ペルージャ訪問記
中田英寿「秘めた武器」
The Man Who Has Hidden Weapon


中田はイタリアに行ってさらに考えた。「自分は何を武器にここで戦えばいいんだろう」と。他の選手に比べて背は低いし、横幅でも劣る。足も遅いし、パスの精度も自分では満足していない。そこで彼が見つけた世界に通じるオプションとは──。彼を見てきた歴代の監督たちは、天性とも言える彼のその才能に早くから気づいていた。それこそが、彼の最大の強みであることも。異国の地で、今、中田が拠り所にしているのは、認められつつある自分のその武器である。

 助手席から聞こえる中田の声は、弾んでいた。
 日本人の親友が運転するベンツのバンは、レンガと白壁でできたペルージャの街並みをクネクネと上がって行く。仮住まいだったホテルは、練習グラウンドから車で10分ほどの丘の上にある。携帯電話を買い替える手続きの連絡をし、アパートメントに入るための準備について2人はジョークを言い合いながら相談をし、おまけにスタッフのランチの心配までしている。
 秋の強い陽射しが差し込み、横顔がウインドーに映る。
「ここ、のんびりしていて、とてもいい所でしょう?」
 異論はない。車の窓からも街並みが見渡せる。丘が連なり、はるか後方には雲が浮かんで、葡萄畑も見える。少し冷たい風が、舞うように街を抜ける。どこかで見た風景のように感じた。初めて来たのではないような。「どこか」を探していると、助手席から先制パンチを受けた。
「山梨に似てるって……そう言いたいんでしょう?」
「……」
「ハハハ、言うと思ったよ」
 ウインドーに映る笑顔を見ながら、ブラジル代表だったカレカ(元・柏レイソル)のことをふと思い出した。Jリーグでプレーしている頃、なぜ、イタリアではナポリを選んだのですか──そう質問したことがある。
「海、それだけが理由かな」
 あのとき、カレカは言った。
「リオやサントスの海で生きてきたからなのかな、海の見えない所ではプレーしたくなかったんだ。サッカー選手って、小切手の数字とアパートメントの広さだけでチームを選んでるわけじやないんだろうね。心のどこかで、自分の一番落ち着ける場所をちゃんと見つけているものかもしれないね」
 バンはホテルに到著した。入り口にいた人々が、「ナカアタ」と、カにアクセントを置く呼び方で声をかける。中田は笑頼で手を挙げた。
「ボンジョルノ!」その後にも何かをスラスラと続けて言った。
「言葉はね、正直なところ全然問題ないんだ。ほぼわかるようにはなってきたよ。ただし、話すときだけ、ホラ、言い方に失礼とかあるとマズイから、それを確認することもある。だからこれと言って困ることって……うーん、何もないかなあ」
 環境に慣れることに苦労はしていないのか。
「別に」、を覚悟でまずはワンパターンの質問をしてみる。横で親友がクスリと笑った。
「あるある、コンビニがないこと!」
 2人は噴き出した。ここには海はないし、コンビニもない。しかし育った土地に似た、のびのぴと解放感のある風景が、彼を包み込んでいる。カレカの話を出すのは野暮な気がした。
 10月下旬からペルージャを訪れ最初に驚かされたのは、中田が信じられないほどのスピードでペルージャに、クラブに、何よりセリエAのサッカーに、馴染んでしまっていることだった。拍子抜けするくらい違和感というものがない。
 テレビの画面だけを通して見ていれば、まだチームとのコンビネーションができていない、或いは信頼されていない、その証拠にPKだって蹴らせでもらえなかったではないか、こういった批評も可能だろう。しかし現地に行って話すと、多くの日本人選手が苦しんできたはずの言葉の璧、環境との戦い、これらをいかに注意深く克服しようとしているかがわかる。さらには、監督がチーム内でイニシアチブを中田に握らせるためにどういったことを考え実行しているのか、これもよくわかる。中田は一体何を考え、何を企み、何を見据えてこの2か月間プレーをしてきたのだろうか。セリエA残留を日指す弱小クラブは、東洋から来た未知のプレイヤーをどう受け入れているのだろう。W杯が終って約4か月ぷりにじっくりと聞いた彼の言葉、サッカーに向かうときの態度、これらは常にシンプルで、しかし以前にも増して力強いものだった。
 徹底した思考と、強い意志。たった2つの見えない武器が、中田のセリエAへの挑戦を支えている──。

「ここに来てみて改めて、自分には一体何が取り柄なんだろうかと考えたわけです。外国の選手に比べたら体があるわけじゃあない、背も低いし横幅だってね、こんなんでしょう。じゃあ足はどうかって、これも全然速くはない。パスだってみんなキラーパス、なんて言いますけど自分では全然、下手だと思ってるからね、どっちかって言えば。それからボディバランスがいいと言ってくれる人もいるけど、これもどうだろう、自分ではそう思えない。じゃあ、取り柄が何にもないじゃないか、でもそこから始まるんですよ、オレのサッカーって。そこで唯一戦えるものって何なのかとね。そこから組み立てて行く。考えること、それしかない。身体能力なんてこれはもう一生かかってもどうにもならないだろうし、技術は習得に時間がかかるからそんな簡単に追いつくものではない。でも、考える力、それだけは今すぐに、それがJリーグだろうが、セリエAだろうがどこだろうが、すぐに実残できるはずです。誰かに頼る必要もない。だからここに来て、まずは考える、これを土台にしていくことを最初に心がけました」
 考えるためには情報が必要になる。
 まずはピッチである。元々、スパイクには特別なこだわりなど持たない。しかし、こちらに来てからは、契約するFILAのスタッフがつきっきりでアウェーも回っている。中田によれば、日本のピッチは全国どこでも水準は高く、あまり質の違いはないという。しかしセリエAはまったく違う。芝もその下にある土もスタジアムによって大きな差がある。スタッフとともに、各ピッチの状態を入念にチェックし、データを蓄積している。
 例えばホームのレナト・クーリ・スタジアムの土は、粘土質もやや混じった重い土質で、わずかな雨ですぐにぬかるんでしまう。画面ではわかりにくいが、自分で足を踏み入れてみれば、わずかな雨でクツにぬぐえないほどの泥がついてしまうのが実感できる。一方、インテルと対戦したサンシーロスタジアムは、かなり水を含んだ状態のはずだがまったく支障がないほど、水はけが計算し尽くされていたそうだ。
 こうした点からも、日本では固定式で通してきたスパイクも、雨や芝の状態をまず確認し、交換式のスパイクも履くようになった。試合前には、ピッチのあらゆる場所でつま先で芝を押して状態を確認する姿がある。
「開幕してから雨が多いのには参った(8試合で5試合が雨)、ポイント(交換式)を履かなければとてもプレーはできないでしょうね。それとやはりシュートやパスの精度をもっと高めていかないといけない。やるべきことはハッキリとしているので」
 多くの一流選手とは違って、天然皮革ではなく人工皮革だけのスパイクを履くユニークな発想も、条件に左右されにくくするためである。天然皮革の場合、フィット感は優れているが水分を吸収しやすく、変形してしまう。
 ユヴェントス戦では、ホームとはいえ初めてのピッチ、しかもどしゃぶりの中、ポイントを履いて2ゴールを奪った。あれは戦略を積み重ねて、練りに練って放った「思考のシュート」だったのである。
 殊勲をたてたパルマ戦(10月25日、2−1)の翌日には、敗れたパルマのイタリア代表カンナバーロが報道陣から「ナカタの出来は期待通りのものではなかったのではないか」という質問を受け、こんな答えをしている。
「いや違う。我々のミスを除けば、ベーロンからのパスがほとんど通らなかったのも、攻撃の形が中途半端だったのも、ナカタのポジショニングが非常に的確だったからにほかならない」
 6月のフランスW杯で対戦したアルゼンチンのペーロンは、中田のことはそう頭に入れてはいなかったかもしれない。しかし中田はベーロンのプレーについて考え抜いて迎え撃った。試合前には、狙うべきポイントが「ベーロンのサイドチェンジ」にあることを指摘していた。事実、試合でもベーロンから出されるパスを、何本も遮断し、後半、ついにはベーロンも交代させられている。
 日本にいたときには、自分のプレー、相手のプレー、さまざまな環境に対してのマンネリを口にしていた。それを打破したいのだと。今、彼が溌剌(はつらつ)として見えるのは、未知の環境に対して頭を、猛烈なスピードで回転させているからなのだろう。

「死んでも倒れない、
それくらいの気持ちでなければ
試合に出てはいけないと思って、
ここまでやってきた」

「受けるファウルが、日本にいたときよりもはるかに多くなっているのはもちろんのことですが、オレをファウルで倒した選手に何枚イエローが出ているか、自分で数えただけでも少なくとも10枚はあったと思う」
「厳しくなる一方の相手マークにどう対処しようとしているか」それを聞いてみた。面白い視点である。そういう見方には気がつかなかった。つまり、悪質なファウルで止めない限り、中田からボールを奪うことができない、これを示すひとつの客観的な材料にはなる。
 5節のヴェネチア戦までで、ペルージャの対戦チームが受けた警告は合計16枚、レッドカードが1枚。中田の記憶によれば、打枚のうち少なくとも10枚が自分へのファウルだということである。ちなみにこの話を聞いたあとのパルマ戦では、3枚の警告のうち1枚が中田へのファウルであった。単に倒れない、という意思表示を超え、自分の戦略に相手をはめているともいえる。
「倒れることが嫌いなのは、単にそれが全然美しい行為ではないからですよ。第一、時間稼ぎならば、時間を把握して、残る時間を計算したうえでやらなくではいけないわけでしょ。稼いだためにとんでもない目に遭うことだってあるんですよ。痛がってピッチで寝て時間を稼ぐなんてキレイなことではない。まあ、ただの負けず嫌いとも言えるんだけれど。とにかくセリエAに来てみて、けっこうコロコロと倒れる選手が多いんですよね。いい選手もいるけれど、プレイヤーとして尊敬はできないですね。サッカー選手はよっぽどでなければ倒れてはいけないんじゃないかって思う。死んでも倒れない、それくらい強い気持ちでなければ試合に出てはいけないと思って、ここまでやってきた」
 口調が強くなった。
「少なくとも、自分がもしも寝ていることがあったり、担架に乗るようなことがあれば、それはもう本当にサッカーができない、それを意味します」
 ペルージャのカスタニェール監督は、こうした強い精神力と肉体こそが、中田がセリエAにこれほど早くとけ込むことができた最大の理由ではないかと言った。チームに合流した当初には、当然のことながら必ずしもこれを歓迎しない勢力の方に、バランスが傾いていた。差別もある。彼らは練習からかなり激しいタックルを浴びせたようだが、監督は中田がこれを平然とかわしてプレーする姿を見て、単なる「客」ではないこと、W杯、国際試合と豊かなキャリアを持った中田をチームの中心にすること、これらを長期的に実現して行くプランを練ると決断したのだという。パルマ戦を前に、主将だったトヴァリエリが解雇され、これまで常にPKを蹴ってきた10番・ベルナルディーニが期限付きのレンタル(サレルニターナ)で、チームを離れた。これも中田中心の構想のための人員整理の色合いが濃い。
 実力の世界とはいえ、こうした微妙なパワーバランスを外国人選手、しかもまだ若く初めて海外でプレーをする選手に握らせることは可能なのだろうか。監督は言う。
「ユーヴェ戦での2得点は、彼には得点能力もある、それをいい形で示すものにはなった。しかし、彼のもっとも優れた魅力はやはり人を動かすことにあるのではないか。彼は、プレー自体に説得力を持っている数少ない選手だ。そこに期待をしているし、もっともっと遠慮せずに自分の好きなようにプレーしてもらいたい」    
 10月下旬、今後は彼にPKを蹴らせる──その決断を監督がイタリアのメディアに明かしたとき、メディアは「イラーリオ(監督の名前)、本当に大丈夫なのか?」と聞き返していた。記者たちのこうした意見の裏には、単に中田の力を訝(いぶか)るだけではなく、彼がこういった任務に失敗してしまった場合のリスクが想定されているようだ。「なんで彼に蹴らせるのか」といった監督への不信、選手同士での権力争い等新たな火種を生むことにもなる。しかし20年前、ペルージャを一度はシーズン2位に導いた57歳の闘将は、真顔で言い返していた。
「まあ、見ていてごらんなさい」
 中田はこれまでのキャリアの中で常に監督に恵まれてきたと思う。そして今度もまた。

 11月8日に行なわれたビチエンツァ戦後半7分、ペルージャはPKを得た。「見ていてごらん」と、イタリアのメディアに言い返した監督が指示をするまでもなく、チームメイトが中田にボールを渡した。わずか2か月前の開幕戦ではハットトリックのチャンスにもかかわらず、渡してはもらえなかったボールを、中田はいつもよりも遥かに丁寧にマークの上に置いた。
 左隅にゴロで転がしたシュートが入ったが、蹴り直し。わずか30秒ほどの間に、今度は隅を狙ってこれも決めた。そのとき、万歳しながら飛び跳ねたのは、中田ではなくカスタニェール監督の方だった。自身の4点目は、恐らくもっとも価値のある1点になった。
 チームは望んでいたような強豪ではない。本人もそのことを十分に承知している。
「来たチームはまあ、正直言ってちょっと予想外のことも多々ありました。でも、今そんなことを言ってもまったく意味がない」
 珍しく仲間と駆け寄って喜び合う姿は同時に、開幕からわずか2か月で手にした本物の「信頼」を形にしていたものだったのではないか。このチームを率いてセリエAに残留する。ユヴェントスでも、インテルでもない。しかしこれが中田の仕事である。「虫けら」発言以来深くなっていたように思えたメディアとの溝も、こうした明確な任務を背負った今、余裕が生まれ、修復に向かっているように見える。エジプト戦で来日した際にも、メディアには「敵意」ではなくむしろ「協調」を無言で残していった。
「メディアとの関係をうまく保つというのは、本当に難しいと思っています。自分の意図がなかなか通じない。でもひとつだけ考えているのは、もっとお互いにユーモアを持てればいいのかな、ということです」
 スポーツ紙にいたころ、個人的にも選手とのトラブルは多く経験した。かつて名刺を捨てられ、それをゴミ箱から拾い、破られればテープで粘って……そのうちお互いバカバカしくなって打ち解けたこともある──そんな話をすると、
「オレなら最後に鉄の名刺でも持って来てくれれば、降参して何でもしゃべっちゃうのに」
 と、笑い出した。記者たちも中田も真面目過ぎるのだろう。ユーモアやジョークは、ときに互いの距離を縮めるはずだ。
 チームメイトは、こんな中田をどう見ているのだろうか。ブラジル人のゼ・マリア(右サイド)とは、平塚仕込みのポルトガル語でジョークを言い合う仲である。
「ナカタときたらまるでもう10年もここで暮らしているみたいだよ。でもね、ぼくはこのチームが彼の思い通りに動くことができれば、誰も予想してない、いい結果が出ると信じている。みんなそう思い始めたよ」
 ペルージャは、イタリアのほかの地域に比べてどちらかといえば閉鎖的で、なかなかよそ者を認めたがらないのだという。中田はイタリアの中でもさらにシビアな街で、自らより高いレベルを追求し始めた。たった2つの見えない武器だけを心に秘めて。
「またあ、マスコミはすぐに誉めたりけなしたりするんだから。たった1、2か月で評価されるなんてそんな簡単な所じゃあない。これからもっと苦しいことだってきっとある。第一そんなの……」
 中田は人差し指と中指で敬礼するような挨拶をし、グラウンドへ駆け出して行った。
「そんなの、面白くないじゃない!」

 海とコンビニはないが、ここには豊かな山々がある。丘に囲まれた練習グラウンドに北風が舞い、長く厳しい冬が始まる。

Number 458 より再録)

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