木田優夫(野球)

アエラ「この人を見よ/HOMO IN SPORTS」より


●きだまさお/1968年9月12日生まれ、東京都出身。日大明誠高校3年の夏の甲子園県大会で決勝に進出。'86年秋、ドラフト1位で巨人に入団。'89年4月初勝利。主力投手として活躍。'98年1月交換トレードでオリックスへ移籍。昨季36試合に登板、4勝7敗16セーブの成績をおさめる。プロ12年で288試合に登板した。188センチ、95キロ。

メジャー行き果たした遊び心たっぷりのピッチャー

 2月9日、タイガースに合流するため出発した木田優夫は、「三種の神器」をスーツケースに詰めて行った。
 トム・シーバー、ノーラン・ライアン、スパーキー・アンダーソンと、メジャーリーガーたちの自著3冊、そうそう、引退したマイケル・ジョーダン(前シカゴ)だって、いつ試合観戦に来るかもしれない、だから、有名人撮影用のコンパクトカメラ。さて、もうひとつは一体……。答えは遊び心たっぷりの木田に倣って最後に。
 昨年8月にFA資格を攫得してメジャー行きを宣言したものの、周囲の期待はそれほど熱いものではなかった。ひとつの理由は数字にある。通算成績54勝64敗34セーブ、さらに防御率も3.84と「実績」と呼ぶには地味な数字が残るるだけである。昨年一月巨人からオリックスに移籍したが、ひじの手術上がりで十分な働きはできないまま。長谷川(エンゼルス)、吉井(メッツ)らの実績には及ばず、年齢は、野茂や伊良部が挑戦した当時よりも上である。
「自分の野球は、数字ではないのだ、と思っています。何をしようとしたのか、どんな理想で野球に立ち向かったのか、そういう充実感を残すことなんです。各チームも投手としての総合力を評価してくれたと思う」
 しかしよくよく調べれば、これまでの日本人メジャーリーガーにはない実績がある。巨人時代、'88年から四年連続して参加したアリゾナ秋季リーグでの経験だ。四年で合計5か月、メジャーに直結する高レベルのリーグで、後の大リーガーたちと対戦している。
 木田は毅然として言う。
「何かを学びに行く気なんてないんです。勝負に行くのだし、やれと言われれば、先発もリリーフも、中継ぎもやる。変なこだわりはない分、しかし自分のやりかたを根本的に変えるつもりはありません」
 唯一出した条件は、大リーグではしない試合前後のマッサージのための専属トレーナーを付けること。通訳兼任で早川和浩氏とコンビを組むことになった。
 投球だけでなく、こうして「緩急」を使い分ける術もまた、これまでの日本選手とはひと味違う。
 野球はもちろん好きだ。しかし仲間と過ごす時間を、それと同じくらい愛してきたという。
 あちこちを奔走してハカマ姿を披露したり、ニックネーム「DAKY」(木田の反対)をグラブに刺しゅうしてもらい、「有名ブランドのタナキャランに見せかけて」仲間を笑わせたり、すべて野球の「楽しみ」なのだ。
「朝からグラウンドに行き、1日中をそこで過ごす。その幸せっていったらほかにないですよ。小学生から変わらない」
 メジャー第1球はどのポールを? と聞く代わりに、初マウンドでは一体何を披露して笑わせてくれるのか聞こう。
「ウケを意識して、自分にあまりプレッシャーをかけたくないんで秘密にしときます」
 背番号は尊敬する投手シーバーと同じ41。4月5日、テキサスでのレンジャーズ戦でシーズンが幕を開ける。
 さて三種の神器、最後の答えはなんと養毛剤。これだけは日本製にこだわるらしい。

AERA・'99.3.1号より再録)

BACK