目指して実行されることも少なくない。日本では経営者が最大限の努力を払っても、雇用の削減なしには業績の回復が困難なような場合に限って、解雇が容認されるべきだと思う。また、この点に関して日本の大きな問題は、社会的な労働の流動性が欠如しており、一度職を失うと新しい職を得ることは難しいことが欧米と比べて難しい点である。従って、「終身雇用制度」を斬進的に弾力化するには転職が不利にならず、自分にとって適した新しい職を得やすいシステムと社会的慣行をつくり上げることも欠かすことはできないと思う。

  第四節、労働生産性について
 日本の貿易構造を長期的にみると、原燃料を輸入し、製品を輸出するという構造から、次第に輸出入とも製品中心の貿易構造に変化している。また、米国を中心とした構造から、西欧、アジア諸国の比重も高まった構造となってきている。貿易財については、アジア諸国との間で、食料品及び原燃料品を輸入し、製品を輸出する垂直貿易から機械器具を中心とする水平貿易へと変化してきている。そしてこの貿易構造の変化は、産業構造の変化にも大きな影響を及ぼしている。それぞれの時代のリーディング産業は、昭和30年代は繊維、鉄鋼及び化学、40年代には鉄鋼、化学及び機械、そして50年代半ば以降は、電機、自動車を中心とする機械へと変化してきている。これらのリーディング産業が大きな雇用機会を創出するなかで経済構造調整に伴う労働力の産業間移動が円滑に図られてきた。こうした産業構造の変化の背景には、高い経済成長を背景に設備投資による生産性の向上とそれに伴う賃金コストの低下があった。今後についても、経済構造調整が進展する中で、雇用構造が大きく変化していくことが予想されるが、この場合各国と比較した労働生産性の水準とそれに伴う賃金コストの動向が重要になる。
 日本の製造業の生産性上昇率を米国、ドイツ(旧西ドイツ)に比較してみると、1960年代には日本は米国、日本を6−7%ポイントを上回る高い伸びを示した。その後三国間での生産性上昇率の格差は縮小したものの、80年代においてもなお日本の生産性上昇率は米国、ドイツを上回って推移している。このため、各国と比較した生産性の水準は縮小し、時間当たりの生産性についてはなお差がみられるものの、一人当たり生産性についてはおおむね米国、ドイツ並みとなってきている。
 一方、非製造業については、非貿易部門が多く、為替レートの変動などの「外圧」の影響を受け難いこともあって、生産性上昇率は低い伸びにとどまっていた。製造業の生産性上昇率から非製造業の生産性上昇率を差し引いた生産性上昇率は、1960年代以降低下してきているものの依然として1%ポイント以上の開きがある。このため、非製造業の生産性の水準は、欧米諸国のそれを大きく下回っている。特に農林水産業、サービス業、運輸、通信業、卸売、小売でその差が大きい。
 次に。賃金の上昇率を労働生産性上昇率で除した賃金コストの上昇率を製造業についてみると、80年代以降、米国、ドイツが2%程度上昇しているのに対し、日本はこの期間生産性の上昇率が高いのもかかわらず、賃金の上昇が緩やかだったことから、賃金コストは0.8%低下するなど落ち着いた動きになっている。だが、貿易において為替レートの変動に伴う各国の通貨価値の変化を考慮した実質的な賃金コストの動きが重要となる。このため、ドルベースに換算した賃金を用いた為替調整後の賃金コストの変化をみると、80年代の円高により、調整前にはマイナスであった日本の賃金コストの上昇率が、調整後では逆に米国を2.1%、ドイツを0.4%上回った。このように、日本において、80年代以降、賃金の上昇率が労働生産性の上昇率の範囲内にとどまったにもかかわらず、結果として国際的にみた競争力は低下するといったジレンマが生じている。
 ただ、いろいろと私なりに調査した結果、前述では、ちょっと楽観的に書いたが、各国の通貨で同じ財、サービスがどれだけ買えるか表す「購買力平価」で計算すると、日本の実質労働生産性が低いとでた。(図2−2参照)

<図2−2>労働者一人当たりの労働生産性   

│ 国 │数字 │
│日本 │100 │
│米国 │162 │
│旧西ドイツ │139 │
│フランス │146 │
│英国 │90 │
(出典、内田弘「自由時間」有斐閣1993年130項)

この図2−2をみる限り、日本の労働生産性の低さが理解できると思う。これは、考えられることは長時間労働や低賃金、流通の閉鎖的な市場、各種の規制による国内価格の高さなどの原因がある。日本の労働者が働く割には豊かさが実感できないのはここにあると思う。もっとも、最近は、前述したように製造業中心に労働生産性が上昇してきている。日経産業新聞の1992年4月10日によると「日本型経営の特徴でもある長時間労働、系列支配など変革しつつ、時短の主要条件である労働生産性を上昇させていくという進路が基本であるとすると、技術革新の展開が主要課題として浮かんでくる。最近の研究によれば、日本の製造業の生産性の強さの根拠は、
生産性を上げるためには、特定の構成要素の改善ではなく、生産力の構成要素全体、すなわちコスト力、生産管理力、生産弾力性、品質力、その他の構成要素を全体的に引き上げているという点にある」と書いている。やはり、日本は製造業が、けん引役として期待もされ、日本経済の活力としても貢献しているのだと理解できる。

 第三章、多様化する雇用制度
  第一節、就業形態の多様化
   第一項、就業形態について
 耳慣れしなかった「空洞化」「価格破壊」といった言葉もやっと市民権を得て久しいが、経済情勢に応じて就業構造が変化するのは今にはじまったことではない。産業別にみると、第一次産業は長期的にみて減少を続けており、第二次産業は第一次石油危機を契機に伸びが鈍化し、近年ほぼ横ばいである。第三次産業は、卸売、小売業、運輸、通信業で80年代に伸びが鈍化した一方、サービス業や金融、保険業、不動産業で一貫的して高い伸びが続いた。その結果、94年度には第三次産業構成比は6割を超え、第三次産業化が顕著となった。また、職業構造の変化をみると、専門、技術職及び事務で高い伸びがみられる一方、販売は80年以降は伸びが鈍化し、近年ほぼ横ばいとなっている。また、管理、技能工、生産工程従事者及び労務作業者は長期的に低い伸びにとどまっており、農林水産業者は長期的に減少が続いている。この結果、ホワイトカラー比率は、94年には49%とと約半数にまで高まっており、ホワイトカラー化が着実に進展していることが分かる。労働省「雇用政策研究会」の推計により、今後の就業構造の変化をみてみたい。まず、産業別には建設業では公共投資の減少、良質な住宅環境へのニーズの高まりから産業として拡大するが労働生産性の向上などから就業者は減少していく。製造業では、情報化の進展に伴う電気機械分野の成長などにより生産額は今後においても相当増加するが、FA(ファクトリーオートメーション)化の進展や労働集約の生産拠点の海外移転により就業者は今後減少する。卸売、小売、飲食業は規制緩和の推進、物流の効率化なとせによる価格の低下を通じ、産業としては拡大するものの、就業者数は合理化努力により減少傾向が続く。一方、サービス業では高齢化の進展による医療や介護などの生活支援サービス分野へのニーズの高まりや、産業の高度化の動きに対応した情報サービス業などのビジネス支援サービス分野、生涯教育への需要の高まりなどによる教育産業分野などの大きな拡大が予想され、就業者は2010年までに450万人程度増加し、サービス業の比率で約3分の1に高まる。このような産業構造の変化を受けて、就業構造も変化する。就業者の構成比でみると、専門職、技術職は技術革新、情報化、サービスの専門化、さらには医療サービスへの需要を背景に2010年には18%程度上昇する。また、管理、事務については現在とほぼ同程度で推移し、販売については、流通過程の合理化などによりその構成比は緩やかに低下する。一方、技能工、生産工程従事者は、機械化、省力化の進展が見込まれるなかで減少が続き、構成比は低下すると思える。
 これまでみたように、第三次産業化の進展や、専門職、技術職へのニーズが今後高まり、その過程において衰退産業から成長産業への産業間、企業間の労働移動や、企業内での配置転換や出向などが増加することが予想される。政府は、「失業なき労働移動」を支援するため、雇用管理などの相談サービス、労働移動雇用安定助成金の支給などの助成措置を講じているが、企業においても、従業員に求められる職業能力の内容を体系化し、若いうちから将来にわたるキャリア、ディベロップメント、プログラムにのっとった、効果的な職業能力開発を行っていくことが求められる。一方、労働移動の増加が見込まれる中で、労働者自身による職業能力開発が今後ますます重要となってくる。ホワイトカラー層を中心に自己啓発の推進といった観点を重点に置きながら、生涯を通じた計画的な能力開発の実施を進めていくことが必要となる。今後「大競争時代」での生き残りをかけて、企業、労働者とも、いや応なしに能力開発に本格的に取り組んでいかねばならなくなると思う。
学校卒業後も定職につかず「フリーター」を選択する若者が珍しくない時代となった。育児期間を終えた主婦が、専門的能力をいかし、通訳などの派遣労働者として活躍するなど、今日の就業形態の多様化は目覚ましい。92年の雇用形態別の構成をみると、雇用者に占めるパートなどの非正規社員の割合は20%と5人に1人となっており、82年の15%にくらべその増加が著しい。男女別に非正規社員をみると、男子8%(82年、7%)、女子37%(82年、30%)となっておりね女子の割合が高く、その増加が著しい。年齢別には、男子では15−24歳層と55歳以上層で割合が多く、女子では15−24歳層ではやや低い以外は、中高年を中心に40−50%程度高い。また、産業別には、卸売、小売、飲食業、サービス業での割合が高く、特に卸売、小売、飲食業では女子雇用者の約半数が非正規社員となっている。非正規社員比率が高まりを見せる中で、その労働条件はどのなっているのか。パートはによついてみると、まず賃金水準については、職種、職務などの違いから、格差自体を一概に言えないが、一般労働者との間に格差が存在し勤続が長くなるほど格差は拡大する。賞与は約7割の企業で支払われているが、同じように一般労働者との格差がみられ、退職金制度の適用は極めて低い。一方、労働時間については、日本のパートの労働時間は国際的にみてかなり長く、労働時間面では一般労働者とも変わらないのに、パートという名で処遇や賃金などの労働条件について区別して取り扱われる者も製造業を中心にかなり存在している。また、現在の仕事に対する不満や不安を、30歳以上の再就職した既婚女子に対してアンケート調査でみてみると、正社員に比べてパートでは、雇用不安定、昇進機会が少ないなど、人事労務面での不安、不満が大きな特徴がある。労働者派遣における問題点は、派遣先での受け入れ体制や指示系統、さらには契約上の問題を加え、「能力や経験が十分に生かせる仕事ではない」とった問題も指摘されている。「専門的知識、技術、経験または特別な雇用管理を必要とする業務」とする制度の趣旨を脱するといった問題もみられる。このように、労働条件面では様々な問題を抱えている非正規社員であるが、その位置づけや活用方法は産業別にみると、製造業では雇用調整のしやすさと割安な人件費をあげる事務所が多いが、卸売、小売、飲食業、サービス業では忙しい時間への対処をあげている事務所が多い。非正規社員の位置づけも、製造業では正社員の補助と考える事業所が多いのに対して、卸売、小売、飲食業では基幹的労働力として位置づける事務所が多い。さらに、卸売、小売、飲食業では非正規社員に対する職域の拡大や、教育訓練や昇給の対応についても積極的に取り組む事業所も多く、パートの高度な活用を図ろうとする動きがみられる。今後、労働力供給構造が変化し、企業にとって若年労働力を定期的な確保していくことが困難となる中で、フレキシブルな労働力供給を可能とする非正規社員を積極的に活用していくことは、企業経営戦略の重要なポイントの1つとなる。一方、時間的な制約などから正規社員として労働市場への参加が困難な者の割合の高い女性や高齢者にとっても、非正規社員として労働市場に参加してしくことは、蓄積された能力を開花させつつ、いきいきとした生活を営んでいくための合理化な選択である。このような非正規社員をめぐる需給両面の変化に応じて、まずは労使間における雇用管理や労働条件の改善を通じた環境の整備が早急に必要となる。また、政府の取り組みにおいてもこうした労使の取り組みに積極的に支援すべきである。

   第二項、労働移動の実態
 国際競争の激化、産業構造の転換が進む中、雇用機会の創出をいかに図るか、また同時に雇用発展分野に円滑に労働者が移動できるかが、課題となる。ここでは、労働移動の実態を踏まえつつ、具体的な対応策など考えたいと思う。今後の雇用発展分野として、情報、通信、医療、福祉、住宅、環境、教育ビジネス支援関連分野なとでが成長分野として期待されている。こうした分野の雇用創出には、規制緩和など推進し、経済の活性化を図ることが重要である。また新規事業への資金供給の円滑化、既存産業の事業革新支援、技術創造のための環境整備などが求められている。特に日本経済の活力の源泉である中小企業について、雇用機会の創出のための環境整備を図ることが重要である。このためベンチャー企業をはじめとする新分野の展開などを目指す中小企業が行う人材の育成、確保、より魅力のある職場づくりの活動を支援することにより、新たな雇用機会の創出を図ることを目的とした中小企業労働確保法が改正され、執行された。
 構造改革を円滑に進めるためには、こうした分野の労働力の移動が鍵となる。労働力の移動については、80年代の後半に一時、活性化する動きがみられたが、平成不況においてやや沈静化しており、入、離職率及び転職率は最近、低下傾向にある。しかし入職者に占める転職者の割合が高まっており、労働移動者の占める出向の比率は最近、上昇傾向にある。転職について、産業間の労働移動については、同一産業内にとどまる傾向が強く、他の産業への転職しにくい傾向にある。また、概して高齢者ほど同一産業内にとどまる傾向がみられる。さらに産業間の労働移動については、他の職種への転換は産業間移動よりはるかに困難であり、同一職種に就く傾向が強い。これは構造調整に伴う労働移動が円滑に行われない可能性を示唆している。
 今後、新規学卒者が中長期的に減少する中で、産業調整を進めるには、産業間、企業間の円滑な労働移動が行われるように、労働市場の整備を図ることが求められる。このため、公共職業安定所の情報提供、コンサルティング機能など職業紹介機能の強化などのほか、労働派遣事業の検討が求められている。さらに、産業構造の変化などに伴い、雇用の回復が見込めず、雇用調整が余儀なくされる業種については、「失業なき労働移動」を支援することが重要である。
 そこで、第一に出向、再就職の斡旋の相談サービス、第二に雇用調整助成金の支給、第三に企業の事業転換に伴う配置転換を行った事業主と、出向、再就職斡旋により失業を経ず労働者を受け入れる事業主、労働に対して移動前後に教育訓練を行う事業主に対してそれぞれ助成金支給などを内容とする業種雇用安定法が実施されている。同法の機能的な運用などにより、失業なき労働移動が円滑に実施されることが期待される。なお、同法の指定業種は、94年11月の現在で80種類となっている。なお、特に雇用調整の対象になりやすい中高年層に対しては、きめ細かい支援対策が求められる。出向などの斡旋、情報提供なども行っていく必要がある。このほかに、現在就職環境が厳しい新卒者に対しての応募機会の確保、職業紹介の強化、情報提供などの支援対策の実施のほか、企業の方も学歴重視した人物評価、採用選考期間の複数化、長期的展望にたった採用活動などが求められている。また、若年層については、職業選択に対する情報提供の強化を図ることが重要である。

  第二節、人材派遣業界について
第一項、人材派遣について
 97年2月8日の日本経済新聞によると、「転職求職者数は3年間で25万人増加し、就業者数(6486万人)の3.2%を占めて失業者数225万人にほぼ匹敵する」(総務庁報告)という記事が載った。転職が急速に高まっていることがわかる。この中でも若年層の転職志向が拡大している。転職求職者数はバブル崩壊後にいったん減少したが、企業業績の回復に合わせて再び増加基調を強めている。仮に転職求職者がすべて失業すると3%程度押し上げる計算となる。一方ではこのことにより、転職求職者の受け皿となる企業の中途採用や通年採用は成長産業の情報通信、サービスなどで広がっている。就職活動で知り合った富士通の人事担当の人は、「97年度の通年採用は150人程度であり、求める能力を持った人材なら積極的に採用する」と言うほど積極的な姿勢であった。ただ、企業側と我々の思惑とは、微妙に異なる。企業の業務の専門化が進展すると、企業の希望とかみ合わず、就職できないことが生じるのである。転職求職者は産業構造の転換を促す半面、仕事を見つかる前に辞めて失業者になる恐れもある。雇用流動化が進まなければ、失業率が10%を超えるという、民間シンクタンクの調査結果もあるほどである。そのことで、政府の方もあらゆる政策を打ち立てている、労働省では、個人で英会話、簿記などの能力開発に取り組む人に対しての助成金支給制度を柱とした雇用促進事業の推進などの法を閣議に提出した。さらに、人材派遣などの効率化など、失業率上昇を防ぐための雇用流動化対策を強化している。
 労働基準法や職業安定法など労働政策などの法律が執行されてから50年ほどがたつ、前述したように産業構造の転換や転職などの高まりを背景に雇用環境が変わりつつある。これまで政府は、労働政策の規制緩和についしては慎重姿勢だったが、やっとこの時期になってから、重い腰を上げた。「雇用が回復しても失業率は下がらない」と言うことができるほど失業率は高い状態が続いている。労働省がまとめた報告書によると「96年1−9月平均失業率は3.4%のうち企業と求職者の希望が合わないことで生じる失業率が、2.7%も占めている」ということが明らかになった。企業の求人需要はあるのに失業率が下がらない「ミスマッチ」の構図が鮮明である。当時労働大臣であった岡野大臣は「労働の分野でも市場原理の導入することが必要である」と記者会見で発言をした。経済企画庁の試算では、90−95年の5年間で人材派遣業の規制緩和が年平均約1500億円の経済効果を生み出したと試算をした。経済面での波及効果は大きいことわかった。また、国際機関でもある、国際労働機関(ILO)は97年6月19日に「民間職業紹介所に関する条約」を賛成多数で可決をした。労働者保護の観点から公的機関よる職業紹介を原則自由化にした。失業率増加や雇用の流動化など世界的な労働市場の変化に対応するのが狙いである。ILOの加盟国の間では、民間の業界の方が公的機関では扱いづらい、複雑な労働市場に対応面では優れていることを認め、民間の力を積極的に活用することで国際的に一致した。この節では、前述したように、労働力流動の活力として期待されている人材派遣業界について考えたいと思う。
 人材派遣事業に対する産業界の評価や展望が変わりつつある。平成不況の中ではじまった日本経済の転換によって人材派遣事業の果たす役割が期待されているからである。平成不況にやや回復の兆しが見え始めた1994年の夏、通産省の産業構造審議会小委員会は「21世紀の産業構造と新しい産業政策のあり方」をまとめた。人材派遣事業を含む人材関連産業はそこにあげらた、「今後成長が見込める新規産業分野」の一つである。それによると、人材関連産業(人材派遣、職業紹介、通信教育、専門学校、大学院事業)の市場規模は1993年に1兆9000億円(雇用規模2万人)だったのが、2000年には3倍の6兆円に拡大し、さらに2010年にはそのまた20倍に当たる12兆円(雇用規模5万人)に成長する見込みである。ただしこれにはいろいろな条件がついての話であるが、そのうち重要なのが、人材関連事業に対する大幅な規制緩和と企業間競争促進策を早急に進めればと言う条件である。それにしても、なぜ人材関連事業がこのように成長するのだろうか。このシナリオはこうである。日本の産業は、世界一の「高賃金」「高物価」「円高」によって世界競争を弱め、経済構造の大転換を強いられている。これからは、これのでの日本の経済成長を引っ張っていた基幹山峡に変わって、情報通信産業をはじめとする新時代のニュービジネスが経済発展の牽引車になっていくと思われる。その結果、成長が鈍る成熟産業分野から次の日本経済を担うなう新興産業分野への大規模な労働移動が起こる。また日本の産業が国際競争力を回復するためには、高すぎる賃金コストの見直しが必要である。その過程で、終身雇用制度、年功序列といわれた日本型雇用制度が崩壊し、契約型雇用が広がり、能力本位の転職の時代が本格化してきたのである。今後の日本経済の活性化は、こうした産業構造の転換に伴う大規模な雇用調整と人件費コストの抑制のための雇用革新をいかにスムーズに進めることができるのかにかかっている。人材関連産業は、その活性化を演出する主役の一人で、特に人材派遣事業や職業紹介事業に対する期待が大きいというものである。
 具体的にあげると、1993年の年間入職者数は約530万人でそのうち職安を通じた者は約18%(95万人)にすぎないのである(労働省96年度「労働白書」から)。それが、2000年になると、年間入職者数が約760万人に増える半面、職安のシェアは13%の低下する(リクルートの調査)。というのである。それだけに人材関連産業の果たす役割が大きくなることは言うまでもない。それに人材派遣事業は、人材派遣法の執行からまだ10年しかたっていない、いわばこれからの産業である。第二次世界大戦直後の米国ではじまった人材派遣業が、その後50年間に欧米諸国へ急速に広がった後に、日本の人材派遣業は追いかけてきた。例えば、1980年代の米国経済が「高賃金」「高物価」「ドル高」の圧力で一時元気がなくなり、やがて90年代に競争力が回復していく過程で、人材派遣業界が大きな役割を果たしている。ちょうど同じような事態が日本で生じているのである。そういう意味で、世界の先進国での人材派遣業界の現状は、日本の人材派遣業界の将来を占う上で参考になるだろう。ILOの資料によれば、先進国での現状は次の通りである。
 
<一日あたりの派遣人数>
 米国 (163万9千人)
 EU9カ国 (119万2千人)
 英国 (68万2千人) 
 日本 (23万6千人)
フランス (23万2千人)
 オランダ (11万2千人)
 スペイン (3万人)
 
<全労働人口当たりの比率>
 英国 (2.6%)
 オランダ (1.69%)
 米国 (1.39%)
 フランス (1.07%)
 EU9カ国 (1.04%)
 ベルギー (0.79%)
 日本 (0.37%)
 ドイツ (0.29%)
 
(出典、日本経済新聞1996年7月1日)

 これで分かるように、世界で人材派遣業が最も伸びているのは、米国と英国である。国によって事業形態や法律制度が違うから、その国での人材派遣業が果たしている社会的役割の大きさを直接比較することはできないが、単純にこの数字をみただけでも、日本の人材派遣業がまだ拡大の余地が大きいと言えると思う。日本では派遣社員の全労働人口に占める比率が0.37%であるのに対して、米国はその約4倍の1.37%、英国は7倍に当たる2.26%にあがっている。ちなみに日本のパート社員は約800万人、全人口の約13%を占めており派遣社員の30倍を超えている。このように日本の派遣社員が欧米先進国やパートタイムに比べて伸び悩んでいる原因の一つは、人材派遣法によって人材派遣会社の事業形態がきめ細かく規制されているからである。特に、派遣対象業務が専門性の高い16業種に限定され、それ以外の業務に人材派遣を使うことはできない、という日本独特の「対象業務規制」が足かせになってきた。しかし、その対象業務規制も96年に成立した「労働者派遣法改正」によって、新たに幾つかの業務が追加されることになっている。(出版物の編集、広告、アナウンサー、研究開発、エンジニアの営業、放送制作、介護など)。今後こうした緩和が続けば、派遣社員を活用する企業が増え、近い将来、派遣社員は少なくとも、EUと同じぐらいの全労働人口比の1%台に増加すると予想されている。それだけで現在のマーケットの3倍の規模に拡大すると考えられている。最もこれまで書いたことは、人材派遣事業に対する需要サイドの展望であって、供給サイドにも今後解決しなければならない問題点がある。この業界は歴史が浅く、これまでの労働関係諸法規が予想しなかった事業形態であることから、よく派遣社員とのトラブルが話題となる。原因は様々で派遣元である人材派遣会社にある場合もあれば、派遣社員を活用する派遣先会社や派遣社員自身にあるようなケースがも目立つ。いずれにせよ、ただせさえ派遣社員は、短期、断続的契約によって働く不安定な職業である。その上で仮にも派遣元や派遣先の都合や無理解によって、労働者としての権利や福祉を侵害されることはあってはならない。これからは「複合雇用制度」の時代が本格的に始まる。正しい活用法を定着したときこそ、労働力の需給システムのバランスがとれ、新しい展望が開けると思う。

   第二項、人材派遣とアウトソーリング
 最近は、大企業を中心として人材派遣やアウトソーリング(業務の外部委託)が活用が進んでいる。日本経済新聞社が調査したアンケート調査でも、人材派遣の活用が活発化し、業務を外部委託する動きがでてきている。
 派遣社員を採用する理由として最も重視している点は、「季節的な仕事の繁閑に対応するため」(15%)が最も多く、「人件費削減」(9.1%)「正社員の採用を抑制するため」(7%)、など社員増を抑制する企業の姿が浮かんでくる。半面、「専門的技術を持った人を採用するため」と答えた企業は13.9%に上り、専門技術への需要が高まっていることが分かった。人材派遣を利用することで経費の削減効果は、全体に「あった」という声が多かった。今後の派遣社員の利用についても、現状維持が44.2%と高い比率になったものの、増員する企業が16%もあった。やはり大企業ほど、積極的な姿勢が目立ち、従業員1000人以上の企業では24%が増員する予定である。
 企業内の人事、経理、営業などの業務を外部に委託するアウトソーリングは、「導入している」と答えた企業は24%と全体の4分の1に及んでいる。会社の規模別では、従業員1000人以上では32%、と高い数字がでた一方、300人未満の企業でも25%と利用が多い。業務部門別の利用では、最も高いのがシステム部門の56%。次には、人事部門51%。総務や経理でも41%という高い数字がでた。企業規模でみてみると、総務部門では、従業員1000人以上の企業では55%、同300人未満が18%と大きな開きがあった。アウトソーリングを利用する理由が最も多かったのは、「専門技術や知識を持った人材の確保」。システム部門ではこの回答が最も多く、総務や人事部門では専門技術者と人件費削減のための理由が拮抗している。一方、「委託をに依存しすぎると、社内のノウハウがなくなる」と危惧する回答も3%に達していた。こうした不安を解消するために、「正社員を外部委託した部門に監督として送り込む」(48%)、「委託する企業を分散する」(17%)などあり、企業側もそれなりの措置をとっていることが分かる。アウトソーリングを既に導入している企業では、今後の予定で「中止する」はゼロ、ほとんどが今後も続けると答えている。新しい部門でも取り入れるも19%もあった。
 確かに人材派遣業界は拡大している産業の一つであるが、ほっと息している暇はない。企業側の需要がパソコンなどの高い技術を求めるようになり、人材不足に直面しているのである。従来のような業務経験だけでは派遣先のニーズに答えることはできないと、派遣社員のパソコン研修を急ぐ会社もでてきている。教育費に加え、募集広告や派遣社員の社会保険などのコスト増で派遣会社の利益率が若干低下している会社もある。こうした中でね派遣会社によってはアウトソーリングに取り組む動きも活発化してきた。派遣社員から何%かの利益を得る方法よりも、業務を丸ごと請け負った方が利益も大きいためだ。米国の半数近くの企業が、アウトソーリングを利用しているといわれている中で、日本も今後、業務の外部委託が進む公算が大きい。ただ、どの程度アウトソーリングが浸透するかは、派遣会社が根強い企業の抵抗感をどう解消していくかにかかっている。
  第三節、国際化と雇用
 近年、企業活動の国際化が世界的な規模で進展している。この背景には、貿易が拡大する中で、輸出国におけるアフターサービス需要の高まりなど輸出活動だけでは対応できない付加価値的なニーズが発生していること、情報通信、輸送技術の進歩により国境を越えた物流、情報交流が容易になったこと、国際競争が激化する中で企業コスト削減志向がより一層高まっている、さらには保護貿易主義傾向が高まっていることなどの理由があると考えられている。また、その内容をみると、これまでの輸出促進中心の国際化から、アジアなどの発展途上国での労働集約的な現地生産を経て、近年では途上国のみならず欧米先進国も含めて海外直接投資が増大するなど、その内容や地域も大きな広がりを見せている。こうした企業活動の国際化に伴い海外直接投資も長期化に増大してきている。製造業の業種別には、70年代には鉄鋼、化学などの素材関連の割合が高かったが、80年代後半以降、電気機械、一般機械など機械関連業種の割合が高まってきていた。また、地域別にはそれまで圧倒的な割合を占めていた北米向けや欧州向けが90年代に入って減少している一方、アジア向けが確実に進展している状況である。
 こうした企業活動の国際化については、いわゆる「空洞化」の影響が懸念される。「空洞化」の概念は、一般的に製造業の生産拠点の海外移転や割安の輸入品の増加により国内の生産部門の縮小、弱体化することとしてとらえられている。企業の海外進出の雇用への影響は、日本の輸出入について、第一に日本から現地への資本財、中間資本財の輸出の増加。第二に現地製品の日本製品に対する輸出代替価代価効果による日本からの輸出減少。第三は現地製品の日本への輸出の増加。などに分けることができる。これらはどうしに起こるのではなく当初は、第一の効果が現れ、その後第二、第三の効果がでてくると考えられている。日本の製造業の海外進出が国内雇用に与えた影響については、「平成6年度労働白書」において、87−90年度については、プラス効果が大きかったが、91年度については海外生産の拠点が進んだことから逆に7万人の雇用減少効果があったと試算なされている。また、日経のアンケート調査からは(1月4日朝刊から)、海外進出における雇用の影響をみると、海外進出を実施した企業の4割、計画している企業の5割が何ならかの雇用面への対応を実施または予定するとしており、その内容としては、配属転換や新規学卒者の採用中止、削減。退職者の不補充などの対応がとられている。これに対して、親会社の海外進出により影響を受けた下請け企業については、7割の企業が何らかの対応を実施または予定するとしており、その内容についても希望退職者募集、解雇などの厳しい雇用調整を実施する企業が4割を占めるなど厳しい対応を余儀なくされている。
 こうした「空洞化」が国内の生産や雇用に悪影響を及ぼすことを防ぐためには、どのような対応が必要だろうか。一部には為替レートで換算した賃金水準の高さが原因であるとして賃上げが必要だという意見も聞かれている。だが、こうした対応は個々の企業レベルでは厳しい経済環境の中ではやむを得ない選択であるとしても、論理的には低賃金で発展途上国と競争する点で国際的な分業構造の流れに逆行するだけではなく、マクロ的にも、実質所得の減少が内需の縮小を引き起こす可能性が高い。このため、企業の対応としては、研究開発の推進を通じて高付加価値化を進めていくことが重要であり、そのためには、対応した人材の確保し、育成していくこと、賃金水準や賃金体系についても、こうした人材の能力を引き出すことが可能となるようなものとしなければならない。また、産業間の生産性格差に基づく内外価格差の是正も重要である。日本の非製造業の生産性の伸びは製造業に比べて低く、生産性の水準は欧米に比べて大きく下回っていて、このことが物価水準が割高なものとしてきた。今後、産業の均衡のとれた発展と勤労者生活の豊かさを実現していく上で、こうした分野での生産性向上が課題となる。しかし、その過程においては雇用にも相当な影響がでる可能性がある点については考えなければならない。

  第四節、高齢化と雇用
   第一項、人口高齢化
 労働力を左右する日本の生産年齢人口(15歳−64歳)が減少に転じていることが、総務庁が97年3月27日に発表した現在の人口推計から明らかになった。日本の生産人口が、96年、戦後初の減少に転じたことは、日本が今の経済力を維持できるかどうか瀬戸際にたっていることを示している。21世紀初頭には少子化で全体の人口が減る中で、長期的な労働力不足の恐れが強まってきている。生産年齢人口は、15歳から64歳までの全人口。国の生産力を直接左右するのは、主婦や学生などを除き、働く意志のある人だけ集計した労働人口である。
 また、生産性人口が減少するのと同時に、日本の最も大きな課題は、急速に進む高齢化への対策である。人口の高齢化は先進国では共通の問題でもあるが、中でも日本は日本の大きな特徴は、高齢化のスピードが主要先進国の中でも最も速いのである。例えば、65歳以上の全人口に占める比率が7%から14%に倍増するのでに必要な年数は、米国の70年、スウェーデンの85年に対して、日本は24年と最も短い。これは単なる偶発的なものではなく、戦後の経済成長の速度が、所得水準の急速的な向上や産業構造の高度化を通じて、日本の出生率や平均寿命の変化をもたらしているといえる。「人口高齢化」の問題には、高齢者比率の高まりと労働人口の減少という2つの側面がある。まず、全人口に占める高齢者比率の高まりは、高齢者の多くが過去の蓄積を引き出して生活する無職者であることから、家計蓄積率を低下させる要因となる。また公的年金受給者の増加の増加は、社会保険基金の積立額の減少させるなど財政収支を悪化させ、いずれも国民貯蓄率を引き下げる要因となる。これらの貯蓄率の低下と財政を通じた所得再分配の高まりが、高齢者比率の高まりの主なうい影響である。日本の高齢者比率は、今後2020年に向けて急速に高まってきて、2020年には全人口の4人に1人以上が65歳以上の高齢者となると見込まれている。
 日本における急速な高齢化の進展は、戦後の経済発展の下で出生率の低下と平均寿命の伸長によってもたされた。まず、所得水準の向上に伴い、出生率(一人の女性が生涯に産む子供の推計値である合計特殊出生率でで意義)が低下する現象は、OECD諸国だけではなく、近年東アジア諸国でも幅広くみられている。前後日本の出生率は、1947年のベビーブーム時の4.5人という高水準から、60年代には全人口を安定させる2.1人まで急速に低下したあと、70年代後半より再び低下し始めて、94年時点では1.5人の低水準にとどまっている。こうした、出生率の最近の動向を考慮すれば、1990年代はじめに1.5人の水準で下げどまり、1995年から回復に転じるとした厚生省人口問題研究所の「中位推計」(1992年)は、必ずしも現実的ではない。他方、日本の平均寿命は、世界の中でも最高の水準にあり、しかもその伸びは大きい。こうした平均寿命の伸びは、最近時点になるほど、人口に占める高齢者の比率を高める大きな要因となっている。ちなみに1990年から2020までの高齢者比率の上昇幅の約3分の2は、平均寿命の伸びによるものである。
 これからは、高齢者との共存の環境づくりが課題である。

   第二項、高齢化と労働市場
 人口高齢化の直接的な影響は、まず労働市場に現れる。出生率の低下は約20年後には若年労働者の減少となり、それはやがて労働人口の全体の減少に結びつく。前述したように、生産年齢人口は、1990年代後半から減少に転じることから、仮に年齢別の労働力率を不変とすれば、2020年の労働人口は1993年度時点と比べて7.6%減少することになる。このように将来の労働供給の減少が明らかである反面、労働需要の先行きについては、見解が大きく別れている。仮に企業リストラが長期的に持続し、もっぱら過剰雇用の削減を通じた労働生産性の向上が進めば、欧州経済に顕著にみらけれるような「雇用増加なき経済成長」に日本経済が陥る危険性もある。しかし、そうした雇用の縮小均衡をもたらすような「欧州型」経済成長のパターンは、硬直的な労働市場真下での高すぎる賃金水準や過剰な社会保障給付といった、何らかの社会制度から派生した市場の不均衡に基づく場合が多い。これに対して、日本の労働市場では、これまで不況期には実質賃金の下落を甘受するといった伸縮的な賃金決定メカニズムが維持されてきた。こうした日本の労働市場の柔軟性が、今後、規制緩和を通じた価格競争の高まりによって一層有効に機能し、労働需給が均衡するような賃金決定が維持されるならば、欧州の労働市場に見られるような生産性上昇と失業増加のジレンマは避けられないものとなる。
高齢者雇用における最大課題は、高齢者に対する雇用機会を量的に確保するとともに、その希望に応じた多様な形態のもとで十分に能力を発揮できるようにすることである。量的側面については、94年に高齢者雇用安定法が改正され、98年4月の60歳定年義務化に向け、60歳定年制の確立、65歳までの継続雇用制度の導入促進などが進められている。労働省「雇用管理調査」によれば、60歳以上の定年を定めている企業の割合は、95年には85%と10年前に比べて30%上昇しているほか、定年後の勤務延長や再雇用制度の取り組みも進められている。企業も、その多くが既に定年の延長などによって高齢者を活用する努力をはじめている。
 例えば、石川島播磨重工業では工場現場の定年技術者を再雇用し、グループ内の派遣する会社を設立した。いずれも高度の技術を持ち、作業知識のノウハウを保有している。これらの者は、今後若手育成に当たり。工場の指揮などする。本社の話だと退職者の約20%が再雇用の対象となる予定だという。97年春に労働省がまとめた資料によると、「現在、高度熟練技能者が不足している」と答えた企業は全体の約50%。「将来不足する」と答えた企業は55%に達した。ハイテク化が進んでいるにもかかわらず、約9割の企業が「今後も高度技能者が必要としている」では、電機や電子などのハイテク産業は大丈夫かというと、決してそうでもない。「産業全体で大量定年がピークに達するのが10年後ぐらい、だが、育成には15年以上かかるということはもはや待ったなしの状況である」(労働省によると)。切迫した状況の中で、定年者の再雇用制度などの対策を導入したのも技術の空洞化を恐れたからである。同様の動きは今後も、産業全体で広まる公算が大きい。
 今後は、さらに体力が衰えの見られるられる高齢者が働きやすい柔軟な労働条件を作り出すこと、職場の設備面も含めた環境の整備を進めると同時に、職務再設計などにより高年齢者の技能、経験の活用を図り、高年齢にとって魅力のある雇用機会を創出していくことが重要である。また、労働者の側としても、長期化する職業生涯の中で、必要な能力を自主的に習得し、職域の変化に対応していくとともに、若年期から健康管理に努め、元気で生き生き働ける高年齢者となる努力が求められる。なお、現在、高年齢者の定年延長や継続雇用制度などによる雇用維持が若年者の就職機会を奪っているのではないかという論議がある。確かに現在は男子女子とも30歳未満の若年層の失業者が多い。だが、この背景には、第2次ベビーブーム世代として人口そのものが非常に多い年齢層が労働市場に参入する時期がたまたまバブル崩壊後の不況期に重なったこと、企業としても、バブル期の大量採用とそれらの雇用維持のために新規採用を行う意欲が減退していることがある。また、若年層については、失業率が高いのと同時に、欠員率も高く、需給にミスマッチが生じていること、さらに若年層の離職、失業者の多くが自主的な動機によるものであることにも留意が必要である。高年齢者の雇用機会の維持拡大が直ちに若年者失業につながる見方は、やや短絡的であるのではないか。
 企業側も危機感は芽生えてきている。「今後、仕事を熟知した高齢者の活用が大きな課題となる」と調査では答えている経営者が多い。だが、賃金や職種、健康面などで個人差が大きい高齢者の雇用は一律のシステムは導入しづらい。実際大手企業では、年金や医療保険などの保険料引き上げて企業経営の足を引っ張りはじめた。現役、企業双方の負担増に危機感を募らせている。高齢者雇用は企業が進める年功序列型の雇用、賃金体系の見直しとあわせて論議が必要となるだろう。政府は95年に、60−64歳の高齢者が働きながら受け取る在職高齢年金制度を見直した。高齢者が働く場合、賃金上昇に応じて年金金額を大幅に減額する従来の制度だと、働かずに全額年金をもらう場合より総収入がすくなるケースもあった。給与と年金額の合計額が働かない場合より高くなる仕組みに変更したところ受給資格が70%増えたと調査結果もある。だが、国の役割はあくまでも環境づくりまで。高齢者雇用は本人と企業の自主的判断にゆだねるしかない。企業経営にとって21世紀の初頭は「高齢者の活用」が国際競争力すら左右しかねない。官民が協力して高齢者の生き方に合わせて多様なシステム作りが急務でないだろうか。

 第四章、日本企業経営の実態と方向性
  第一節、今後の経営者の役割と期待
   第一項、日本企業の衰退
 日本企業社会は閉塞感に覆われている。国際競争力が問われ、産業構造の変革の必要性が叫ばれている中で、日本企業の将来は明るいのであろうか。96年10月19日の日本経済新聞ではアンケート調査結果が載っていた。

<図4−1>日本企業の将来


│日本企業の将来 │割合 │
│明るい │14% │
│やや明るい │32% │
│変わらない │17.4% │
│明るくはない │27% │
│その他 │9% │
│無回答 │0.6% │
(出典、日本経済新聞96年10月19日)

 このアンケート調査では、「明るい」に軍配が上がったが、厳しいという見方との差はごくわずか、「明るい」と答えても、構造改革が進めばなどの条件付きが多く、経営者の認識には厳しさがにじんでいた。「明るい」「やや明るい」と答えた合計は、全体の47%。「変わらない」「国難が多く明るくはない」をあわせて44%であった。
 将来に対して楽観している理由には、「情報通信産業など新しい産業分野が日本経済をけん引きする」「企業体質の改善、構造改革への働きがでてきた」「日本人の勤勉さ」「技術水準の高さ」などに信頼を寄せる声えもあった。ただ、「市場経済への対応が前提」「構造改革が進めば」「国際企業に変身できれば」といった条件を付けている例もあった。「困難が多い」と答えた根拠として、「高齢化問題」「食料、エネルギー問題」「産業の空洞化」「財政事情」など現在、日本が抱えている諸問題の解決が容易ではない状況をあげている。また、「欧米企業の伸び」「アジア企業の進出」などに危機感を抱いている。
 「今後の経営は米国流にむ修正される」5年後の日本企業の企業統治(コーポレートガバナンス)のあの方を予想したところ。全体の74%がこう答えた。だが、「ほとんどが米国流に変化する」とこたえた経営者はゼロであった。株式の持ち合いの解消が進む中で、外国人や国内年金など株主への利益還元第一に求める投資家の比重が高まりつつあることが背景にある。こうした意識が極端に現れているのが、「経営トップのチェック機能」。現在は「一般株主」(60%)「取締役」(51%)「従業員」(30%)の順であった。では、5年後はどうなるのだろうか。「一般株主」(74%)「機関投資家」(33%)などの純粋な株主の発言力が強くなる。株主のほかに「監査役」(33%)「社外重役」(12%)などの外部の目の必要性を感じている経営者も多い。このアンケート調査で理解できることは、日本企業は今、壁にぶつかっているという印象が持つことができる。どうしてかと考えると、確かに第一章でも書いたが、平成不況後の停滞感、消費税引き上げによる消費の停滞、失業率の増加など挙げればきりがないが、企業側にも問題点がある。簡単に書けば、国際的に日本企業は信用されていないのである。業界を代表する企業の商法違反事件、人事抗争をめぐる内紛や巨額な損出をだす不祥事の数々、日本企業の信用が揺らぐのも無理がない。
 確かに「日本的経営」の見直しが必要だという点で、主要企業の経営者の意見はほぼ一致している。1980年代には自画自賛だったのがまるで手のひらを返すように変わってしまった。これからどうやって自己改革を実行するかが、21世紀に向けた経営上の課題でもある。だが、振り返れば「日本的経営」の評価は戦後プラスになったりマイナスになったり、振り子のように動いたこともあった。定義は必ずしても明確になっていないが、前述したように「終身雇用制度」「年功序列」「企業内労働組合」が「日本的経営」の三種の神器と呼ばれてきた。この中では、雇用制度、賃金制度が修正する動きがはじまり、崩壊した見方もある。経営者は、戦後しばらくは海外の経営システムを学ぶこともなく、日本型とこだわることもなかった。変わったのは、石油ショックや円高を乗り越えて、日本企業の世界市場で注目されるようになってからである。バブル景気のころは、ジャンパンマネーが飛び出し、日本企業の秘密を探ろうと懸命になっていた。ところが、90年代に入ってゼロ成長が続き、なかなか立ち直りのきっかけがつかめない状態に陥って、今度は「日本的経営」の負の側面がクローズアップされた。これまでの日本企業のあり方は、自らを縛る構造的な問題をはらんでいるとの深刻な見方が急速に広まっていった。
 まず、高コスト問題である。大競争時代の下、低賃金のアジア諸国との競争や円高による全般的な輸入物価の値下がりなどで、価格水準が下がる新価格革命がはじまった。そして成長率の低下に伴い、従業員の高齢化が進んだ。今までの「年功序列」のようなエスカレーター経営は、自然とコストが上がる。賃金カーブが50−55歳でピークのなるのだから、高齢者が増加すると人件費が上がる。また福利厚生などの経費が馬鹿にならない。社宅などの土地は、地価が上昇する時代ならば含み資産を増やすいい手段でもあったが、土地神話が崩れた今、単なる不良債権のような厄介者である。同じ路線で無限に拡大をはかれるならば、「日本的経営」は無敵であっただろう。相対的に賃金の安い若手社員を増やせば平均賃金を低く抑えられる。長期勤続によって熟練を社内にとどめることもできる。高度成長期から輸出をなんとか伸ばせた時代には、大量生産型経営によって規模の拡大できたから、その優位性が過大評価された。ちょうど、80年代がそれだった。ところがブレーキがいったんかかると、歯車が逆回転する。高コストが国際的に広まると国際競争力が弱まる。ますますコストの圧力がかかる。途中下車を想定していない、つまり人員整理をしないのが原則であった。この悪循環で新しい産業へ取り組むことが容易ではなかった。だが、日本企業はなんとか着実に変化しはじめている。希望退職や早期退職者優遇制度によって人員整理を実施する企業が95年頃から本格的にはじまった。例えば、小売業の西友では、35歳以上の社員を対象とした早期退職制度によって、95年の8月には全従業員の35%の当たる1550人を退職させたのであった。確かに、本社のスリム化など、経営効率など高めることはいいかもしれないが、それまで企業の経営をしてきた、トップの方々とどうしたのであろうか。
 市場の時代に対応した企業自己責任体制の確立はどうであろうか。このことを考えると高コストの問題もそうかもしれないが、企業の責任体制が国際的にまた国内的に信用できないのである。政府、官僚もそうかもしれないが。6月の株主総会はもはや形骸化したのも同然である。日本の金融業界(野村証券、第一勧銀)、味の素、全日空、住友商事と挙げればきりがないほど法律違反、巨額な損失を引き起こし、ただ経営者は問題が起こったときだけ頭を下げることしかできない状態である。欧米でも不祥事が生じる。最大の問題は、日本の経営者に経営の方向性や企業の責任を明確に説明できる能力が欠けていることである。「知りませんでした、世間を騒がして申し上げません」とある自動車メーカーの社長がリコール問題で謝罪をした。現場で不祥事を揉み消す、これではダメである。責任をとって辞任をするのも当然であるだが、自らが原因を真相解明し公表するのも義務である。経済界では待望されていたストックオプションが解禁される。米国経営者なみの経営力を持つことが強調される。実は株主に対し、取締役など経営責任のルールが明快になる意味の方が重要なのである。93年の商法改正後に株主代表訴訟が累計で200件以上に達している。このことは経営者の説明責任の欠如に対する株主の怒りの現れではないだろうか。日本企業は企業統治に対する基本方針を我々に発表してはどうであろうか。例えば、米国のゼネラルモーターズは94年にリーダー企業の責任としてガイドラインを公表している。会長、CEO(最高経営責任者)の選び方、取締役の適正規模(15人)、社外取締役がその過半数を占めるべきこと、取締役70歳定年制、CEOの後継者計画の取締役への報告義務などを規定している。経営に関しては、米国の方が一歩リードしているのではないだろうか。トップなどの一部経営者の恣意的な経営を防ぎ、合理的な意思決定を保証する機構をいかに構築させるかが、日本企業に与えられた義務である。こうした企業そのものの品質競争に取り残されれば、グローバル化の中では生き残れない。
 やっと経団連も自己責任の原則にのっとり、企業論理の重視し、公正かつ自由な競争を展開する。といった「企業行動憲章」を決定した(96年12月18日)。やっと日本企業も動き出したかという安堵感と欧米に比べて10年ぐらい遅れているなという危機感が入り交じる。
 株主に対する責任がはっきりとしている米国型の経営は極端な場合、株価を上げるために雇用を過度に犠牲にする弊害がある。一方、極端な日本型経営は無責任な経営者天国に陥る。最適解は両者の中間にある。基本的には、方とルールに則り社会的常識の通じる開かれた企業風土を育成し、責任体制を明確にすべきである。

   第二項、経営者の役割と期待
 企業を動かす最高権力者は一体誰なのか。ふつうは社長に決まっているのだが、最近は、特に日本企業のほとんどであるが、会長の存在が目立ってきている。通常は、社長に権限が集中し、会長は「隠居」する前社長のための一種の「名誉職」のようなものとして見られてきた。ところが会長の役割が増えて、今や経営のトップはイコール社長と単純に言えなくなってきている。米国では、最高責任権力者はCEOで、しばしば会長を兼任しているため、実力会長は珍しくはない。だが、実力会長がどういう形に落ち着くかはまだはっきりと分からない。このため評価はいろいろと別れる。肯定的にとらえれば、企業規模が大きくなりすぎて、社長一人では負担が大きくなり、社長一人では負担が重くなりすぎるので会長などの分担が必要になってきたのである。これは取締役会などの経営組織のあり方を見直す動きと絡んでくる。経営のグローバル化や多角化の進展で、経営戦略の執行を社長と会長で分業した方がよりよい的確な経営判断を下せるという理屈もある。一方では、否定的な見方をすれば、「院政」などの危険性がふえているのである(具体的な企業は全日空など)。前社長が権限を手放さずに会長にとどまり、奥の院から社長を使って実権を振るうのである。このことは、日本の政府も言える。要するに、長期政権化とトップの高齢化が同時進行して、経営によどみが生じるのである。特に株主の菅が薄い日本企業では、経営のチェックが甘いため、実力会長による企業の私物化に歯止めをかけることは容易ではない。企業の私物化を防ぐためにも、取締役会の存在がある。最高経営機関といえるのは、取締役会である。会社は一体誰の者か。米国の企業統治は原点回帰運動とも言える。90年代に入り、取締役会の改革の動きがはじまったのは偶然ではない。米国では90年、上場企業の機関投資家の持ち株が初めて過半数を突破。力関係逆転を背景に、大企業は次々と取締役の席を半数を社外にあけ渡す。社外取締役の基準は厳しく、CEOの友人はもちろん、取引先企業などすべて不適切になる。経営の権限は、弱体化したが経営そのものが弱体化したわけではない。独立性の高い強力な取締役会が経営者に緊張感を与え、企業の再生、株高へとつながった。ゴールドマンサックスの会長ワインバーグ氏は、このことを「おびえの効果」と表現する。日本企業でも取締役会の改革の気運が高まってきている。英国では、90年のはじめの企業犯罪の多発を受け、株主を代表とする会長とCEO(社長)の機能分離を軸とする。「キャトベリー規範」が打ち出された。社長を会長が、会長を社外中心の非常勤取締役らがそれぞれ監督する形で、英国流の企業統治がはじまってきている。日本は日本型のチェック機能であった金融機関中心であったメーンバンク制が崩壊した今、それに代わる監視体制を築いていない。このことが国際競争力、日本企業の力が衰える原因ではないだろうか。
 
<図4−2>株式公開の役員の実態数

│企業名 │役員数 │
│東京三菱銀行 │75人 │
│トヨタ自動車 │60人 │
│鹿島 │60人 │
│さくら銀行 │58人 │
│三井物産 │55人 │
│清水建設 │54人 │
│大林組 │53人 │
│大成建設 │53人 │
│丸紅 │52人 │
│三菱商事 │52人 │
│伊藤忠商事 │51人 │
│新日本製鐵 │50人 │
│五洋建設 │49人 │
│住友銀行 │47人 │
│住友商事 │47人 │
│三菱化学 │47人 │
│あさひ銀行 │46人 │
│三菱マテリアル │45人 │
│第一勧銀銀行 │45人 │
│熊谷組 │44人 │
(出典、「日経ビジネス」日経BP社1996年12−2号、そして、アンケート調査から)

 <図4−2>を見てほしい、本来、意思決定機関でもある取締役会が機能不全に陥っている実態は、役員の数に象徴的に現れている。取締役会の形骸化はほとんどの企業で以前から指摘されていたが、改善のに兆しがない。役員数の上位がゼネコンが占めているのは、「工事の節目に、顧客は取締役の出席を求める。その日が大安がほとんどに集中する以上、数を揃えなければならない」(日経ビジネスから)という理屈もあることも事実である。役員の数が膨らんでいるのは、このような日本企業が内外で様々な事情を抱えて、各部の長を取締役に引き上げているからである。その結果、取締役会は部門の利益代表の集まりとなり本来は、オープンにしなければならない部門でいろいろな弊害を生じてしまうのである。社員の延長上にある取締役を中心に経営に関与しない中途半端な層が広く存在しているのである。内輪の論理で昇格する役員の増大は企業にとってリストを背負っている。どんな役員でも、商法上の責任は等しく負う。株主代表訴訟の増加によって、のリスクは強まってきている。議論に参加せず、取締役会で明確な意思表示をできないということは、言い訳にはできない。また企業の競争力自体もマイナスの影響を及ぼす。部門の代表の利害を調整する結果、経営全体の意思決定は無難な方へ流れる可能性が高いからだ。この点で、大幅な業績アップ、株価の上昇を望む株主の期待と、実際の役員の行動は乖離することになる。「機能、責任の空白地帯」というべき層の増大は、経営のチェックアンドバランス機能を弱めてしまうのもうなずける。
 「日本は商法上、役員の権限や責任は明確になっているが、現実の経営ではこの機能を眠らせている。実際、経営方針を決めるには、社長をはじめとして3人で十分である」とオリックスの社長の宮内氏は日経ビジネスの雑誌の中のインタビューで言っていた。このように宮内氏の言うように最近の企業は、経営に携わっている役員の数を減らす傾向にある。
<図4−2>役員の減少した日本企業

│企業名 │減少人数 │
│ソニー │28人 │
│日本国土開発 │10人 │
│東亜建設工業 │9人 │
│第一勧銀銀行 │8人 │
│ナカノ │8人 │
│井上工業 │7人 │
│日立メディコ │6人 │
│コスモ石油 │6人 │
│ミドリ十字 │6人 │
(出典、97年日本経済新聞8月20日)

この<図4−2>で理解できるように企業が取締役の人数を減らしてきている。東京証券取引所が調査した結果、監査役などと合わせた取締役の人数は一社当たり平均で19人で前年度比で0.11人さがり、20人を切った。つまり、「小さな取締役会」を作り意思決定の迅速化を目指す動きが強まってきている。経営環境の悪化などに対応して従業員同様にスリム化する傾向である。前述のように取締役は冠葬祭担当のようでり、商法では使用人とは立場を歴然と分けられた取締役を日本企業では乱造してサラリーマンの社内序列におとしめ、社会的ステータスに祭り上げすぎた。本来の趣旨は、企業経営を全般に責任を負う経営者である。では本来の経営者として取締役が何人程度が適切なのか。欧米の企業の取締役の数は10−15人と参考になるが、歴史的に考えるとキリストの弟子も12人だったのも、日本の部落共同体の最小単位が12戸前後だったのも偶然ではないという説もある。論議ができる人間集団の限界が12人ぐらいである。商法に基づく本当の取締役を38人から10人にスリム化したソニーの取締役会は理にかなっている。そのソニーも、の社内タイトルの執行役員を設け、官庁などに他社の取締役と同等に扱うように根回ししたという。形式にこだわる日本社会を無視できないのだろう。「サラリーマンの勲章から本来の経営者へ」といフレーズのように、企業の取締役の少数精鋭化は、簡単な流行ではない、国際化を求められる国際標準化への転換を求められる日本企業が従業員共同体から本物の株式会社へ脱皮する経営革新の指標の1つとみるべきだ。
 96年の5月に経済同友会が報告した「企業白書」がある。ここには取締役会改革の方向性として、「戦略決定機能と業務執行機能との分離」「取締役間の情報共有化」と同時に統治機能の向上のために「すくなくとも10%程度の社外取締役の導入」と提言している。だが、社外取締役導入については意外なほど経営者の間で抵抗が強い。米国では社外役員というのは社会的地位も義務もある。大企業の社長が、全く関係のない会社のために、資料を読み、役員会で一生懸命に発言するというのが社外取締役であり、尊敬される認識がある。このような認識が日本企業にはないのである。米国とは逆に大株主である金融機関の役員OBの隠居仕事と化している。前にでてきた宮内氏もまた日本導入にかんして消極的である。「米国のような長所は理解している。導入に関しては人材難と商法が米国型、ドイツ型、日本型とごった煮になってしまう」と否定的であった。また日産の社長もまた日経の記者に「社外取締役の導入で取締役会の活性化は疑問である」と言ったそうである。同社では経営破綻した日産生命に社外取締役を派遣していたが、それを根拠に生保業界から経営支援の要請されたことが頭のなかにあり、社外取締役に関しては全面的に検討しているのである。一方では社外取締役に積極的に取り組んでいる企業もある。ソニーでは、社外からピーソン会長(ブラックストーングループ)、石原秀夫(ゴールドマン証券会社)、末松兼一(さくら銀行)に社外から招いて経営に携わっている。責任と権限が明確になり経営の透明性を図り、積極的な論議が行われている。確かにまだ社外取締役の役割を理解し、受け入れる環境にはまだまだである。そのために人材が不足しているのも無理がない。ただ、企業経営の原則の1つに透明性がある以上、もっとも透明度が高い欧米型に企業経営が進むと思う。経済の国際化、各国の規制緩和の流れの中で世界経済の発展を阻害するという懸念から、企業統治する動きもでてきている企業もある。私も企業経営がどのようになっているか知りたいし、経営の活性化のためには、取締役会の改革の時期に来ている。

  第二節、環境経営の動き
   第一項、環境保全について
 95年4月、欧州連合の環境管理、監視規則(EMAS)がスターとした。96年には、国際標準化機構(ISO)の環境管理規格も発効された。いずれもかけがえのない地球環境を保全するため、企業活動の環境を与える負担をできるだけ減らそうとするものである。両者に共通するもの次のような考え方である。まず企業の環境保全に関する基本的な理念を明確にした上で、それを実現するための専門組織を本社や工場に作る。企業活動が環境に与えている影響の調査、分析する。問題があれば改善のための目標を立てる。環境改善計画が実施に移されたあと、進み具合を書類調査だけではなく現地調査をしてチェックする。こうした一連のシステムは環境管理及び環境監視と呼ばれている。ISOでは結果をチェックする環境監督は企業内の専門組織で行えばいいとしているが、EMASは外部の第三者機関にゆだね、しかも企業は汚染物質の排出量、廃棄物の発生量などのデーターを記した「環境声明書」を公表しなければならないとしている。今のところ、EMSAを守るのも守らないのも自由である。しかし、2000年には外国企業を含めEUの領域に立地するすべての企業には義務づけられる。これは、権威のある国際規格として世界的な傾向となってきている。国連の予想だと世界人口は現在57億人であるが、2000年には62億、2050年には100億人に達すると考えられている。急増する人口に対するエネルギーや食糧の供給の見込みはない。仮に、現在と同様、化石燃料中心のエネルギー供給を続けると、地球温暖化の最大の原因である二酸化炭素の排出を抑制するのは難しい。その他、世界的な森林の減少や酸性雨、オゾン層の破壊対策も急ぐ必要がある。環境対策は企業だけが責任を負うものではない。しかし企業は少なくとも企業活動によって環境によけいな負担を与えないようにする責任がある。総理府が95年に調査した、企業は世界中の問題で解決を最優先に取り組むべき問題として「環境保全」が62%と最も多かった。企業はこうした環境保全の時代の要請をしっかりととらえ、積極的に取り組むことではじめて存在意義があるのではないだろうか。
 97年の12月に京都で国際会議が開催される地球温暖化防止問題は、二酸化炭素排出の要因であるエネルギー消費をいかに抑えるかという課題を企業に投げかけている。「持続的可能な成長」の実現をむざして環境配慮型の経営を実践する企業が社会的に評価される時代が来そうである。地球温暖化防止条約では二酸化炭素など温暖化ガスの2000年いこう削減目標を設定する会議である。国際競争力の確保と環境保全の両立という難しい経営問題が生じてくる。経団連では「90年レベルを少し下回るだけでも大変な苦労を伴う」と消極的である。日本の製造業すが強調するのは、日本は省エネに努力した国に属するということ。90年の一人当たりの二酸化炭素排出量は約2.6トンで、英国やドイツより低く米国の半分以下である、この差に配慮せず、先進国一律の目標を決めるのは不公平との意識が強い。国内では90年以降の産業の排出量は横ばいだが、民生、運輸分野の伸びは目立つ。産業界ではなく。消費者も努力して国全体で省エネシステムを構築すべきだという見方も多い。消費者などの協力を得るためにも、まずは産業界自らがはっきりとした省エネ型の企業行動を打ち出すべきではないだろうか。  
 重要な課題として浮上した環境対策を、公害対策だけではなく企業全体の問題としてシステム的に対応するのが、環境管理国際規格「ISO14001」の大きな狙いだ。日本では電機各社中心に認証取得の動きが加速している。欧州企業が環境に対する企業姿勢として「ISO14001」の取得状況を尋ねてくる例もあると言われている。欧州との取引の多い製造業は、海外拠点を含めたグループ全体で早期取得を目指している。市民団体の環境への関心が高い欧州では、環境対策の実績などを対外的に明示する企業が増えてきている。英国やドイツの企業では決算報告書のように環境対策の実績を示す報告書を公表したり、市民と環境問題について対話する場を設ける企業が目立つ。欧州の市民団体と企業の関係に見られるように、声高に環境について意見交換するのは、日本の産業界は苦手かもしれない。だが、地道にでも環境についての取り組みを公表する姿勢が、国際的に求められるようになるとの見方が強い。温暖化防止や廃棄物減量、リサイクルに向けて、今何を実行し、どんな対策を目標とするのか。具体的な情報開示を伴った環境経営は20世紀の企業の一つの責務になると考えられる。

   第二項、環境経営の国際化
 96年9月ISO(国際標準化機構、本部ジュネーブ)が発行した環境マネジメントに関する国際規格ISO14000シリーズ。日本でもこのシリーズと統合のとれた日本工業規格(JIS)が制定され、このシリーズの認証取得への関心が高まってきている。一方、品質保証、品質管理に関する国際規格ISO9000シリーズは1987年に発行以来、世界中で10万社にのぼる企業が取得していると言われ、日本でも年間1000件というペースで取得事業所が増えていると言われている。最近はISO9000,同14000シリーズの複合審査、すなわち2つの規格を同時に審査する方向へと進んでいる。認証取得の動機については、93年のアンケートでは、外部からの要求や海外への輸出のパスポートといったことが大半を占めていたが、97年度日経調査によると第一位が「製品品質の向上」「業務手順の整備、標準化」など、企業内部の品質システムの向上を目指す動機が強まっている。ISO9000シリーズの取り組みが自社の品質システムの見直しや向上という積極的な動機に変わってきていることを示している。認証取得の効果については、「管理体制が強化された」「工程改善意識の向上」「工程障害排除機能」など品質管理の体質向上に役立っていることがうかがえる。この人は企業トップによるシステムの見直しも含めて、ISO9000シリーズが品質システムのプラン、ドゥ.チェック、アクションのサイクルを順調に作動させ、経営のツールとしての効果をあげていることを物語っている。要するにISO9000は、1987年に品質システムの国際規格として誕生、現在世界81の国で国際基準、法律として採用されている。その特徴は、これまでように製品そのものの品質保証ではなく、設計、生産、検査、販売、アフタケアまで、それぞれの段階において確認し、システムとしてとらえ保証するものである。しかもそれを企業系列や国境を越えて品質保証するところに意義がある。企業が製品を生産する場合、材料、部品などの供給について多くの企業とのかかわりが生じるが、関係先すべての生産工程を審査することは不可能である。しかし、ISO9000はこれらの品質保証をトータルなシステムとして、しかも国際的に統一された基準と方式によって管理する「第三者機関による国際的な品質保証システム」なのである。
 ISO14001は、ISO9000シリーズの環境版と言ってもよい。注目すべきは、14001の序文に「この国際規格は、企業が環境と経済の両方の成果を達成できることを支援する」と記されている。環境に十分に対応しつつ、企業の利益向上を図るということだ。例えば物を製造する場合、産業廃棄物をできる限り減らすことにより環境に配慮するとともに、原材料を無駄なく使い切るというメリットも大きい、これは利益増にもつながる。96年の9月に発効してから1年が経過した。日本企業の間でも、ISO14001を取得しようとする動きが依然衰えない。工業技術院の調べによると97年9月現在での取得件数は425件。取得する業種や企業規模の幅も広がっている。これまでの業種別取得状況をみると、輸出型企業が多い電気機械業界が60%に達している。だが、最近は食品、日用品、住宅業界や金融業界、病院など幅広い業種で取得に乗り出す動きが相次いでいる。認証を取得しようとする企業の動機は、まず「企業イメージの向上」があげられる。工場の廃棄物抑制、リサイクル、エネルギー利用の効率化、環境に配慮した商品を購入するグリーン調達など、環境経営に積極的に取り組んできた企業にとっては、対外的に環境経営への取り組み実績をアピールする手段としてISO14001の認証は欠かせないものに映っているようだ。また、「欧州企業などと取引する際に認証取引を暗に求められる」(松下電器産業)という業界もある。環境問題に敏感な欧州企業は、取引先企業の環境経営に対する姿勢を知る手段として「ISO14001」の取得状況を調べるケースが増えてきている。海外販売比率の高い電機業界が真っ先に認証取得に動いたのもそのためである。ソニーは97年度までに国内外全拠点に、2000年度末までに非生産拠点でも取得する方針である。他の日立、三菱電機、東芝なども、国内外拠点で取得に力を入れている。今後も取得企業が増え続けると考えられる。
 また、環境に関する情報を具体的に開示する企業が増え続けている。広告などで「環境に優しい」とピーアールするだけでは、事業所周辺の住民や消費者への説得が欠ける。廃棄物やエネルギー消費に関する自社データーを報告書などにまとめて公表することで、環境活動の透明性や信頼性を高めようとしている。NECでは1年間の環境管理活動の実績などをまとめた「環境レポート」を今年から発行し始めた。産業廃棄物や二酸化炭素の排出に関するデーターを掲載、1年間の環境管理活動の目標達成状況も示して、同社の環境に関する情報をわかりやすく公表している。このデーターによると二酸化炭素の排出量は前年度比で約3%の増加したが、産業廃棄物の委託処分量は17%の減少と分かる。東京電力も「92年度版」から毎年環境報告書のレポートを公表している。97年度版では96年度の二酸化炭素の排出量が95年度に比べて4.8%減った。排出量の減少は2年連続だという。原子力発電所の発電比率が高まったことが二酸化炭素排出の減少に寄与したり、汚泥焼却や配管の保温材くずの再利用が産業廃棄物の再資源化につながっていることを数字で読みとれるようになっている。
 環境庁が96年度末に6000社を対象に実施した企業環境行動調査によると、「環境報告書を作成している企業は30%にのぼり、さらにそのうち半数の企業が何らかの形で報告書を公開している」と分かった。
 このように環境保全への配慮や情報公開は新たな国際経営のスタイルになりつつある。日本は環境大国として名が高いが、まだ情報公開などの部分で遅れをとっている。欧州などの取り組みなど見習い、いち早い環境経営を望む。

   第三項、環境経営の企業の取り組み
 「環境の世紀」と言われる21世紀、環境対応度は国際競争力を左右しかねない。環境保全と成長の両立をはかるためには、技術面などの従来の枠を突き破る発想が必要となる。97年の12月に温暖化会議が京都で行われる。産業界では二酸化炭素の削減への具体的な課題を背負うことになっている。だが、二酸化炭素削減については日本の産業界に消極的な姿勢がちらつくのは、石油危機以降の努力で世界最高水準の省エネに取り組んできた自負があるからだ。石油化学業界では「4割もエネルギー効率を改善した」と強調しいている。また「これ以上の削減は生産量を下げ、産業の空洞化が進行する」という意見もあるほどである。
 97年の夏、経団連では業界ごとに二酸化炭素削減のための自主計画を提出させた。このプログラムは90年を基準に2010年にどのくらい二酸化炭素を減らし、そのためにはどのような対策を実施するかという計画である。

<図4−3>経団連環境計画の目標と対策

│業種 │目標 │対策 │
│鉄鋼 │生産過程でエネ│3兆円の省エネ│
│ │ルギー消費を1│投資 │
│ │0%削減 │ │
│化学 │エネルギー原単│年平均100億│
│ │位を10%減少│円の省エネ │
│製紙 │製品当たりの消│高温高圧回収ボ│
│ │費エネルギーの│イラーの導入比│
│ │10%削減 │率の引き上げ │
│セメント│最大限の消費削│工程の過程で効│
│ │減 │率的な設備導入│
│電機 │製造段階で生産│未使用エネルギ│
│ │高CO2原単位│ーシステムの導│
│ │を25%以上改│入 │
│ │善 │ │
│自動車 │製造過程のエネ│空調、生産設備│
│ │ルギーによるC│の効率化 │
│ │O2を2000│ │
│ │年で安定 │ │
│アルミ │95年比で10│プロセスの連続│
│ │%の省エネ │化 │
(出典、日本経済新聞10月18日)

 業種によっては、積極さにばらつきがあるが、思い切った計画もあり、そこに二酸化炭素問題解決につながる技術革新が見つかるかもしれない。鉄鋼業界では生産過程でのエネルギー消費量を10%削減する。そのためには約3兆円の投資が必要という。対策の1つが、半製品を再加熱し圧延する過程を省略し、エネルギーの削減しようとの構想である。新日本製鐵は溶けた状態のステンレスからそのまま熱延薄板を製造する技術を開発している。様々な制約条件に挟まれながら、二酸化炭素の削減を探りだそうとして、企業も今、手探りがはじまった。なかには、知恵と工夫次第で「利益」を生み、ビジネスチャンスにもつながる場合もある。温暖化ガス以前の国際的な環境規制として、記憶に新しいのが「オゾン層保護」。95年末の特定フロン全廃は電機メーカーに製造過程の改革を追ったが、NECは「結果的にコストダウンにつながった」と取材結果から分かった。全国の半導体、パソコンなどの生産責任者を集めて、同社が考えた対策の柱が「無洗浄化」。従来は電子部分をフロンで洗浄してから、インクで捺印するのが一般的であったが、洗浄せずに捺印できるレーザー方式に変えた。93年に国内外で50億円も投資してレーダー捺印を導入したが、洗浄機を節約できる上、捺印の不良率も低下した。約3年で投資分を回収、今やコスト減効果がでている。NECの環境管理部長の山口氏は、「企業が人的資源を投入すれば、コスト減と環境保全が両立できる可能性がある」と見ている。現在の対策はという質問には、「二酸化炭素対策を全社的な環境委員会のテーマに掲げ、製品の製造過程や使用時の二酸化炭素排出を総合的に比較するライフサイクルアセスメントの研究を本格的に取り組んでいる」と山口氏は語っていた。また、山口氏は、「グリーン調達制度が本格的に導入する動きが広がってきた」とも私に言った。この制度は、環境に配慮した部品や材料を優先的に購入する制度である。NECでは使用を禁止する有害物質などガイドラインを設け、主な納入企業に対して適応状況を調べている。グリーン調達の当面の対象となるのは、パソコンや携帯電話など民需販売製品の部分会社であり、ガイドラインでは有害物質の使用状況や部品メーカーの環境管理に関する企業姿勢について定めた。今後はリサイクルしゆすい材料の利用促進などの項目をくわえる考えである。ガイドラインに基づき国内納入企業に対してアンケート調査を実施、回答を求めている。約400社にものぼるそうである。海外調達は98年度から対象予定である。
 このような動きは、取材結果からキャノン、東京電力などもグリーン調達がはじまっていることが分かった。今後は部品、材料メーカーはこうした企業と協調して環境配慮を進められるかどうかで、取引が絞られそうである。企業や行政、消費者団体なと900団体が参加して活動している「グリーン購入ネットワーク」(事務所渋谷)では、OA用紙や事務機械について商品選択のための環境データーブックを作成した。これは、環境に配慮した製品を購入するのに役立ちそうな商品情報をまとめている。部品や材料、製品を買うときに品質や価格だけではなく環境を重視する動きが本格的になったことで、産業界でも環境に配慮した環境経営の活動を期待する。
 「地球温暖化対策や産業廃棄物削減に全力で取り組んでいる環境経営重視の企業は収益力、成長性も高い」と衝撃的な記事が97年の11月25日の日経産業新聞に載った。これによると1295社を対象に実施、経営の重要課題として環境対策に取り組んでいるかという尺度として「廃棄物排出量の目標管理」「情報開示」「環境組織」など14項目を採点。そして97年度の財務データーの相関を調べた。その結果、1位がキャノン。2位が松下電器。3位が松下冷機。4位がNEC。5位が日本IBM。6位がトヨタ自動車であった。
 経常利益が高いほど、コストがかかる環境対策に取り組みやすい面もあるが、環境を重視している企業は環境対策の目標管理や情報開示を通じて、企業の体質を高め、成長性を高めている実態が見えてくる。環境対策は企業業績にとってマイナスに働くとされて来たが、今回の日経の調査で全社的な取り組みは業績に貢献している傾向が浮き彫りとなった。首位のキャノンや松下電器、NECなどは一般市民が入手できる環境に関する報告書を作成しているが、企業全体で見れば作成しているのが11%しかないのは国際的に見ても低いと言わざる得ない。日本の産業は省エネやリサイクルに懸命に努力してきたと経団連は主張してきたが、世界市場を意識した対策は疑問がでる。欧州ではNGO(非政府組織)が環境重視企業ランキングをつくり、消費者の製品選びの参考にしている。こうした評価は企業の部品選定にも影響がでる。日本でも前述したように環境重視のグリーン調達がやっとはじまったばかりだが、欧州では既に本格化している。日本企業の環境対応は規制を意識して進めるのが嫌いな傾向がある。また通産省、環境庁などの縦割り行政により、温暖化や環境対策への総合的政策がなかなか見えない。政府の政策待ちでは国際的な動きに遅れかねない。
<図4−4>企業内に環境専門組織があるか

│回答 │% │
│設置している │63.9% │
│検討中 │10.1% │
│設置していない │25.4% │
│無回答 │0.6% │
(出典、日経産業新聞11月25日)

 前述したようにNECについて取材したが、このNECも<図4−4>でわかるように環境の専門組織を設置している企業の1つである。山口環境管理部長は「社員、株主に見える形」として監査体制を強化している。環境活動を企業経営に定着させるためには、このような自主的な機関が必要である。「株主、国外の取引先から指摘されてから直すのはみっともない」「環境活動を怠れば市場や消費者から厳しい視線を浴びかねない」と山口氏は言う。
 金融システムが崩れ始め、日本固有の企業同士のもたれ合い構造は破綻しつつある。資金調達や生産活動で国際市場との付き合いを深めるためには、環境に関する情報公開やチェックでも世界に通用する水準を求められている。環境経営は企業統治の達成度を映す鏡ともいえねその重要性は今後ますます強まってくる。そして、新しい「日本型経営システム」の構築が今はじまったばかりである。

  第三節、株主代表訴訟について、
   第一項、株主代表訴訟とは、
 94年12月、東京地裁で画期的な判決が言い渡された。ゼネコン汚職で有罪になった元常務を相手取って、賄賂の収支が賠償責任を負う違法行為に当たるかどうかが争われた訴訟で、東京地裁は「賄賂は営業として正当化できるものではない、会社のために行われたとしても役員の正当な業務権限を離脱しており、会社に対する賠償責任が生じる」として元常務にたいして会社に1400万円を支払うように命じたのである。賄賂について、役員の賠償責任を明確に認めた初めての判決であって、企業ぐるみの犯罪である賄賂の根絶を追る意義が大きい。株主が経営をチェックする場としては株主総会があるが、形骸化し本来のチェック機能を果たしていない。株主代表訴訟は戦後間もない1950年に導入されたが、だがこれまでほとんど使われていなかった、その理由は原告が立て替える印紙代が賠償請求額に応じるとされていためである。93年の10月の商法改正でこの点が改められた印紙代は一律8200円となった。つのり安い費用で訴訟ができるようになったのである。
 株主代表訴訟で注目されるようになった役員の責任はどのようなものであるのか。取締役や監査役など役員は会社と委任契約の関係にあり、役員は委任された業務を遂行するに当たって、「善管注意義務」と「忠実義務」を負う。善管注意義務というのは善良なる管理者としての注意をもって業務を行う義務である。一方、忠実義務とはかつては民法の規定である善管注意義務を商法上言い換えたものにすぎないとされていた。だが、最近は忠実義務は単に業務遂行上、注意に欠けたというようなことではなく、会社への忠実さを求めるものであって、例えば私利私欲のため会社に損害を与えた場合に忠実義務違反となるとの考え方が有力になっている。役員が善管注意義務や忠実義務に違反した会社に損害を与えると、会社に対して損害賠償責任が生じる。会社が役員の責任を追及すればいいが、そうではない場合、株主が会社に代わって、つまり会社を代表して訴訟する。これが株主代表訴訟の考え方である。株主代表訴訟は役員だけではなく一般社員が会社に損害を与えた場合でも可能である。しかし企業経営のインパクトという意味では、役員を相手取った株主代表訴訟の方がはるかに大きい。
<図4−5>最近の株主代表訴訟

│年 │企業名 │提訴理由 │請求額 │
│94、3│新王子製紙│先物取引 │75億 │
│ 3│三愛 │会社買収 │59億 │
│ 4│日本航空 │為替損失 │1,4 億│
│ 4│中部電力 │原発計画 │62億 │
│ 5│三井物産 │会社買収 │30億 │
│ 6│大林組 │贈賄、 │2億 │
│ 7│コスモ証券│飛ばし │698億 │
│ 7│鹿島 │賄賂、 │5億 │
│95、2│サイボー │増資計画 │83億 │
│ 3│ミネベア │増資計画 │180億 │
│ 11│大和銀行 │不正取引 │11億 │
│97、4│住友商事 │銅不正取引 │2000億│
その他、審理中裁判数96年末188件。
(出典、日本経済新聞社編集局「経営TODAY」1995年、220項。日本経済新聞97年5月9日)

 最近の株主代表訴訟の主な事例は、<図4−6>であげた通りである。訴訟のタイプを分類すると、最も多いのが株主の利益擁護である。役員の違法行為によって会社に損害を与えて訴えるものだ。次に目立つのが、原発反対などの問題意識をもって株主代表訴訟を起こす市民運動型。最近多くなっている「市民オンブズマン」もこの分類に入る。その他に、会社役員や社員が自分の会社の役員を訴える内部告発もある。
 
   第二項、高まる監査役の役割、
 これまでの裁判の流れなどから見ると役員が違法行為を犯した場合、敗訴するのは決定的である。問題は違法行為ではなく経営判断に関わるケースである。例えば野村証券が損失補填で会社に損害を与えたとして訴えられていた。だが、93年9月東京地裁が「当時の状況を考えると、損出補填の経営判断は容認される裁量の範囲を逸脱したものとはいえない」として株主の請求を棄却した。同地裁は、「経営判断の前提となった事実の認識についての不注意な誤りがあったか、またはその事実に基づく意思決定の過程が著しく不合理なものであったと認められる場合」のみ役員の善管注意義務違反あるいは忠実義務違反が成立するとした。今後、役員は事実の認識について不注意な誤りがないように氏、また意思決定を合理的に行うように万全にしなければならない。会社はそのための情報の収集を的確にし、合理的な意思決定ができるような体制を作らなければならない。そこで経営の「お目付役」として期待がかかるのが監査役である。従来は「閑散役」などと叩かれていた監査役であるが。これからは経営判断の的確性にまで踏み込んだ監査が必要である。早稲田大学総長である奥島氏は「長期的展望を作り上げるのが日本的経営システムのなら、代表訴訟などの企業監視機能を緩めてはだめである」「日本企業の公正さ、信頼性を世界企業にアピールさせるためにも企業経営の透明性を確立し、取締役会、監査役などの機能を改めるべき」と言っている。私もそう思う。国際的に見ても企業経営は透明性が不可欠な条件である。国際分業または国際競争時代のなかで生きるためには、今までの経営を考える時期に来ているのでないだろうか。97年10月に政府自民党が作成した「企業統治原則」のなかに、基本的な考えという項目で「企業統治とは、企業が国際競争力のある経営を行うための必要条件」「株主の代理人で構成する取締役会が経営方針、戦略を決定し、業務執行者を監視監督すること」と書いてある。また基本原則として「社外取締役の積極的に導入する」「監査役は適法性だけではなく、取締役の経営判断の適正まだ踏み込んで監査する」とうたっている。
 日本監査役協会の会長でいる大森氏は、「監査役の独立性の確保と権限強化」ということで、政府に要望書を提出した。その内容は、第一に社外取締役は原則複数で出身会社、グループ会社からは選ばない。第二に取締役会による監査役の選任は監査役会の同意が必要。第三に抽象的だった監査役の職務内容を法令で定め現行以上に具体的な監査内容を開示するなどの項目からなる。監査役は本来、経営のチェックのための役職であるが、野村証券、大和銀行、味の素などの一連の企業不祥事では機能を発揮できない。93年の商法改正で監査役の任期を取締役より長い3年に延長、人数も3人以上で一人は社外からと定めたが、社外監査役の多くは兼務。ある大企業においては「系列会社首脳が社外監査役になっているのは正直いっておかしい」という声もある。ドイツでは監査役会が取締役会の上席に位置している。機能、権限強化が進めば、社外取締役の強い米国とひと味違う、日本型のチェックシステムを構築できる可能性もある。
ただ、これと表裏一体で進む気になる動きもある。株主代表訴訟の改革である。自民党法務部会で試案がまとめられた。これによると「取締役が経営判断を誤って、会社に損害を与えた場合の代表訴訟については、取締役会が和解や被告取締役の免責を株主総会に提出し、総会決議での減免を認めることを柱である」また、「代表訴訟が提起された際、監査役会が訴訟が不適格だと判断すれば会社の代表として被告取締役側につき、裁判費用も立て替えることができる。また代表訴訟を提起できる株主は問題が発生時の株主に限る」などと盛り込んでいる。監査役が株主の代表であるというのは前提であるが、代表訴訟の骨抜きと考えてもよい。弁護士である水谷氏は「監査役会が取締役会から独立することはいいことだ。取締役会が監査役の人事権を握ったままでは、執行部と監査役が一体化となっている。これでは経営のチェックはできない。また代表訴訟の判決に総会決議の方を優先するというのは、法律論として問題がある」と指摘をしている。
 確かに、現在上場企業の大多数で持ち合いの法人株主が半数を占めている。監査役会がよってたつべきところの株主の多くが経営執行部(取締役)の影響下にあるわけで、独立性の確保するのは適した環境ではない。執行部からの独立である証となる社外監査役も人事権が握られている問題もある。米国やドイツの企業経営統治の眼目は、最高経営責任者の人事権を社外取締役や監査役が握っていることだ。その点で日本型経営統治を目指す監査役会の改革は十分とは言えないが、持ち合いの解消で上場企業の株主構成が変わる過渡期を迎えているだけに、将来への布石という側面があるのはやむを得ない。株主主権の企業統治を確立させる第一歩とするため、監査役の独立性の強化、株主訴訟への過剰な制限を招かないようにしなければならない。企業の不祥事を防ぐためにも、チェック体制の確立を望む。「日本型経営」は、グローバルスタンダードの狭間のなかで苦しみ、今、改革中である。

  第四節、企業評価の尺度
   第一項、企業評価とは
 15期連続増収増益を続けている花王の社長は、「環境の変化に合わせて、昨日の考えを捨てて、自分たちの先のあるのは何かを常に考えて行動する会社」が優れている会社の基準だと言っている。それぞれの会社がそうでありたいと願う「よい会社」というイメージを持っている。だが、客観的な基準を作るのは難しい。「エクセントカンパニー」という本には、米国の優良企業に見られる8つの共通点の特徴を書き出していた。それらは、行動の重視(まず何かやってみる)、顧客の重視(客からアイデアが浮かぶ)、自主性と企業家精神(リスクの奨励)、人を通じて生産性の向上(末端の社員こそ生産性向上の原動力)、価値観に基づく実践(経営理念の重視)、基軸から離れない(熟知している部分から離れない)、単純な組織、小さい本社(管理階層が薄く本社管理部門が小さい)、厳しさと緩やかさ(自主性と中央官制のバランス)であり、当時に優良企業の判断する目安とされていた。今、これを見直してもいずれももっともであり、現在でも通用するのである。だが、これで十分とは言えない。企業の社会的貢献が求められているなどその後の企業の環境の変化を考えるとこれだけでは十分ではない。
 日本経済新聞では毎年「日経優良企業ランキング」と「優れた会社ベスト300」を公表している。これは、「優良企業ランキング」が財務管理をもとに企業評価しているのに対して「優れた会社」は財務指標だけではなく、環境管理、社員や株主の待遇、社風なども評価対象にしているためばらつきがある。

<図4−6>日経優良ランキング

│順位 │企業名 │
│1位 │キーエンス │
│2位 │ファナック │
│3位 │富士フイルム │
│4 │マブチモーター │
│5 │京セラ │
│6 │任天堂 │
│7 │村田製作所 │
│8 │ソニーニンター │
│9 │メルコ │
│10位 │小野薬品 │
(出典、日本経済新聞社編集局「日本経済TODAY」1995年231項)

<図4−7>優れた会社ベスト300

│順位 │企業名 │
│1位 │セブンイレブン │
│2位 │ファナック │
│3位 │セガ │
│4 │イトーヨーカ │
│5 │富士フイルム │
│6位 │ローム │
(出典、日本経済新聞社編集局「経営TODAY」1996年264項)

 この<図4−6><図4−7>を見れば分かるように企業評価は揺れているのが現状である。経済団体やシンクタンクなどはいろいろと試していたが断念したという報告もある。どれを企業評価の尺度にすれば良いのかまだ曖昧なのである。今後ますます重要になってくるのは、前述した社会や消費者、株主への配慮は、働きやすい環境づくりへの視点ではないだろうか。その意味では新入社員の意識も大切な要素である。「新社会人のエコロジー意識調査」では、企業がもっと環境対策にお金を使うべきだという回答が多い。環境保全はいまよ地球全体の課題である、コストがかかる、企業としてどこまでやったらいいのか分からないという後ろ向きの姿勢では許されない社会の常識をここに当てはめることができる。企業にとってこうした声に応えて経営の舵取りすることによって、厳しい社会の眼に耐えられる「良い会社」を目指すという正しい方向である。
 社会的評価を意識した活動という点でき企業メセナが挙げられる。企業はなぜメセナを行うのか。最も多かったのは「社会的貢献の一環」続いて「イメージの向上」「企業文化の確立」であった。メセナは社会的貢献の方法として手っ取り早く、企業イメージの向上を高めるうえでも効果的であるとの企業の認識がうかがえる。企業文化の確立は一見、木々ような威武問題と思われがちであるが必ずしてもそうではない。企業は単に利益を上げるのではなく、文化性の高い製品やサービスを社会に提供し、また文化、芸術を支援してほしいとの社会的要請が高まっている。それに応え「良い会社」として社会から認知され、発展していくには、企業そのものを文化的なものに変えなければならない。
 企業評価により「良い会社」とされた会社とはどんな会社なのであろうか。この質問には難しいが、最近それを決める上で発言力が高まってきたのが、株主である。日本の株主は現行や取引先の企業などの法人が多いこともあって、ほとんどがものを言わぬ株主であった。それでも株主代表訴訟がしやすくなり、株主による経営監視機能が強まってきたのは前述した通りである。それとともに、動向が注目されるのが外国人株主である。株主の権限をフルに使い、場合によっては臨時総会の開催を要求したり、質問状を送るなどして経営上の疑問点をただし、改善を要求する。米国では株主の意向によってトップが変わることは珍しくもない。今後、日本企業のグローバル化が一層進むにつれて、外国人株主の比率はさらに高まることが予想される。また国内の株主についても、株主構成に変化が見られる。銀行、生保などの安定株主の比率が下がり、純然なる投資を目的とした株式保有が増えている。このことは、裏を返せば、投資利潤をあげるためには、様々な要求を突きつける可能性を示唆している。日本企業の株主の関係は、平穏無事で短期間のうちに終わらすのが総会に象徴されていた。そこには安定株主の上にあぐらをかいていた企業の安易な姿勢が見られる。だがこれからは、総会屋など一部の悪質な株主は別として、個人であれ、機関投資家であれ、一般株主の意見を謙虚に聞き、必要ならば経営に反映するようにしなければならない。社会に開かれた企業として株主総会などで徹底的に論議する覚悟がなくては、株主などからいい会社だと評価されない。今後、企業評価の1つに株主に対する評価もでてくるだろう。

   第二項、財務管理からの評価
 「利益追求一本やりだけでは日本は、欧米には勝てない。人との自然で優しい和の経営こそ米国経営などに勝てる」とキャノンの元社長であった山路氏は、社会生産経済セミナーでこのように言った。日本の多くの経営者の代弁のようにも聞こえる。つまり、企業統治における経営尺度としてROE(株主資本利益率)全面的に採用することに対してのためらいである。ROEは株主から集めた資本がどれだけの利益を生み出したかを見る指標である。「株主の利益」の極大化を重視する米国型経営で重んじられ、日本でもこの数年急速に経営尺度として定着されつつある。だが、そもそも日本企業が米国企業と全く同じ尺度を持つことは不可能では、という意見があるのも事実である。三菱商事は97年5月に98年にニューヨーク市場に上場することを断念した、同社のROEは97年度で3.7%。10%を超えているROEが当然である米国企業とおなじ土俵には乗れない。というのが理由である。日本の上場企業のROEはバブル期には8%であったが、97年には3.7%。米国の平均値(S&P500銘柄で約20%)との隔たりがあまりにも大きい。大手ゼネコンの経理担当者は「うちの企業のトップはROEなんか興味なんてありませんよ」と言う。経営者の多くが注意するのは売上高総利益率、つまり粗利率である。粗利率は工事現場の人件費など払ったあとでどれだけ利益が残るのかを端的に示す。「株主」より「従業員」を重視した尺度である色彩が強い。流通業界では円高時に争って「価格破壊」に突き進んだ。スーパー大手の利益は伸び悩んだが、消費者には低価格化の恩恵をもたらした。ゼネコンが「雇用維持」を、スーパーが「顧客満足」をそれぞれの目標を掲げる裏には、ROEだけを経営の判断の尺度とされることへの強い抵抗がある。もちろん、企業がROEに代わる明確な経営尺度を打ち出し、それをきっちり説明できれば、理屈が通る。だが、一方では「株主を第一に考えなければ株価が下がる時代」という声もあるのが現実である。「日本の会社は欧米という資本主義ではない」が持論であった新日鐵の今井社長も、最近「いずれROEを経営目標に入れる必要がでてくる」といい始めた。株主への配当は金利と同じで鉄鋼の安定供給や雇用の確保が重要としていた時代が終わった、今井社長は米国の経営尺度であるキャッシュフロー(利益に減価償却費など加えたもの)に言及。「キャッシュフローを重視した事業の絞り込みが重要だと」訴えていた。ソニーなどは国際的にも「国際優良企業」として評価されつつある。一方ゼネコンや小売業は株価がさえない。株価が低迷すれば資本市場からの資本調達が難しくなり、企業の競争力に悪影響がでてくる恐れがある。世界市場は「日本型経営」を認めないばかりか、日本企業も財務改革としてグローバル的な視野を持って改革に乗り出している。
 投資家の利益をあまり考えずに市場シェアや売上高を追求してきた過去の経営の反省から、日本企業もROEを重視し始めた。日本経済新聞社が97年の3月に上場企業にどんな財務指標を経営目標に挙げているかを聞いたところ、「ROE」と応えた企業は25%であった。売上高(32%)や経常利益(27%)などまだ「ROE以前」の指標を重視する企業が多いが、ROEが広く知られるようになった3−4年だったと考えれば、ROEは急速に定着しつつあると言っても良い。背景には、企業同士や銀行と企業との株式持ち合いのほころびなどにより、企業が株主をより意識せざるを得なくなったことによる。機関投資家である明治生命保険の担当役員は、日本経済新聞の取材に対して「利益成長が期待できない銘柄は今後も処分していきたい」と語っていた。企業経営者のROE信仰の裏にこうした事情があるとすれば、株式の買い入れ消却などの財務の操作によって、ROEの数字を表面的にでも上げたいと考える企業がでるのも当然である。外資系のある証券会社である投資顧問は「多くの日本企業の経営者はROEの意味を正確には理解していない」と指摘している。具体的な例として大成建設では自社の株の買い入れ消却が株価に与える影響に関する限り「不発」に終わった。なぜ市場は冷淡なのであろうか。ROEは株主の持ち分である株主資本に対する税引き利益の比率で、どれだけ株主資本を有効に使って利益を上げたかを示す。ROEを上昇させるためには、本業の収益力を上げるか、自社株の買い入れ消却などで分母の株主資本を減らせばいい。つまり本業の強化で利益を拡大しても、株主資本を少なくしても、計算値は上がる。だが、ROEを上げれば必ず市場に評価されるわけではない。大成建設の自社株買いは、「ROE上昇−市場の評価上昇」という期待のもとでおこなったのだが、本業をまず強化しなければ市場は評価されないことが分かったという例であった。このように前述したように日本の経営者はROEの意味を正確には理解していない。
 正確なROEの意味は「会社に出資している株主の持ち分に対して、どれだけの利益がでたかを測る。税引きの利益(分子)を株主資本(分母)で割る。バブル期に株式発行を伴った資金調達を大量に行って分母が膨らむ一方、企業の投資基準が甘くなり、利益(分子)が上がらなくなったためである。ROEを向上させるためには、第一に本業の収益を高めて利益率を上げる。第二に資産を増やさずに売り上げを増やし使用総資本回転率を上げる。第三には負債を増やすか、自社株を買い入れ消却などの方法がある。」
 株主資本の効率だけを追求し、本業が改善しなくても数字が向上する株主資本利益率は、万能の指標なのか。成長と効率を同時に満たし、株主に報いることは可能な、企業尺度はないのであろうか。米国では、その回答を求めて新たな経営尺度を採用し始めた。米国HP(ヒューレットパッカーズ)は「経済的付加価値」(EVA)を導入した。EVAとは何か。一言で説明すると、税引き後の営業利益から投資家が期待する収益(配当総額と時価総額の増加分)を支払い金利の総額を差し引いた金額を表す指標である。企業が投資家と債権者の期待に応えた上で、さらにどれだけの利益を上乗せしたか、を表せたのがEVAである。たとえ黒字決算でもその額が投資家と債権者の期待する収益額ょ下回っていたらEVAはマイナスになってしまう。何年もマイナス成長ならば事業を打ち切って、株主と債権者に資金を返却した方がいいということになる。HPには世界市場に通用する19の財務指標があるが、その中には日本企業がブームになっているROEはない。借金で事業を拡大した方が数字が上がり、自社株の消却でも上がるROEの欠点に関して、80年代には終了していたとしている。山一証券経済研究所によると現在EVAを導入している企業は、AT&A、コカコーラ、メリルリンチ、ゼネラルエレクリックなど米国企業に拡大し始めている。
 EVAを増やすことは投資を厳選し、資本効率を高め、付加価値の高い新製品の比率を上げるなど各事業本部次第で実現可能と言える。表面上は黒字でもEVAが悪化した事業から撤退することで数字を引き上げてもいいわけである。日本企業が量の拡大一辺倒だった過去の企業評価の尺度から抜け出して、紙片の効率を追求するROEの向上にとりくんでいる今、米国では一歩先に踏み出していた。資本の効率はもちろん、成長も同時に追い求め、その結果を株式市場という鏡を映し出す、そんなEVAのような指標を積極的に活用し始めた。
 「カネ」の流れを見れば、日本企業は既に世界市場に組み込まれている。ところが、その日本企業が実際使っている企業財務尺度は、世界最先端から一歩遅れている。「成長と効率」の両立を実現する企業財務尺度作りに参加している日本企業は名前も上がらないのが現状である。そんななかで、メーカーのソニーは数少ない1社として国際的にも注目されている。財務管理に「キャッシュフロー」を利用して始めた。キャッシュフローとは、企業がその決算時に新たに生み出す現金のことであって、設備投資に見合った減価償却費と税引き利益の合計から、株主に支払う配当金を引いて計算することである。ソニーの社長である出井氏は、日経ビジネスの雑誌のなかでこのように説明している。「この会社が純粋に電機メーカーだったならコスト削減とした基礎的な指標で十分であった。それが80年代になると映画、音楽などソフト事業を買収して以来、国際的に企業価値を高めるため、財務管理に力を入れた、ここで言う企業価値とは発行済みの株式時価総額である」と言った。株価を意識した経営を行うのに適した指標が、キャッシュフローなのである。プライスウオーターハウスによると、米国のの主要機関投資家の70%、英国の90%がこの指標を利用しているという。95年の4月に就任した出井社長は、ソニーはじまって以来のサラリーマン社長である。すなわち大株主が経営者だった時代が終わったのであり、「資本と経営の分離」を強く意識せざる得なかったのは自然な流れでもあった。87年以来、10年間で持ち株比率が2倍の40%前後ので高まった外国人株主に納得してもらうためにも、国際的に通用する指標の導入が急務だったのである。97年5月にはソニーの株価が1万円まで上昇した。そのことは投資家の期待が大きいことを反映しているのである。放送や情報通信、広告代理店の事業に進出しているのも、この分野が将来、効率よくキャッシュフローを稼ぎだし、企業価値に貢献すると判断したからである。
 ソニーのほかにもキャノンも、外国人の持ち株比率が40%に達している。しかも事業の海外比率が高く、自然に国際標準を意識せざる得ない、だからこそ、世界の潮流が「資本効率を満たした上での成長」「株主の期待に応えたかどうかの通信簿」にあることを気づき、他の日本企業に先駆けて新しい企業尺度の導入に踏み切った。しかし、大部分の日本企業は、ようやく量から効率の転換に一歩踏み出したにすぎない、「株式市場を業績の鏡として利用する」発想はまだ見られない。このままでは、世界の資金が日本企業を素通りすることも考えられる。
 ソニーに他にも東芝、村田製作所、HOYA、ホンダなど日本でも一流企業でもやっと重い腰を上げた。HOYAの鈴木会長は、日本経済新聞の中で「短期利益ばかり気にするな、成長を犠牲にしても将来に夢のある研究開発に資金を回そう」と言っていた。東芝でも「連結ROE10%、事業の分類など」米国型経営に一歩進んだ。このように背景には、米国の投資家に芽生えつつある、将来の企業価値に対する評価がある。将来の企業価値は、製造業にとっては新しい分野を開拓する研究開発投資でしか得られない。高い経営効率を実現した企業は、ROE経営を卒業して次の経営基準を目指している。新しい企業尺度を積極的に導入する企業が市場の信頼を勝ち取って生き残る、企業に必要なのは、その進化に敏感であることではないだろうか。

 第五章、衰退の危機を乗り越えて
 最大の危機は危機と認識していないことから始まる。大恐慌の際、米国のフーバー大統領は「米国経済は基本的に健全である」と強調していた。金科玉条とされていたのは財政均衡であった。通貨価値の維持のため金融対策は不十分であった。デフレ期に経済政策は完全に金縛り状況となり世界大恐慌を激化させた。それは今の日本の状況に似ている。橋本首相は、株価が停滞していても「日本経済の基本的条件は良い」と言い続けていた。消費税引き上げなど9兆円の負担増を求め赤字国債発行をゼロを目標にする財政構造改革法案の成立を掲げた。金融は超低金利下の信用収縮という異常事態に陥った。不良債権を抱えた銀行の信用媒介機能はなえ、株安→金融不安→実体経済悪化という悪循環を招いた。日本経済は財政デフレと金融デフレが同時進行し、まさに金縛り状況になっている。タイで始まったアジア危機は香港を経て、韓国へ拡大した。アジア経済危機は日本のバブル崩壊と同質であることから根は深い。にもかかわらず、橋本政権の感度は鈍い。再三の市場の警告を無視し、内需拡大を求めている米国に対していらたたたせた。なせ、そうなのだろうか。政策の空白は、政策立案を官僚任せにし、族議員のバランスのなかで調整に終始する政治閉塞の状況を示している。日本の経済政策は官僚と族議員の呪縛から逃れられないのだろうか。日本はどのような道を選択すべきだろうか。もちろんケインズ型政策には戻ることはできない。選ぶべき道は「小さい政府」である。経済活性化を通じて景気と行政改革を両立させる道である。それには、減税と規制緩和を中心とした政策である。所得税減税と法人税減税は政府に頼るのではなく、民間活力を生かすための構造改革案である。その一方で無駄な公共投資事業など見直し歳出削減に務めるべきである。米国経済は瀕死した状況のなかでレーガン大統領が登場した、政策を転換する経済再建計画の演説でこう述べた「国民は奇跡を期待しているわけでもない、しかし、行動を求めている」。日本の政府に求められるのは、現実を直視し危機を打開する政治の強い意志と行動である。
 金融機関の低迷や政府の取り組みが遅いなかで、いち早く国際的な競争を演じている産業界では「グローバルスタンダート」への移行が容易である。工作機械や半導体製造装置のように製造業の母体になるマザーマシンは日本はなお事実上の国際基準を握っている。いつまでも製造業かとう反論もある。しかし地球環境や温暖化対策、情報通信という二大フロンティアの世界でも日本は先陣を走っているのである。温暖化会議のレポートのなかで「電気自動車や環境対策を進めている企業の取り組みは日本がリード」という報告書もあった。製造業の底力は日本は技術貿易でも黒字大国になりつつあることにも示している。利益より技術開発重視と欧米の投資家には評判が悪いが、日本の技術貿易は95年で2000億円近い受け取り超過。黒字幅は拡大傾向だ。すくなくとも再編で混乱期に突入した金融業界よりは「志」が見えている。研究開発投資を続けながら欧米並に利益率を向上する、海外生産を拡大しつつ国内雇用を維持する。日本の製造業き「二兎を追う」矛盾した経営を追られながら、最悪期を脱し方向性をつかみかけている。強い製造業を中心に日本を創り出している。
印刷の大手企業である凸版印刷の97年度の設備投資は過去最高の1000億円。新日鐵の950億円を上回る。印刷関係と思ったら全然違う。ディスプレーなどのエレクトロニクス向けが今や業績の大半を占めている。ヤマハも今や売上高に占めている楽器の比重は楽器き45%程度しかない。代わってICなど電子部分が30%も拡大した。パソコン用磁気ヘッドでは世界有数のメーカーにのしあがった。重電事業の依存度を減らして情報分野の拡大を図ねる日立製作所。こうした企業は一例である。今までの日本型経営を捨てて、資本の効率化、素早い意思決定、成長分野の拡大を目指している。この背景にあるのは前述したように為替の左右避けない経営体制の確立である。ちょうど2年前に1ドル80円台を割り込む円高を体験し地球レベルの海外生産と資材調達コスト削減を始めた。また規制緩和による影響もあった。通信分野での事業拡大のスピードのすさまじさが代表的である。携帯電話は国民の5人に1人が所有する状態であり、96年度の移動体通信市場は4兆円と6年間に10倍に膨れ上がった。通信分野の設備投資は産業界のけん引車となった。大企業や有力外資系企業に混じってソフトバンクなどの精鋭ベンチャー企業も一方の旗頭になっている。
日本の製造業の最大課題であった輸出偏重の経営姿勢が変化した。この数年間に海外生産を拡大しつつある。三菱重工はドーム型の野球場を海外で受注し始めた。造船業中心であったが、新規事業に力を入れている。同様に日立造船も環境経営としてゴミの焼却炉の生産をしている。10年間で焼却炉の生産が全体の30%を占めるようになっている。造船業から環境装置会社に変身した。このように短期間で方向転換する日本企業製造業の力は凄いと実感してしまうほどである。
 特筆すべきなことは、国内での大幅な雇用調整なしに海外展開を果たしたことである。トヨタ従業員は7万人で5年間に定年退職など自然減で4千人減らしただけ。絶好調のGMは、この10年間で50万人から30人万に減らしたのと対照的である。GMのROEが21%。トヨタが6%台としう日本の収益格差を指摘する声もある。しかし高収益を要求させる米国と雇用責任を問う日本企業の違いも考慮すべきである。トヨタやホンダは国際優良銘柄として株価が上場以来最高値を再新していることは日本企業にとってうれしいことである。海外生産拡大、国内工場の閉鎖という空洞シナリオが確かに生じたが製造業を中心に持ち直した。なぜ対応できたのか。「世界市場で激しい競争にさらされたから」というのが答えである。さらに分析するなら売上高の10%前後という高水準の技術投資を継続したことが原因ではないだろうか。来日した米国IBMのガスナー会長は「日本は世界のトップレベルの企業が多い。日本経済を支えているのは製造業である。悲観的になることはない」と言っていた。世界の変化も速いが、それ以上に日本企業の変化も速い。だが、世界競争に乗り遅れないためにも市場の変化に敏感になってきた。製造業を中心に人事制度や組織の革新を急ピッチに進めている。規模を拡大すれば自然に利益がついてくる時代は終わったのである。第4章で挙げたようにROEの導入や経営目標を重視し始めている。ヒト、モノ、カネの経営資源の有効活用を厳しく考えるようになった。これが世界市場を舞台とする国際企業である。
 この章の題は、「衰退の危機を乗り越えて」というものである。今の日本経済は大きな転換期である。「甘えを許すな」「今の政府が悪い」という声もあることも事実である。だが、企業は新たな時代に向けて革新をし続けているのである。日本型経営は、新たな時代に向けて出発しているのである。危機を乗り越えるために、欧米の経営を参考にしながら様々な方面で改革中である。だが、一つ問題点がある。わたしたちの危機の少なさである。「個」の改革が追いつかないのである。「もたれあい」ともいえる。我々の集団主義ともいえる護送船団のようなものである。わたしたち個人がもっと強くならなければならないと感じた。「影の薄い国」、「顔の見えない国」と言われる日本だが、支えているのは我々なのである。大学の授業にしてもそうである。ただノートをとり続けるだけの授業、自分の意見も言えない環境、これでは個性を作り出すことはできない。「日本型経営」のもとになる今度の世代は我々である。もっと今の日本の状況を知るべきであって、情報を知るべきである。そして個人の自立と責任を確立すべきではないだろうか。これこそが、衰退の危機を乗り越えることができる条件ではないだろうか。

 おわりに
 「日本型経営の改革」というテーマで3年間取り組んできましたが、様々なことを学んだような気がします。この1つのテーマで経済はもちろん、ヒト、カネ、モノの動きをトータルに学ぶことができました。取材そして参考文献で勉強する限り、「日本型」は捨てなければならないと感じてしまった、そして「新日本型経営」は出発した状況であるとも考えさせられた。労務、財務など様々な問題が日本企業にはある。だが、その1つ1つを解決しなければならない。解決すべき我々がもっと勉強し、しっかりと現状を把握しなければならない。金融機関が崩壊(倒産)するなかで、製造業はがんばっている、それはいち早く国際化を目指し取り組んだからである。つまり言い換えるのなら「日本型経営」を脱し世界でも通用する経営(新日本型経営)を推進したからではないだろうか。
 今度は我々の考えを変えなければならないいつまでも頼ることなく、自分で判断し、責任を明確にあらゆることにチャレンジしなければならない。そんな勇気が必要ではないだろうか。
いろいろな知識、教養を学ぶことができたこのゼミナールに感謝し、暖かい目で見守ってくださった大石先生に感謝します。

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日経BP社「日経ビジネス」
毎日新聞社「週間エコノミスト」
 
朝日新聞
日本経済新聞
日経産業新聞
日経流通新聞