![]() |
2000年シドニー五輪女子マラソンを目指すホープたち 伊藤真貴子選手(第一生命女子陸上競技部,25歳)
1973年山形県生まれ。県立新庄南高で陸上部に入部。91年に第一生命入社。初マラソンは95年の名古屋国際で、2時間36分14秒だった。97年4月のロッテルダムで2時間26分3秒の日本歴代2位(当時)、11月の東京国際女子では2時間27分45秒で初優勝。 シドニーまで続く、「カントク」との二人三脚マラソン 偶然ではあったが、高橋尚子(積水化学)によって日本最高記録が塗り替えられた翌日に、伊藤真貴子(25歳)にインタビューすることが決まった。 「初めてカントクに会った日、カントクが入部のあいさつに来ていたんです。私が応接室のドアをあけてあいさつをして、山下さんはニコニコ笑っていました。練習を一緒に始めたころ、面白いなあ、と思ったことがありました。自転車でカントクがついてくれるじゃないですか。その時横で、伊藤、こんな苦しいところをこのタイムで行くなんて、日本の女子ではあなただけだ、スゴイ、そんな風に言ってくれたんですね。ああいう言われ方をしたのは初めてだったんで、すごく印象に残っています。そして初マラソンに挑戦した95年頃、カントクは口癖のように、伊藤は2年後が本当に楽しみだ、って言っていてくれました。 山下が楽しみ、と言った2年後、伊藤は3回目のマラソンとなった昨年のロッテルダムで、2時間26分3秒の日本歴代2位の記録をマーク。シドニー五輪を狙う争いに名乗りをあげ、「楽しみ」は現実となった。 「予測とか、展望みたいなものが、きっちり当たる。ロッテルダムの時にも、雪混じりの小雨で、わたしは長袖のシャツを着ようか迷っていた。そうしたら、カントクは空を見て、ヨシ晴れる、暑すぎると逆に消耗するから、普通のランニングで行こうって。寒いし半信半疑だったんですが、途中から本当にパーッと青空になって、スゴイなあ、と。言われた通りなので、気持ちよく走れましたね」 豪雪地帯の、山形県舟形町の出身である。中学、高校時代は、見上げるような雪の中で、屋根つきのわずかな距離を走るだけの練習だったという。実業団でやりたいという希望はあった。自分には十分な練習環境がないのに、他校の選手とそう差がないことから、「チャンスを与えてもらえば、もっとできるかもしれない」、そう考えて、実業団を選んだ。 「ランナーになる、というのは、父の夢でもありました。父は走るのが大好きで、家に帰ると、父と4人の子供で家の周りをリレーしたり楽しかったですね。今も応援をしてくれてます。走ることが好きなんです。というか、走っている時の自分が、いちばん前向きで、本来の姿なんですね、きっと。走っている時に、一番集中して、しっかりとものと考えている気がします。 昨年のロッテルダムのスタート直前、各国の有力選手たちが、コーチを兼任している夫たちに甲斐甲斐しく世話を焼かれ、抱き合って幸運を祈る姿に、独身の2人は思わず吹き出したという。
潜在能力からいえば、 第一生命女子陸上競技部監督・山下佐知子さん 最初に驚いたのは、私が何年もかかって改善しようとした、前傾でのピッチ走法が、ほぼ完璧な形でできてしまっていたことでした。持っている才能は、私など足元にも及ばないので、練習では、自分自身の時の経験をあえて基準にしないようにしています。私じゃあとても消化できないな、という練習もさせないといけませんから。でも、練習での苦しさというのは理解できますから、内心、こんな辛い練習、よくやるな、と思うこともあります。 (RUNNERS・'98.6月号より再録) |
|
|