「落選3人」選手は知っていた!?


 現地入りする前から、「試合は非公開」という通告が日本サッカー協会から出されてはいた。しかし、雨の降りしきる中、オリンピコスタジアム(ローザンヌ)の外で、日本取材陣約100人が90分以上も立ちつくしている風景は、やはり異様なものだった。日本報道陣を尻目に、メキシコの同行記者5社7人は、競技場脇から足早に中に入って行く。
 情報漏れを絶対に防ごうというのであれば、アルゼンチンで観ることのできるメキシコの局を入れてしまっては、話にならない。彼らのレポートはアルゼンチンだけでなく、ジャマイカも簡単に入手できる。
 メキシコ戦をあえてクローズにした岡田武史監督(41)の真意は一体どこにあるのか。そして、どんな理由からそれが隠されていたのか。

伝えてあった落選3人の扱い

 すべては、2日に発表された「22人枠」のためのものだったのだ。アルゼンチン戦に向けて最初に超えねばならないハードル、つまり日本代表として選んだ25人の中から、3人を落として正式登録できる22人に絞り込み、なおもチームのモチベーションを最良のものに保たねばならない。とういう難しい仕事をいかにチームとしてこなすか──そのためだけのものだったと言える。
 静かな環境で集中できる、相手への情報漏れを防ぐなど、非公開には理由がある。
 しかし、監督が臨んだのは、2日を前に繰り広げられる「誰が当確」「誰が落選しそうだ」といった報道を、選手から遮断すること、その1点だけだった。
「口では25人で戦うとはいっても、選手には確かに大変なことを求めていたのだと分かっています。せめて今は、選手の耳に余計な雑音を入れないでいたい。各クラブはファックスで毎日、選手に新聞を送ってくる。色々な情報を耳にすれば、お互い疑心暗鬼にもなる。今は1か月戦うチームを本当の意味でまとめる、もっとも大切な時期なのです」
 スイス入りしてから、岡田監督は、こんな表現で気持ちを吐露したことがあった。
 メディアに対してはこうした「防御」をしながら、実は水面下で、選手に対し、厳しい要求を突きつける「攻め」を展開している。今回の25人が召集された5月11日、御殿場での合宿の初日。最初のミーティングに、その「厳しさ」が象徴されていた。
 ミーティングが始まったのは午後3時、御殿場のホテルにある2階の会議室だった。25人で戦う、という姿勢については繰り返しメディアにも話しては来た。しかしミーティングでは、選手にある「選択」をさせている。
「自分の心の中では、ケガなどの事態を想定してここに呼んだ25人全員を、W杯メンバーに登録した。2日に登録できない3人も一緒に行ってもらいたい。もしもこういうやり方に不満がある、現地で3人に削られるのは嫌だと言うなら、ここで選択してもらっても構わない」
 さらに、落選する3人の扱いについても、すでに選手には伝えてあった。
「自分としてはチームに残っていてもらいたいが、もしも少しでも迷ったり、帰りたいというのであれば、帰ってもらっていいし、クラブで練習したいというなら当然だ。本人の判断に任せたい」
 こうしたミーティングの裏で、クラブ関係者には、現地で落選させること、それでもチームに残ってもらう方針でいること、の2点を口頭で連絡し、確認を取っている。
 さらに、落選者は公式ホテルなどには入れないが、帯同するためのオフィシャルパス3枚を依頼。協会関係者がFIFA(国際サッカー連盟)との交渉に奔走し、コーチなどの肩書きで入手できる手筈を整えてもいた。
 昨年のW杯予選で、加茂周・前監督が更迭されたカザフスタン戦(10月4日)の夜にも、同じように「選択」を迫るミーティングを開いている。
 監督は、「自分のやり方に不平不満がある者は、今すぐ帰ってもらって構わない」と宣言。
 この日、選手も初めて自主的に集まり、夜を徹して考えをぶつけ合うことで、まずは、一丸となった。
 2日の22人最終エントリーをめぐっては(9日までケガによる変更は可能)、32か国での今大会、その国も独自の方法を取っている。賛否両論あるが、日本と似た選択をしたのが、同じH組のクロアチア(25人から絞り込み)と、G組のイングランド(30人から絞り込み)。
「距離的にもすぐに補充するのは難しい」とした日本に対し、韓国は32か国中もっとも早く、4月30日に22人のみを発表。「ケガ人が出ればその時に補充する。22人だけで戦う意識を高めていく」と、韓国代表・車範根(チャボンクン)監督はまた違う統率法を説明していた。
 日本などとは正反対に、米国はまず5月上旬に20人を発表し、「1か月でもっとも調子の上がった2選手を補充したい」と、米国らしい選抜法法を取った。
 32か国中、22人の発表を行った国は、わかっているだけでブラジル、イタリアなど15か国。日本のような消去法を取ったのは11か国で、米国のようなプラスシステムを取ったのはアルゼンチンと2か国(残りは発表日時が明確ではない)と、それぞれに国の事情が見え隠れする。

試される“プロ”としての自覚

 さて、3人の落選という方法を取ったことは、選手はどう影響したのだろう。
 御殿場で徹底された意思統一のせいか、選手は意外にもドライに「その日」を迎えた。
 選手たちの間には、疑心暗鬼はあったにしても、岡田監督の配慮もあって、誰が落ちるかは薄々、分かっていたようだ。
「代表であることの意味を皆改めて考えたと思う。帰ることもプロだし、残ることもプロ。どちらでもその人次第で、残ったものもそれをきちんと認めればいいのではないでしょうか」
 井原正巳主将(横浜M)は、あえて感情的な面を排除するかのように言う。
 1日、地元クラブと発表前最後の練習を終えた(3対0)小野伸二(浦和)は、「2日? すっかり忘れてました」と笑い、
「確かに不安はありました。でも、自分がやらねばならないことはすべてやったつもりですし、悔いはない」
 と堂々と受け答えをした。
 最年少18歳の市川大祐(清水ユース)も「もっとアピールしたかったけれども、納得できる1か月でした」と話している。
 それにしても22人枠の登録は、初出場の日本が超えなくてはならない。いわば最初の「ハードル」だったのではないか。
 ともすれば不協和音を生みかねない事態を、あえて厳しい姿勢で挑むことで超えようとした岡田監督のチーム操作術。落選した3人を含めて選手はプロとしてどう振る舞って行くのか、試合の結果と同様に、注目される。
 同時に、「このチームに大黒柱はない。全員が全員を支え合う2×4(ツーバイフォー)の家」という監督就任最初の言葉通り、家の建築もいよいよ仕上げにかかったといえるのではないか。
 最後に、練習マッチの相手、メキシコのマヌエル・ラプンテ監督に、岡田ジャパンへのアドバイスを何かもらえないだろうかと質問をした。基本的には他国の話はしないという監督も、助言には快く応じてくれた。
「残念ながら、アルゼンチン戦のスコア予想はできないし、根拠のない批評はしない。しかし、これだけは言える。残り期間で日本が絶対に準備しなくてはならないものは、たっら1つ、自信だけだ。日本にはわたしの予想をはるかに上回る力があった」
 監督は、小声で付け加えた。
「たぶん、あのパサレラ(アルゼンチン監督)も予想はしていないだろう」

週刊文春・'98.6.11号より再録)

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