小野真澄(女子棒高跳び)

アエラ「この選手を見よ」より


●おのますみ/1975年12月5日生まれ。大学2年のとき、障害から棒高跳びに転向。'98年3月大学卒業。直後の4月、日本グランプリシリーズ第1戦で3m81cm日本新記録を出す。身長161cm。

シドニー五輪を目指して跳び続ける

 陸上女子棒高跳びで今季4回も日本記録(3m92cm、7月5日)を塗り替えた小野真澄(22=北海道教育大大学院)は、知人たちに会うたびに、こうせっつかれている。
「それで、まだ?」
 結婚のことではない。4mがまだクリアできないのか、そういう意味である。
「4年前に始めて以来、とにかく4mを跳ばないと、
棒高跳びをやっています、と人に言えないような気がして……4m、4mと言い過ぎました」
 そういって苦笑いした。

 大学の陸上部はいわば放任主義で、部活動というにはほど遠い環境だった。技術を学びたいと思っていた小野は、失望した。
「陸上はもう辞める」つもりでフィールドを離れようとした日、突然、母校の教師からポールを手渡される。
「どうせ辞めるなら、一度だけ跳んでみたら?」
 そんな誘いとともに、専門コーチの指導を受けるようになる。複雑な運動能力のすべてが入り込んだ、棒高跳びの魅力の虜になった。
 4年前、始めて競技会で跳んだ日は忘れられない。周囲には笑われ、からかわれた。跳人どころか、あまりにぎこちない跳躍に、ついたあだ名は曰く「棍棒の塀越えジャンプ」。
「最初は恥ずかしかったですね。車にポールを積んでいたら、何この人? という感じで顔をのぞき込まれて。でも今年に入って楽しみが増してきたんです」

 札幌の冬は早い。冷えたポールは握っていられないくらい痛い。工業用軍手をはめ、重装の防寒着で練習する。しかし4年目の今年、技術的に大きく前進した。昨年よりも22cmも記録を伸ばしている。
 棒高跳びは、たとえそれがエマ・ジョージ(オーストラリア)のような世界記録保持者であっても、世界50傑にも入らない小野でも、「ポールの反動を生かして跳ぶ」という原理に変わりはない。
 女子の場合、非力なこともありその反発力を感じるより早く、マットなり地面なりにたたきつけられる。
 しかし最近、この「反発力」に逆らわず、身体を乗せる感覚をものにしたという。自分の力とはまったく違う強い力。10本のうち3本はそれがわかる。
「首の位置、足首の向き、どんな些細なことも前進の材料になる。肉体との対話ができることが楽しいのかもしれません」
 反発力に逆らわず、自然に体重を乗せてバーをクリアする──それは、女子新種目の困難をパイオニアとしてクリアする、小野自身の境遇にも似ているのかもしれない。

 昨年亡くなったロス、ベルリン五輪の銀メダリスト西田修平氏は、女子棒高跳び普及のため、1985年に初めて女子教室を開いた。
「女の子のほうが度胸はあるし、イザとなったら根性も座っとる。女性に向いているさ」
 西田氏はそう言っていた。
 あれから15年目、西田氏がベルリンでメダルを獲得して64年目、女子棒高跳びはシドニー五輪新種目になりつつある。まずは12月、アジア大会で強豪中国に挑む。わずかな自信をバネに、小野の限界点も、ひそかに4m30cmに引き上げられたそうだ。
 4m30cmなら、「塀越え」どころか、マンションの2階ぐらいたどりつける。

AERA・'98.10.12号より再録)

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