■ピッチの残像
「“4”と“16”を分けたもの」


 なぜ彼が? Jリーグでもほとんどけっていないはずなのに。苦手だ、と言っていたこともあるし、あんなプレッシャーがかかるものは嫌いだと、苦笑する姿も見た。

 韓国対スペイン戦がPK戦に突入したとき、FWの黄 善洪(柏)が先行のトップバッターでボールを置いたのを見て不思議に思った。Jリーグで得点王を獲得した(当時C大阪)彼も、PKは苦手である。先頭で、インステップで、思い切りけったボールはスペインのGKに完全に読まれたコースに飛んだが、勢いは勝っていた。

 1次リーグ米国戦、黄はPKを譲った。しかしそのPKが外れたとき、知人に「自分は意気地がなかった」と激怒し、悔恨を伝えたのだという。これが4度目、最後となるであろうW杯で「チームの勝利を最優先する」とPKを譲り、それが失敗する。取り返すチャンスは、このPKを逃せば生涯二度とない。5番目、最後の最後にけった洪 明甫(平塚、柏に在籍)も同じだった。Jリーグで彼がPKを外したシーンなら3回は思い出せる。洪もまた4回目のW杯に、悔恨だけは残したくはなかったのだろう。

 実はPK下手の彼らが、あれほどのプレッシャーの中「自分とのPK戦」に挑んで行った姿勢は韓国の強さを象徴している。究極のチーム戦を制するのは、困難をすすんで引き受ける「個」の強さでしかない。韓国は、そんなサッカーの原点を、不思議や魅力を体現し続けている。

 日本代表はトルコに敗れたあと、「サンキュー・ジャパン」と書かれたTシャツを着た。善し悪しではなく、韓国にも、とかアジアへ、という発想には至っていなかった。しかし韓国はこの日、満員のスタンドに「アジアの誇り」と人文字を作り、主将の洪は「日本の分も戦い抜く」と、会見で言い切った。

 サッカーの技術論において16強と4強を分けたものとは違う何かが、そこにある。

(東京中日スポーツ・2002.6.23より再録)

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