脳死・臓器移植問題を考える
          貿易学科4年 亀田泰子
 
 はじめに

 第1章 脳死・臓器移植問題とは何か
  第1節 脳死・臓器移植の医学的考察
   (1)脳死状態は生理学的に見て
           どのような状態か
   (2)脳死状態と臓器移植の関係
   (3)脳死の医学的定義と脳死判定
  第2節 臓器移植法の成立と
            施行後の課題
   (1)脳死臨調の動きと
          臓器移植法の成立
   (2)臓器移植ネットワーク
   (3)移植コーディネーターの
             役割と育成
   (4)意思表示カードの普及    
  第3節 脳死は本当の死か
   (1)「脳死判定基準」の問題性
   (2)「脳低温療法」の存在
  第4節 脳死移植のパラダイム
   (1)功利主義
   (2)進歩主義
   (3)カニバリズム
 
 第2章 日本の脳死・臓器移植の
            遅れの原因
  第1節 文化的・宗教的背景
   (1)仏教における生死観
   (2)現代日本人の脳死意識
   (3)日本人の遺体観
  第2節 臓器移植先進国との比較
   (1)アメリカでの
         臓器移植推進の要因
   (2)脳死・臓器提供に関する法制度
   (3)臓器移植ネットワークの発達
  第3節 日本の医療不信
   (1)和田心臓移植の問題性
   (2)不透明な医療
   (3)医療のマンパワー不足

 第3章 患者と医者の信頼関係を
            築くために
  第1節 インフォームド・コンセント
                の普及
   (1)インフォームド・コンセント
               とは何か
   (2)日本にあう
        インフォード・コンセント
  第2節 セカンド・オピニオンへの期待
   (1)セカンド・オピニオンとは何か
   (2)日本での
      セカンド・オピニオンの実施 
  第3節 家庭医制度の推進
   (1)家庭医の役割
   (2)イギリスの家庭医と  
           その利点と弱点
   (3)日本の家庭医
        (かかりつけ医)の定着
 
 おわりに 


  はじめに
 昨年、日本において「臓器移植法」が成立し、脳死からの臓器移植が、医療として実施することが可能となった。海外諸国では、既成事実を積み重ね、その成果の上で法律が成立した経緯があるが、日本では、和田心臓移植を背景とした脳死・臓器移植への不信感から、移植医が心臓移植に踏み込むことができずに、法律が先行する形になったのである。
 「臓器移植法」は法的に矛盾した死の定義をしている。それは心臓死と脳死の2つの死を認める一方、同じ脳死状態でも臓器提供するなら死者になり、そうでないなら生者となる。脳死のように一人一人の考え方が異なるものを法律で一律に規定せず、それでもなんとか脳死・臓器移植を発展させるという意味では当然の決定であるとも言える。
 脳死は、死全体の1%と極めて少ない。日本では毎年7000人が脳死者となる。だからといって、私たちはこの問題に無関心であってはならない。脳死はある日突然に襲ってくる。その時では遅いのである。事前に脳死の実態を正確に知っておかなければならない。脳死はどういうものであり、どのような
判定の下で決定されているのかを確認し、また、生と死の選択を迫られる上で、現時点での医学で可能な生の範囲も知る必要があるだろう。
 脳死・臓器移植は、たしかに自然科学や技術に関わる理科的な問題である。だが、それはあくまでも一面にすぎず、同時に文化的な問題でもある。そこで、論議を実のあるものにするためにも、脳死・臓器移植の是非という生や死に関わる問題を必要以上追求するのは避け、今まで日本の脳死・臓器移植の明確な合意の形成を妨げてきたものはなんであったのかを、押さえておく必要がある。それが主に、日本人の特殊な生死観によるものであるかどうかを知るために、仏教的心情だけでなく、現代の世論調査の結果や、現代に残る遺体観に着目することで明らかになると考えた。また、意識の分析と並行し、具体的な社会条件や制度要因の考察も不可欠である。その際、比較の対象として、欧米で脳死・臓器移植を支えた社会的条件の検討もするべきであろう。このような分析の中から、日本社会において脳死・臓器移植の合意形成を阻んできた要因が明らかになり、併せて問題の真のありかも明確になってくるのである。

 第1章 脳死・臓器移植問題とはなにか
  第1節 脳死・臓器移植の医学的考察
   (1)脳死状態は生理学的に見て
           どのような状態か
    @ 従来の死の定義
 死とは、意識がなく、呼吸が止まり、心臓も止まって身体が冷たくなり、目で見える形で判断できるというのが従来の一般的な常識であった。法的には規定がなく、専門家である医者が臨床的な経験から判定すれば良いとされているが慣習として、呼吸停止、心停止、瞳孔の散大固定の三徴候がすべて揃うことにより死を判定している。
 三徴候は心臓と肺の他に瞳孔の散大固定が含まれるが、これは脳死の判定基準にも含まれており、脳幹部の機能喪失を示す徴候である。結局、三徴候死とは肺、心臓、脳の3つの重要臓器の機能喪失といえる。  
 肺、心臓、および脳の呼吸中枢は、協力して全身各臓器に酸素を供給している。すなわち、脳の呼吸中枢は呼吸指令を出して肺に空気を送りこみ、肺は空気中の酸素を血中に取り込み、心臓は血中の酸素を全身に送り届ける。酸素に依存して生きている私たちにとって、肺、心臓、脳の呼吸中枢の協力作用による全身への酸素供給機能は生きていくための基本的な機能であり、そのため生命徴候とされてきたのである。
 死の流れを以上の三器官、機能で見た場合、
通常は肺、心臓、脳の時間的順序で機能は停止する。

   A脳死状態が発生するとき
 前に述べたように、通常の死の流れは肺、心臓、脳の順序で機能は停止する。呼吸が止まると酸素供給されなくなるため、筋収縮運動である心臓の博動はやみ、血液循環はとだえる。したがって、脳はガス、養分交換が行えないため、機能を消失し脳死となる。このように、脳死は心停止後おこる。
 しかし、脳死・臓器移植での脳死状態は、事故や犯罪や自殺、あるいは脳内出血、脳梗
塞、脳腫瘍などの病気、一酸化炭素の毒物による中毒作用などの要因によって脳全体が損傷し、呼吸機能や循環機能は存続しているの         にもかかわらず、脳の機         能だけが先に失われてい         る状態を指す。(図1)         私たちの身体にとって呼         吸運動による酸素供給が
不可欠であることも前に述べたが、この呼吸運動は肺自体が動くのではなく、呼吸筋が動くことで引き起こされ、肺が拡張、収縮を繰り返し、ガス交換が行われる。この呼吸筋を支配しているのが脳にある呼吸中枢で、脳幹の中に存在するため、脳幹が機能停止すれば呼吸は停止するのである。
 肺や心臓の機能中枢である脳幹の機能が停止したとしても、1950年代から医療現場に導入された人工呼吸器の力を借りれば、実質的な呼吸機能は確保され、心臓は唯一例外的に
「自動性」という特殊機能を待っているため、
心臓自身が心臓自身に命令を下すことにより、
ある程度の間は独立的に博動しうるのである。このある程度の間とは、脳で必要なホルモンが生産されてその供給を受けていて、心臓の筋肉に酸素が供給されている間であり、長くても7〜10日くらいである。ただし、それがなぜ7〜10日なのかということは、未だにわかっていない。

   B脳死状態の生理学的把握
 人間の脳は大脳、小脳、脳幹の3つの部分からなる。(図2)3部分はいずれも人間の諸々の生理的機能の最高中枢であ
り、大脳は思考、感情、意識、
判断などを、小脳は運動、平
衡を、脳幹は呼吸、体温調整、
血液循環などの人間が生物と
して生きていくために必要な
様々な生命機能をそれぞれ調
節し、統御している。
 よく脳死状態と混同されがちな植物状態とは、(図3)大脳と小脳が機能を停止、または著しく機能が低下し、外側から見た場合、基本的に思考、感情、意識、運動が不能である。ただし、植物状態の者は脳幹が機能しているため、他者が栄養分を補給しさえすれば生き続けられる。脳死状態は植物状態と異なり、大脳と小脳に加えて納棺も機能停止しているため、意識や運動機能が消失しているだけでなく、遠からず確実に死に      至るとされる。この点が植物状      態と脳死状態との決定的な違い      である。脳死状態の者は、心臓      が博動し、血液が循環している      ため、身体が温かく脈がとれる。      また涙を流し、汗をかき、脊髄が機能しているため、時として反射的に動く。さらには脳下垂体から子宮収縮ホルモンが分泌されているため、妊婦であれば出産が可能である。

  (2)脳死状態と臓器移植の関係
 脳死j状態が臨床現場への人工呼吸器の導入によってもたらされたとしても、すぐに脳死状態が社会的に注目されたわけではない。
 大きな社会的問題としてとりだたされたのは南アフリカのc・バーナード博士が世界初の心臓移植を試みた1987年からである。
 心臓や肝臓などの臓器は心停止後に直ちに機能回復不可能となるため、心停止段階で摘出し、移植しても生着する可能性は皆無に等しい。それに対して呼吸機能や循環機能が存在する脳死状態では、臓器のイキがよく移植の成効率も高い。
 また、イキの良い心臓や肝臓を摘出するためには事実上ドナーを死に至らしめることに他ならないため、心停止以前の段階で死亡としない限り、摘出を行った医者は殺人を犯したことになる。つまり、殺人行為にならないために、脳死者はすでに死んだ者であるとしなければならない。
 そして、臓器移植が技術的に可能になったため、脳死状態を人間の死であると定義する必要性が出てきたのである。
 以上の意味で脳死と臓器移植は繋がっているのである。
  
  (3)脳死の医学的定義と脳死判定
 脳死は心臓移植という医療のために必要とされる新しい死の考え方である。
 そこで社会的信用を得るために脳死を明確に定義づけることが必要とされる。
 脳死について大きく分けると全脳死、脳幹死、大脳死の3つの考え方がある。
 まず全脳死とは1968年にハーバード大学の委員会が発表したハーバード基準で「自発呼吸を含む中枢神経系の永久的機能停止」として提唱された。その後に発表されたほとんどの基準も、この考え方にそったものである。日本においても全脳死の立場が採られ1974年に日本脳波学会において、「脳幹を含む全脳髄の不可逆的な機能喪失の状態である」と定義される。
 そこで脳死状態を死とする保証をさらに確実にするために「脳死判定基準」が必要になる。日本では臓器移植法の施行規制として竹内一夫氏を中心に作られた「竹内基準」とも言われる「厚生省基準」が標準的となっている。そこにおいて脳死は以下の6項目を満たすものとされる。
 第1は深昏睡。文字どおり深い昏睡に陥っている状態であり、呼びかけによる開眼や顔面の疼痛刺激に対する反応がない状態である。第2は自発呼吸の停止。呼吸が全面的に人工呼吸器に依存している状態である。第3は瞳孔散大。瞳孔が固定し、瞳孔径が左右とも4ミリ以上になった状態である。第4は脳幹反射の消失。光を照射しても瞳孔の縮小が起こらない対光反射の消失など、いくつかのものがある。第5は平坦脳波。脳波の振幅の消失であり、最低30分間にわたる記録が要求されている。第6は時間経過。上記の5項目がすべて満たされたとしても、そのことをもって脳死と判定することはできない。6時間以上経過したのち、ふたたびこの5項目がクリアーされてはじめて判定が成立するのである。
 次に脳幹死の考え方をもつイギリスでは、脳幹部の機能喪失を重視して、脳波検査を必須にしない脳死判定基準を発表し、そのような状態は人間の死を意味すると結論した。判定基準の上では全脳死のものとほぼ同じであるが、脳波の平坦化を要求しないことが特徴と言える。脳幹は意識覚醒中枢と呼吸中枢を持っているので、脳幹が完全不可逆的に機能を失えば、意識も呼吸も失われて死が起こるという考えである。脳幹死の立場では脳死判定後に脳波が平坦化していなくても、主として大脳の神経活動を示す脳波は脳幹の活動とは無関係であるとして切り捨てられている。意識を自覚させる脳幹部の機能が失われていれば、頭部表面から誘導される脳波が平坦化しなくても、生命とは関係のない機能であるとしている。つまり、従来の三徴候死のあとでも、筋肉は刺激により収縮するし、瞳孔径も動くように、脳波が平坦になっていなくても、個々の細胞が死滅には至っていない間に、無秩序に機能しているにすぎないと考えたのである。
 最後に大脳死の考え方では高次の脳機能が失われた状態とされており、自発呼吸の停止は要求しない。そのため、意識は失っているが、自発呼吸の残っている重症植物状態は大脳死の立場をとれば、脳死状態といえる。つまり、脳は個人としての存在の中心であり、他の臓器と違って、その人の存在を保ったまま、他の人の脳を移植することが不可能なのは明らかである。
 だから、個人を決定づけている高次の脳機能が完全不可逆的に失われていれば、人間の死であると考えざるを得ないとする大脳死の
立場では、大脳そのものを持たない無脳児はもちろんのこと、重度の精神障害者や一般の植物状態も死とみなされることが起こりうる。
 現在のところ、大脳死は学者の一部が唱えているのみで、その立場を採る脳死判定基準はなく、イギリスで脳幹死に基づく判定基準を採っている他は、基本的に全脳死を脳死とする判定基準となっている。

  
  第2節 臓器移植法の成立と
            施行後の課題
   (1)脳死臨調の動きと
        臓器移植法の成立
    @臓器移植法成立の経緯
 現在、先進諸国のほとんどが脳死を人の死と認めており立法前には日本が数少ない脳死を認めない国であった(図4)。

 
 臓器移植法が成立するまでには多くの紆余曲折があった。1968年の和田移植以来、脳死からの臓器移植は日本ではタブーとされ、腎臓、角膜の移植を除き、日本の移植は海外諸国から大きく遅れをとった。その間に先進諸国では移植技術の進歩とともに脳死からの移植が普及し、さらに免疫抑制剤が進歩すると臓器移植は日常レベルに達し、数多くの患者が移植によって貴重な生命を延ばし幸福を享受するに至っている。
 これに対し、日本の患者は、やむおえない選択として、移植を行っている海外に移植を求め、臓器提供を受けてきた。やがて「日本人は自らは臓器を全く提供しようとせず、大金を持って臓器を求めてやってくる」との批判がおこり、いわゆる臓器摩擦が論議されるようになった。
 これらの事情を背景に、日本でも脳死からの臓器移植が検討され始め、(図5)平成2年には議員立法で「臨時脳死及び臓器移植に関する調査会」法
案が可決され、
いわゆる脳死
臨調が発足し
た。この調査
会は国会審議に代わるものとして2年の間に
答申が義務づけられ、平成4年に「脳死を人の死と認め、臓器移植を認める」との答申を総理大臣に提出した。
 答申後、直ちに議員提案で臓器移植法案が提案されたが、国会は議論が多くあり、その後長く審議未了のまま放置された。平成7年日本移植学会に立法に頼らず学会の責任で脳死体からの移植を推進するとの動きが生まれ、これを受けて国会は急遽論議を行い、その結果、臓器移植法の成立に至ったものである。

    A臓器移植法の要点
 臓器移植法の主な点は、宙緕tは、本人が臓器提供の意思を書面により表示しており、かつ遺族が拒まない時にには、移植術に使用するため、死体(脳死した者の身体を含む)から臓器を摘出することができるものとする。
1の「脳死した者の身体」とは、臓器が摘出されることになる者であって脳死と判定された者の身体をいう。泊汪の摘出に係る脳死の判定は、本人脳死判定に従う意思の表示があり、かつ家族が拒まない場合に限定する。附窓yび地方公共団体は脳死からの臓器移植に必要な措置を講じるように努めなければならない。毎レ植にあたり、患者及び家族に十分説明し、理解を得なければならない(インフォームド・コンセント)濫]死の判定は十分な知識と経験を有する2人以上の医師が行い、判定が的確に行われたことを証明する記録を書面として作成する必要がある。臓器摘出記録は5年間保存し、遺族その他から要求があれば、格別の理由がない限り閲覧に供さなければならない。
 以上の他に付則として、3か年後の見直しと対処、ネットワークの整備、検視の改正、脳死判定後の医療給付などの事項が決定された。

    B省令の重要事項
 省令では、移植臓器は心臓、肝臓、腎臓、肺で、さらに小腸、膵臓が加えられ、脳死判定は6歳未満、急性毒物中毒、低体温、代謝性・内分泌性障害などが除外され、使用されなかった臓器は焼却処理する。
 法律の運用に関するガイドラインでは、臓器移植に関わらない脳死判定は従来どおり、臓器移植のための脳死判定は専門医または認定医の資格を有し脳死判定に豊富な経験を持ち、かつ臓器移植に関わらない2人とされ、第2回目の検査は第1回目の検査終了から6時間後などの事項が決定された。また移植施設は、移植関係学会合同委員会が選定した施設に限定された。

   (2)臓器移植ネットワーク
 死蔵が停止した死後に提供された腎臓移植については、平成7年から腎臓移植ネットワークによる連絡調整の体制の下で実施されてきたが、臓器移植法の施行に併せ、社団法人日本移植ネットワークを母体として、心臓や肝臓等の臓器移植に対応した臓器移植ネットワークの整備が行われた。ここでは新しく整備された臓器移植ネットワークの概略について述べる。

    @臓器移植法施行以前の動き
 まず平成7年4月に厚生省に設けられた「日本臓器移植ネットワーク準備委員会」によって、腎臓移植ネットワークの整備について」の報告書が取りまとめられた。そしてこの報告書を踏まえ、腎臓移植ネットワークが整備され登録者の中から腎臓移植希望者を公平・公正に選択するとともに、腎臓提供者に関する情報の入手から移植実施までの一連の連絡調整を行う体制が確立された。
 その後、臓器移植法が通常国会における審議を経て、平成9年6月17日に成立したことから「日本臓器移植ネットワーク準備委員会」において、心臓や肝臓等の移植に対応した臓器移植ネットワークの整備を目指した検討の詰めが行われ、8月18日にこれまでの検討の集大成として「臓器移植ネットワークの整備について」の報告書が取りまとめられた。
 「臓器移植ネットワークの整備について」の報告書では、臓器移植ネットワークの整備についての基本的な考え方のほか、移植希望者の選択及び臓器値供者の適応、ネットワークの運営・普及・啓発、臓器の斡旋に係る連絡調整を行う移植コーディネーター等に関するあり方が述べられている。 
 このうち基本的な考えとして、心臓や肝臓などの移植医療の適正な推進のためには臓器移植ネットワークの整備が不可欠であるとともに、既存の社団法人日本腎臓移植ネットワークを母体とし、心臓や肝臓等に対応した昨日を付加した全国で唯一の統一的な臓器移植ネットワークを整備していくことが適切であるとし、運営に当たっては公平かつ適正なシステムの構築、レシピエント(移植希望者)の情報及びドナー(臓器提供者)情報の一元化、レシピエントの公平かつ適正な選択等を基本原則として指摘している。

    A臓器移植ネットワークの発足
 「臓器移植ネットワークの整備について」の報告書を踏まえて、社団法人日本腎臓移植ネットワークにおいては総会で定款変更の議決を行い、10月16日厚生大臣がこれを認可たことにより、社団法人日本臓器移植ネットワークが発足することになった。(図6)
 社団法人日本移植ネットワークは、本部と全国7か所に設置されたブロックセンターをコンピューターによってネットワークとして結び、レシピエントの情報を全国レベルで一元的に管理すること
により、ドナーを選
択し臓器の斡旋を行
う。各ブロックセン
ターには、臓器斡旋
に係る者として移植
コーディネーターが
配置されている。
 公平で公正な臓器
移植ネットワークの
運営が望まれるが、
母体となっている腎臓移植ネットワークの財政収入の一部は、横浜倉庫グループからの寄付であり、本部事務職員9人のうち6人がこのネットワークの出向であるために、安定した運営と公共性という面において問題があるとされている。

   (3)移植コーディネーターの
             役割と育成
    @移植コーディネーターの役割
 臓器移植数が少ない日本においては、救命救急センター等の現場で度ドナー側の業務を専任で行う、ドナーコーディネーターが最も必要とされている。
 S日本臓器移植ネットワークでは各ブロックセンター直属の移植コーディネーターをはじめ、各都道府県の移植コーディネーターもその任に当たることを第一義としている。ドナーコーディネーターの再重要任務は提供側の医療スタッフに対して、臓器提供の理解を深めることにより、臓器提供可能者の発生情報の獲得に努めることにある。
 ここでは主に、救命救急センター等の現場でのドナーコーディネーターの役割について述べる(図7)。
 ドナーコーディネーターは脳死者が出るという知らせを受け病院へ向かう。そして病院関係者から患者の状況を確認し、脳死判定後臓器移植提供可能者の家族に適正な説明を行い提供の申し出があれば、ドナー本人の生前意思を確認し、家族の要望に沿って脳死下での臓器提供の段取りを法の規定する諸条件に合致するように設定する。
 またこの間に、移植ネットワークと連絡をとり、血液型など臓器提供に適合するレシピエントを探し出す。
 ここで大切なことは、家族に対して最大限の援助を行い、看取りの場と時間をできる限り提供することにも配慮するという点である。
 移植手術を実施することを決定したら、移植手術を準備している病院に急いで戻り、その時はすでにレシピエントの手術を始めてドナーの到着を待っている手術室に運び込、直ちに移植手術を行うのである。
 臓器移植には、このような緊密な連携作業が必須であり、その目的を果たすための移植コーディネーターを中心とするチームワークが重要である。
 

 また移植現場だけでなく、一般市民への講演や看護学生等への講義のほか、臓器提供拡大のためのさまざまな啓発活動も行う。

    A移植コーディネーターの育成
 移植コーディネーターは臨床経験を数多く積むことが大切であるが、臓器提供の少ない日本においては実務の習得が困難であるため、
S日本臓器移植ネットワーク直属の移植コーディネーターは、アメリカのUNOS(全米臓器斡旋機関)の現場機関であるOPO(臓器獲得機関)において実施研究を受け、4〜5症例以上の多臓器提供の斡旋を現地の移植コーディネーターとともに経験してきた。都道府県の移植コーディネーターは毎年4日間の集中研修を受け、終了試験に合格しない者は次年度再履修義務を負わせている。
 日本移植コーディネーター協議会(JATCO)
では移植コーディネーターの認定制度を設け、
2年間の臨床研修や啓発活動の学術を40ポイントとしその後の研究実績や経験、JATCO
での発表、医療スタッフや社会への啓発活動などを点数化し、合計150ポイントに達すると認定証が交付される。この認定は2年ごとに再評価されるため、質の高い移植コーディネーターの育成に役立つだろうと予想される。

   (4)意思表示カードの普及
    @臓器提供の条件
 臓器移植法により、ドナーとなる意思がある者が生前に臓器を提供するという意思と、それに加えて脳死判定に従うという意思を書面によって表示している場合で、なおかつ遺族がそれを拒まない時、また遺族がいない時に限って、その意思表示をしていた者が「脳死した者の身体」として「死体」に含まれ、その身体から臓器を摘出することが可能となる。またこの場合の遺族の範囲は、配偶者、子、父、母、孫、祖父母、同居の親族である。
 ただし、ドナーとなる者の意思表示が認められるのは、民法上の遺言可能年齢と同じ、15歳以上であるため、小さな子供にあう臓器は、日本国内で提供される可能性が極めて少なくなり、海外での移植に頼らざるを得ないという状況である。

    A意思表示カードとは
 意思表示カード(図8)は、裏面が法律で定められた要件を満たす表現を用いた記入部分になっており、脳死下の臓器提供の意思表示ちして「虫рヘ、
脳死判定に従い、脳
死後、移植のために
……」、心停止の臓
器提供の意思表示と
して、「梼рヘ、心
臓が停止死後、移植
のために……」、そ
して臓器を提供しな
い意思表示として、
「博рヘ、臓器を提供しません」という記載を設け、それぞれのばんごうを◯で囲み、提供の意思のある臓器名を◯で囲むようになっている。
 その他に署名年月日と本人署名欄、家族署名欄が設けられている。ここでの留意点は、家族署名欄は本人の家族に、本人がこの意思表示カードに記入していたことを知ってもらうための欄であって、この欄が記入されていない意思表示カードであっても、その意思表示カードは有効であり、また、家族署名欄に記入があることがそのまま脳死判定や臓器提供の家族による承諾となるわけではない。
 またこの意思表示カードでなくても、法律で示されている必要事項が記載されたものであれば、臓器提供の意思表示としては有効になり、日記等でも意思表示ができる。

    B意思表示カードの配布
 厚生省は市町村の窓口や保険所、病院、運転免許センター等での普及を行うために、都道府県等を通じて100万枚の意思表示カードを配布し、ほかにも臓器移植施行前に、日本移植学会と患者8団体で構成する意思表示カード委員会によって、全国に200万枚の意思表示カードの配布が行われた。しかしその後も、国民から3万5千万枚もの送付依頼があり、国民の移植の関心の高さに対する行政の対応の遅れが指摘されている。
 このようなことから、現在厚生省では、保険証の更新時に意思表示カードを同封することを決め、また、保険証に意思表示欄を設けることも検討中である。

  第3節 脳死は本当の死か
   (1)「脳死判定基準」の問題性
 脳死は「厚生省基準」により判定されることになったが、この判定基準は一見厳格で確実なものに思えても、多くの問題点を含んでいる。その中でも特に重要だと思われる、立花隆氏が主張してきたこと、それにまつわる問題について考察する。
 立花氏によると、「厚生省基準」は脳死状態を判定するための必要条件ではあるが、十分条件ではない。たとえば、脳が壊死し、脳が耳や鼻から流れ出している状態を想像すれば、これは一目瞭然の脳死といえる。このような確実な脳死の者に対して「厚生省基準」をあてはめた場合、すべてクリアされるのは当然である。だが、臨床現場においては、脳死状態にあることがもともとはっきりしている者に判定基準をあてはめるのではない。目の前の危篤者は、外見から脳死か否かは分からず、判定基準によって初めて判定されうるのである。ここにおいて立花氏によれば、その患者が「厚生省基準」の6項目をクリアーしたとしても、それだけでは患者が本当に脳死状態に陥っているといいきれない。真の脳死状態は「厚生省基準」を満たすからといって、真の脳死状態とは判定できないとしている。ここでは立花氏の主張する「厚生省基準」の問題点をいくつか挙げる。

    @脳細胞の「眠れる森の美女」
               の問題
 竹内基準(=厚生省基準)を支持する側に立つ人は「この判定基準を満たした患者で生き返った人はいないからこれは正しい」というわけであるが、「生き返った人がいなかった」ということが、イコール不可逆であるということにはならない。つまり、その人は検査時点においてすでに不可逆的停止状態にあったのなら良いが、その人はその時はまだ可逆的機能停止だったが、不幸にも脳機能は回復せず、可逆的停止がいつのまにか不可逆的機能停止に移行して、結局死んでしまったという場合もある。だから、そのあと生き返らなかったというだけでは、脳機能停止確認時にすでにその機能停止が不可逆であったとはいいきれない。
 また、脳がさまざまな原因で可逆的な機能停止をすることはいくらでもあり、睡眠薬などの神経系に作用する薬物の利用で、脳波がフラットになることは珍しくない。だから、向神経薬を服用していないということがはっきり分かっている患者以外は、脳死判定の前に血液検査をして薬物の検索検査を行うことが必要になっている。
 また、脳は本当に死んだかどうかを直接的に観察する方法がないため、脳の機能の発現によって脳死を判定するしかないのだが、「脳の機能発現が観察されない」ことがイコール
「脳が死んでいる」ということにはならない。しかい、これをイコールにしなければ正しい脳死判定はできないため、「脳が生きているけれども脳の機能発現が観察されないケース」はすべて除外してしまえば残りはイコールになるだろうというわけである。だから、前で述べたような薬物検査をして薬物が認められたら、脳死判定の対象から除くというような条件を加えるのである。竹内基準では、そのようないくつかの前提条件付して判定条件から外してあるから、残りのものについては誤診の恐れがないと主張しているが、それらの前提条件によって、本当にすべての可逆的可能性が完全に排除されたといいきれるかという疑問がのこる。
 これに関連してくるのが「眠れる森の美女」の問題である。脳は神経細胞で構成されていて、情報の伝達は電気的なパルスのやりとりという形で行われている。脳のどんな機能発現も、その根底にあるものはパルスで、脳が生きて活発に働いているときには、脳の中でものすごい数のパルスが飛び交っている。その影響で頭皮上に微弱な電流が誘起され、それを測定したものが脳波である。だから、脳波が平坦かどうかがそのまま脳の電気活動の有無を意味しているわけではない。脳細胞レベルでは微弱な電気活動がまだ残っている段階でも、脳波は平坦になってしまうのである。
 またパルスはデジタル信号であり、飛ぶか飛ばないかのどちらかで、神経細胞が刺激を受けると細胞の中のナトリウムイオンが流入してきて、細胞膜の電位が高まっていく。電位の高まりが発射レベルに達すればパルスは飛ぶし、達しなければどんなに近い値になっても、パルスは飛ばないのである。個々の神経細胞の内部では、パルス以前にイオンの移動という活動が行われていて、外部的には何も観察されないが、内部ではそのような活動があり、やがてパルスが飛ぶ。
 しかしパルスは飛んでいないが、細胞内部までは活動が続いているという状態は外部からモニターできないが、神経細胞は生きて活動していて、いつまたパルスが飛ぶか分からない。細胞が死んでしまえば、いくら待ってもパルスは絶対に飛ぶことはなく、機能発現が再開することもありえない。つまり、脳というのは機能が停止しているといっても細胞が生きている限り、その機能が回復する可能性がある。
 このような神経細胞のことを「眠れる森の美女」といって、今は眠っているけれど、目覚めたらいつでも活動再開可能という状態であれば生きているといえるが、そのまま目を覚まさないで死んでしまうかもしれない。しかしその場合でも、目覚めれば活動可能だとはいえない。つまり、器質死(脳細胞の死)というのは機能死を厳密に求める立場であり、絶対的な不可逆機能喪失を求めるなら、器質的に死ぬところまで待たなければならないということである。
 
    A脳血流停止検査の必要性
 脳が生きていくためには、常に頭に血液を送り込んで酸素や養分を供給し続けなければならないが、脳は頭蓋骨で閉じ込められているため、頭蓋内圧がかかっており、それより強い力で血液を押し込まなければならない。
 病気やけがで脳に損傷が生じると、脳は炎症を起こして膨らんでくる。すると頭蓋内圧がどんどん高くなり、脳の中に入っていく血液も十分でなくなると、脳は酸欠状態となって炎症がさらに進み、頭蓋内圧がさらに高くなり血液が流れなくなる。そしてついに頭蓋の中から押す力の方が強くなると、脳の中身が頭蓋骨の下からはみ出してくる。これが脳ヘルニアと言われ、こうなると脳には血液が一切いかないために、必然的に脳細胞は死ぬのである。
 特に脳は酸素の消費が多いため、短時間で細胞は死に、死んだ細胞は決して元には戻らない。こうして脳細胞の死、すなわち器質死が血液の停止によってもたらされる。
 そのため、脳血流が完全に止まれば脳死の十分条件になり、脳血流停止を判定条件に組み入れるべきであるが、竹内基準を支持している人達は、その必要がないと主張している。それは脳血流の検査は侵襲的であり、検査対象の患者に対して害を与える可能性があるからだとし、脳血流停止を除く検査だけで脳死半判定をしていいと言うのである。
 しかし、その検査とは造形剤を血管に注射して、頭部のレントゲンを撮って脳血管を写出すだけであり、侵襲的と非難するのは間違っているし、全員に必要なのではなく、ドナーとなる脳死者に対して最後の確認として血流検査が必要なのであり、臓器を取って良いとするのに、脳血流検査は侵襲的だからやらないとするのは反対のための反対と言うほかない。

    B聴性脳幹誘発反応検査の必要性
 聴性脳幹誘発反応とは、人間の聴覚系が働いているかどうかの機能検査であるが、耳に音の刺激を与えるとそれに誘発された微弱な電位変化が頭皮上から読み取れ、その微弱な電位変化をコンピューターで加算し波形を見る方法である。
 脳に障害が起きて働かなくなると、その波形が平坦になる。また平坦にならなければ、脳幹の聴覚伝導路が生き残っていることを示しているため脳死ではない。
 脳死判定の脳幹反射で脳の機能検査をしても、反射というのは感覚入力系と運動出力の双方が揃わないと出てこないから、感覚入力系だけが生き残っている場合でも脳死と判定さらる恐れがあるが、このテストではそのような心配がない。
 臨死体験といって、医者に死んだと言われてから、生き返った人の話でよくあるように、意識は全くなく、刺激にも何の反応もなくて、瞳孔も開いてしまっていても、感覚系が生き残っていて意識が残存している可能性がある.
 この他これと同じように視覚などでも検査する手段が開発されているが、竹内基準を支持する人達は必要ないというのである。
 脳幹反射が消失する時点と聴性誘発反応が消える時点は明らかに違うため、脳幹反射だけでは明らかに早い時点で死んだと判断してしまっているのである。

   (2)「脳低温療法」の存在
 「臓器移植法」や「厚生省基準」で、脳死状態とは蘇生不可逆点を超えており、脳死状態は蘇生不可能であるという大前提のもとに行われている。しかし、この大前提がくつがえされつつあるのだ。
 日本大学板橋救命救急センター部長の林成之氏が改良を重ねた「脳低温療法」という治療法によって、実質な脳死状態のものがかなりの割合で蘇生したのみならず、社会復帰を遂げているという事実が、最近になって公表されたのである。そこでここでは、この治療の成果とそこから考えられる問題について述べたい。

    @「脳低温療法」その成果
 脳にショックが加わると脳血流が低下し、脳温は43度くらいまで上がる。この体温では脳の神経細胞はかなりの早さで死滅する。また普通の体温であっても同様のことは起こるが、低温だとこのような死滅は起こらない。林氏はこうした生理学的事実に着目し、かつてよりあった「脳低温療法」に改良を加えて、新たな「脳低温療法」を開発したのである。
 具体的にこの療法は、冷水が灌流するマットの上に患者を寝かせ血液温度を下げ、脳温を32〜33度に保って治療を行うものである。この温度は、身体全体に対しては害を及ぼすため、麻酔療法を併用する。また、体内水分量、血圧、血小板数、カリウム量などの約70項目の身体状態をコンピューター管理する。このようにしてフリージカル活性、脳内熱貯留、細胞内浮腫などを防止し、脳細胞の死滅の進行を抑えるのである。こうした新たな集中治療が目を見張る成果をもたらしているのだ。
 GCS(グラスゴー・コーマ・スケール)という脳損傷の重症度をはかる指標において、開眼、言語反応、運動反応の合計が4以下(最重症3、最軽症15)で、かつ両方の瞳孔が散大し、対光反射喪失状態になった重症頭部患者(急性硬膜下出血)20名のうち、14名が「脳低温療法」によって救命されたのである。しかも、管理技術が未完成の時期の1名を除いて、他の13名の者すべてが日常的な会話や思考に支障なくできることが、3か月後の機能判定で認められ、社会復帰を果たしているのである。また、運動麻痺の後遺症も目立って少ないという。
 これはNHK番組でも放送されたことである。林氏やNHK番組は「脳死状態からの復帰」という表現は使っていないものの、脳外科医山口研一郎氏によれば、林氏の例の大半は脳死状態に該当する。つまり、「厚生省基準」を用いれば、これらの大半は脳死状態と判定されうるが、林氏は救命救急の現場で脳死判定を行っていないため、脳死という表現を差し控え、NHK番組もそれにならった態度を採っているのである。

    A「脳低温療法」の意義
 脳死・臓器移植が日常化し、法制化されている国々では、通常このような治療を断念され、脳死状態である患者にたいする治療は生まれてこなかったであろう。脳死・臓器移植が公に認められていなかった日本だからこそ、最後の最後まで救命しようとする努力がなされ、新しい「脳低温療法」という成果が得られたのである。脳死患者が絶対に蘇生しないという規定は、単なる経験則でしかないといえる。
 医療技術の発達によってもたらされた臓器移植であるが、救命技術も確実に伸びうるのであり、「厚生省基準」で判定される新たな死も、救命技術のさらなる発展により、再び変更を余儀なくされるだろう。
 日本では臓器移植法で「2つの死」が採られている。矛盾したものであるといわれるが、移植医療を発展させ、一方で救命医療の発展という2つの医療技術の発展を可能にするものであるといえる。しかしこの法はあくまでも臓器移植を展開するために人間の知恵として決めたことであるということを医療に携わる人々は理解していることが大切である。
 医学的常識は終わりのない医学の進歩の過程において、やがて常識でなくなることはいくらでもあり、医学の進歩に謙虚に向き合っていることが求められるのではないか。そして終わりのない医学の進歩の過程において、死の判定という限界を決めるということの意義についても理解している必要がある。
 救急医療では、患者を治すという医療の原点を大切にした、医療展開を心がけ、人間の尊厳性をどんなことがあっても犯してはならない。一方社会に対しては、脳死をめぐる科学的研究を行い、正確にに脳死と蘇生限界がどこまで進んでいるかという情報を、常に世間に提供する作業も行う必要がある。

  第4節 脳死移植のパラダイム
   (1)功利主義
 脳死・臓器移植を支える主要なパラダイムとして功利主義がある。以下これについて考察する。
 功利主義の原理は次の3つからなる。1つ目は結果主義である。行為や制度の価値はその動機やプロセスではなく、その結果から判断される。2つ目は効用主義である。その結果の善し悪しは、その結果を被る効用から判断される。3つ目として総計主義である。各人の高等の総計の最大量が達成される社会が良い社会である。すなわち、動機やプロセスがどうであれ、社会全体の効用が総計として、最大化されるべきであるというのが功利主義である。それを一言で言えば、「最大多数の最大幸福」ということになる。
 一見正当に見えるが、この中には大きな逆説が潜んでいる。例えば、いまここに移植をしなければ助からないという患者が5人いたとする。その疾患は、それぞれ別の臓器だとする。そのうち1人は、もう意識が混濁化して、死に最も近いとする。あとの4人は意識は明晰であるが、今すぐに新しい臓器を必要としている。それを功利主義の立場で考えると、最初の患者死ぬのを待っていたら、他の4人が助からない。もし今、移植を実行すれば5人のうち4人は助かる可能性がある。一方躊躇すれば、5人とも死んでしまう。幸い、最初の患者は死んでいないとしても、ほとんど意識を消失し、その人格を失いかけているならば、この場合5人のうち1人の生命の、数日あるいは数時間を犠牲にするだけで、他の4人を助けることができるかもしれない。法的には殺人であるが、他の4人の生命を救うことは最大多数の最大幸福の原理にかなうであろうと考える。
 最大多数の最大幸福の議論の裏側は最小少数の最小不幸である。これを言いなおせば、少数者の少々の犠牲は、多数の幸福のために許容されるという考えである。少数者の少々の犠牲とは実際の脳死問題では脳死者であり、大脳死説が定着すれば、人格性を喪失した者や減弱した者がその対象となる。
 功利主義はこうした極論を含み、少なくとも最大多数の最大幸福の理念の下、社会全体の幸福の最大を善とみなす以上、功利主義はこうした論理を含まざるをえない。
 では、最大多数の最大幸福の論理を超える思想は全員の最大幸福、すなわち少数者の犠牲の上に多数者の幸福を享受してはならない。
そのために、社会全体の幸福の総量が少なくなってもかまわないというしそうである。先の例でいえば、たとえ5人の生命が助からなくて、社会全体の幸福の総量が減少したとしても、それはいたしかたないとする態度である。
 次に、功利主義に内在する極限利用主義とそれに関わる無脳症児、中絶胎児の利用について考察する。

    @極限利用主義
 最大多数の最大幸福のために最小の犠牲は許容するという考えは、脳死・臓器移植問題においていえば、脳死体、中絶胎児、無脳症児の利用である。
 アメリカの生命倫理学の草分けといもいえるW,ゲイリンは「死者からの収穫」という考えを提示し、脳死体を「新死体」と名ずけ、その利用について次のように述べている。その第1は「訓練」である。医療技術の未熟な医学生が聴診、胸部の打診、網膜や直腸、窒などの検査の訓練に、この新死体を利用できる。第2は「試験」である。現在囚人、ボランティアなどを被験者として実施している、新薬や新しい臨床試験を、脳死者が彼らに代わって行うことができる。しかも、生きている被験者に比べて、薬の毒性や治療法の危険性の限界を超えて実施することができ、しかも被験者の生命の危機を考慮する必要もない。第3は「実験」である。例えば発癌物質を与え、癌の病巣を作り出しておいて、それを治療する実験を行うこともできる。第4は「貯蔵である。血小板や白血球または、リンパ系の成分を貯蔵するための「培養地」となりうる。第5は「収穫」である。新死体は血液、骨髄、抗体や皮膚など、臓器だけでなくすべてが収穫の対象となる。第6は「製造」である。稀少価値の高いホルモンを体内で生産させ、利用することも可能である。
 以上はまだ議論の段階であり、実際にはおこなわれていないが、脳死者が完全に死者であるとし、最大多数の最大幸福を受け入れるとすれば、これを押し留める論拠はないのである。
 実際アメリカでは、「人体部品会社」が存在し、カタログには─心臓の大動脈弁:3千8百50ドル、心臓の大動脈:千7百5ドル、膝の靱帯:2千5百ドル……というように、全臓器の提供に同意した脳死体の人体はまず、心臓摘出チームが心臓を取り出し、次に肝臓摘出チーム、膵臓、腎臓、アイバンクと次々に摘出していき、最後に組織バンクの者たちが骨、靱帯、神経、皮膚、心臓弁、などを収穫していく。そして人体部品会社は、最後の組織バンクの一部を受け持ち、それらをレシピエントの注文に応じて加工するのである。このようにアメリカでは、脳死体の人体が徹底的に利用される。

    A無脳症児、中絶胎児の利用
 濡脳症児とは、先天的に大脳が欠損して誕生する子供のことで、通常は数日か数週間で死亡してしまう。無脳症児は大脳死説からみれば、すでに死んだ者とみなされるが、全脳死説あるいは脳幹死説からすれば、生きているとみなされる。しかし、いずれにしろ生まれつき意識はなく、遅かれ早かれ死亡するならば、これを利用しない手はいと、極限利用主義者たちは考える。
 無脳症児は、死ぬしか未来にないままこの世に生まれてきた、はかない生命であり、自己意識も存在しないとされる。(本当にそうであるかは疑問であるが)彼らには、臓器提供を拒否する意思表示も不可能である。しかし、少なくとも生きており、そのような生命まで、物として利用する権利が最大多数者にあるのだろうか。
 次に利用を考えられるのが、胎児である。妊娠の途中で、かなりの数の自然流産がある。また、人工妊娠中絶も数多く行われている。その際に摘出された胎児は、通常はゴミとして捨てられるか、火葬にされる。こうした胎児を利用しようとする考え方も当然でてくる。例えば、胎児の脳を利用して、パーキンソン病の患者に用いる。また、糖尿病患者に膵臓の細胞を移植する試みや、肝臓組織を用いて遺伝性の重症血液障害であるサラセミアを治療できるのではないかという構想もある。
 こうした試みはさらに可能性を広げ、その一つとして「デザイン・ベビー」という考え方もでてくる。例えば、自分の家族のために意図的に妊娠、中絶を行い、その胎児の臓器や組織を移植に用いようよするものである。
臓器移植が倫理的に問題なく、人工中絶も倫理的に問題がないとすれば、デザイン・ベビーも倫理的に正当になる。胎児は人間ではなく、しかも多くのゴミして処理されるのなら、多数者の幸福のためにそのゴミを利用して良いのではないかというのが功利主義の考え方である。

   (2)進歩思想
 移植医療は、ある程度その有効性が認められているからといえ、まだ完成された技術ではない。しかし、移植医療の有効性に対して多少の疑問があろうとも、レシピエントの回復や延命のに少しでも可能性があれば、移植をしていこうとし、そしてある程度経験を積み重ねていくうちに技術が進歩して、完成度の高い臓器移植の技術が確立されるであろうとする。また、少なくとも患者が移植を受けなければ助からない場合、手をこまねいてみているわけみはいかない。試行錯誤をしながらも、少しずつ移植医療技術を進歩させていこうというのが、現在の推進派の立場である。
 この意味では、臓器移植は人体実験に他ならない。生きた人間に未完成の技術を押し進めて良いかという疑問もあるが、そのかんじゃは移植をしなければ死んでしまうほかない。とすれば、その有効性が十分といえないまでも、認められているのだから、許されるべきだという考え方がでてくる。
 一般に技術というものは、失敗の積み重ねを通して少しづつ完成していく。したがって失敗は当然のこととして、許容されなければならない。脳死・臓器移植の失敗はどのように許容されるか。一般にそれは、移植を行う以外に患者を救う方法がないという理由で許容される。
 しかしそのような理由だけで、レシピエントならびにドナーの生死をかけた人体実験が許容されてよいのかという疑問がのこるが、いずれ脳死・臓器移植の技術は完成度の高いものとなっていくであろう。だが、技術が進歩すればそれで良いのだろうか。  

   (3)カニバリズム
 臓器移植とカニバリズム(人間が人間の身体をたべること)の関係については、その共通性を多くの論者が指摘している。カニバリズムは、それが行われている状況によって次の3通りに分けられいる。
 ロ食通的カニバリズム:人間の肉をその味  の良さのために食べる
 ワ儀礼式カニバリズム:死者の霊を慰める  ため、あるいは死者の霊力を吸収するた  めに食べる
 ン生き残りのためのカニバリズム:危機的  状況かで、生存のために人間を食うとい  う行為を行う。
 臓器移植では主にンとの共通性がある。
 例えば、ある心臓病患者がいて、できるだけ新鮮な心臓を食べなければ助からないと言われたら、はたしてその人は他人の臓器をたべるだろうか。たしかに、臓器移植は口から食べるわけではない。自分がそれ気付かないうちに、医者がすべてを処置してくれるのである。しかし、自分が自ら食べることと、医者が知らぬ間にそっと自分の傷口からたべさせてくれるのとでは、どれだけ本質的な違いがあるのだろうか。
 人間は強烈な生の欲望を持っている。1973年に南米のアンデス山脈で起きた、航空機事故のケースでは、16人のみが生き残り、寒冷な山中に仲間の死体とともに取り残された。
彼らはその遺体を食べて、2か月も生き延びたのである。
 この例のように、遭難し、食料が尽き、もはや仲間の死体以外食べるものがなくなった時には、やはりカニバリズムは否定できない。
これと同じように臓器移植においても、ほかに助かる手だてがなく、それしか生きながらえるすべがない時、カニバリズムは否定できないのである。
 しかし臓器移植は身体が匿名化され、断片化され、部品化して初めて、感情的に受け入れられるものであり、人間の生身の身体がどこかに遠ざけられた地点でのみ成立する医療である。そのためレシピエントは、亡くなった人の臓器や遺族によって生きているという認識はあるが、「死者その人」によって生きているという意識は薄く、カニバリズムの本来の意味づけはなされていない。

 第2章 日本の脳死・臓器移植の
            遅れの原因
  第1節 文化的・宗教的背景
   (1)仏教における生死観
 日本人の大多数は仏教徒であると同時に神道徒ある。もちろん仏教といい神道といい、日本人の生活の中に溶け込んでいて、はっきりと意識されていないが、やはり、日本人は仏教的なあるいは神道的な考えに影響されている。ここでは日本の脳死・臓器移植が遅れた原因としてよく指摘される、仏教の生死観に基ずく脳死・臓器移植について4点にまとめて考察する。
 第1点は、自然とともに生きる精神である。「三帰依文」の一番最初にある「人身受けがたし今すでに受く、仏法聞きがたし今すでに聞く」という、人として生命を受けたことはありえないことが起こったのだという感動、あるいは釈迦の言葉であると伝承されている「唯我独尊」(ただ独りにして尊し)な
どに表われている仏教の自覚は、生まれ死ぬ生命は自分のものではないという無我の発見である。それは、生命は因縁によって与えられたものであり、生や死を私物化せず、各々の生命の長短を、そのまま生き切るという自覚に基づいている。
 つまり、無量無数の因縁によって、人間としての生命を受けていることに、深い感動を持ち、自分を自分たらしめてくれるすべての存在によって、この生命の一瞬々々が代替不可能な自己完結的な個体なのだ、という自覚である。
 この自覚からは、自分を自分たらしめてくれる全ての存在を征服して生きているのではなく、自然によって生かされている自己存在として、自然とともに生きるという自然観が仏教の中にはある。
 このような仏教の立場においては、自然を征服することによって進歩してきた医療を仏教徒は全面的に否定するわけではなく、医療の恩恵に感謝しつつも、自らその限度を知って生きているということである。
 第2点は、障害や病気に対する精神である。効率生というものを基本とする、科学的な合理主義は人間を差別し弱者を排除する結果を必ずもたらすものであり、臓器移植も効率生を基本とした科学的成果であるから、仏教の立場はそれを否定する。臓器移植は、臓器の有効利用という機械の部品交換ににた修理の医療であり、利用価値のあるものは利用するという合理主義による現代医療の成果である。この現代医学を支えている思想はやは効率性であり、効率性の追求は価値のあるものだけ追求し、無価値なものは排除するという差別を必ず伴っているのである。
 都合のよいものだけを追求するのだから、都合の悪いものは排除されるという結果をもたらすのは明らかである。この差別という排除は障害や病気は不幸であるという偏見に基づいて、現に行われている。この立場では、障害や病気がないのが理想的な社会であるといえるが、差別や障害のない社会とは、究極的には死のない社会ということになる。しかし、当然それは不可能あるから、結局は差別し排除してきたものが、必ず排除されるものとなる。 
 これに対して仏教の立場では、障害があっても病気であっても、共に助けあって生きられるのが、理想の社会である。生命あるものは必ず障害を持つようになり、病気となり、死んでいかなければならない。そのことを受容し、ともに助けあっていく社会である。
 第3点は死すべき縁を受容する精神である。延命を主とする医療は、死から私たちを遠ざけるという役目のみを果たし、死を敗北とみる。これに対して仏教は、死すべき身として自己を自覚し、死すべき縁に出会えば、死を受容していくことを教えている。したっがて、死を受容していく自覚を持たせる末期医療などにここそ仏教は深く関わっていく責任がある。
 人間は自分の生命を維持したり、少しでも長い人生でありたいと願い、そのために健康を増進を図ることは、当然認められるべきではあるが、そこには必ず限度がある。ひたすら延命だけを求めるのではなく、命の真実の目覚め、「人生は長さだけでない、深さもある」という仏教の思想に基づいて、自らの人生を死すべき身として引き受けつつ、生きる人生の在り方を自覚しなければならない。そこに、自ら限度を知って、安らかな死を迎える生き方が、明らかになるのである。
 第4点は、個体存在の総合的な死の判定である。人間の死は、関係の中で確認されるべきであり、医学的な一面だけで人間の死が決定されることは、仏教として否定される。現代の医療が部分主義になっているため、脳こそが最も中枢的な部分であるという観点から、脳死をもって人間の死と考えることが合理的であるとみなす傾向にある。しかし、部分主義医療による脳死の判定は、個体存在の総合的な死の判定ではない。したがって従来通り、総合的に個体存在の死の判定がなされるべきである。
 すなわち人間の肉体といえども、種々の臓器が相互に関係しあって、生命維持がなされているのだから、生命維持に関する臓器全ての機能停止によって、死の判定がなされるべきである。 
 脳死の定義として「脳の不可逆的機能喪失」ということが言われるが、この「不可逆」とは生きる可能性がゼロであるという状態であるから「死にかけている」状態ということであって「死んでしまった」という状態ではない。しかもそれを「死んでしまった」状態と判定するのはそれが「生きる価値がなくなった」状態だから死とみなし、生きている命のために利用すべきであるという合理主義によるものである。生きている命が尊く、死にかけている人の命は尊くないのだろうか。命は平等であるべきである。
 したがって、私たちの命が生きていく今一瞬々々が、誰にとって代わってもらうことのできない代替不能な尊いものであると同時に、命が死んでいく一瞬々々もまた代替不可能なかけがえのない尊い者であるのではないか。

   (2)現代日本人の脳死意識
    @世論調査にみる脳死意識
 アンケート調査は、調査が正確に行われているかどうか、調査対象の選択または統計のとり方など問題も多く、世論歪めて捉えることがあるかもしれないが、世論の動向を探るためには、なくてはならないものである。 
 平成3、4年に脳死臨調の2つの答申が出されて以来、脳死に関するアンケート調査が広く行われた。これらの調査結果に基づいた場合世間一般の人がどのような脳死意識を持っているか、また意識がどのように変化してきたのかの概略をみてみる。
 ◇政府臨調の調査(平成4年1月22日)
 脳死臨調が最終答申提出の平成2年9〜10月に1000人の各界の有識人を対象として脳死意識調査を行った。その結果、脳死・臓器移植に賛成:65.1%、反対:15.3%、
どちらともいえない:19.6%であった。
 ついで、平成3年9月に一般市民3000人を対象として実施した世論調査では、賛成:
44.6%で過半数に到らず、反対:24.5%
どちらともいえない:30.9%で前回の有識者に対する調査よりも賛成者は増加していない。
 また脳死と移植との関係については、「脳死は人の死ではないが、本人の意思がはっきりしていれば脳死状態での移植を認める」:
49.0%、「脳死状態からの移植は、脳死が人の死であることが前提」:26.8%だった。
 臨調はこの結果を次のように解釈した。
 問題の性格上、国民の中にある程度の反対意見のあることは当然で、こうした国民感情は今後かなり解消していくことがよそうされることから、脳死を持って人の死とすることについて概ね社会的合意ができ、受容されたといってよいと決定づけている。
 第1回目と2回目の調査対象が違うとはいえ、臨調は脳死の賛成者が1年の間にかなり減したという事実(65.1→44.6%)を無視しているように思える。
 ◇毎日新聞の調査(平成3年9月13日)
 平成3年6月14日、臨調の中間答申が発表されると、毎日新聞はいち早くアンケート調査を行った。同社がすでに平成2年1月に行っている調査で得られた、16か月前のデータを比較のため括弧内で示した。
  〇「脳死を人の死と認めますか」
   ▼認める 男51、女39
         全体で45%(40%)
   ▼認めない 男20、女25
         全体で23%(37%)
   ▼わからない 男26、女34
         全体で2%(2%)
  〇「もしあなたの家族が脳死と判断され
    た時、本人の生前の意思があれば見    知らぬ患者を救うため臓器提供をし    てもよいと思いますか」
   ▼よい 男57、女50                  全体で53%
   ▼したくない 男40、女46
            全体で43%
   ▼無回答 男3、女4 全体で4%
  〇「ではあなたが脳死と判定された時、    臓器提供してもよいですか」
   ▼よい 男57%、女52%
             全体で54%
   ▼したくない 男39%、女44%
             全体で42%
   
   ▼無回答 男4、女4 全体で4%
 
 この調査から、臓器提供に応じてよいとするものの、平均値からすればのうしを認める男が多く、女性はやや少なかった。両性に共通して、臓器移植をしてもよいという意見が、移植したくないという意見を若干上回ったが、男のほうが女よりも脳死・臓器移植にやや積極的だった。
 このけっかは平成2年の結果と比較すれば、答申による大きな社会的影響のためか、世論は脳死容認のほうに多少とも傾いてきたことを示すようだと報じている。
  ◇読売新聞の調査(平成4年1月22日)
 平成4年1月22日、臨調の最終答申が出されてから1年を経過しようとする機械を捉え、
読売新聞は脳死・臓器移植に関する過去1年間の世論調査を総括し、さらに移植医療のための社会基盤の整備に関する世論調査に乗り出した。
 その結果は、地方別に見ると、脳死を人の死として認めるものは、北海道・東北では最も多く、55.5%、少ない地方は中部で49.4%、全国の平均は52.2%であった。法制化に賛成したものは最高が中部で69.0、最低は九州で59.9%、全体の平均は64.5%であった。このことは脳死を人の死と認める人は約半数以上もいること、法制化に賛成したひとは過半数以上であったことを示している。
 また読売新聞社は昭和57年10月から平成4年11月までの10ヵ年に、11回にわたる同じ調査をしている。対象は全国の有権者で3000人、調査地点は250、有効回収率は71%であった。その内容の一部を紹介する。
  〇▼「脳死を人の死としてよい」とする    人は調査が進むとともに増加してる    (15.2%→32.4%)。
   ▼「強いていえば死と判定しても良い」    はやはり増加した(12.4%→19.    8%)。そして「死と判定するべき    ではない」という人は、徐々に少な    くなった(24.8%→11.9%)。
  〇医師から近親者に臓器を提供してほし   依頼され場合、あなたが近親者とすれ   ば、
   ▼提供する 13.2→21.8%
   ▼生前に申請していたら承諾
         15.1→28.2%
   ▼提供を断わる 8.7→11.2%
   ▼その時にならないとわからない
         37.9→25.7%
 年とともに何ともいえないという人が減った分、提供を承認する人が若干多くなっている。
  〇あなたが病気になり、「他人の臓器を   移植したら助かるかもしれない」とい   われた場合
   ▼誰の臓器でも希望13.3→23.9%
   ▼親しい人の臓器なら希望
            25.9→12.3%   ▼絶対に断わる 19.9→19.3%
   ▼そのときにならないとわからない
            37.9→43.0%
 臓器移植の受け入れは、親しい人からなら希望するという人が減って、誰からでも希望するという人が増えている。
 以上の結果をみてわかるようにここ10年間に日本人の脳死・臓器移植の意識がかなり変わったことがわかる。ちなみに、同社の別の調査では、移植法案の成立に関しては、賛成が男68.3%、女61.3、反対が男18.6%、女18.6%であった。   
 ◇日本医大救急センターに調査
 1991年に日本医大救急センターで取り扱った539例の死亡者の中で、94例が脳死と診断された。そのうち16家族41人対して行われたアンケート調査が報告されている。 その結果は次のとうりである。
  〇「脳死を人の死と考えるか」
   ▼賛成 7.3%
   ▼反対 26.8%
   ▼どちらともいえない 64.3%
  〇「患者が脳死であるといわれとき家族   はどのような考えをもったか」
   ▼助かる可能性があると思った                 46.3%
   
   ▼助かる可能性がないと思った
              36.5%
   ▼その他 17.2%
  〇「家族の一員が脳死に陥ったという経   験を得たために、脳死という概念に変   化があったか」
   ▼変化があった 51.2%
   ▼変化がなかった 46.3%
   ▼無回答 2.4%
  〇「脳死患者から移植のために臓器提供
   することについて」
   ▼賛成 9.8%
   ▼反対 16.8%
   ▼どちらともいえない 63.4%
 先に行われた一般人を対象とした臨調の脳死に対する楽観的な見方と、脳死を体験した家族との意識のデータとを比較すれば、はっきりした差があることが理解される。家族から脳死者をだした家族では、のうしの現実を厳しく受け止め、必ずしも脳死を抵抗なく容認している心境にあるわけではないことを示している。

   A脳死意識の本音を探る調査
 ここでは、「日本病院会雑誌、39巻9号」
(平成4年)に発表された「日本文化とはなにか」のアンケート調査の一部(下図)を取り上げ、脳死・臓器移植に関する設問Q1の回答を分析して、日本人の脳死意識には生活信条がどのように関わっているかを探る。  


   〇日本人の脳死意識の本音
 設問Q1に対する回答を求める3つの文章は、いずれも複雑で曖昧さを含んだものである。これは敢えて難解な設問を投げかけることで、日本人の脳死意識の本音を探ろうとしたものである。回答者の評価区分を次のA~F群に整理する。
 A群:Q1のイに◯をつけた人…脳死の是非について何らかの国民的合意を作ったり、決定を少数の専門家からなる審議会に委ねることに、抵抗を感じるものと思われる。積極的に容認に反対するのを避け、容認の可能性を残しておきたいとするものである。この考えを「きのりうす」または「結論を急がない」と呼ぶ。
 C群:ロに◯をつけた人
 脳死を「人の死」として認めてもよい考えていると思われる。この考えを「容認すべきである」と呼ぶ。
 E群:ハに◯をつけた人
 心情的に脳死を「人の死」としてみとめることに難色を示したと思われる。この考えを「心情的に反対する」と呼ぶ。
 B群:イとロに◯をつけた人
 急速な容認には賛成しないが、A群よりやや容認に前向きな姿勢と思われる。この考えを「結論を急がないが、容認をしてもよい」と呼ぶ。
 D群:ロとハに◯をつけた人
 E群のように脳死容認を心情的に抵抗を感じているが、最終的に脳死を容認するのもやむおえないと考えているものと思われる。この考え方を「心情的に反対だが、容認はやむおえない」と呼ぶ。
 F群:イとハに◯をつけた人
 心情的に脳死容認に反対で、この問題で急いで結論を出すことを望んでいないものと思われる。この考えかたを「心情的に反対で結論を急ぐべきではない」と呼ぶ。
 以下、分析結果を考察する。
 図2に示したように、回答者のうち最も多かったのはE群で「心情的には反対する」を選んだ人で32.2%            であった。ついでF            群の「結論を急がな            いほうがよく、心            情的にも反対する」            31.4であり、両            群の合計は63.6            %にも及び、多く
の人が脳死容認に強い抵抗感をもっていることが分かった。さらにA群「容認に気乗りうす」を選んだ人は10.8%でこれもあわせると全体の75.4%にも及び、全回答の4分の3が脳死を人の死と認めることに賛成できないようである。 
 これに対し脳死容認に積極的容認であるC群は、16.5%にとどまり、消極的容認であるB群とD群と合わせても24.7%に過ぎなかった。したがって、積極的にしろ消極的にしろ脳死を「人の死」として認めてもと考えている人は4分の1しかいなかったのである。
 この結果は、前で紹介した従来のアンケート調査の結果と著しく異なっており、日本人の本音は、脳死容認に賛成しないという結果であった。これはおそらく、日本人は「脳死に賛成ですか、反対ですか」と単純に問われた場合、質問者の意向を汲んで「反対」とは答えにくいことから、アンケート調査では容認する人が過半数にものぼることもあったのだろうと思われる。

   (3)日本人の遺体観
    @死体損壊忌避の歴史
 人間が抱く感情というものは、その時代の社会、文化の産物であり、時代毎に移り変わり行くものである。しかし、同時に時代性を超えて変わらない部分、次々に継承されていく観念もまた存在している。死体損壊を忌避する人々の感情によって支えられて法文化された死体損壊罪に関しては、既に古代の刑法の中に見られるが、その構成要件は時代性を持ったものであり、時代毎に変化している。 わが国古代の刑法「律」には死体の損壊を意味する「支解(しげ)」が八虚の1つに
数えられており、重罪であった。「賊盗律」第12条によれば、支解した者は斬刑に処された。
 死体を傷つけることをタブー視する感情がどのように形成されたかははっきりしないが、
死体に触れることを忌避する感情を含めて、次の3つのことが複合的に作用されたものと思われる。
 その第1は、死体を単なるものみないことである。遺体を死の確認をする、そのために遺体を探し求めるということは今も昔も変わらない。「軍防令」第40条では、行軍の兵士が死んだならば、家族に知らせて引き取らせなければならなかった。家族の元に帰らない遺体は放置された遺体と同じに解される。遺体は家族の元に帰って、家族の見守る中で葬儀が行われなければ、霊は浮かばれないとする考え方は今日でもよく聞かれる。この霊の帰巣本能というべきものが、今日までの家族意識強化に役立ってきたのである。
 第2に、死あいを忌む意識によるものである。今日でも葬式の帰りに塩を撒いている行為につながる意識である。
 平安中期の代表的な貴族である藤原実資の有識の書「小野宮年中行事」はほかに比べて死あいのことを詳細に記しているが、これは死あいのことを忌む時代意識の強さが反映されたものといってよい。
 第3に、儒教倫理の「孝」の立場から身体への障害を忌避しようとするものである。孝とは、「論語」第一為政の第2によれば、父母に自分の病気以外のことで心配をかさせないことであるという。また奈良朝政府が天下の家ごとに配布した「孝経」には父母から受けた身体に傷をつけることを最も不幸なことであるとしている。また、大学や国学で「論語」「孝経」を習得した官僚は、民衆に孝の実践を求め、孝親者を政府において推薦する義務を負うものであった。近世、近代においては道徳の名のもとに、儒教倫理が組み込まれ、今日その復活が学校教育のなかで、行われつつあるが、この孝を求め尊重する伝統的な立場からするならば、死体の損壊、解剖は
拒否されることになる。
 このように死体の損壊、忌避の理由はさまざまであり、しかも複合的にからみあっているわけだが、臓器移植を行うには、それら時代性を超えて、今日に続く感情に対して、それを乗り越え、人々を納得させる理由をみつけだすことが必要になるのである。
 
    A死を確認する儀礼
 脳死・臓器移植が行われる場合、その多くは事故死のように突然死で亡くなった人がドナーとなる。ところが、日本人は伝統的には死を段階的に認めるのであり、ある瞬間もしくは非常に短い時間に死が起こるという考え方をしなかった。そしてこの考え方は今日でも潜在的な意識として、存在していると推測できる。そして、人の死を決定的なものとして受け入れるのに一定の段階、あるいは手続きを踏んでいたのであり、その段階を踏んだ後、ようやく家族や親しい者の死を確認し、納得したといえる。
 今日、医者による死の認定は絶対的なものであり、誤謬があると考える人はほとんどいないが、医者の死亡診断と肉親が死を確認することは別の問題であり、肉親の死について人々は段階的にしか認めようとはしないといえる。
 地域差はあるものの、昭和20年代頃まで、日本人が死を段階的に認めていたことは、民族学の領域で明らかになっている。今日でもそのままのやり方を残しているところがあると考えられるし、現在存命中の人の多くが「今はもうやらないが、かつてはそのように行っていた」と記憶している死の確認は儀礼を通して次のように行われていた。
 註lが意識を失って呼吸が切れ切れになり時々止まるような状態が起こると、枕もとににる人々が大声で名前を呼ぶ儀礼があり、それを一般的に「たまよばい」などと称する。この儀礼は単に肉親の死を悲しみ、身体から離れ去ろうとする霊魂をなんとか呼び止めようとする目的だけでなく、「これだけ名前を呼んだけれど生き返らなかった」という死の確認のために行われる儀式でもあるらしい。今日でも医師から肉親の死を告げられた家族が身体をゆすぶるなどのことが生ずるらしいが、これは悲かんのあまりこのような行動をとるとだけでは言い切れない、たまよばいの儀礼の1つであるとも考えられる。
 梼囲の人々が病人の死が近いと感じると、必ず誰かが側にいて最後の確認をする。これは近親の者に看取られず、人が死ぬのはよくないという信仰に基づき、肉親にとっては、その死に際に間に合わないことを忌む気持ちが強いのは、現在も変わらない。これらは、死を確実に起こったこととして、皆で確かめようとする遺族側の態度と、死んでいく者はできるだけ多くの親しい者に見送られるのがよいとされるためである。
 白ハ夜などで死者が埋葬されるまでの間はいつも誰かがその側についていなければならないということが現在でも広く見い出せる。通夜の席では必ず誰かが起きていて、線香の火を絶やさないようにする。このことは死体を遺族が守るべきだという信仰とともに、死体は人々に不運な魔物を招き寄せるという信仰が存在していると考えられる。今日でも死者の胸や棺に刀を置き、魔物から守ろうとした。
 侮者の身体の清拭は、身体のあらゆる箇所を丁寧に洗わなければならないとし、洗い残すと生まれてくる子供のその場所に痣ができるという。それに用いる湯の沸し方も、普段ではやりそうもない方法で行うことも多い。これは死が人の生活の中に起こる出来事の中で、極めて特殊で異常であるという認識の表われである。
 鮪者の家から墓地までの列がたどる道は、行きと帰りとでは違えなければならないとか、帰りには決して振り向いてはならないというのは今日でも見られ、それは「死者の魂が参列者について家まで帰って来るとよくないからだ」とされる。これは死者がいつまでもこの世に執着するのはよくないと考えていることが、これらの儀礼からうかがえる。
 以上のように今日では随分簡略化されてはいるものの、また意味や解釈は忘れられているものの、ある部分は依然として残されていることが分かる。それらの儀礼は、いずれも死を悼むという遺族の気持ちとともに、起こった死が真のものかどうかの確認を何度も行う気持ちが儀礼として存在しておりそれが定型化していることを示している。そして、一人の人間がある集団から消滅してしまうことの重大さを確認するための手続きなのである。

  第2節 臓器移植先進国との比較
   (1)アメリカでの臓器移植推進の要因
 臓器移植は、1980年代になって欧米をはじめ多くの国々で行われるようになった。その頃臓器移植の中心はアメリカで、心臓移植では、移植実施件数の6〜7割が行われた。
 アメリカでこのように多くの移植が行われた理由は、アメリカの保険会社が特に心臓移植をカバーするにあたって、十分に実績を持つ施設だけに支払を特定しようとしたからであり、年間何件かの実績がないと保険指定を受けられないため、各施設が84年以降、実績づくりのため一斉に件数を増やしにかかったためだった。
 またアメリカでは、脳死後は保険が打ち切られるため、その後の高額な医療費を払えず治療を打ち切らなければならないため、脳死を認めざるを得なかった。
 臓器移植という新しい行為を人々が受け入れていくいくのには、意識の面でも、それ相応の変化と、自他を納得させられるだけの意味づけが必要だったと思われる。
 
   (2)脳死・臓器提供に関する法制度
 前に述べたように、1980年代の心臓移植の中心はアメリカであったが、80年代の末には深刻な臓器提供不足となり、アメリカが採っている「コントラクティング・イン」方式をヨーロッパ大陸諸国を中心に行われている「コントラクティング・アウト」方式へ切り替えるべきだという提案が繰り返しなされている。
 このコントラクティング・イン方式とは、英米を中心とする臓器移植法の一形式で、個人が生前ドナーカードなどで、死後に臓器提供をするという意思表示が臓器摘出の必要条件となる。本人の明確な意思表示が無い場合には、本人の意向を最もよく代弁出来ると思われる近親者の代諾が必要になる。これに対し、本人が生前に死後の臓器提供に反対していたという明白な事実が認められない限り、近親者の同意を求めること無しに臓器を取り出してよいとするのが、コントラクティング・アウト方式である。
 ここでは臓器移植に関するヨーロッパ諸国の法制度が、臓器提供数の傾向にどのくらい影響を与えているかについて考察する。
 オーストリア、 ベルギー、フランス、スペインで臓器提供度が非常に高い(図3、4)のは推定同意(コントラクティング・アウト)の法律があるからだといえる。「推定同意」とは、拒否の意思を表明していなければ自動的にドナーとみなされる制度である。
 

 推定同意の制度は、上記の4つの国以外ではイタリア、ギリシャ、ポルトガル、ルクセンブルグ、スイスで導入されている。また、オーストリア、ポルトガルでは、臓器提供をしたくない場合は、臓器提供を拒否するカード(アンチドナーカード)をもっていなければならない。イタリア、ギリシャ、スイス、フランス、ベルギー、ルクセンブルグでは臓器提供をしたくない場合、市役所で登録することになっている。システムに照合して名前が登録されていなければ、臓器提供を拒否していないとみなされる。しかし実際には、家族や親戚が拒否する場合には提供できない。
 アイルランド、アメリカ、イギリス、スウェーデン、デンマーク、フィンランドではコントラクティング・インによって提供が行われている。
 ドイツとオランダは移植に関する法律がなく、現在法制化の準備を進めているが、提供については遺族の意思が重要とされている。
 提供に関する法制度は、それぞれの国の歴史や文化を反映している。たとえばオーストリアでは神聖ローマ帝国のマリア・テレジアが遺族の同意がなくても医師が認めれば死体の解剖ができるという法律を制定した。そのためにオーストリアでは、臓器提供に抵抗が少ないとみられる。

   (3)臓器移植ネットワークの発達
 日本では臓器移植法にともない、日本臓器移植ネットワークが発足したが、移植コーディネーターをはじめとするさまざまな点で、十分な基盤整備がなされているとはいえない
現状である。
 アメリカでは臓器配分にUNOS(全米臓器配分ネットワーク)が大きく関与し、臓器獲得と移植に関するほとんどすべての機関がこのUNOSに加盟し、全米をカバーする唯一の統一的臓器配分機関として確立されている。
 ヨーロッパでは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツ、オーストリアの5か国の移植施設が参加する臓器移植ネットワークであるユーロトランスプラントが、ヨーロッパの保険会社協会の出資で運営されている。ヨーロッパには他に国際ネットワークとしてスカンジナビアトランスプラント(北欧3国とデンマーク、アイスランド)があり、フランス、イギリス、スペインなどはそれぞれ国内のネットワークを作っている。
 
    @UNOSの成立と活動
 UNOSの前身は、アメリカ東南部のローカルなサウス・イースト臓器調達基金であった。その後1982年に腎臓センターを併設し、1984年、UNOSは、全米臓器移植法の制定による政府の公募に応じると、臓器配分の全米ネットワーク機構として採用された。
 さらに1987年法律によりUNOSに加盟していない移植医療機関にはメディケア(65歳以上の老人を対象にした医療保険制度)やメディケイド(生活保護階層を対象とする医療保険制度)などの公的な医療補助や保護が受けられないことになり、UNOSに加盟していないと臓器の提供も実質的にうけられないようになった。したがって、移植を希望する患者は、まずUNOSに登録し、順番を待たなければならない。
 UNOS自体は患者の選別や資格審査をしないため、患者が臓器提供をするかどうか全て医者の裁量である。UNOSは患者のデータを独自の基準に従って、点数をつけ、あとはコンピューターによって処理される。
    
    
    Aユーロトランスプラントの
             目的と活動
 ユーロトランスプラントの設立の目的は、ドナーの臓器の最大限の活用を図るために、HLA検査によってドナー・レシピエントの最適の組み合わせを見い出し、移植成績を向上させるとともに、移植結果を追跡調査することである。
 そのためにユーロトランスプラントでは、技術と抗HLA血清の標準化、移植希望者登録者のデータ更新、短時間・最小の労力で行えるレシピエント選定方法の開発などにとりくんできた。

    Bコーディネター育成プログラム
 ヨーロッパでもアメリカでも、提供臓器の不足が問題になっている。ユーロトランスプラントその対策の1つとして、臓器提供の同意を得るために家族にアプローチする医者や看護婦などに対する教育プログラムを作成し、
トレーニングを行っている。
 アメリカではコーディネーターに対する教育プログラムに関して、心理学者の研究が行われている。その結果、医者や看護婦など臓器提供に関わる人たちが、家族に接する際に自信を持って対処している場合は、より多くの同意が得られることがわかった。
 この研究を踏まえ、心理学者の力を借りて作成されたプログラムによってトレーニングを行っている。
 日本でも日本移植コーディネーター協議会の教育プログラムに採りいれられている。

    Cドナーカードの配布
 アメリカのドナーカードシステムは州によって異なるが、運転免許証の裏側に署名するようになっている。これは、交通事故により脳死状態になることが多いためで、車を運転する時には常に携帯するため、ドナー獲得により有効なシステムである。
ヨーロッパでは、ドナーカードが薬を処方してもらう薬屋やアスピリンを買いにいくような薬局、一般の開業医や病院に置かれていて、誰でも自由に入手できるようになっている。

  第3節 日本の医療不信
   (1)和田心臓移植の問題性
 世界各国で心臓移植が一般的な医療となりつつある今日においても、なぜ日本では心臓移植に対して心理的抵抗が強いのか。その大本をたどっていくと、結局、和田心臓移植の問題に突き当たる。
 昭和43年8月、札幌医大で行われた和田心臓移植は、まだ生きている提供者から心臓を摘出したのではないか、そうでなくても移植をはやるあまり、仮死状態の提供者に治療を施さなかったのではないか。また、移植を受けた患者も移植は必要ではなかったのではないか、などの疑惑で告発された。
 結局、証拠不十分で不起訴となったものの、当時の札幌地検の捜査報告書は、提供者脳波を測定したのもうそ、死亡時刻も事実と相違、関係者が口裏合わせをした疑いが強いなどの重大な点を明らかにした。疑惑にはそれなりの根拠があったのである。疑惑は極めて濃いが、その証拠が不十分であるというのが不起訴の理由だった。
 この手術の中心人物である和田氏はその後、
医学界から追放されてもよいはずだったと思うが、東京女子医大の教授を経て、現在も臨床医療にあったていて、心臓医学会でも偉い人になっているのである。また、手術チームの1人は現在も札幌医大の教授で捜査報告書のコメントを求められ「昔の話にこだわっているので先に進めない」と語ったという。この和田心臓移植の告発はいろいろな人になされてきたが、医療側からは何の反省も行われず、移植医の中からも、和田心臓移植をめぐる疑問を検討、批判する動きはこれまでなかったようである。
 過去の疑惑にきちんとけじめをつけず、ひたすら脳死と臓器移植容認へと走り続ける一部の医者とその周辺の人々の体質には、国民として強い不信、不安を禁じ得ない。

   (2)不透明な医療
    @薬漬け医療
 戦前や終戦直後、患者と医者は相互信頼関係で結ばれていた。診察料は盆暮勘定で、金のない患者は米や味噌、野菜で診察代を払い、
医者もまたそれを当然のように受け止めてきた。当時の医者はまさに医学の権威であったし、民衆の厚い信頼を受けていた。
 そうした医者が大きく変化したのはいつのころからだろうか。
 昭和30年代にはいると、社会資本の整備が急ピッチで進み、33年に国民皆保険制度へ向けて法律の改正が行われ、36年4月から施行された。この制度によって、医薬品は手厚く保護され、大変高価で患者が耐え切れない医薬品の負担を極端に軽くすることができた。患者はごっそり薬をもらうという感覚はあっても、それが高価なものとは思わない。健康保険が薬漬けを下から支えてきたのである。総医寮費に占める薬剤の割合は大きくなり、
薬漬けといわれる事態はこのころ完成していた。薬漬けをもたらしたには、薬価基準というアミのめを利用した医者と製薬会社の癒着である。
 薬価基準とは本来、診療報酬算定のさいの購入価格であり、同時に患者に対して請求する価格でもある。建て前でいえば、買い入れと売り渡しが同額で、病院は医薬品でもうけてはならないことになっているが、どんな病院も、建て前通りで経営を行っているとは限らない。売り渡し価格が決まっている以上、買い入れ価格が安ければ安いほど、病院には利益が転がり込む。
 病院に行くと、山盛りの薬を渡されるのは、
病院がそれでもうけているからである。
    Aカルテ開示とレセプト開示
 閉ざされた城の中から一存で決定を下す厚生省をはじめとする行政官僚に対して、多くの人たちが情報公開を叫び、そうすることでガラス張りの行政にすることができ、行政を常に監視することができるとしている。実際、情報公開法より、地方行政の不正を暴露するという大きな成果をあげてきた。
 この情報公開を医療の現場に持ち込もうとするのが、カルテ開示、レセプト開示の動きである。情報公開により、患者や市民が密室の医療を監視しようというものである。しかし、医者たちの反対があり、なかなかすんなりとは進まない。医療における情報公開は行政におけるそれと違って、別に考えなければならない問題がある。
 「カルテは患者のもの」という主張がある。
主にアメリカで主張されているのだが、アメリカの医療では、カルテに記載する内容がマニュアル化されているため、そのような内容なら患者のものといえるであろう。
 日本のカルテもそのようになってしまった。
ただ機械的に患者をこなす医者たちのカルテには、訴え、診断、検査、処方などが簡潔に述べられている。
 しかし、熱心な医者のカルテは、あまりしゃべらない患者から苦労してた聞き出した症状の経過を記録し、それに基づいて医者の考えや、どのようにアプローチするか、検査結果の解説まで書いてある。それは他の医者が変わって書くことの出来ない内容である。カルテを熱心に書くことで医者は成長すると言われる。そのような記録は、記載した医者のものといえるのではないか。日本のカルテにはそのような記載が多い。それはカルテを見せないことを前提として書かれているからである。カルテ開示は、カルテそのものが目的ではない。信頼できない医者がいて、どのような診療を行ったか知ることが目的だった。
しかしカルテ開示をこのまま主張していくと、善良な医者までもそれに備えるため、患者の見せることを意識することになり、マニュアルどうりののカルテになってしまうだろう。
 医療には患者に知らせない方がよいこともありるのだから、カルテ開示という安易な発想はやめるべきなのではないか。
 本当にカルテが見たいときはカルテの閲覧を、患者の信頼している医者を通じてなされるようにしたい。医者であれば一方的な解釈を避けることができるし、知らせないほうがよいことは知らせないことも出来るのだ。
 次にレセプトの開示である。レセプト開示はもっともなことである。高額料金を払ってもレシートがでないのは、何に使われたかも分からないのでは、料金表のない寿司やに入ってぼったくられた気持ちと変わるところがない。
 しかし、レセプトはレシートと同じではない。レセプトは医療機関が診療報奨を請求するものである。そこには病名も記されている。
レセプト公開の問題は、本来なら医療機関が納得出来るレシートを患者に直接渡すところを怠っているから生じた問題である。本来の目的ではないが、診療費へ不信がレセプト公開で解決の方に向かうならよいことである。

   (3)医療のマンパワー
 対人サービスを軽視する体質とも関係してくるが、日本医療のマンパワーは貧弱の一語に尽きる。表1は、
OECD『ヘルスケア
測定』により、加盟
23か国の1982年前
後の全病院平均在院
日数、人口10万対
病床数、100床当
たり職員数を示した
ものである。これによると、アメリカの269人を筆頭に、北欧諸国は170〜230人規模であるのに対し、日本は77人というおそまつさである。これは数字の出ている12か国最低で、100人未満なのは日本だけ、
12か国平均のわずか44%という。
 しかも、日本の病院職員数には病院医療の要員だけでなく、外来医療の要員が含まれているのに対し、欧米諸外国では病院職員数というのは病棟医療の要員が大半であることを考えると、日本との格差はさらに大きいと思われる。
 日本の医療の一般病院の医療サービスの質が低いのは、諸外国と比べて入院日数が著しく長いということがあげられる。それは、日本の病院の平均日数を長くしているのは、主に、欧米諸国に比べて著しく少ない老人ホームの代替機能を果たしているために生じており、過剰といわれる病床数も、病院と老人ホームをあわせた収容施設全体でみるとまだ過剰には程遠いものである。
 日本では、入院医療、外来医療問わず、各医療サービスの単価が欧米諸国に比べて著しく低く設定されているのであるが、職員数が少なければ、医療サービスの根本である医療対人サービス面がおろそかになるのは当然で、患者の側から見ると病院の質の低下に直結していく。病院外来での「3時間待ち3分診療」はいうまでもなく、病棟で医師が時間をかけて病状、治療方針、予後などを説明する余裕がなくなっている。日本の医療不信もこれと無関係ではない。
 
 第3章 患者と医者の信頼関係を
            築くために
  第1節 インフォームド・コンセント
                の普及
   (1)インフォームド・コンセント
               とは何か     @ インフォームド・コンセント
                の発生
 インフォームド・コンセントの成り立ちには、2つの源流があるとされる。1つは、第二次世界大戦中のナチスによる非人道的人体実験の反省からであり、もう1つは、ヨーロッパの18世紀以来の人権を勝ち取ってきた歴史と、それを継承する1960年代のアメリカにおける一連の公民権運動の一環として生れたもそである。2つの流れは。初めはあり方が問われ、やがてルールとして確立されていったとされる。
 〇ナチスの人体実験の反省から
 第二次世界大戦のナチスによる人体実験の非人道性は、ニュールンベルグ軍事裁判で糾弾された。そして、平和な世界になっても、新しい治療法の確立のためには人体実験が避けられないとして、人体実験をされる側の人権を尊重について、ニュールンベルク綱領で宣言された。
 やがて1964年、ヘルシンキの世界医師会の臨床実験倫理綱領では、「人体実験は医学の進歩のために必要である。その実施のあたっては、目的、方法、予想される利益、可能性のある危険性などを十分に説明し自由意思による同意が必要になる。とし、人体実験としてのルールが明示され、各国で制度化された。
 〇人権を勝ち取る市民の戦いから
 患者の人権を尊重するという理念にもと基づいたインフォームド・コンセントの考え方は、18世紀のヨーロッパやアメリカで人権を勝ち取る歴史のなかから生れてきた。西欧人権制度がアメリカ医療の現実の中で、独特の形で変化していった。
 当時アメリカでは医者の良心に依存しようとする伝統的な考え方、つまりパターナリズム(温情的な父親主義)依存する考え方と、患者の自律と自己決定を重視しようとする考え方とが対立して存在していた。その後1960年後半のベトナム反戦運動、公民権運動、消費者運動の中で医者のパターナリズムに依存することが批判され、盛んに患者の自律と自己決定が主張されるようなり、判例が新たな法理を形成していった。
 こうした流れに、医者たちも逆らえず、1972年、アメリカ病院協会は「患者の権利章典」を採択した。これは、患者の権利要求の勢いに対し、自分たちの立場を守るためにとった医者たちの対応と見ることができる。保険会社も誤解による訴訟の防止と訴えられた場合に弁護士が容易であるから、医者と病院に対して積極的にインフォムド・コンセントを要求した。こうして、法廷における法理としてのインフォームド・コンセントの制度が確立されていったのである。
    
    Aインフォームド・コンセント
               の考え方
 医療現場において、患者たちが要求するインフォームド・コンセントとはどのような考えに基づき、どのようなものであるのか考察する。
 インフォームド・コンセントのねらいは、患者の自律的な自己決定を保護し、可能にすることである。
 自律的な自己決定の必要条件は、虫ゥ己決定に本人の目的意識があること。当竭閧十分理解していること。泊シ人の支配を受けないこと。が挙げられる。つまり、窒ヘ病気を治したいと願うこと、唐ヘ自分の状態、検査や治療の内容や予想される結果をよく理解すること、狽ヘ主治医の押し付けや、権威者やマスコミのいうことに左右されないことである。
 インフォームド・コンセントの考え方を『インフォームド・コンセント』に示したフェイドンとビーチャムは、パターナリズムに基づく医者の「善行」に頼る考えから脱し、「自律」の価値を強調する。そしてインフォームド・コンセントの本来の意味を「自律に基づく自己決定」とし、法制上のルールから区別した。
 自律は欧米社会の価値の1つであり、法の中でもその伝統がある。それが医療では損なわれがちだったが近年になって、インフォームド・コンセントの概念がその伝統を受け継ぐこととなる。彼等は「自律性」が医療の中で最も重要な価値を持つとする。
 インフォームド・コンセントとは患者が自己決定権を行使するためのものである。しかし、患者が自己決定できるように導いてあげるというのは、パターナリズムの発想からくるもので、インフォームド・コンセントとは相対する。パターナリズムを肯定することは、
医者の援助なくしては患者は自己決定できないとみなすことになり、それは医者の考えが患者の考えより優秀だとして、患者の人格を低くみることにつながる。
                                           (2)日本に合う
       インフォームド・コンセント
 日本では「自己決定」の権利意識が育たないうちにインフォームド・コンセントが騒がれ始めた。それは自己決定の尊重からではなく、医者と患者の意思の疎通がうまくいっていない、医療の現状に対する患者の不満から始まったのである。
 インフォームド・コンセントの根底は、個人の自己決定権を尊重するところにあり、人々の考え方の多様性を認め、個人の意思を尊重し、各自が平等に自分のことは自分で決められるようにすることにある。
 しかし、医療不信の問題は、医療やそれを支える社会構造そのものに関連して、はるかに根深いものである。インフォームド・コンセント一辺倒の運動はそのことを曖昧にしてしまっている。

    @インフォームド・コンセント
               の解釈
 インフォームド・コンセントという言葉はさまざまな意味に使われているが、日本では「説明」にこだわる傾向が強い。それは、説明をおろそかにしてきた日本の医療事情からくるものであり、患者の不満の多くが説明不足にあったからであると思われる。インフォームド・コンセントが叫ばれる以前から、医者の説明義務、患者の同意を得る義務は法律ではっきりと規定されている。ところが、現実の医療では、患者同意の原則はどうにか守られてきたが、ピンからキリまである説明があまりにも形式的だったからである。説明重視とか同意という意味なら、日本語を使うべきである。しかしそれでも好んで使われる理由は、多かれ少かれ「医者と患者のよい関係」のニュアンスを含ませたいからだと言える。 しかし「インフォームド・コンセント」と叫んでいれば医者と患者のよい関係が生れ、医療は信頼できるものになるというものではない。実態の曖昧なインフォームド・コンセントで解決できると幻想を抱かせることは、問題を曖昧にし解決から遠ざけることになる。
    A患者に寄り添う医療
 患者がインフォームド・コンセントに期待しているのは、診療に十分時間をかける医療なのであり、それはやさしい医療への憧れといってもよい。日本の患者の多くは、インフォームド・コンセントの自己決定権には、かえって戸惑うのではないかと思われる。
 医者が患者の信用を得るには、患者に喋らせることが一番なのである。医者が自分に寄り添って、話を聞いてくれることを望んでいるからである。実はインフォームド・コンセントの議論の中で見落とされているのは「聞く」ということである。
 患者がインフォームド・コンセントに求めるのは自己決定権ではなく、医者が寄り添ってくれることである。患者が医者を信じられないのは、医者を味方だと感じていないからである。
 インフォームド・コンセントを日本独特の形で新しく解釈する動きがある。「共感から合意」に結び付けていくインフォームド・コンセントである。医療者は患者の喜びも苦痛も一緒になって共感しなければならない。説明は客観的であることよりも患者に寄り添って、患者の願いに応えるものでなければならない。「同意」とは、患者の承諾ではなく、患者も医者も一緒になって患者のことを考えた結果の「合意」でなければならないのである。

  第2節 セカンド・オピニオンへの期待
   (1)セカンド・オピニオン
              とは何か
 セカンド・オピニオンは、アメリカでは制度化されているところがある。例えば、乳癌治療で、患者は複数の医者の診察を受けていないと手術をしても保険がおりないといったぐあいである。
 乳癌治療医は、患者の治療に先立って、適切な診断をくだし、治療法について考えられる選択肢を全て挙げ、推奨されるべき治療を説明する。それでも患者は、2番目の医者を受診しなければならない。2番目の医者の説明の方が自分に合っていると思えば、患者は2番目の医者が進める治療を選択して構わない。もちろん、はじめの医者を選択してもかまわない。医者は十分な説明をしなければ患者は別の医者を選択することになるので。この制度のおかげで、患者はよく説明を受け納得の行く治療が受けられるようになった。
 アメリカで乳癌の乳房温存療法が1980年
後半に、それまでの保守的な手術方式にとって変わって一挙に普及したのは、この制度が大きな要因になったといわれる。
 ここで注意しなければならないのは、アメリカでセカンド・オピニオンを制度化したのは患者ではなく保険会社が営利追及のため、医者の独走と暴走を監視するために医者にセカンド・オピニオンを強化したことが、結果的に医者が説明するよう努めるようになり、患者にとってよい結果をもたらしたのでる。
 セカンド・オピニオンは、インフォームド・コンセントの要求を実現するための1つの方法であるかのように理解されているがこの2つはまったく別のものである。インフォームド・コンセントは「自律」の価値を最も重要視するが、セカンド・オピニオンの考え方は「多様性」をそれ以上に重要視する。セカンド・オピニオンは医者の誘導や作為を排除し、「自己決定」をより自律的なものにするために、患者は複数の医者から説明を受ける。患者に要求される「自己決定」の中身は、
複数の医者の中から自分に合った信頼できる医者を選ぶところにとどまる。自分で選んだ医者に依存しても構わないのである、
 医者の説明はどうしても客観的であるとは言えない。医者本人が勧めているのだから、主観的である。しかし患者は。2つの説明を比べれば、どちらがよいか選ぶことができる。セカンド・オピニオンは必要な情報を得られ、かつ患者の選択は自発的になるのである。 

    (2)日本での  
       セカンド・オピニオンの実施
 セカンド・オピニオンを一般化させるには、
医者の意識改革が必要である。しかし、現実には保守的な医者が既得権を放棄するとは考えられない。
 アメリカでセカンド・オピニオンが普及したのは、患者からの要求によってではなく、
保険会社がそれを強制したからである。日本で強制力があるのは法律しかないと思われる。
特に医者によって考え方に差があると言われている癌患者について、セカンド・オピニオンの法制化が望まれる。          インフォームド・コンセントにおいては、意味や基準が曖昧であるため法制化は困難であると思われたが、その点、セカンド・オピニオンは極めて具体的で現実的なものになるのであるであろう。

  第3節 家庭医制度の推進        (1)家庭医の役割  
 医療が高度化・専門化したきたことによって、身体や健康についての全体的な相談ができ、その患者の家族のことも含めて理解してくれている「家庭医」(かかりつけ医)の重要性が高まってきている。病気になった時、まず一般的な診療をすることを「プライマリケア」と呼んでいるが、家庭医はプライマリケアを担当し、もし高度な機械などによる検査が必要であるなどの理由で診断が難しい時は、適切な専門医を紹介することが期待されている。
 「自分では十分分からないから専門の医者を紹介する」というと一見頼りなく感じるかもしれないし、結局、症状が重ければもう1度診察に行くというのは、時間の無駄と感じるかもしれない。             しかし、信頼のできる家庭医を持つことができれば、健康や病気に関する不安も多く、しかも情報があふれている現在の生活において、十分相談にのってもらえる医者がいるということになり大きな安心につながる。
 また、日常的な生活のちょっとしたことが、
重病の予兆であることもあり、早期発見につながるのである。
 特に近年、病院の分担化が進み、医療機関の専門化も進んでいるため、適切な病院を選ぶためにも相談にのってくれる医者の存在は貴重になってくる。

   (2)イギリスの家庭医制度と
          その利点と弱点
 イギリスの社会医療は500年の歴史を持ち、世界に先駆けて1911年には国民健康保険(NHI)が、大戦中には救急医療サービス(EMS)が、そして1948年にはこれらを包括した国民保険サービス(NHS0がスタートしているNHSは現在、5650万人の国民の97%までカバーしており、民間の健康保険に加入しているものはわずか6%にすぎない。
 イギリスの一般医・家庭医(GP・FP)は医者全体の35%に相当する2万7000人がおり、地域家庭医委員会(FPC)の統括の下に、一定数の登録住民(平均11150人)
の健康管理を行っている。GP・FPは登録人頭に応じてNHSから報酬を受けるほか、老人の診療、予防接種、夜間往診・産科などは別途出来高払いを受ける。住民は自由に医者を選んで登録を行う。
 大部分(75%)のGP・FPは私的の診療所を持っているが、1部(7000人)はNHS
の所有する保険所(1250ヵ所)で診療を
行っている。最近はグループで診療を行う傾向にあり、個人開業はGP・FPの15%にすぎない。診療所でGP・FPの指示の下に働く看護婦、保健婦、ソーシャルワーカーなどはNHSまたは地方公共団体に属し、医療秘書だけはGP・FPの直接雇あげとなっている。
最近の調査によるば、GP・FP1人の平均診療件数は年間8000件2週55件1日31件となっている。住民の60%以上が年1回以上GP・FPを受診している。
GP・FPになるための基本的教育・訓練は卒前教育の中で行われており卒後は1981年から3年間の臨床研修が義務づけられている。研修時には王立一般医学会(RCGP)会員になるための試験がある。さらに生涯教育として、地域一般院内に設置された卒後医学センターが、GP・FPに対してさまざまの教育プログラムを提供している。
 イギリスおける家庭医制度の利点を列挙すると、次のようになる。
 〇NHSの理念は、権利として国民のだれも がいつでも必要な医療を受けられることである。診療のたびに金を払う必要はないので会計業務にかかる時間と費用は一切節約できるし、GP・FPによる適切な患者教育によって、健康維持・疾病予防のためのセルフケアを促し、医療資源の無駄遣いを防ぐことができる
 〇事故や救急の場合を除いてGP・FPの紹介なしに直接専門医や病院を受診することはできないし、プライマリケアと高度医療が区わけされ、系統的で合理的な医療が保証されるばかりでなく、GP・FPの使命感・責任感が高められている
 〇GP・FPは個々の患者およびその家族の健康管理を担っているので、医者と患者の不快相互関係ができて全人的診療が可能となっている
 〇GP・FPは、内科も小児科も産科も精神科もこなす。いわゆるなんでも屋であるが、患者が最初に接する医療は、細分化された専門科でなく、このなんでも屋が望ましい
 〇NHSの枠組みのなかでGP・FPは看護婦などとチームを組む形で住民のプライマリ・ヘルス・ケアを担っており、分業による効率が期待できる
 〇GP・FPは地域病院の放射線・病理施設を
自由に使用できることになっておりこれら高額機器を個別の新診療所に設置する必要はない。病院ではこれらの検査結果を迅速にGP・FPに報告すことになっている
 このような利点がある一方、家庭医制度の弱点は、完全でないNHSが直面する課題そのものであり先進諸国に共通する不況経済下での医療問題である
 〇人頭報酬、専門医への紹介、無競争の患者診療などが幸いしてGP・FPのよいサービス、より高い収入への意欲が低下することがある
〇診療予約制がかえって不便なものとなっており一番必要なと時に受診できなくなっている

   (3)日本の家庭医
       (かかりつけ医)の定着
    @日本でのかかりつけ医の効用
 最近日本では患者が始めから大病院の診療を受けることが多すぎるため、開業医も専門だけにこだわりすぎてしまった。違った病気にかかる度に専門を変えるので、もし自分のかかりつけ医が決まっていれば、いちいち説明しなくても済む年齢、職業、既往症などまで、毎日医者に話さなくてはならない。それだけ外来診察に時間がかかるのは当然である。
 しかしかかりつけ医が患者を専門医に紹介するようになれば、かかりつけ医が専門医に病状などを説明することになる。
 また現在の習慣として、患者が専門家の手に移ってからは紹介した医者は患者に一切関与しない。しかしかかりつけ医は、専門家の補佐をしながら病気の全過程に関与していくから患者は最善の診療と安心感を持つことができる。
 以上のような方法が現実化されれば、専門医の治療で納得できたかどうかは、気心の知れているかかりつけ医に相談することができる。
 日常の医療の問題であった、「3時間待って3分診療」においても効率よく診療ができかつゆとりのある診療が行われる。
 また、薬漬けの問題でもかかりつけ医が薬の相談や併用服用による過剰投与、副作用などから患者を守ることができ、さらに医療費に占める投薬費の削減にもつながるのである。  

    A厚生省と日本医師会の動き
 厚生省が進めている病診連携と日本医師会がかかげる「かかりつけ医」は、いずれも医療の機能、役割分担を目指したものだが、果たして思惑どうりに進むかどうか期待される。 まず病診連携だが、これは病院と診療所の連携を意味したもので、診療所で診察した患者が、診療所の医者の判断で、より高度な検査や治療や検査が必要な場合、大病院に紹介する。そして病院が診療所の医療で十分と判断した時は検査だけですぐに診療所に患者を送り返すようにする。
 これまで患者を奪い合ってきた診療所と病院が協力しようという試みだから大きな前進
だといえる。
 病院連携は現在、厚生省がモデル地区を設定して、それぞれのモデル像を策定しようとしている。しかし現状では取組みにばらつきが多く、病身連携は地域医師会によって左右されるといえる。
 病診連携の場合、患者が診療所から病院に
移送されてから病院の主治医が検査、治療を行う。紹介した診療所の医者は「院外主治医」としてこれに参画する。したがってこの両者の信頼関係が損なわれてしまうと、患者にとってメリットのある病診連携となりえないのである。
 病診連携の試みは地域のかくとなるいくつかの大病院と地域医師会が話し合って決めているがいずれも自治体の力によって本格的に稼働する。
 しかし、実際に病診連携を旗印に揚げながら、まったく関心を寄せないところがあったり、依然として患者を囲う様なことが残っているとマイナスだ。
 日本医師会が掲げている「かかりつか医」構想は、医者の本来の在り方を、医師会自ら求めた動きとして注目される。ここで評価したいのは、過去の政治力による要求や、制度、制作主義の誘導策を捨てた点にある。
 日本医師会が掲げた「かかりつけ医」は医療の本来の患者との信頼関係を取り戻そうとすることを主眼にすえていることが評価される。
 患者離れが進むなか、日本医師会は開業医として一定の役割を果たす一方将来のポジションを模索し続けてきた。そうした議論を経て、地域住民の医療、保険の担い手として、健康、保険アドバイザーとしての果たす役割が大きい。
 これまでの習慣もあり、性急に求めるわけにはいかないだろうが、地域に密着した「かりつけ医」をめざしてほしい。日本医療の不信が過去になる日に1歩近づいたようだ。

  おわりに
 脳死・臓器移植の問題は、その実態について知れば知るほど、脳死者からの臓器移植というのが、かなり困難なことだとおもわれてくる。特に心臓や肝臓の移植は、あと半年から1年くらいしか生きられないひとのうち、
ごく少数の人を、もう何年か寿命を延ばすという延命の技術であると思う健常人にとってはあっというまでであっても、少しでも生きていられる時間が、本人にとっても周りの者にとっても別の意味のあるかけがえのないものになるのだろう。
 だが、脳死者からの臓器移植は大勢の人を特に近親の突然の事故などの死を非業な結末だ亡くした悲しみのさなかにある人たちを巻き込み、たいへんな手間とお金をかけて行われる。腎臓はまただめになっても透析に戻れるが、心臓や肝臓はだめなら再移植しなければなず、長くても5年半生きた例があるだけである。
 移植後の生活は、免疫翌抑制剤による感染症との戦いであり、それに見合うだけのものが得られるかどうかはかなりシビアな批判にさらされるんは仕方がないだろうと思う。臓器移植はの実行は、解決ではなく、選択肢を増やすだけなのだ。
 人の生と死のありかたを左右する脳死・臓器移植が社会に受容されるかどうか決めるのは最終的には科学的・技術的要因ではなく、社会的文化的要因である。特に日本人特有の宗教的心情、遺体観が存在し、欧米では盛んに行われいる脳死・臓器移植の受容を阻んでいると言われてきた。
 都市化、核家族化が進む中でこのような意遺体観は薄れてきてると思われるが、程度の差はあるにしても、伝統的儀礼などでなどを通して現われている。しかし脳死・臓器移植問題においてこのような伝統的な基盤は障害ではなく前提である。
 そして代わりに重要な要因として見い出したのは、そうした特殊な生死感にさかのぼる以前に解決すべきさまざまな不備を、今の医療が抱えていることである。
 脳死・臓器移植はそれ自体が現代医療のなで占める割合は少ない。しかし、この問題
によって明らかにされたことは現代医療を大きく変えるだろう。
 第3章で述べてきたことが実現され、医療が信頼れるものになれば、脳死・臓器移植の問題の是非も落ち着くのではないかと思う。
 日本で脳死・臓器移植はあまり期待できないと思われるが、それが社会に与えた意義は大きいといえる。

                    

      《 参考文献 》
ヲ三井香兒 「脳死わかる本」
(日本メディカルセンター 1992年)
ヲ沢田裕介 「脳死患者の管理」
(日本メディカルセンター 1986年)
ヲ梅原毅脳死と臓器移植器移植」
(朝日新聞社 1992年)
ヲ立花隆「脳死再論」
(中央公論社 1988年)
ヲ  〃「脳死臨調批判」
(中央公論社 1992年)
ヲ〃「NHKスペシャル脳死」
(日本放送出版協会 1991年)
ヲ名古屋弁護士協会「脳死と臓器移植」
(六法出版社平成3年)
ヲ林成之「脳低温療法」
(総合科学社 1995年)
ヲ二木立「現代日本医療の実証分析」
(医学書院 1990年)
ヲ天笠啓裕「脳死は密室殺人である」
(文芸春秋 1992年)
ヲ柳田邦夫「人間の事実」
(文芸春秋 1997年)
ヲ結城栄一「開業医復権論」
(河出書房 1997年)
ヲ波平恵美子「脳死・臓器移植・癌告知」
(福武書店 1988年)
ヲ小松美彦「脳は共鳴する」
(勁草書房 1996年)
ヲ名取春彦「インフォームド・コンセント
        患者を救わない」
(洋泉社 1998年)
ヲJ.アタリ「カニバリズムの秩序」
(みすず書房 1986年)
ヲ星野一正「医療の倫理」
(岩波書店 1991年) 
ヲ新村拓「死と病と看護の社会死」
(法政大学出版局 1989年)
ヲ足立忠夫「患者対医師医師関係論」   ヲ膿沼信夫「世界の医療最前線             医療改革と改革と企業」
(勁草書房 1985年)
ヲ医療13巻19号(1997年)
ヲ日医雑誌119巻10号(1998年)
ヲ厚生12月号(1997年)