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山崎一彦(陸上)


●やまぎきかずひこ/1971年5月10日生まれ。埼玉県与野市出身。武南高校時代は110メートル障害、400メートルハードルでインターハイ出場。順天堂大学へ。'91年世界選手権、'92年バルセロナ五輪で日本代表に。'95年8月、日本記録(48秒37)を樹立。左右両足での正確な踏切に定評がある。175センチ、68キロ。

恐怖心に打つ克って
日本記録を奪回した熟練選手

 謝ることなど少しもない。
 5月8日、大阪で行われた陸上の国際GP400メートル障害で、山崎一彦(28歳、デサント)は人前で泣いた。48秒26の日本新記録をマーク(3位)し、四年ぷりに自己記録を更新。最高のライバル、苅部俊二(富士通)から日本記録を奪い返した。
「ここまで長いこと我慢してきたかいがありました……すみません、なんだかお涙頂戴になってしまって」
 インタビューに思わず泣き出し、それを笑いながら謝る。
 '95年の世界選手権ではこの種目で初めてのファイナリストとなり(7位)、'96年アトランタ五輪でも大きな期待がかけられていた。
 しかし、第1次予選ではゴール前でスピードを緩めたことが災いし、あっけなく五輪は終わった。
 翌年のアテネ世界選手権に雪辱を期して臨む。しかし、準決勝の4台目、左足を置いた瞬間、痛めていた左アキレス腱に激痛が走り棄権。不完全燃焼のまま、またもレースは終わった。
「この2年は苦しかった。引退などとカッコいい形ではなく、こうして陸上界からいつの間にか消えてしまうのか、と、諦めかけたことも正直ありました」
 ハードルで世界のファイナリストにまで上り詰めれば、技術が根本から崩れることはないはずだ。それでも2年にわたって苦しんだ要因は何だったのか。
「恐怖心と自分との葛藤もあった」と、山崎は振り返る。2年前途中棄権した負のイメージとの戦いである。
 ハードルの高さは90センチと14ミリ。大人の腰の高さにもなる。この高さの障害を10台、35メートル間隔で越えなくてはならない。一瞬の迷いがリズムを崩し、スピードを奪い、すべてを台無しにする。
「あえて言っならば、その恐怖は、野球で頭に死球を受けたものにも似ていたのかもしれない」と、山崎は表現する。
 打席に立てば自然と腰が引けてしまうように、左足に力をかけれはまた激痛が走るのでは、という記憶を、心身ともにぬぐい去るのは簡単ではない。そのために、障害では命綱ともいえる「体重移動」ができなかったという。
 しかし、そんな恐怖心を新たな探求心が克服してくれた。今春まで筑波大大学院で研究に取り組んだ。その中で、長距離では一般的な高地トレーニングを、あえて障害にも取り入れることを試みる。高地で気圧が下がれは筋肉、関節への負担は少しでも軽くなり、長距離同様に有酸素機能が上がる。新しい発想は、山崎の背中を力強く押した。
 短足の日本人にとって、180センチ以下の選手など1人もいないこの種目で戦っていくには、高い技術と揺るがぬ信念が必要になる。日本記録をマークした直後、夏の欧州GPへの転戦を希望した。数年前、初めて単身で欧州へ渡り、頼りない英語で自ら申し込みをし、屈辱の門前払いを何度も味わった原点へ返ろうというのだ。
「鳥肌が立つような世界の舞台で彼らとまた戦いたい。すみません、やっと、復帰できたばかりだというのに……」
 謝ることなど少しもない。

AERA・'99.5.31号より再録)

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