日本代表「初戦惜敗」は予定通り


世界の壁の厚さを見せつけられたとはいえ、日本代表の表情は冷静だった。小野コーチのもとに集められた2人の「影武者」たち。彼らの用意したアルゼンチン戦への情報は、ほぼ完璧だった。予定通りの“惜敗”から、予選リーグ突破へ向かって、いざクロアチア戦へ!

「ああ、そんな話(気持ちの切り替え)は今さら選手にするまでもない。彼らはわかってますよ。アルゼンチンのことしか想定してなかった、ということの本当の意味は理解してくれている。気持ちのことは、夕べちょっと言っただけです。きょうはもうちょっと違う話をしました。内容? それは言えません」
 アルゼンチン戦からの気持ちの切り替えは? と問われた岡田武史監督(41)は、充血した目をしばたかせながら言った。
 W杯前日でさえ熟睡した、という監督も、さすがに14日の試合後は、悔しさのあまり眠れなかったようだ。
 15日、アルゼンチン戦を終えてエクスレバンに戻った日本代表が最初に見せたのは、いつものブラジル式体操でも、シュートでもない。ピッチ上ではあまり例のない、車座になってのミーティング風景だった。時間は約5分。選手はそれぞれ好きな格好で、内容は、アルゼンチン戦のことは一切なく、ただ一点、クロアチア戦のことだったという。
 善戦、健闘、などおおむね「良くやった」的な報道がされる中、選手は驚くほどに冷静である。視聴率67パーセントなど、国内での盛り上がりについて感想を求められた城彰二(横浜M)は、
「そんなに多くのみなさんに見てもらったのはうれしい。でも善戦でも健闘でも勝てなかった、勝ち点が取れなかった、その結果だけが事実。しかし一方ではやれる、という感触も強く持てました。クロアチアとも互角に勝負したい」
 と無得点ながら、手応えの方を口にした。
 中田英寿(平塚)も、
「引き分けにはできたはず。でも、もう終わったことを良かっただの悪かっただの言っても何の意味もない」
 と話し、20日のクロアチア戦のみに、頭も心も見事なまでに切り替えてしまった。
 実際、岡田監督歯、心身ともに切り替えをしリラックスして欲しい、という意味からか、14日の夜、応援に来た家族らに代表の宿泊ホテルでの面会許可を与えている。わずかな時間でも家族らと和むことで気分転換を図る、そういった緩急をつけて、監督、選手はトゥールーズからエクスレバンに戻ってきたようだ。
 善戦、健闘、とは言っても、欲しくて仕方のなかった勝ち点を目の前で奪われたのは事実。0体1というスコアには、点差以上の「格差」があった。そしてそれを、もっとも理解しているのも、肌で違いを感じ取った選手たちだったろう。
 にもかかわらず、こうした素早い気持ちの切り替えと、自信の方を表に出せるのには理由がある。
 各人が予想していた試合のゲームプランと、ほとんど同じプレーができたということ、つまり、事前に得ていた情報に、漏れも、不足もなかったということである。

情報戦に2人の「影武者」

 岡田監督は「個人の能力では太刀打ちできないかもしれない。しかし、組織の力で対抗する、そういうサッカーを見せる」と、W杯の戦い方を繰り返し説明している。
「組織の力」とは何も、ピッチ上にいる11人のことのみではない。日本の最大の武器は情報の収集と分析、そしてそれを100パーセントに近く実践しようとする意志にある。それが、いかに緻密なものか。

秋田豊(アルゼンチンのバティストゥータのマークについたDF 鹿島)
「アルゼンチン戦は、イメージ通りでした。強化のみなさんが作ってくださったビデオで、相手がどう出てくるのか、それはほとんど完璧にわかっていましたね。バティが怖かったのは、ヘディングとか当たりではなくて、センタリングに飛び込むスピードの方でした。
 こうしたこうしたインフォメーションももらっていましたし、相手の長所を消す、これは何もW杯だからというのではなく、いつもやっていることです。相手の長所さえ消せれば、どんなすごい選手でも、90分に限ってただの選手にさせることができるわけです。情報を得るのは、相手の長所をいかに消すか、のためであって、クロアチアもアルゼンチン同様、勝てないチームではないと、自信を持って言えます」

 選手にこうした情報を提供するのは、コントロールセンターの役目を果たす小野剛コーチ(35)と、実際の細かな情報を入手する影山雅永氏(30)と四方田修平氏(25)の3人。景山氏と四方田氏は、今代表に帯同しながらも、代表のメンバーには入っていない、いわば「影武者」である。
 小野コーチは言う。
「スカウティング(偵察のこと)の重要さというのは、どんな情報をどういう観点で拾ってくるか、それに尽きます。自分がコーチになって2人に任せた当初は、やはり、見てきて欲しいもの、感じて欲しいものの違いはありました。今ではそういうこともありませんし、2人にはあえて担当チームを持たせず、常に新鮮な観点でゲームと選手を分析してもらってきました。
 情報を集めて行くうちに、持ち駒がわかり、そしてもしも自分がこのチームの監督なら、というところまで行けるんです。その域まで行けば、相手チームのことは大体わかるものなのです」
 これまでも、日本代表が小野コーチらの作成する「ビデオ」を観ていることは知られているが、実際には、ビデオはチームのものだけではなく、個人バージョンでも作られているようだ。
 アルゼンチンを例にするなら、「バティストゥータ編・「オルテガ編」という風に作られており、選手はマークする相手の個人専用ビデオを徹底的に研究している。その中には、プレーの特徴はもちろん、身体的な特徴、癖、性格、などが効率よく編集されている。5月11日、御殿場でW杯に向けての合宿がスタートした頃には、チームのアウトラインをイメージづけるもの。スイスのニヨンに入ってからは攻守のポイントを植え付け、最後には実際に試合中対面する選手の完全ビデオ、と情報の与え方にも工夫がされている。またコンピュータグラフィックで処理して、視覚によるイメージを具体的なものにしてる。
 さらに、日本代表選手の個人ビデオも作成されている。普段お互いのプレーを冷静にじっくりと見ることはあまりない。そういう意味で「敵を知るにはまず味方から」ということなのか。
 アルゼンチン戦の前は、闘志あふれる秋田のプレーを見る選手が多かったという。

山口素弘(オルデガら中盤と対面したボランチ 横浜F)
「ゲーム中、ああこのプレーは全然予想してなかった、とか、そういう瞬間が全くありませんでした。固い、とか緊張していると言われた最初の20分も、やっているぼくらにすると、予定通りだな、ということだけで、浮き足立つようなことは全くありませんでした。もうちょっとがんがんプレッシャーをかけてくると思っていたんですが、意外なほど慎重だったんではないでしょうか。
 幸運だったのは、試合の順番。アルゼンチンに9割集中する、というと、みなさんはクロアチアのことは何も考えてなかったと解釈されるかもしれませんが、ぼくらはある意味で2試合目こそがカギになると思っていました。そういう意味では予定通り。これで最後(ジャマイカ戦6月26日)まで面白くできますからね」

 スカウティングの苦労については景山、四方田の両氏とも「立場上、勘弁してください」と口をつぐんでいる。しかし、小野コーチ、岡田監督とも、自分自身が徹底的に偵察して歩いて分析してきた経歴を持っているだけに、それがどんなに困難なものなのかは理解している。

本隊がランスへ飛ぶ執念

 岡田監督が以前、加茂前監督のコーチを務めていた際、イランの偵察をすることになった。こっそり静かに見たいという希望だったが、敵もさるもの。入国を認め、あえて大歓待した。VIP席での観戦に、試合中の食事の接待と来賓扱いされたため、「そんなところでノート開いて、さあ分析します、なんてとてもできなかった」と苦笑することもあった。
 隠れて取る情報よりも、分析力が大切なのだと、小野コーチは言う。
 W杯は情報戦でもある。少なくとも、初出場、しかも個人的な能力の差異を少しでも埋めようとするのなら、日本は気の遠くなるような情報収集をし、それを消化し、相手に一歩でも迫って行かなくてはならない。

パサレラ監督(アルゼンチン監督 一夜明けて15日、地元プレス用の会見で)
「日本はわたしが予想していたチームではなかった。少なくともこれは社交辞令ではない。昨年の予選を戦ったチームとはまるで別人のようだったし、先日のユーゴスラビア戦よりもまた良くなっていた。次のクロアチアとの試合は、我々にとっても大きな意味を持つ試合になる。クロアチアとどう戦うのか、それはわたしたちにとっても、大変重要な情報のひとつになるからだ」

 こうした情報戦の凄まじさを示したのは、14日の対アルゼンチン戦直後の1シーンだった。
 大健闘、善戦、と、監督や選手がまだインタビューを受けている頃、背広に着替えた小野コーチと、ジャージ姿の四方田氏が大会本部の公式車に乗って関係者通用門から走り去ろうとしていた。
 試合後わずかに25分ほどである。
 2人は、トゥールーズ空港からパリのさらに北にあるランスへ飛ぶため、急いで移動したかったのだ。同じ14日午後9時から始まるクロアチア対ジャマイカ戦を偵察するために。
 現地に到着したのは前半終了間際だったという。後半を観て、ホテルで、ボクシッチをケガで欠いたクロアチアの最新レポートを作成。ほとんど睡眠をとらずに15日、朝一番の飛行機でエクスレバンに戻ってきている。普通は別部隊が行うか、後でビデオを取り寄せるかだけ。わざわざトゥールーズと反対のランスに飛ぶその姿に、日本代表がクロアチア戦にかける「執念」を見たように思う。
 岡田監督はこちらに入ってから何度も「1勝1敗1分け」の目標を変えない、としてきた。1勝1敗1分け−−今ならまだ十分に手が届く。

週刊文春・'98.6.25号より再録)

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