高校野球日本一へ『志』の連帯

    頑張れ!『寄せ集め』


 海外出張から戻ると、郵便やファクスに埋もれながらも、まずは留守番電話を聞く。「おかげさまで、甲子園出場を果たすことができました。ありがとうございます」
 そうか、夏の甲子園がすでに始まっていたのだ。
 声の主は、もう十五年もお付き合いいただいているご夫婦である。
 スポーツ新聞に入社した年、私は、仙台にでいたばかりの東北支社に、後に聞いたところによれば「体力のある新人をよこしてくれ」というリクエストにこたえて、送り込まれたそうだ。高校野球宮城県予選を手伝うために、初めて滞在する。見知らぬ土地に、約2か月出張をすることになった。
 その時、当時、東陵高校の監督だった氏家規夫さん(53歳)にお会いした。取材内容は覚えてなくても、奥さまから「長期出張では栄養のバランスが崩れる」と、何度か手製の弁当を差し入れてもらった恩は忘れない。
 氏家さんはいつも「寝ても覚めても高校野球。この中毒からはどうにも抜けられないですな」と、日焼けした顔をほころばせていた。
 その後、輿さまの故郷・青森県に移られ、青森山田高校監督となる。宮城の仙台育英で7回、東陵で1回、そして今年の青森山田で1回。3校にまたがって九回もの出場を果たした、珍しい経歴を持つ監督でもある。
「2度勝つなんてもうビックリ。私は応援1泊分しか用意しなかったんです」
 県勢としては太田幸司氏擁する三沢以来、じつに30年ぶりという2回戦突破の快挙に電話をすると、恵子夫人は小さく笑った。
 監督は宮城から、選手も地元、東京、大阪出身者を中心に、北海道、四国・香川まで、全国から集まった、ユニークな「寄せ集め」チームである。当然、高校野球なのに、との批判もある。
 しかし、この批判は当たっていない。東大を目指して全国の有名進学高校に越境入学をする生徒がいるように、スポーツで全国一を目指す者もいる。本人にとっては、勉強もスポーツも同じ「志」である。
 夫人によれば、都会出身の生徒たちは、10月には降り出す雪と、厳しい冬に参る。しかし雪国出身者たちが、雪かきを教え、最初は方言と標準語といった具合に、言葉さえ通じない彼らに、連帯感が生まれる。
 彼らをつなぐ物が、国体における「ご当地絶対主義」ではなく、「志を共にする目的主義」にあることが、重要である。
 今いる場所を心の故郷、ホームタウンとする強さ。そうして集う彼らをひとつの地域として応援する周囲の優しさ。
 そのどちらもうらやましい。
 3年前、バスケットポール高校全国制覇の志だけを頼りに、横浜から北国・能代に拳身留学した田臥勇太(18歳)も「最初の冬にくじけそうだった」と、漏らしたことがある。
 このほど、意志を貫いて、ハワイ留学を決心した。出身は横浜だが、スポーツで築いた「内なる故郷」はこれから先も、能代にあり続けるのだと思う。
 そして、新人時代、右も左もわからず走り回った仙台もまた、私にとってはひとつの「故郷」なのだ。

(東京新聞・'99.8.17朝刊より再録)

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